第2次チェチェン紛争の初期における反ロシア系武装勢力の構成要素について概要を記載しておきます。
 本当は776高地の戦いの章の1つだったのですが長すぎるので分離しました。

776高地の戦い リンク

[目次]
0.チェチェン紛争の始まり
1.通信及び交通
2.ロシア軍の交通を妨害する工作
3.索敵
4.基本戦法の代表例
5.長所
6.弱点

チェチェン紛争の始まり_簡易概説

 ソ連末期、コーカサス地方のチェチェン人達の勢力圏で起きた分離独立運動は次第に激化していった。だがソ連解体とそれに伴う連邦構成共和国の独立の機運の中でも彼らはロシア連邦の構成国から脱却できなかった。
Caucasus-政治的境界
 1991年、チェチェン独立派は元ソ連将軍ドゥダエフを大統領に独立を宣言した。他にもマスハドフ将軍といった旧ソ連将軍が多数参加している。ただし全く一枚岩では無く混沌がコーカサスには訪れていた。まず民族的には類似する西部イングース人の地域は連邦残留派であり完全に分裂。そしてチェチェン内部でも残留派がおり、加えて各人の私的な利権争いが入り込み内戦状態になりかける。そこにエリツィン大統領の下ロシア連邦軍が軍事介入し第1次チェチェン紛争が開始された。この武力衝突は1996年まで続くこととなる。(その後も散発的に武力行使は行われた)

 軍事的にはこの時のロシア軍はあまり良くなかったと言われる。市街戦に対する認識が充分でなく安易な行軍で大量の装甲車両を喪失し人命が失われた。たとえ理論はあっても訓練は不足し空軍などとの連携も充分でなかったからであろう。根本にはソ連末期の予算不足がある。

 この侵攻で市民にも多数の犠牲を出ししかも独立運動を潰そうとしたロシアは国際的な批難を浴びるが、その影でイスラム過激派が伸張していた。もともとチェチェン域はほとんどがイスラム神秘主義(スーフィズム)の信徒である。そこに周辺や中東との交流の中で別派の聖職者や神学生が入るようになった。特に厳格な流派の1つワッハーブ派は産油国の膨大な資金をバックに浸透した。別にワッハーブ派が必ずしも武力的な過激派というわけでもなく、そもそもチェチェンではワッハーブ派が多数になることも無かった。ただ厳格な他流派は影響をもたらしたのは確かであったし少しずつ広まっていた。つまりイスラム同士の宗派対立の芽が育まれていたのだ。

 過激派が勢力を拡大した理由の1つはチェチェン分離独立派が彼らを対ロシア戦で利用したからとも言われる。彼ら自身は厳格な宗派でもなんでもなかったにも関わらず、イスラム過激派の命をかけるスタイルは便利であったため導入が図られた。
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 だが第1次チェチェン紛争が収束した後、彼らを待ち受けていたのはそのツケだった。スーフィズムを主とする土着の地域集団に対し、別派の過激派は対ロシアの時と同じく己の信念を押し通そうとした。チェチェン共和国指導者となっていたマスハドフ将軍そこに相変わらずの利権争いが絡みついに武力衝突が起きるようになる。

 ロシア連邦はここに目をつけた。かつて自分たちを苦しめた者たちを逆に分断の狙い目としたとされるが、そもそもアフガニスタンからの過激派の流入もあったと言われるこのイスラム過激派はロシア連邦にとって積年の敵であった。イスラム過激派にとっても同じく民族独立思想以外でも対ロシア・対欧米思想が強まっていた。時の政権マスハドフはむしろ世俗的で西欧へ接近しようとしていたがもはや手遅れであったのかもしれない。内部の過激派と外部のロシア、双方の圧力は高まり続けた。
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チェチェンでゲリラ、山岳戦、都市戦そして部分的な平野戦を展開した反ロシア系武装勢力の構成要素(使用機器、交通工作、基本戦法、長所と短所)は以下のようなものがある。

通信及び交通

通信:VHF無線を使用(固定式では連邦軍の砲撃への脆弱性があり、特殊な車両積載型の無線機器を使った。)
  またロシア軍警戒線を越えるため女子供に伝令をさせた。

交通:基本は徒歩だが見つからないように車両及び馬を使用。

ロシア軍の通行の妨害工作

 武装勢力は対ロシア軍用の交通妨害を多数行った。

【道路に障害物を設置する手法】
 例えば高可燃性の液体を撒いた上でパイプの切れ端を道路に横たえる手法があった。

【地雷】
 塹壕のすぐ前方などに地雷原を作る際に彼らは2パターンの深さに地雷を設置した。
 まず掘った穴の底に1つ目の地雷を置き土を被せる。その上に2つ目の地雷を置くのだ。もし上部の地雷がロシア軍に発見されたとしても下部の地雷が役目を果たす。(油断させる効果もあったろう)

索敵

 ホームグラウンドのため、険しい地形・裏道を通って町に入ったり偵察することを基本としていた。
 追加として上述の協力的な民間人に偵察・伝令をさせる場合の他にも犬の使用などがあった。
 夜間にロシア軍の配置を特定するために、犬に照明をつけ歩かせることで遠目に人がこそこそ活動しているように見せかけさせ囮にした。

基本戦法の例

 山の中の村を防衛するために待ち伏せを広く使用した。ロシア軍が通り過ぎるのを待ち、密かに掩体壕から出てきて側面攻撃と十字射撃を浴びせた。最小距離は60~100mという近さでグレネードランチャーを戦車や歩兵戦闘車両に当ててきた。

 まず真っ先に狙撃手をペアで使用した。まるで決まり事であるかのように彼らは建屋の基礎に準備した開口から撃ってきた。狙撃手は指揮官や将校を困難無く判別した、というのも無線手が無線機とともに同席していたからだ。(当時の通信機器は巨大なものを身に付けざるを得なかった。)

長所の特性

・武装勢力は6年間の戦役経験
・死への心構えを備えさせる宗教的熱狂性
・野戦指揮官へ暗黙に従属し、明確に分けられた戦闘員の組織が作戦の活動域ではあった。
・中東・中央アジアにある特殊なキャンプでの外部傭兵部隊・訓練教官へアクセスすることができた。

 地形を利用する能力と知識は非常によく訓練されていた。兵力投入する箇所の適時の準備と長期間防衛するための地形。弾薬と装備品や道具、武器の隠し格納庫の構築。車両の広範での使用と馬およびロバによる現代兵器や爆弾(外国製規格)の輸送。現地の人々(女子供含む)を使役し偵察任務につかせ統制と連絡のネットワークの構築をした。

弱点の特性

 弱点部の特性 2000年1月時点

・部分的な部隊の士気とモラルの減少。(平野部での敗退と破壊に苦しんだ部隊、首都グロズヌイからの大量脱出の後は特に顕著)
・人口的に重要な箇所からの支援の喪失。
・より深く広く蔓延してしまった野戦指揮官たちの間の意見の不一致
・武器・弾薬・技術系道具の補給と使用能力の減少
・適時かつ必要不可欠な医療処置の準備の困難性
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主な出典:C.W.Blandy, "Chechnya: Two Federal Disasters" の "Box 5 - Chechen and Wahhaby Extremist Formations" の章
その他、チェチェン紛争MAPより