本覚書はシリア内戦におけるシリア北西域を巡り、2016年1月~2017年2月末まで展開された作戦群の進展について記載します。
 (本が出るのを待っているのですがその間に忘れそうなので覚書を残すというのが目的です。全く詳細では無いのでお許しを。疑問点も多く、シリア内戦の外交変遷を追っている人のご意見を伺いたいのですが…)

 シリア民主軍(SDF)の2方向からのマンビジ攻勢西部アル・バーブ攻勢トルコ軍によるユーフラテスの盾作戦、シリア政府軍東部アレッポ攻勢が覚書の主要素となります。
 これらを複合した進展は極めて奇怪な事象を示しました。

事象

 弱体1勢力の特定領域に対し、他3勢力がより多く自領域を奪取するために同時的に軍事侵攻した。しかし外交等の非武力分野による影響もあり他3勢力同士の軍事衝突が極端に抑えられ、結果としてまるで並んで競う軍事侵攻レースのような形態が現出した。
20161118

要因

1. 相対的に1勢力(ISIL)が弱体であった
2. 強力な1勢力(トルコ系)が新規に参画してきたため、弱体1勢力(ISIL)に対し優勢な他2勢力は急ぐ必要性が生まれた
3. 弱体勢力に対し他3勢力(SDF/トルコ系/政府軍)が同時的に侵攻した
4. 外交戦略および軍事作戦上、他3勢力同士は本格衝突の可能性を保有しているがこの時点では戦闘拡大を望んでいなかった
5. 他3勢力同士で武力衝突はするものの殲滅的な拡大は起きないため、他勢力の侵攻ルートを先に制圧することで抑え込める期待値が非常に高かった

参加勢力

 以下に最も大雑把な勢力表を示す。この分け方は今回の焦点となるアル・バーブ周辺域のみで適用され、他地域ではその限りでない。

簡易勢力表
勢力名支援国家  Remark 
ISIL 
シリア政府ロシア 
SDF(シリア民主軍)有志連合 
親トルコ系反体制勢力トルコ 

※シリア情勢において各勢力は非常に細かく分派している。上記のカテゴリ分けは最も単純な分け方をしており、本格的な関係分析においてはより詳細な分け方が必須となる。例えば北端に緑色で表されている勢力は親トルコ系勢力であるが、アレッポ南西域~イドリブに広がる反体制領域とはもはや別個に近い。南方の反体制勢力には有志連合が支援するものもある。またSDFについてもクルド人民防衛隊(YPG)が主体とされるが数十の武装組織がより集まり構成されているものであり、その全てがクルド系というわけでも有志連合から支援を受けているわけではない。シリア政府勢力も政府軍の公式部隊から義勇兵、支持部族兵まで多様である。加えて長期化したシリア内戦では組織内部で変化が発生しており同一名だからといって性質が同じと考えてはならない場合もある。

アル・バーブ周辺域の概説_政府軍とSDF

【当該域】シリア北部の重要拠点アル・バーブ(英語:Al Bab、トルコ語:El Bab)を中心とし広がるバーブ高原周辺の領域
【人種】クルド系、アラブ系
population-syria
20160911

 人口密度は避難民のため不明だが、東部の砂漠ほど低くはないが西部の都市部ほどはない。ただしアル・バーブ街は6万人ほどが戦前はおり、その近辺を合わせると約10万程度となる。この地点がISILがにとっての拠点である。
アル・バーブ周辺地図
 南西約40kmの地点に内戦の最大焦点の1つアレッポが位置する。
 主に政府軍が制圧しつつあるが南西の反体制派は戦闘を継続し市街で戦闘がおきている。アレッポ市街の中心から政府軍は南西に反体制派、北東にISILと戦線を展開し初期は苦しかった。しかし2015年前期にはISIL全盛期を迎え直後から衰退しだし(北東部ロジャヴァでの有志連合とSDFの反攻進展)、既にこの領域から撤退の可能性が伺われた。
例:https://www.military.com/daily-news/2015/02/20/some-signs-of-tension-emerge-among-islamic-state-militants.html
←実際に撤退が大部隊規模で行われたのかは要検証。後述のアル・バーブの市街戦でまだ戦力を残していたことは明白となったため)

 反体制派も内紛や欧米からの幻滅が著しく(2016年1月時点でまだかなりの領域をアレッポにもっていたが)既に減衰が始まっている。
 2016年の半ばには既に両戦線で政府軍は優位性を持っていた。ロシアの支援はかなりの規模で行われている。イランのこの地域での支援投入は不明だが多くはないと思われる。ただしまだ大規模侵攻が安易にできるほど南西反体制派は弱体化していない。

 北東には交通の要所マンビジがある。ここも発展した都市である。
 ISILが支配していたがSDFが大規模な構成を北部で展開する一部として、2016年6月にマンビジ攻勢を実施。この攻勢は街を極めて迅速に包囲することに成功した。アメリカ主導の有志連合のSDFへの支援規模はこのシリア北部攻勢~ラッカ攻略戦までの時期に最大化した。ISILにとって後方の最大拠点ラッカへのSDF侵攻の可能性が現実味を帯びていたことは、重大な影響をアル・バーブへ及ぼした。実際のラッカ街攻勢は2017年5月となるのだが、そこに到るまでのラッカ北域の連続的・同時的なSDFの作戦群は見事な連動性を持っていた。ラッカ方面へISILは注力しておりアル・バーブ方面の増援はほぼ見込めなかった。しかしこれはSDFにとっても同じであまり戦力を増やせなかった。
(→ 別途記載すること: ラッカ北域SDF連続攻勢)

 北西にはアフリン州があり、ここはSDFにとっての飛び地になっている。山岳で囲まれた要害アフリンを拠点に東の平野へ展開を望み行動していく。有志連合の支援はラッカ方面へ集中しておりこちらは手薄である。
____________
 以上の相対的な優位性により、シリア政府軍とSDFは共にISILへ攻勢に出られる態勢はあるが大戦力の投入を強くは期待できないという戦況で一致していた。

侵攻レース_開始段階_SDFの連結企図

 2016年6月頃のSDFによるマンビジ攻勢が1つの大きな転機であったと捉える。理由はトルコへの刺激が非常に強い進展であるためだ。これは軍事的にも政治的にも大きい。クルド系がユーフラテス西岸へ本格進出し交通の要衝を抑えたことで、シリア北部国境線の全てがクルド系の支配下に置かれる可能性が現実味を帯び始めた。これはトルコが最も恐れる事態である。具体的な軍事企図としては西端のアフリン州と連結する侵攻作戦である。(こういった離れた国境沿い2地点の結合という作戦を北東部ロジャヴァ域で既にSDFは成功させている)

【侵攻直前状況】

 < 2016/01/01 戦況図 >
・シリア北部~北東部(北東部ロジャヴァ):SDF制圧域かつ有志連合の最大焦点地点
・シリア西北端(アフリン州)」SDF系列が制圧
・シリア北部ユーフラテス川西岸:ISIL支配下
・シリア北西部アフリン州と平野部との境界:反体制派の支配下
20160101_シリア北西部
 北部に縦に細長く反体制派の勢力範囲が伸びている。ここが後の親トルコ系反体制派となる。なぜならこの直後に南の反体制派と分断され追い詰められていくからである。実はこの時点ではこの西北端反体制派が最も弱体と言えた。そのため他3勢力(ISIL/政府軍/SDF)から同時的に侵攻を受けることになる。
 まず政府軍がアレッポ北西で孤立していたナベル(Nubl)地帯と連結することに成功した。

【SDFの攻勢_2方向からの侵攻】

 SDFはこの西北部に2つの攻勢を真逆の2方向から加え、最終的にはアフリンとマンビジ、北東部ロジャヴァを連結させる企図が見られた。
20160603
 ただし下記①タル・リファト攻勢の進捗とアメリカ肝いりのラッカ方面への攻勢状況とを鑑みてから②マンビジ攻勢は行われている。そしてトルコ系、政府軍、ISILの状況を再確認した後、③西部アル・バーブ攻勢を発動しマンビジ方面と2方向から突進した。
_______________________
① タル・リファト攻勢 (Tell Rifaat Offensive)

 西北端の反体制派への侵攻で最も野心的だったのはアフリン方面SDFである。空港などを持つタル・リファト周辺域への攻勢が行われた。

 【攻勢時期】:2016年2月(東方突進)、~6月(北端でのトルコ軍とのせめぎ合い)
 【作戦地域】:アル・バーブ西部のタル・リファト周辺平野部
 【終局状態】:東方への突出形態となる。直後に残る孤立した北端反体制派へ攻勢を実行。ISILもこの機会に反体制派領域を奪取。反体制派はトルコ国境とのごく僅かな地域のみを残す。
20160215
20160219


<左図:2/15 政府軍の連結成功とアフリンSDFの攻勢、対するトルコ軍の砲爆撃> <右図:2/19 SDFと政府軍の侵攻領域>

 【攻勢内容】:2016年2月初頭に攻勢を開始したSDFは反体制派の南端地点に攻撃を集中。02/19まで突進してISILとの境界部へ到達。政府軍とSDFは多少の小競り合いの後は両軍とも己の連絡路を確保して沈静化。トルコ軍阻止砲爆撃を中心としたが止められなかった
_______________________
② マンビジ攻勢 (Manbiji Offensive)

 東部のSDFの攻勢はISIL支配下のマンビジに対する攻勢である。

 【攻勢時期】:2016年5月末~8月末(マンビジ市攻略戦)
 【作戦地域】:アル・バーブの東方とユーフラテス西岸に位置するマンビジ地域
 【終局状態】:ユーフラテス川の重要施設ティシュリン(Tishrin)ダムの占拠及び交通要衝マンビジ市街の制圧。ISILは北域における致命的な損失を被る。ただし市街制圧には時間がかかり、アル・バーブに続く主要街道への攻勢が遅れた。
20151230
20160827

 【攻勢内容】:
  2015/12/23ユーフラテス東岸においてSDFはISILの戦線拠点を突破し川沿いに突出する。
  12/25~30にかけて突出部両肩の制圧を行う。ただし西方への攻撃は要衝ティシュリン・ダムの攻略という重大任務であり、迅速に成功。ISILが川に頼り防衛が薄かった後方地点へ突進拠点を確保した後で6ヶ月間沈静化する。
  (この数ヶ月間タル・リファト攻勢とラッカ方面で複数の作戦が実行されていた)
  2016/05/31、攻勢が再開、明白にマンビジ攻略へ向かい西進した。06/01連絡路のボトルネックであるダムへの脅威を排除する南方向への拡大が行われ、同日中に北部地点からも大規模な渡河攻撃を開始。06/02までにユーフラテス西岸に広い橋頭堡を僅か2日たらずで確保する。06/03まで北部で橋頭堡を更に拡大、突進の準備を整える。
  06/04~06/07にかけて、北部方面と南部方面で同時攻勢が開始、市街地へは直接突進はせず周辺部を回り込んでいく。マンビジの両翼包囲を明確に企図している。
  06/11までに北部、南部方面の両部隊は接触に成功。包囲環が形成される。まだマンビジ市街へは突入せず周辺の村を制圧する。
Double Envelopment_Manbiji_SDF
  06/15、包囲完了後、ISILの反撃・突破企図が行われ2つの村が再奪取されるがそこまでだった。数日後には市街地へついに突入が始まる。
  07/01、ISILが大規模な反撃に出て激戦となる。7月中にISILはこの他にも反攻作戦をいくつか発起したがいずれも包囲環は破れていない。外周部からの攻撃も撃退されており趨勢は決して居た。ただマンビジ市街での頑強な抵抗は8月末まで続きこの長期間の抵抗はSDFを損耗させ何よりも時間を奪っていった。後述の連続した作戦群の推移と照らし合わせるとSDFマンビジ方面軍に致命的な影響を与えたと捉えられる。最大の焦点は戦線西端の主要街道上の街アリマ(Arima)が長期に渡り制圧できなかったため続いた西方への作戦進捗を遅らせたことである。
_________
 以上、2つの攻勢は躓きはあったものの単体としてはおおよそ成功したと言える。しかし続いて連続した作戦段階において、SDFは間違いなく予定を変更せざるを得ない状況に陥る。

_______________________
③ 西部アル・バーブ攻勢 (Western Al Bab  Offensive)

 トルコ系軍の攻勢については後述。

 【攻勢時期】:2016年8月末~2017年1月初頭
 【作戦地域】:アル・バーブの西方域
 【終局状態】:突進は減衰、領域は進むに連れ細くなりアル・バーブ西部直近で頭を親トルコ系軍に抑えられ行き詰まる。
01_tal rifat offensive02_1st western al bab offensive03_Dbiq offensive
04_2nd western al bab offensive
05_3re al bab offensive06_battle of al bab07_battle of al bab_2nd
08_battle of albab_end

西部アル・バーブ攻勢における3勢力の競争_gif
<Gif_西部アル・バーブ攻勢における3勢力の競争> 画像元製作者:Rr016 様

 【攻勢内容】:
  6月まで行われていたタル・リファト攻勢に続く形で8月末から作戦が展開される。突出部の先端から再度前進を開始するが攻勢正面があまりに狭く、最初の一ヶ月の侵攻速度は遅く9月末に一時停止する。
  10月半ばに侵攻を再開するが既に親トルコ系軍政府軍の両方が同じ西部アル・バーブ地域に侵攻してきており、に挟まれる形でレースとなってしまう。親トルコ系軍がSDFの北側面で攻撃を行ったため細長い突出攻勢は作戦変更を迫られる。戦力が足りず、特に有志連合の航空支援が足りない状態であったため攻勢は減衰していった。
  2017年1月までに競り負け親トルコ系軍に先回りされてしまう。突破することもアル・バーブ市街への突入を行う戦力も残っておらず攻勢は収束した。
___________
これが本稿における1つ目の「3勢力のレース」である。
_______________________
④ 東部アル
・バーブ攻勢 (Eastern Al Bab  Offensive)

 【攻勢時期】:2016年11月半ば~2017年1月
 【作戦地域】:アル・バーブの東方域
 【終局状態】:アル・バーブとマンビジをつなぐ主要街道の進路上を先にトルコ系に抑えられた上に攻撃を加えられて攻勢は停止。直接接触するようになった親トルコ系軍の攻勢に備えてSDFマンビジ方面軍は防衛体制を整備する。その上で外国主導の緩衝地帯がマンビジ西方へ設置されることになる。

 【攻勢内容】:
  マンビジ制圧に手間取ったことは攻勢発動を遅らせた。しかも街道上のアリマ街のISILは頑強な抵抗を続け進軍がまるでうまくいかない。親トルコ系軍が北から迫ってきたこともあり、アリマを迂回しその北側の地帯を10km以上前進し制圧していく。
  しかし11/23頃にトルコ空軍がついに複数の空爆をSDFマンビジ方面軍の先頭へ実施。攻勢の勢いは減衰しきった。アルマを迂回し街道に戻りISIL域の前進を南よりで開始するも、親トルコ系軍が先に街道の進路上を抑えたことで事実上アル・バーブへの道は絶たれることになり攻勢は戦線の整理にはいる。
(画像詳細は後述ユーフラテスの盾作戦の項目を参照)

【SDFの作戦群の結果】

 上記①~④のSDFの攻勢の結果として、シリア北部国境沿い各地点の連結には失敗した。この連結を元から狙っていなかったというのは、今の所はないと思っているが内部資料が出るまでは確定しない。有力だと考える軍事的な理由は、SDFマンビジ方面軍とアフリン方面軍は両方共アル・バーブへ向けて主要街道を明らかに突進しており、その際に重大な危険を伴うほど細い突出部が形成されている。肩口を拡大するための戦力は足らず、しかもそれでもなお突進しようとしていたためである。またそれまでの北東部ロジャヴァで成功した北部国境沿い連結作戦とも一貫性がある。政治的には、SDFが国境沿いを抑えることでテロリストとその支援物資の流入を防げると有志連合が期待したことを挙げる。
 マンビジとアフリンから少しでも領土を多く獲得し拠点から敵を遠ざけるという意図はあったがあくまで二次的なものと見ている。これは後のトルコによるアフリン制圧とマンビジ獲得(共同管理)でのSDF側の対応に関連する。

 外交上の問題、特に支援国家の要望によりSDF・親トルコ系軍・政府軍は互いに大規模衝突を今回は望まなかった。武力衝突そのものは多数しているがその収束が異常に速く相手を撃滅するような攻撃拡大は一切行われていない。そのためISILの陣地を先に獲った方が権利を得るのである。攻撃または先回りの進軍は相手の前進妨害という意図が現れている。

 結論として、SDFによる個々の主要都市制圧のための攻勢作戦はいくつか成功しているが、それらを包括した作戦群全体の目標は達成されなかったと記述する。

___________
 以上のように、このアル・バーブ獲得レースにおいてSDFは失敗を喫している。ラッカ方面が航空支援の主攻地域であったこと、ISILの抵抗が市街で長引いたことも理由だが、やはり最大の要因は突如始まった北方からの親トルコ系軍の進撃である。この進行により東西の連結を企図したSDFはギリギリの差で分断されることになる。
作戦名「ユーフラテスの盾
トルコ軍が空軍と陸軍を大規模に投入し、厳しい国際非難と引き換えに実行した侵攻作戦である。
___________

侵攻レース_トルコ軍による南進作戦「ユーフラテスの盾」

 簡略化するならば政府軍は北上、トルコ系は南進、SDFは東西の連結を狙い進軍したと表記されるが以下でより詳細にその推移を追っていきたい。

【→ ユーフラテスの盾作戦に関する覚書】に続く
______________________________________
ただの覚書で、日付や情報精査はまだしてないので追記・修正箇所を教えて頂けると大変助かります…。
自分でもまだ腑に落ちない。

__________
【その他メモ】
クルド関係に関するJETROのまとめ資料
http://www.ide.go.jp/Japanese/Research/Region/Mid_e/Radar/Kurd.html