【浸透の手法】

5-1. 浸透の概説

 浸透(Infiltration)とは、敵支配地域を通るか中に入り発見されないように行動し、敵の側背の効果的な位置を確保するために攻撃するマニューバのことです。その際には敵の防御火力にはほんの僅かしか晒されないようにします。
 (米軍野戦教本FM3-90)
Infiltration_concept

Infiltrationは潜入と訳すこともできます。潜入の方がイメージは湧きやすいですが潜入は単独行動だと感じてしまう場合があり、複数箇所で侵入していくことが多い戦術的なInfiltrationマニューバはやはり浸透という言葉で分けることが有用です。(単独レーンの浸透もあります。)
 また浸透は陸だけでなく海、空でも使われるマニューバと位置づけられています。
 
 おそらく有名なのはWWⅠ で浸透戦術(ユティエ戦術)と呼ばれる戦術ではないでしょうか。
ただWWⅠ の方式がWWⅡ そして今の米軍のマニューバの中で使われているものなのかというと少し違います。WWⅠ の浸透戦術は各国ごとに具体的に整備された防御線突破手法であり、また他の兵科との連携の仕方まで含め特色づけられています。
Battle_of_Caporetto

(カポレットの戦い_ドイツ・オーストリア軍のWWⅠイタリア戦役における進撃)

 本記事で紹介する、そして米軍のFMで導入しているのは浸透というマニューバの基本概念です。

WWⅠ などで使われた特定の戦術はそれだけで独立した戦術とみなし、本サイトでは「浸透戦術」という固有名詞として扱います。

 (※余談ですが米軍内ではInfilitrationは戦術的マニューバ以外に行軍手法の1つを表す言葉としても使われます。不規則間隔で小グループをいくつか作り行軍することで道路がどこも詰まっているという状況を無くし尚且つ敵の襲撃に対し効果的に反撃できるかなり有効な行軍手法です。)

5-2. 浸透の方法

 ※ 5-2章は一部省略していますがほぼ米軍野戦教本FM3-90 tactics のChapter 3の邦訳です。

浸透では基本的に敵地を充分な時間をかけて発見されないように通ってから集結します。
 (Moving & Assembling
マニューバの性質上、浸透を実行するのは必然的に小部隊となります。
(ただし各小部隊がそれぞれ浸透を行う場合もありその際は作戦全体で見ると小部隊ではない、あくまで局所の実行部隊に焦点を絞った考え)

 忘れてはならないのが、浸透した部隊は個別では滅多に敵部隊を無力化できないということです。

更に下記のことが一般的とされています。
___________________________________________

・浸透は平常なら同時発生的に合同で各部隊が行う
・他の攻勢マニューバの支援の中で浸透する
・歴史的に浸透する部隊に課せられる任務は限定的なものとされる
___________________________________________
Fig3-5

 これらを踏まえた上で浸透の指揮官は部隊の全体または一部を使って敵防御の隙間へ投入していきます。
その際に行うべきこととして挙げられていることが以下になります。

1. 敵の位置や重要と思われるターゲットの地域を偵察監視する
2. 敵の陣地を予期していないであろう方向から攻撃する
3. 決定的となる作戦(decisive operation)を支援するための火点を占拠する
4. 地形的に重要な箇所を確保する
5. 待ち伏せし、重要施設を破壊し、(予備部隊、支援火器、防空システム、通信の結節点、兵站の支援設備への)攻撃で敵の防衛体系を混乱させるために襲撃する

米軍では軽装の歩兵が浸透を行いますがその際にセットで重装備の他部隊がいかなる形であれ支援作戦を行うことをマニュアル化していますが、技術力の向上で重装の部隊が浸透を行う可能性を以前より明言しています。

 また指揮官は警戒部隊を用意して浸透部隊主力の前衛、側面、後背に当たらせ遮蔽を行います。
 浸透が継続できるかは一般的に補給、医療、整備によります。
指揮官は浸透の任務が完了次第一般的な作戦を実行します。
image1325

加えて重要なのが以下の2点です。

浸透レーン(進行路)は前衛と側衛の浸透部隊の位置を調整し射撃計画の責任を確定させます。
・2つの浸透部隊が接続する点は各任務が遂行される前に計画されなければなりません。

そして浸透していく部隊の位置を確認する手段を考えておきます。
これらを確認した上で浸透に必要な情報を前もって集め、資材と部隊の集結を準備してから実行します。
image3548

 浸透開始時は警戒部隊に先導させ浸透主体はそれに続きます。警戒部隊と主体の距離はMETT-TCの結果によります。警戒部隊は十分な距離をもって敵防衛の隙間を調べながら進みます。
 これらの部隊は当然ですが隠密性を保持する高い練度を必要とします。
 
 進行中は逐次司令部に道と敵行動を報告します。基本的に部隊は敵や一般市民と接触することを避けます。ただし接触してしまったからと言って任務達成を譲歩してしまうわけではありません。

 浸透部隊はターゲットに対してはまずこちらのの位置と規模が隠されたままになるように間接射撃を行います。敵の偵察を妨害するような効果を狙いおこなうことで敵の効果的な対応をできなくします。

 前衛の警戒部隊は必要なら他のルートを通って主体と連絡をつけます。警戒部隊との再接続こそが任務の継続を可能とします。浸透主体はもし敵がほとんど戦闘力がなければ制圧し、難しそうなら迂回し任務を続けます。浸透部隊指揮官は射撃管制する際には浸透レーンが位置している場所から敵の注意を逸らす用に行います。

 集結した際には任務を続行できる力が残っているか確認します。
 任務続行が不可能と判断できる場合は下記の例があります。

・浸透部隊がナビゲーションの失敗や敵の行動、事故などでその戦闘力を喪失した場合
・目標が移動したり強化されたりしていた場合
・敵に明確に発見されてしまった場合
・戦術的な理由で状況が変更され浸透の意義が喪失した場合
fig6-5

以上です。

5-3. 浸透の実例

 現在でこそ上記のように米軍がマニュアル化していますが、過去の戦例ではどのような実行の仕方をされていたかいくつか簡易に紹介してみようと思います。

 敵の防御が硬い所を突破するために一部の部隊を潜入させる概念は古来よりありました。それを千差万別の方法で体系化していっています。
 米国では1759年に訓令がだされており、
「行軍する時は鹿に忍び寄るが如く行動せよ。そして敵を最初に発見することだ。」と表現されています。
1759の訓令

ただ具体的にどうすれば浸透が成功するのかは他の戦闘技術に左用されてきました。
南北戦争では塹壕や築城に加え火力技術の向上が明確になり大損害を戦列にださせていましたが、スポットシルバニアの戦いでアプトン大佐の部隊の塹壕陣地への攻撃が他の戦術と比べ効果的だったことが着目されました。アプトン大佐の南軍塹壕突出部への進行は浸透の概念が適用されたもので、更に砲兵の支援など他兵科との連携にも目を配った大変米軍にとって参考になる事例でした。
スポットシルバニアの戦い_uptonの突撃

(戦例:スポットシルバニアの戦い)

 その後は散兵戦術と小隊火器が発展を遂げていく中、WWⅠ が勃発し特に有名な『WW1の浸透戦術』と呼ばれる事象が現出します。しかしそもそも『WW1の浸透戦術』とは何かがまず朧げなところがあります。
 当時は浸透戦術という名前が定まっていたわけでもなく、各国が少しずつ違うやり方で塹壕突破の手法を遂行していました。
 ロシアではブルシロフ将軍が1916年に兵力が欠乏する中でなんとか塹壕を突破し前進しようと、短時間の的を絞った砲撃や小部隊の多点潜入を取り入れた攻撃を行い、既存の前進手法より比較的少ない被害で長い距離を前進できブルシロフ攻勢と呼ばれました。※小部隊での戦闘技術の発展は特殊なものではなく、それ以前から各国でも進んでいる。
 フランスでは第二次アルトワ会戦で短時間の砲撃と各部隊の広域での前進を行っています。
 ドイツではユティエ将軍が毒ガス砲撃と効果的に組み合わせた突撃部隊の侵入及び通信基地、交通要所、司令部、補給基地を狙ったより深い攻勢をいくつか行っており、その戦訓とフランスのやり方を学習しルーデンドルフの春季大攻勢が行われています。結局のところ砲撃で敵陣を破壊することが肝要であり、毒ガスを筆頭とする砲撃の技術と技法の向上、そして歩兵においては小隊規模での戦術と活動の洗練化があり、それらが結集することで最終的に見事な前進という結果が現れました。故にWW1での『浸透戦術』は、結果から見て逆に名をつけられたようなところがあります。
Second Battle of Artois_短時間砲撃と群突撃も予備少なく失敗

(戦例:第二次アルトワ会戦でのフランス軍攻勢_数キロ突破に成功し司令部を驚かせたがその後の後続が続かず反撃で押し戻された) 

 WWⅠ の各国の浸透戦術の一部とみなされる突破漸進は単純な戦線の破壊ではなく砲兵や航空機の支援のもとでの侵入と後方への踏破があったことで、それまでの膨大な損失の割に僅かな前進しかできなくなっていた塹壕戦に変化をもたらしました。ただし比較的進めるようになったというわけであり被害が減ったかというと微妙な扱いであり、尚且つまだ効果的な後続梯団の投入や更なる前進で敵後方線までの突破ということはできておらず、弾性防御の前に最終的に進撃の停止を余儀なくされています。この前進がさらにできるようになったのも『浸透戦術』を導入したからというより、小隊や砲兵の洗練化の結集というべきかもしれません。
 まだ内燃機関などの更なる戦果拡大のために必要な技術発展が足りていなかったことなどが原因でした。
France André Laffargue

< フランス André Laffargueの浸透戦術 >

 『WW1の浸透戦術』は朧げなものであり、確かに変化をもたらしましたがそれは劇的なものではなく、かつ他兵科や新技術との連携のおかげでもありました。基礎マニューバの1つである浸透と『WW1で浸透戦術と呼ばれるなにか』はあまり同一視しないほうが混乱を防げると思います。

 しかし状況次第では浸透の手法を使うことで損害を比較的少なく抑えながら敵陣地を突破できるようになるという戦訓は確かに認知され、その具体的手法を漸進させながらWWⅡ で各国が最終的に広く取り入れ今日では基本的マニューバの1つとして扱われるまでになりました。
1944_連合軍の浸透戦術_battle at velletri_第36師団
< 1944年_Battle at Velletriで第36師団が実施した浸透 >

Lampaden-Ridge-map

(戦例:Battle of Lampaden-Ridge_1945年のドイツ軍歩兵による攻勢_この中に浸透が含まれており戦力が堕ちいていたがそれでも数キロの侵入に成功した。但しその後反撃に対抗できる力は無かった)

 ソ連や日本軍の手法もInfiltrationを使った事例があると名指しされる場合があります。

5-4. 概括

 浸透は敵の隙間からの侵入と迂回を使った隠密行動により敵防御線を越えその先にある目標を攻撃する概念です。

米軍では潜入する部隊は複数ができれば望ましく、司令官は適切な侵入位置と侵入後の集合を調整しなければならないと定められています。
 浸透する際には必ず他兵科、部隊との連携支援が必要でありこのマニューバ単体で作戦を達成しようと考えてはなりません。
 
 連携の中でこそ浸透というマニューバは活き、その戦術的目標達成が作戦の成否に影響することができます。


THE GREAT OFFENSIVES THE GREAT OFFENSIVES Military Magazine ブルシロフのshock troop
https://simonjoneshistorian.com/2014/03/05/infiltration-by-close-order-andre-laffargue-and-the-attack-of-9-may-1915/
http://armchairgeneral.com/tactics-101-082-infiltraton-in-history-and-practice.htm