本拙稿は包囲戦術の中でも包囲環が敵の動きに合わせて柔軟に進退を繰り返す、即ち弾性型の包囲戦術について傾向の概説と戦例を記載します。

 周囲を囲んだだけでは勝利とはならずその後どのように敵の反撃に対処し殲滅するかいくつかのバリエーションがあります。弾性はそのための方策の1つです。前半に弾性包囲の典型的流れを紹介し、後半には実際の戦例を複数記載します。弾性は優秀な敵すら偽装退却にかかる理由の1つであると考えています。個々の部隊の動きについて、現代ロシア軍が採用をしているマニューバラブル(防御)というより包括的なコンセプトの一部であると言えるかもしれません。
(以下本文 敬略)

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<弾性の包囲典型例gif> サイト編纂者作成

包囲環の硬性と弾性

 攻勢側が包囲マニューバを行い敵を取り囲んだ後でどのように敵戦力を壊滅させるかが問題となる。包囲を受けた時点で反包囲戦術を展開できなかった場合、被包囲側の敵は主に2つの対応策をとってくる。

1.耐えて包囲側が根負けして包囲を解くか友軍が外部からかけつけるのを待つ
2.包囲環を崩すため突破を試みる

 敵外部救援軍に対する対処法は様々あるが、今回は2.の内側から突破を試みてくる敵に対する対処法に絞ることとする。そして対処法の性質として硬性と弾性が見られる。

【硬性包囲】

 硬性と今回仮称するタイプはその名の通り相対する敵を強固な包囲環形成部隊で跳ね返してしてし、押しつぶしていく手法である。
BC490_マラトンの戦い 基本的に強力な歩兵や近接騎兵によって敵を圧迫し包囲環を縮めていく。敵は包囲環の迫りくる硬い部隊壁にぶつかっては砕かれることとなる。また、包囲形成時と同じように敵に対してほとんど常に主導権を握り続けることとなるため、包囲圧迫がスムーズに進んだ場合は被包囲側はその多方面からの圧力により組織性が崩壊しまともな反撃をそもそも行えなくなる。
 野戦でのマニューバにおいては片翼両翼問わず中距離、近距離の包囲部隊が常に迅速に戦闘し続けることが必須となる。
 難しく考えず、オーソドックスな近接歩兵による圧殺的包囲をイメージするのがわかりやすいかもしれない。(マラトンの戦いは接近までの仕方が少々オーソドックスではないが今回は包囲形成後の性質のため分類する)
 包囲環が形成されたら部隊はその持ち場を守り、前面の敵を打ち倒すことに集中しながら前進する。逆に持ち場を守れなければ多くの場合、硬性包囲は破綻する。
 硬性そのものカテゴリーは大きな意味を保たない場合が多いが、弾性との違いを明確にするために記載した。

【弾性包囲】

 では硬性ではない包囲とはどのようなものかと言うと、敵の反撃があった際にその場の戦列で跳ね返すのではなく、包囲部隊が後退を柔軟にするものを指す。まさに伸び縮みするゴム環のような弾性、掃いても押し返す水波のイメージが当てはまる。これを今回は弾性型の包囲と仮称する。
 敵が反撃に出てきた際にその場で撃退する必要はなく、状況に応じて後退まで含め動く戦術である。弾性は部分的に包囲環に穴が空くことも主戦場から離れた距離まで退くことも許容する。

 基本的な流れを説明すると下記のようになる。
 ①包囲環形成→②敵反撃→③対峙部隊は後退→④敵突撃部隊を削る→⑤敵反撃勢い減衰→⑥包囲部隊の反撃で押し戻す→⑦包囲環再度形状整理→⑧敵が充分に弱体化した際はそのまま殲滅へ移行

③、④、⑤が弾性包囲の特に注目すべき戦術点である。
 戦史において、これらを巧みに操った指揮官はほとんど自軍の損害を出さずに敵を壊滅させている。
 弾性防御や散兵化が示す性質と一部類似性が見られる。
 ただ今回分類をやや無理やりであるが行い注目しているのは弾性の攻勢とも言うべき手法についてである。

弾性型包囲の手法

 上記の流れごとに戦史に見られる手法を列挙する。

① 包囲環形成

 弾性は包囲を形成した場合に敵とは投擲攻撃できる程度に距離を少し離すことが多い。完全に部隊そのものが接近し半乱戦になるような場合でも弾性を行える軍隊も無いわけではないが練度が桁違いの戦闘集団しか実行はできない。
 また、①の包囲環形成は条件が硬性包囲より緩い場合がある。なぜなら硬性包囲は、相手の反撃に対し隊列を少なくともその場で維持できるだけの戦力を有する部隊組織を常に包囲環に保有させなければならないからである。あるいは常に圧迫をしかけている必要がある。要するに相対する敵を倒せる部隊が必要なのである。これが難しい。例えば包囲マニューバで相手より長く移動したため部隊列が乱れている可能性があげられる。(もちろん包囲すれば敵の側面や背面へアプローチできるため組織性や局所的数量で優位が期待はできるが、これは弾性も同じである。)
 一方で弾性包囲であれば相対する敵軍に対し必ずしもその場で倒すだけの力を持つ必要はない距離と時間が相手の勢いを殺すのに手助けしてくれる。ただし③と④の後退をしながらも崩壊的逃走にならない練度が必要である。これもまた備えるのが難しい部隊練度なのだが国家・部族性によっては比較的容易に可能である。
(その場で倒せる力と移動すれば倒せるという力には単純な強い弱いといった比較は不適当で、別ジャンルの能力と考えなければならない。)

② 敵の突破企図

 ある点または面に対して敵は包囲環破壊を狙い攻勢を仕掛けてくる。この際にまず対峙する包囲部隊はその場で迎撃を行う。勿論敵の勢いが弱ければここで跳ね返しても構わない。しかしこの攻撃は決して部隊の移動を困難にするような乱戦に到ってはならない。そして自軍戦力が損耗することを避ける必要がある。

③ 対峙部隊の後退

 この戦術において特徴的かつ重要なのがこの後退段階である。
 その場で粉砕することができないような敵突破であった場合、指揮官は即時にその場から部隊を後退させ、可能ならば完全に敵との接触を絶つように一時離脱する。この際に後退方向は決まっておらず周囲の状況に合わせ指揮官が柔軟に判断する。ここが硬性との違いである。
 全体で崩れないようにはしなければならないが、包囲戦列を必ずしも保つ必要はないのだ。

④ 距離を保ちながら敵突撃部隊を削る

 更にこの際に可能な限り距離を保ちながら相手を散発的に攻撃し削ることを要求される。この段階が最も実現困難と思われる。
 パルティアンショットのような退きながら攻撃することが可能なら部隊全体が後退しながら連続的な損失を的に与えることができる。あるいは複数の小隊にわかれて攻撃部隊と後退部隊を交互に連携して行わせるという手法もある。部隊によっては近接戦闘を一瞬だけして相手をひるませて離脱というやり方も行う。
 いずれにおいても敵を削る攻撃が届き尚且相手からは懐に飛び込まれ捕捉されるようなことがない距離で継続的に移動しなければならない。
 (この時、敵が一部の部隊だけで突破を開けようとするか全部隊で1つの方向に移動してくるかは、突破正面に対峙する包囲部隊の対応に差異はほぼ生まれない。どちらであろうとも削りながら後退し敵を損耗させる。差異が大きく生まれるのは他の突破点以外の包囲部隊である。彼らは突破対峙部隊を援護するように動かなければならない。)

⑤ 敵の突撃の勢いが減衰

 削り続けながら後退することで必ず敵突破部隊は勢いを減衰させていく。そうなるようにしなければならない。更にある程度の距離を移動することに成るため戦闘の程度に関わらず疲弊が発生することは確実である。
 この敵状況を的確に指揮官は観察し、後退に時間をかけすぎないようにしなければならない。距離が離れると包囲を維持している友軍の負担が増大しすぎてしまう。自部隊と周辺部隊、そして敵の戦力がどうなっているかを複合的に分析して距離、方向、そして時間を決定する。
 予備の友軍部隊が駆けつけられるようにするのが最も望ましい。

⑥ 反転攻勢開始

 敵前進部隊の勢いが充分に弱まった、あるいは自軍の攻撃戦力が充分に整った段階で反撃に転換する。敵は最初保有していた戦力、勢いを喪失している。相手が諦めて戻り始めてから行う場合も多い。これにより再度包囲環を整え相手を削るような攻勢を再開する。
 更に突破企図部隊が勝負に出て大規模な前進を行っていた場合は反転攻勢は局地的な小包囲となる。よってこの段階での戦闘効率は非常に高くなる。敵が決死の覚悟で突撃を始めた初期にぶつかるより遥かに自軍の損害を抑えながら敵を倒せることとなる。

⑦ 包囲環の収縮

 突破部隊を撃滅したら追撃に移り、敵の前進で突出した包囲環を再度収縮させていく。可能な限り素早いことが望ましい。包囲を部分的とはいえ崩しているため友軍の負担を長く駆けないに越したことはない。
 この際にもし敵の前進部隊を敵本体から切り離せたら最善である。本体の包囲に加えて既に損耗している敵分隊を別個に包囲することで加速度的に敵の殲滅が速まる。多くの場合突破を試みるのは敵精鋭であるためその部隊に力を発揮させること無く打ち倒すことは友軍全体に大きな好影響を与えることができる。

 この後に、あるいは並行して他の全体包囲を展開している部隊が攻撃を行い、分断と消耗をしきった敵を壊滅させる。ゴムのように弾性の勢いで最初よりも更に環が収縮することとなる。

 以上が大まかな流れと各段階の状況である。
 弾性の流れは必ずしも一度だけの戦闘で終結するとは限らない。攻撃側が諦めるまで突撃を行うので何度も包囲環の部分的拡大と収縮が繰り返されることとなる。そして相手がそれに疲れギャンブル的な突出を行った時に分断包囲の可能性が発生する。即ち偽装退却からの包囲が行われるのである。

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 これまで弾性包囲の典型的流れを記載してきたが、ここからは実際の戦史においてどう行われたか代表的な3つの例を紹介することとする。いずれも弾性包囲であるが戦術的差異があり、机上では理解しきるのが難しい非常に素晴らしい戦例である。

戦例.1 カルラエの戦い_BC53年_ユーフラテス流域

 BC53年、カルラエの戦いはパルティアvsローマ共和国で行われた会戦である。パルティアの軽騎兵を中心とする約1万人の部隊がローマ歩兵中心の4万を超す大軍を包囲し、接近戦にほとんど持ち込まずに弓射により大損害を与えた。ローマ軍は名に恥じぬ驚異的粘りを見せるが結果として壊滅に終わる。

 長くなるため会戦の詳細は別途記載(→リンク カルラエの戦い
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 パルティアは広大な領土を活かしてローマ軍に長距離行軍をさせ、地理を把握した位置で奇襲した。それでも耐えたローマ軍に対して移動能力の優越する騎馬隊を使用し、パルティアンショットを繰り返し削り続ける。
 ローマ軍各部隊はそれぞれ攻撃して接近戦に持ち込もうとしたが相対するパルティア分隊は其の度に一時撤退。ローマ部隊が突出を避けるため引くとまたパルティア騎兵は戻ってきて騎射を繰り返した。そのために用意しておいた馬とラクダの補給部隊は大量の矢を提供し続けた。
 不慣れな気候、特に熱射に苦しんだローマ軍はいつまでも盾を掲げてこらえることができず、次々と討ち倒されていった。ローマ軍指揮官クラッススは限界まで耐え慎重に隙きを伺ったが、追い詰められ最終的に動けた騎兵部隊をほぼ全て集中し突破を図った
 しかしその動きはパルティア軍司令官スレナスの作戦通りであり、偽装退却のあとで部隊の反転に合わせて丘の後ろに隠しておいた予備を投入。突出する形となっていたローマ騎兵部隊を完璧に殲滅した。その後ローマ歩兵本隊を再度包囲し攻勢をしかけ多数の死傷者をださせたが夜陰が訪れローマ軍が撤退し、会戦は終わった。
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 パルティア及びササンでは同種の戦術が散見されるが口伝文化が一時期強かったためか資料が曖昧なことが多い。逆にアケメネス朝はやや歩兵弓兵の比重が高い。

戦例.2 ハッティーンの戦い_1187年_ヨルダン域

 ハッティーンの戦いはサラディンの知名度のおかげで比較的知られている。1187年7月、現在のイスラエルのハッティーンの地で行われたアイユーブ朝軍と十字軍国家・組織連合との戦いだ。
load-to-hattin サラディンは当時既にアラブの盟主となり始めており歩兵、重装騎兵、軽騎兵といった各種兵科を集収したが特に軽騎兵が多かったようだ。気温30度以上に達する荒野に水場が点在するヨルダン域で互いに2万人前後を動員して戦った大会戦である。

 サラディンは接敵すると同時に薄い包囲を展開し断続的な矢撃を浴びせ続けた。十字軍系の鎧と詰め物の下着は矢を容易に通さなかったが、隙間や馬が射抜かれやはり削られることは避けられなかった。サラディンは部隊をいくつもに分けひたすら長時間継続させる作戦方針をとって夜になってもまだ奇襲を仕掛け続けたが決して突撃をしなかったしさせもしなかった。

 サラディンが特に戦力を集中させたのは最後尾のテンプル騎士団であった。後背であるため対応が苦慮する以外にも理由があった。それは後尾の拘束であった。
 既に長い対アラブの戦歴を重ねていた十字軍は迂闊な突撃はしなかったが夜明け以降に訪れた乾きが彼らから選択の余地を奪った。少し離れた場所にあったハッティーンの水場を求め進軍を開始した。

ハッティーンの戦い_軽騎兵包囲戦術の弾性 前衛の部隊が水場の方向に向かい突撃を始めるとサラディン軍は弾性包囲系のパルティアンショットを展開した。削りながらも包囲環を部分的に広げ十字軍の前進を許容したのだ。
 そして十字軍の眼の前に道が広がり、水場へ行ける希望が生まれ前進が加速した。其の結果、前日より集中的に攻撃を受けていた後尾のテンプル騎士団が遅れた。拘束効果が現れたのだ。
 隊列が伸び始めたタイミングと、サラディンが用意した伏兵位置に到達する時間はほぼ完璧だった。両側から十字軍前衛は奇襲を受け後衛と分断されるとまたたく間に包囲された。

 十字軍部隊は勇敢な騎士たちが突撃を繰り返したがサラディンの包囲はやはり柔軟でありながら適切に重装備の部隊が穴を埋めた。結果として騎士たちは中途半端な漸進となり、従卒歩兵が着いてこれず分断される最悪の戦況に陥った。後衛は離脱したが、前衛部隊はハッティーンの丘にまとめて追い詰められた。彼らは3度必死の突撃を繰り返したがサラディンの見事な包囲を疲れ切り乾いた体で突破するのはできなかった。

 戦いが終わると指揮官達を含め大半の十字軍兵士傭兵たちが死亡または捕虜となっていた。サラディンは野戦軍を殲滅後に兵力が薄くなった各都市を連続的に攻勢に出ることで次々と陥落させ僅か3ヶ月後にエルサレムを手に入れた。

 この戦いもやはり弾性を可能とする移動力と火力のある兵科により包囲を形成し削り続け相手の動きに合わせて包囲環を部分的に拡大または開放した。そして相手に気候と地形を利用し戦術的選択肢を狭めさせた上で突出させ、分断してから包囲環を縮小している。

 この他にも十字軍vsイスラムの戦歴においては数多くの野戦弓騎兵包囲戦術が使われているので今後も機会があれば書いていきたい。アラブ軍は暑さ対策をしながらも重装兵が増えていくがそれでも多くが弾性の包囲である。十字軍勢力も何度も勝利を上げているのでこの地域戦史を追うことには多くの意義がある。反包囲戦術の戦例として書きたいと考えている。

参考文献
Helen Nicholson "God's warriors:crusaders, Saracens and the battle for Jerusalem"
Brian Todd Carey "Warfare In The Medieval World"
DTIC  "The Battle of Hattin, 1187"
アミン・マアルーフ "アラブが見た十字軍"
John France "Western Warfare in The Age of The Crusades"

戦例.3 キングスマウンテンの戦い_1780年_北アメリカ大陸南部

 1780年10月、ノースカロライナ州の山林でアメリカ独立戦争の南部戦線において戦略的に非常に重要な戦いが行われた。会戦名はBattle of Kings Mountain。互いに訓練した民兵を極少数の士官が率いる苦しい戦いだった。独立派は主に8人の将官が合議制で進めており中枢統帥が厳格でないほぼ寄せ集めであったが、代わりに各部隊ごとは1人の指揮官がしっかりと掌握していた。即ち小隊単位の反応性は高かった。

 長くなるため詳細は別途記載 (→リンク_キングスマウンテンの戦い

 独立派と対する王党派、共に戦力は1000名前後であったが結果は独立派の圧倒的勝利に終わる。王党派は死者負傷者は指揮官を含み41%にまで及び残りのほぼ全てが捕虜にり部隊が消滅するほどだった。

Revolutionary-War-Battles-Kings-Mountain-3 戦いが始まる前に驚くべき速度で難所を行軍を遂行した独立派は、高台に陣取る王党派に気づかれる前に接近した。攻勢はまず高台の中でも最高峰の南西箇所に行われた。ここは少し突出した形になっており同時に王党派本隊の野営地を守る上で要となる場所であった。ここを南北から挟撃する形で奇襲して押し込む間に他の部隊は北東尾根の王党派本隊を同時包囲するように動いた。
 王党派のファーガソン隊長は勇敢で兵士を鼓舞し度重なる銃剣突撃を行い包囲を破綻させようとした。しかし独立派の各部隊は銃剣突撃に対して物陰に隠れながら銃撃をして削った後は乱戦になる前に後退して躱した。山林であり銃剣突撃の威力は分散しやすくある程度の距離を進むと途端に減衰し独立派を捕捉できなかった。突撃した王党派が元の陣地に戻ると再び独立派の部隊は戻ってきて銃撃を再開した。

 南西の突出部が多数から包囲攻撃を受け撤退するしかなかった。彼らは降伏せずに東北へ銃剣突撃を実行し東北にいる本隊との合流に成功する。
 しかし尾根の最高峰をこれで独立派は抑えた。これにより王党派本隊は全周から、しかも斜面以外からも攻勢を受けるようになり防衛線が破綻。急激に包囲環が縮小した。
 もはや保たないことを悟ったファーガソン隊長は残る主力を用いて全力での突破を図ったが多角的かつ密な射撃で突破部隊は粉砕され指揮官ファーガソン自身も戦死した。
 なんとか残存部隊は高台の野営地に戻ったが後は降伏するしか選択肢は残されていなかった。
 戦いは1時間ほどで収束し独立派の勝利で終わった。

 キングスマウンテンの戦いは南部戦線の戦略規模にまで影響を与えた。増援を当てにしていたコーンウォリス方面軍指揮官は逆に破綻したノースカロライナ方面への対策を行わざるを得なくなった。

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以上3つの会戦を代表的な弾性包囲の戦例として紹介した。これ以外にもあるが、改めてこのタイプを構築する要素の思索に移りたい

将兵の性質

 これまでの段階記載から明らかなように弾性包囲の仕方はシンプルだが非常に難しい。将兵には高い組織的練度だけでなく特殊な戦闘技術が要求される。

 当然指揮官には迅速かつ柔軟な判断力が必要とされ、更に小隊規模の部隊指揮官までそれが徹底される必要がある。統括指揮官だけでは実現はかなわない。これだけでほとんどの国がやろうとしてもできない理由がわかる。統括指揮官は当然優れていることが望ましいが、事前に各将校と合意した戦術方針を徹底することで勝利まで到ることも可能である。

 そしてそもそも兵士の性質によっては指揮官の手腕に関係なくほぼ不可能である。
 上記の戦例からわかるように遂行する部隊は移動能力が敵より優れていることが絶対条件である。更に後退しながらも敵を削れる攻撃能力を有する部隊でなければならない。中距離または遠距離で優勢に戦闘を遂行できる投射火力が望ましい。ただしこれは短時間であればよい。移動力があればそれを断続的に行うことで結果的に常に優越することになるからだ。

 特に対十字軍のアラブや騎馬民族で戦例がよく見られるが、理由は軽騎兵や軽歩兵という兵科が保有する移動能力の軽快性と、小部隊単位でそれぞれ柔軟に動ける組織性が比較的備わりやすい生活・訓練様式であったことが考えられる。
 これらの性質は散兵化の時代以前でも部分的に散兵と同じ性質や条件を示す。

弾性型包囲の特性

 弾性包囲の効果として敵に破滅的な損害を与えながらも自軍の損害は極小に抑えられる可能性が高いことがある。

 包囲環は全周包囲か一点のみ逃走ルートを残した包囲形が望ましい。
 偽装退却との相性は非常にいい。むしろこの弾性こそが、優秀な敵すら偽装退却にかかる理由の一つであると考えている。

 スレナスとサラディンが使った戦術は偽装退却から伏兵を用いた分断包囲だ。この偽装退却の部分も弾性の一部であるが、その前段階こそが最も弾性の効果が現れている。弓騎兵の連続的かつほぼ一方的な攻撃で相手をジリ貧にさせ、一発逆転の突破を狙うという選択肢に敵を追い込んだ。戦史において偽装退却からの反転攻勢は古今東西で多く見られる。なぜ彼らが、恐らく知識も有るにもかかわらず引掛かったのか、その要因の一つである。もちろん勝利への驕りが目を曇らせたという点もあるがそれを生み出すのは常にそれまでの状況推移である。

 これは追撃状況でも突破状況でも同じである。例えば追撃戦の重要性を理解していれば、退却する敵を逃すことがどれほど戦果に影響を及ぼすか述べることができるだろう。戦場の霧の中で、敵の退却が偽装なのか、本当に逃げ出したのか、判断できる情報は現場で即時に確信を得られるものではない。しかし即時に判断しなければならない。優れた戦歴を示してきた将が、時にかつて偽装退却を使っていた者が、己も偽装退却包囲戦術にかかることもあるのだ。重要なのはそれをいつどのように行うかを的確に判断することであり、膨大な不確定要素の中でそれを行える決断力と考える。
 状況の把握の困難性、兵卒と指揮官の勝利への欲望の統制、戦果を逃せば移動力で優越される敵とまた戦わねばならないという作戦視野、そして時に互いの指揮官が把握していない全く不確定の要素が彼らに狭窄的状況判断を強制する。

 予備隊は弾性を強化するために当然あることが望ましいが、投入の位置とタイミングは難しい。早すぎると衝突戦になってしまうし遅すぎると包囲環が破綻する。ゴムの伸びる長さは兵卒の練度に比例すると言っても良い。

バリエーション

 必ずしも弾性包囲は相手を押し込める上記の形になる必要はない。柔軟性が特徴であるがその先の戦術的分岐性も持っている。そのいくつかを紹介したい。呼称としては中央アジア、ステップ平原地帯などで使われたものを「いたぶり=Травля」「カラスの群れ=Воронья стая」戦術と呼んでいるものなどがある。(ボブロフの調査)
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< クリミアタタールの鴉群戦術 16世紀頃 >

包囲環未形成タイプ
 (包囲ではなく正面戦闘であるがいくつかの部隊が断続的に攻勢に出続けることで相手を削り続ける。敵の攻勢は全面攻勢でなければ僅かな後退で迎撃する)

複線包囲環タイプ
 (複数の戦列を用意しておき相手の攻撃を前衛戦列が受け流し、後衛の戦列と共に対応して押し返す。この戦列間の距離が短いと硬性に該当するかもしれないが、同時に部隊内での耐久力という点では向上するために使われる。特にローマのマニプルス及びコホルス・レギオンはその典型である。
 よって受動→能動移行型の包囲を行う際に弾性が多く見られる。)

ゲリラ戦タイプ
 (包囲環かどうかは関係なく、相手に先制攻撃したら乱戦になる前に離脱する。殆どの場合は削るだけであり、包囲環内の敵を撃滅するための全面攻勢にでることはしないまま戦闘を終える)

米陸軍の対ゲリラ戦用教範

 米陸軍にはこの弾性包囲の性質を示すゲリラ戦術のいくつかのパターンと包囲される側の動きを記した教範が存在する。

 追記します。

 ロシア軍のマニューバラブル防御についてもここにリンクを作成すること。

小括

 以上が弾性の包囲における基本的共通事項概説です。弾性型の包囲というカテゴリー分けを時代問わずしてみようと思いたち記載してきましたが、多くの異論が浮かんだと思います。
 これだけでは到底説明には足らず、その他多数の戦例で場合分けする必要があるし、同時に他の軍事理論とも被ることもあります。捉え方次第ではほとんどの包囲戦が弾性を見せているとも言うかもしれません。

 結論として弾性の包囲で重要なのは「攻勢に出ているにも関わらず相手の反撃に対して後退を許容する」ことであると考えています。

 包囲が弾性を極端に可視化するというだけで、「攻勢における弾性」という括りをしたほうが適切かもしれません。ただそれだと記述が膨大になりすぎるため今回は敢えて包囲に絞りました。
 以上、長い拙稿を読んで頂き大変感謝いたします。