ウィリアマイト戦争の最終盤においてジャコバイト・ウィリアマイト両軍は最も激しい戦闘を交え、文字通りの決戦となりました。その会戦はイギリス・アイルランド史において極めて重大な出来事として知られています。そして本会戦の戦術は野戦での包囲戦術に対し重要な思索を与えてくれています。 
 本拙稿はアイルランドで人々が戦い抜いた終末、オーグリムの戦いについて記述したいと思います。
1691_Battle of Aughrim_片翼包囲と死闘
→【ボイン川の戦い_1690_迂回】の歴史上での続きとなります。

ウィリアマイト戦争末期の戦況

 1690年に英国のウィリアム3世自身が軍を率いてジェームズ2世直下のアイルランドジャコバイト大部隊を破ったボイン川の戦いは戦局に大きな影響をもたらした。ジェームズはフランスへ援軍を要請するためアイルランドの地を離れてしまい、人々の目には逃亡したと映り民心を失った。要衝ドロヘダ市は陥落し続いて港湾ダブリン市もほぼ無血で降伏する。東部の2大都市を奪われたジャコバイト側は窮地に立つ。ボイン川から追撃を受け多量の武器弾薬を喪失したことは充分な野戦軍の運用を困難にさせジャコバイトは主導権を完全に奪われることになる。9月、アイルランド東域レンスター州のほとんどを制圧したウィリアムは戦争の勝利を確信しイングランドへ帰還していった。後任はギンケル将軍が任された。

Map William's and James' movements 1690 だがジャコバイトは諦めていなかった。各所で抵抗を続け時間を稼ぐ。その激しさはウィリアムの予想を遥かに上回りギンケルの軍は損耗していく。アイルランド南西部の大都市リムリックがジャコバイト最大にして恐らく最後となる抵抗拠点だった。ギンケルはここを奪えば戦争が終わると考えて攻め入った。「Black Battery」と呼ばれた要塞などで攻城戦が行われるが都市の強力な守りとアイルランドの士気を崩しきれず根負けしたウィリアマイト側は一時後退する。

 都市に籠もるだけではジャコバイトは逆転できないと分かっており、希望はフランス王ルイ14世からの増援であった。ウィリアムが大陸に集中するのを防ぐためフランスの支援は今も続いていた。
 ウィリアム3世も戦略を再修正しイングランドから増援を送り込み、先に敵拠点周辺を制圧する方針にした。別部隊を率いたのはマールバラ伯(後に公爵)ジョン・チャーチルである。今や史上屈指の将として彼の名は轟いているが、アイルランドでも堅実な手腕を見せた。9/21に南端の港湾都市コークを包囲し、多少の遅れはあったものの陥落させると続いて同じく港湾都市キンセールも奪取。これによりジャコバイト側はフランスとの最短連絡路を遮断されることとなる。
 ギンケル将軍も並行して周辺制圧を少しずつ進めていく。冬は活動を抑え、ウィリアムの初期計画より長引き年が明けてもまだ戦争は続いていたがそれでも終わりが見え始めた。

オーグリムへ到るまでの推移

 1691年1月中旬、ゴールウェイ港へフランス船が現れた。上陸したのは指揮官サン=ルート率いる増援である。武器弾薬をアイルランドへ渡す役目も担っていた。ティアコネル伯の導きで彼はやってきた。彼は高貴な出で公共心があり民衆にも軍人にも評判が良い人格者であったという。勇敢で前線を動き回るタイプの彼にはフランス人将校の補佐も付けられた。
 といっても戦略的劣勢は覆らずジャコバイト軍は日々消耗し続ける。5月7日にはケリー街、翌日にはシャノン街が失われリムリック市は孤立が近づいていた。前年に弾き返したアスローン街をついにギンケルに奪われ多大な損失が起きた。

 後退しているジャコバイト軍は次々と兵が落後する。サン=ルートはジリ貧であると感じギンケルの軍を決戦へ引きずりこむしかないと考えた。けれどティアコネル伯を含む将校たちは野戦では勝てないとし再度リムリック市へ籠もり戦争を次の年まで長引かせ消耗の末撤退させる戦略とするべきと思っていた。何人かの将はサン=ルートを支持したが結局リムリック方面へ後退することに決まった。
ギンケル将軍 しかしバリナスロー街で充分に士気が回復されたと思ったサン=ルート将軍は戦略を改め、決戦のために適正な野営地を探し始めた。もはやこの先兵士の数や士気が決戦に足ることは無いと思いつめていたのかもしれないが、生来の強い自信を持っていたためとも言われている。フランスからの増援は度々あるがそれもいつ途絶えるかわからない。

 対するギンケルは敵ジャコバイトの思惑を測りかねていた。相手自身も揺れ動いていたのだから当然である。敵騎兵の遮蔽による偵察妨害が拍車をかけた。彼は補給を受け且つ連絡線を敵騎兵から守れるようにするためにアスローン街を一度固めた。それから再出発し宿営していた7月11日、騎兵がジャコバイト主力軍がオーグリム町にいるのを発見した。翌日ギンケルはサック川を渡り接近。ジャコバイトたちはオーグリムから動かず陣地構築し自信を持って待ち構えた。ギンケルは城壁の外で叩ける機会を逃さぬと敵陣へ向かい、互いが暗黙に了承し会戦が決定された。
 1691年7月12日、双方に凄まじい死傷者を出すオーグリムの戦いが始まる。 

戦力_地形_初期配置

【戦力】

【ウィリアマイト軍】
 指揮官:ゴダード・ドゥ・ギンケル総指揮官、マッカイ、リュヴィニー、他
 総数:約20000

【ジャコバイト軍】
 指揮官:シャルル・シャルモン・ド・サン=ルート総指揮官、サースフィールド、テッセ中将、他
 総数:約18000

 この時代に置いてそこまで珍しくはないが両軍共に各国の兵が入り混じっていた。ジャコバイト側はアイルランド現地兵とフランスからの増援が、ウィリアマイト側はアイルランド人ウィリアム支持派・オランダ・イングランド・スコットランド系・フランスのユグノーなど豊富である。
20170809_aughrim land

【地形と配置概要】

 ジャコバイト軍の右より大きな湿地で覆われ、その泥濘は彼らの正面まで広がっていた。その中央から左側面に位置するオーグリム古城廃墟に到るまで昔の溝があった。中央部後方にはキルコマダン丘が位置する。
battle of Aughrim1
 サン=ルート将軍は地形と築城を利用することで練度の差を補う意図である。両端は小川があり渡河箇所には兵を集め両翼後方には騎兵を投入準備。左翼端はオーグリム古城を利用し強化する。中央は川岸に陣地は無くあえてスペースを作るがその先にあるのは湿地であり渡河してきた敵は勢いを出せない。そこに溝を利用し野戦築城を設け、前哨には軽歩兵を散らばらせ射撃し、後ろには戦列歩兵が並ぶ。自軍陣地後ろには横一本道路が走り相互支援を容易にしている。
 ただし部隊を領域の端から端まで展開させたため予備が少なくなるというリスクを有している。
 
 対するギンケル将軍は両端に通る道路をできるだけ利用したいと考え、全体に歩兵戦列横陣を広く展開した上で両端に騎兵を集中させた。
 川は小さく渡河地点は複数ある。大砲は左翼端、中央、右翼端にそれぞれ配置した。横陣を広く展開したため小川で3つに分断されるリスクを有している。

【両指揮官の初期企図】

 ジャコバイト側は地形の利用と野戦築城の効用に基づく守戦で撃退する狙いであった。川と泥濘を越える間に散兵が削り、野戦築城地帯に踏み込んできた所で戦列歩兵が出迎え敵突撃を粉砕したところで逆襲し敵を川へ後退させるのである。右翼ではサースフィールド将軍、左翼はシェルドン将軍が堅め敵を消耗させる。彼は騎兵・竜騎兵・歩兵の混成隊形を展開したとされる。1個騎兵連隊が独立した予備として後方に配置された。

 ギンケル将軍は泥濘で脚を取られることも、敵の強固な守りがその先で待っていることも理解していた。それでもウィリアマイト側はわずかに兵数で上回っていただけだが積極的な攻勢に出ようと各将が考えていた。指揮官ギンケルは大陸で闘ってきた将を揃えており練度・経験で自信があった。ここで敵野戦軍を壊滅させれば戦争終結が事実上確定するという背景も突き動かしたことだろう。

オーグリムの決戦_前半_[ The Battle of Aughrim ]

 朝から両軍は睨み合っていたが午後になってしばらく時間が経った時、ついに兵士たちが動き出した。

【攻撃開始_ウィリマイト軍左翼の戦闘】

battle of Aughrim2 まず戦闘は散兵の射撃戦で開始される。特にウィリマイアト軍左翼が激化していった。彼らに続く形で戦列歩兵が接近しようとし、騎馬隊も機会を伺う。対するサースフィールド将軍の警戒部隊は浅瀬を渡ってくる敵斥候を発見しこちらも動き出す。この際にジャコバイトの散兵は随分と活躍した。
 ギンケルの狙いが左翼からの攻撃であると判明した。これはサン=ルートの計画通りである。サースフィールドの右翼をなんとか後退させようと強化点に向かって消耗しに来てくれるだろう。

 騎馬が通れる箇所を見つけウィリアマイト軍が侵入を開始した。サースフィールド将軍も騎兵・竜騎兵で対応し騎馬同士の衝突が発生する。竜騎兵同士が互いに優位な位置をとろうと迅速な移動と下馬を繰り返した。ウィリアマイト騎馬隊が追加され川を渡り別の竜騎兵が敵前衛の側背を脅かすと、ジャコバイト騎兵は第2線まで後退し再編した。ウィリマイト左翼騎兵部隊は前進するがサースフィールドは予定通り待ち構えており、後続と砲兵支援を投入した。被害を出しウィリマイト左翼騎兵は釘付けにされる。左翼部隊の一部は土手や垣根の敵に気づかずもろに射撃を受けてしまったという。

【ウィリマイト軍左翼の後退】

 一部のウィリアマイト左翼部隊は駆け足で肉薄しようとした。しかしジャコバイト軍右翼は準備された次の線へ後退し効率的に射撃を食らわせた。
battle of Aughrim3 充分な支援も無く泥濘に脚を取られながら戦う前進部隊が位置を保つことは不可能でありしばらくすると崩れだした。敵の混乱を見てとったサースフィールド将軍は歩兵隊に追撃を命じた

 ウィリアマイト左翼は後衛のいる自軍陣地へ後退を始めた。マッカイ将軍は彼らを助けるためにその右隣に居た歩兵隊に命じ騎兵突撃を行えるための道を確保しようと展開したが、撃退されてしまった。ヘッセン公中央部隊が続いて攻撃しようとしていたがマッカイの命じた歩兵隊が離れたことで危険に晒され動けなかった。これにより最左翼は敵軍の襲撃をもろに受けることとなった。
 サン=ルートは左翼シェルドン部隊から一部を右翼へ転用しサースフィールドの反撃を補強した。
 ウィリアマイト側にもラ・メロニア将軍の中央左翼の一部支援に駆けつけた。ジャコバイト右翼砲兵隊が狙いを向ける。左翼ポートランド騎兵部隊はなんとかまともな固さの地面の場所へ行こうとしていたが増援すら足を取られて動くスペースを得られぬまま甚大な被害を受けた。ポートランド騎馬隊指揮官フォン・ホルツァップフェル将軍までもが戦死した。この結果、ジャコバイト軍は完全に敵左翼の跳ね除けることに成功した。サン=ルート将軍はそれを確認しこう叫んだという。
 「我らの、我が子らの日だ!」
 
 ギンケルは左翼予備に頼みの綱を賭け突進させた。戦場は混沌としており正確な位置は不明であるが、これはサースフィールドを驚かせ、今度は逆にジャコバイト側が湿地で足を取られていたため攻撃は一旦引いていった

【ギンケルの決断_左翼の再前進】

 その頃、右翼と中央右翼部隊は沼沢の縁まで歩を進め位置に着いていた。戦列歩兵が整然と並び砲は沢の向こう側の敵戦列に対抗するため設置されている。
 だが未だに命令は出ない。ほぼ同数の相手に不利な地形を突き進み攻撃するというのは指揮官には簡単に決断はできないものであり、戦闘の拡大を回避する可能性もあった。刻々と時間が過ぎていく。ギンケルは将校を集め再度打ち合わせていたがそうする内に左翼が押し返され、ようやく議論が終わる時が来た。夕刻にもうなり始めていたが中央と右翼も投入する方針をギンケルは決心したのだ。
battle of Aughrim4
battle of Aughrim5

 騎馬隊は中央からいなくなり両翼に集中した。損害を受けていた左翼は補強され再び左翼部隊の攻撃が始まる。ギンケルは接近方法を工夫し、まず1つの連隊を最左翼から更に外側を回り込むように見せた。これは囮である。ジャコバイト軍右翼が反応するとすかさず左翼本隊が敵の懐へ踏み込んでいく。ユグノー系歩兵部隊は射程内まで歩んでいくと痛烈な敵射撃を浴びたが、それでも撃ち返し押し進んでいった。
 サン=ルートは敵左翼による再攻撃があったためここが主攻だと思った。彼は各箇所を精力的に駆け回り、この会戦では2頭の馬が疲労で倒れ3頭目まで使っていた。複数の戦列を展開し火力を増強することで対処する。一部崩れても周りがフォローし敵の前衛部隊を次々と削り取っていく。ギンケルの用意した左翼前衛部隊はその最後の部隊まで使い切って押し込もうとしたが、結果は同じだった。

 最後の支援投入がウィリアマイト軍左翼に為された時、ギンケルとマッカイは命令を下す。これから右翼はいかなる犠牲を払っても進ませる。中央部隊は小川を越え、敵主力中央へ攻撃するように命じた。
 各部隊がこの先被る損失が壮絶なものとなることをギンケルは確実に理解していた。

オーグリムの決戦_中盤

【ウィリマイト軍中央の攻撃】

 中央部隊が前進し湿地を進む。サン=ルートはわざと敵が小川を渡るのを攻撃せずに待つ
 battle of Aughrim6中央部隊は苦闘しながら泥濘を歩きジャコバイト中央部隊の最初の戦列がある垣根の位置まで到達した。彼らはジャコバイト兵へ射撃し追い散らすと更に突き進む。その先に固められた第2線が姿を現した。ここでウィリアマイト中央部隊は損害を出すが、ジャコバイト兵は第1線の予定された後退の一部が練度不十分で本当に逃走になってしまっていたこともあり、果敢な襲撃は敵第2線までも突破した。
 彼らは自信を深め止まること無く次へ至ろうとした。その瞬間に突出した部隊の両側面から銃撃を受けた。突如ジャコバイトの反撃が広がり斉射に次ぐ斉射が彼らを襲う。沼沢を渡り敵の2つの抵抗線を越えたウィリアマイト中央部隊は戦列が乱れていた。第2線で止められないような本格攻撃である場合サン=ルートはここで撃退する用意をしていたのである。

 アール大佐は前線へ行き兵士たちに命令を放ち残った部隊を再編していった。そして何とか後退させる。勇敢な行動であったが一歩遅かった。サン=ルートは騎馬隊を投入していたのだ。壊乱した敵歩兵を沼沢まで彼らは何度も襲撃した。歩兵戦列も同時に押し返していく。ウィリアマイト中央の攻撃は完璧に跳ね返されたのだ。中央突撃に参加した内1/3にも及ぶ死傷者を出す凄惨な結果となる。

 ハミルトン卿のジャコバイト中央隊は退いて行く敵を追撃するように前進して沼沢あたりまで攻撃を継続する。反撃の勢いそのままに敵中央を逆に突破してしまおうという策である。ただやはり足場が悪く騎馬でも徒歩でも鈍った。そこにウィリアマイト中央で残っていたヘッセン公の部隊がマッカイと連携し突き進んでくるハミルトン中央部隊を撃退した。マッカイは右翼部隊の攻撃発起を一時延期させ中央へ支援を回させた。ヘッセン公は凄まじい気迫で前進して今度は敵中央左翼よりへ攻撃をしかけたという。
battle of Aughrim7
battle of Aughrim8

 互いに中央部隊は消耗しており、強烈な存在感を示す湿地を越えて突破することができなかった。ヘッセン公の活躍もありウィリアマイトは中央を持ちこたえさせ、ジャコバイト前進部隊は自軍陣地へ戻って行った。ただウィリアマイト側は大半が疲労し、既に2000名近い膨大な死傷者を出している。日没が迫る中、彼らは敗北の寸前まで行きかけていた。この時サン=ルートは戦況を確認し勝利を手中に収めたと確信した。

 それでもまだ最後の勝負を賭ける突破部隊が挑戦を残していた。ウィリアマイト軍右翼による攻撃である。

【ウィリマイト軍右翼の突進】

 ジャコバイト軍中央ドリントン将軍は敵中央の襲撃に対処するため、左翼オーグリム古城そばから2個歩兵大隊を移動させ中央部を強化していた。ギンケルはこの敵部隊が元の左翼へ戻されていないことに気づいた。
battle of Aughrim9
 彼は右翼担当のリュヴィニー将軍へ命令を発し騎兵・竜騎兵を前進させた。騎馬隊は一部が左翼への支援へ回され減少しており、これでオーグリム強化点へ突撃するのは自殺行為にも思われた。この任務をリュヴィニー将軍は部下に命じるだけでなく、自ら指揮して実行することにした。
 
 ジャコバイト左翼端オーグリム古城守備隊は射撃準備を整えていた。敵右翼が来たのを確認し発砲が始まると次々と兵士は倒れていった。それでも一部は通っていく。歩兵同士でも撃ち合いが始まったと思われる。
 サン=ルートは敵右翼の企図を幕僚に聞き、突破を狙っていると聞くと「ならば、我らは勝ったな」と言った。「彼らは勇敢だ。だが哀れにもあまりにその身を晒さざるを得ない。」築城地帯で確実に撃退できると考えていたのだ。

 だが次の瞬間こそが、アイルランド戦史における崩壊の1ページであるとされる。
aughrim_picture

battle of Aughrim10 ジャコバイト兵たちは元々手持ちの弾薬が乏しかった中で射撃し続けていた。ウィリアマイト右翼騎兵の勇猛な行動は敵に弾薬の更なる消耗を強要した。それでも予備弾薬は用意されていた。彼らは箱を開け、弾を込めようとした時重大な事に気づいた。なんと予備弾薬が英国製マスケット銃用のサイズであり、この時使用していたフランス製フリントロック銃には合わなかったのだ。この弾は当然詰まりオーグリム守備隊の射撃が止んでしまった。

 この機会を逃さずウィリアマイト右翼は突っ切って敵歩兵の位置まで到達する。まだ抽出されていたジャコバイト2個歩兵大隊は戻ってきていない。しかもシェルドンの左翼騎馬隊も先の右翼への攻撃の際に支援に回されたことで減らされている。
 ウィリアマイトの竜騎兵隊は敵歩兵へ射撃し態勢を崩させると、傷つきながらも離脱し騎兵の増援を待った。竜騎兵が道を開けるのを確認するとリュヴィニーは突撃命令を発した。更に追加の騎馬隊が駆けつける。ギンケル、サン=ルート両指揮官も既にこの戦局の転換点を理解していた。ギンケルは左翼部隊のいくつかを抽出し右翼へ投入する。

 それでもサン=ルートはこの事態にうろたえることはなかった。まだ敵は騎兵と歩兵の連携が取れていない。敵渡河部隊が効果的に展開する前に反撃し全滅させれば勝利は確固たるものとなる。サン=ルートは命令を下し、右翼から近衛隊を抽出する。その部隊を自ら率いて敵右翼騎兵隊へ突撃をしようと考えていた。

 出発準備が整いサン=ルートは自信を持って側近に言葉をかけた。だがその瞬間だった。大砲の弾が彼の首をはね飛ばした

battle of Aughrim11 周囲が唖然とする。主を失った馬が野を駆け回る。その間にも左翼の危機は広がっており、早くここをカバーしなければならないのだが突如指揮官が居なくなった部隊はそう速やかに対応できない。側近は総指揮官の死を他の部隊へ伝えず、パニックが広がらないようにしようとした。しかしこれは悲惨な結果をもたらす。

 左翼シェルドンの部隊はサン=ルートの中央部隊と呼応して反撃するために命令を待っていたのだ。最終予備を投入するには権限上サン=ルートの司令が必要だった。加えてサン=ルートはその反撃計画を他部隊指揮官に伝えていなかったので各部隊は自己の判断がどれだけ全体に合致しているか分からず、よしんば合理的判断であっても周りがそれに合わせて連携をとってくれるかも確証を持てずに居た。
 故に左翼のシェルドンは破滅を待ち続ける事となった。今やウィリアマイト右翼軍は増え続け戦列展開が広がっていく。

 そしてついに耐えきれず前線部隊は撤退を始めた。竜騎兵も散らされる。これにより左翼後衛シェルドンの部隊は窮地に立たされる。このまま何もしなければ撃滅される。かといって単独で敵を撃退する戦力は無く中央との連携が不可欠だった。だが未だにサン=ルートからの司令は届かない。
 ここに至りリュヴィニー将軍は右翼の各騎馬隊に攻撃を命じ、目の前のシェルドンの部隊へぶつけにいった。これを受けシェルドンの左翼部隊は離脱してしまっていた。
 ついにウィリアマイト他部隊が展開し敵中央方向へ圧力をかけ始めた。側面攻撃へ移る時が来たのだ。

オーグリムの決戦_終盤

【ウィリマイト軍右翼による側面攻撃】

 ジャコバイト左翼端歩兵戦列は排除され、側面をウィリアマイト騎兵に晒すことになった。野戦築城も含めてサン=ルートの陣形はあくまで正面に対処するように計画されていた。
 総指揮官が死に機能不全となった敵指揮系統に対応させる猶予などリュヴィニー将軍は与えなかった。竜騎兵が素早く動き敵戦列の展開を阻害した上で側面攻撃が開始された。おそらくこのタイミングで中央歩兵部隊も再度前進して来ていたと思われる。ジャコバイト陣形は左側面から乱れていく。歩兵たちは小規模に分割された状態で各個で騎兵突撃に耐える訓練などしておらず到底持ちこたえられなかった
battle of Aughrim12
battle of Aughrim13

 歩兵が斉射し騎兵が敵陣を駆け抜けていく。ジャコバイト軍左翼及び中央の崩壊が訪れたのだ。ジャコバイト各将軍は指揮官の死に気づきつつあったが、もはや間に合わなかった。左翼からの圧倒的な攻撃が次々と戦列を飲み込んでいく。
 テッセ中将は中央左翼をドリントンの中央部隊へ集結させようと苦闘した。敗北はもう分かっているが、部隊を少しでも脱出させるためにまだ将軍の仕事は残っていた。唯一崩れていない右翼から騎兵部隊を抽出する。敵の勢いを止めるため、テッセ中将は2つの部隊を編成すると自らも共に丘を駆け下り攻撃した。ウィリアマイト軍が対処に動く。その間に中央歩兵たちは下がっていく。テッセ中将は3発の銃弾を浴び倒れたという。足止めの部隊は壊滅した。
 
 ジャコバイトの将兵は撤退戦を死に物狂いで行う。ここからはサースフィールド将軍が尽力することになった。
battle of Aughrim15 当初、彼はサン=ルートが戦死したこともシェルドンやテッセ中将の離脱も知らなかった。日没が訪れしかも雨が振り始めたことは状況の把握を一層困難にした。だが突如として戦況が明白になった。自軍の左にいた歩兵が道を開けると敵騎兵が居たのだ。目の前の敵左翼も湿地を越えようと再度前進し包囲攻撃は明白となっていた。

 驚くべきことにサースフィールドは極めて冷静だった。いきなり逃げ出すなどせず、左側面へ防御をしながら、正面の敵騎馬隊へ騎兵突撃をしかけて乱してこちらに突撃させないようにしたのだ。それから速やかに撤退していった。残りのジャコバイト軍大半は多角的な攻撃に対応しきれず掃討されていくが、サースフィールドの部隊は崩壊しなかったという。ジャコバイトにとって完全な夜闇が訪れたことと雨のため戦闘が収束していったのは唯一の救いだった。サースフィールド将軍はなんとか残存をまとめながら退却していった。この時の彼の働きは見事なものだったという。

 こうしてオーグリムの戦いは終わった。戦場には数多の死傷者が横たわっていた。

戦果

【ウィリアマイト軍】
 死傷者:1000~3000
 (ホルツァップフェル将軍及び5名の大佐級含む)

【ジャコバイト軍】
 死傷者:4000~7000
  (サン=ルート指揮官など上級将校複数含む)
 捕虜:3000人

 ウィリアマイト軍の被害も巨大であった。数千人の死傷者を出し、将校約200人が負傷し73名が戦死した。それほどまでの犠牲を払ったこの会戦の勝利は戦争終結へと確かに繋がった
 ジャコバイト側は致命的な損失を兵数・将校・装備面において被りとどめとなった。士気は落ちきり、ゴールウェイ市はこの後に戦うことなく開門する。残存のジャコバイト軍は再度リムリック市へ立て籠もるが、満を持してウィリアマイト軍は再度包囲し10月3日に陥落させた。
 協定が結ばれここにウィリアマイト戦争は終わった。ジャコバイトは壊滅しアイルランド史に深い爪痕を残す結末となる。オーグリムの戦いが行われた7月12日は、親ウィリアム・イングランド派のアイルランドの人々には記念日となり今なお語り継がれている。

 ウィリアム3世はついにブリテン構成諸島の混乱を収めきった。アイルランドで敵対介入してきたルイ14世とは既に大陸で進行している大同盟戦争で勝利と敗北を積み重ねている。欧州大陸へ集中できるようになったことは一つの転換点をアイルランドだけでなく西欧へもたらすことになる。
______________________
 読んでくれてありがとうございました。

片翼包囲戦術の小考

 オーグリムの戦いで使用された戦術は片翼包囲ですが、片翼が動いただけで側面攻撃が成功したわけでは決してありません。側面攻撃が起こせるようになる状況を造った他の攻撃は全く同質の価値を持っていると考えます。
_________________
 ジャコバイト側は自由な予備が極端に少なかったため不測の事態をリカバリーする力が低かったと指摘されています。それと全体の作戦計画を各将校に伝えていなかったことに加え指揮官自らが前線に居すぎたことで戦死してしまい、全体の機能不全へと到っています。また、先のボイン川の戦いにおいて装備を多数損失したことが戦局全体へ強い影響を与えたと言われるのは、オーグリムの戦いでの適切な予備弾薬の欠乏に顕著に現れています。
 ただ小川と泥濘地帯の傍に既存建築物を活用し野戦築城を行い、初期配置では突破されないように堅守を造ったのは確かです。反撃計画もうまくいきかなりの損害をウィリアマイト側に与えています。
__________________
 敵の堅守を崩したのは各将兵の勇敢さと練度に加え、ギンケル(と助言を与えたマッカイ将軍)による戦術です。
 彼らの計画は戦場全体での一斉攻撃ではありません。むしろ各地点である程度計算された順番・時間で攻撃を別々に行うことにより敵転用可能部隊を振り回し、極限的には突破を狙う敵左翼を薄くなる戦況を作り出すことを狙っています。そして薄くなった敵箇所を撃破してから拡張し全体を片翼包囲で崩壊させています。
 具体的な流れを振り返ります。
Gif_battle of aughrim
<Gif_Battle of Aughrim>
① 最初の左翼の攻撃はあわよくば突破成功を願っていたはずです。それが失敗した後、戦闘を辞めず全部隊投入すると決めた時に右翼突破のための各行動を固めています。
② まず左翼がほとんど突破の可能性が無いにも関わらず再度攻撃前進しています。これが無ければサン=ルートは転出していた部隊をジャコバイト左翼へ戻すか別部隊を回したでしょう。狙い通り突破本命の敵左翼が薄くなりました。
③ 更にほぼ同時に中央左翼が動き、困難な泥濘を越え敵野戦築城地帯へ攻撃します。これによりジャコバイト中央部隊は拘束を受け他へ支援へ行けなくなりました。
④ 続いて中央右翼も同じく前進しジャコバイト中央へ攻撃することで、予備兵力をほとんど使い果たさせます。これで2個歩兵大隊がジャコバイト左翼から抽出されたことは、より一層突破の本命箇所を薄くさせました。
⑤ ここに到りついに本命の右翼を動かし薄くなっている箇所へ攻撃します。突破に成功すると間髪入れず中央方向へ転進し側面攻撃を開始、他部隊と連携し片翼包囲して敵を崩壊させました。

 ②③④の攻撃での膨大な損失をギンケルは予測した上で命令しています。即ち彼はサン=ルートとアイルランド・フランス軍を過小評価せず、その犠牲が必要不可欠であると判断したということになります。ジャコバイト予備弾薬の不備が突破成功の際に強調されますが、彼が戦術を決めたこと事態には影響はなく楽観もなかったと思います。(他にも予備計画を持っており途中で変更できるようにしていた可能性はありますが不明)
 ジャコバイト将兵の勇敢な反撃は特筆に値しますし、それでもなお上回ったギンケルの決断とその命令を守り進んだ将兵に敬意を払い終わりたいと思います。
_________________
 戦史において片翼の突破とそこから発生する包囲戦術というのは実に多く見られますが、敵味方に複数の要素が連携を持つことで片翼包囲へ至ります。 巨大化した軍・戦線で複雑な調整が為され最終的に全体をシンプルに見せることは想像を絶する困難を乗り越えた結果だと思っています。

 ここまで長い拙稿を読んでいただき本当にありがとうございます。もし軍事的な思索を教えてくれたらとても喜びます。

__________________
【参考文献】
John Childs, (2007), "The Williamite Wars in Ireland"
John Boyle, (1867), "The Battle-Fields of Ireland, From 1688 to 1691: Including Limerick and Athlone, Aughrim and the Boyne"
Great Britain. Royal Commission on Historical Manuscripts, (2011) "The Battle of Aughrim, A.D. 1691"
浦田早苗, "ジャコバイト関連年表"
http://repo.komazawa-u.ac.jp/opac/repository/all/29069/kh018-06.pdf

【サイト】
http://warfareintheageofcynicsandamateurs.blogspot.com/2017/08/le-duc-on-road-part-vii-aughrim.html
http://www.historyireland.com/early-modern-history-1500-1700/the-battle-of-aughrim/
http://en.eyeni.info/images/?q=battle&page=9
http://leagueofaugsburg.blogspot.com/2014/01/bloody-aughrim-july-12-1691-refought-by.html
http://places.galwaylibrary.ie/history/chapter277.html
https://www.libraryireland.com/JoyceHistory/Athlone.php

【メモ】
・Boyleは16~17個連隊で最大3万人とし、歩:騎=23000:7000となる計算をしているがあくまで充足の場合としており2万人という説は彼からしても妥当と考えた。他もおおよそ同じ数値を取っている。
・左翼EppingerとCunninghamの2つの竜騎兵隊は最初のジャコバイト右翼への攻撃の際に大損害を受けている。
・Boyleのp305によると砲兵は合計6部隊あり、2つが左翼、2つが中央、2つが右翼に配置。作図されているのは合計6つだが左翼に3部隊で右翼は1部隊としており合致していない。後半の移動の記述が該当するかと思われるが不明。
・中央攻撃突進は3000人ほど
・右翼の前衛はTalmash将軍
・右翼突進先導はヴィリアーズの6つの部隊
・マッカイが右翼騎兵に攻撃のための偵察を命じた際にある騎兵将校は自殺行為だと拒否し彼を激怒させた。
・テッセ中将は1発は顔に1発は胸に撃たれたにもかかわらず味方に引きずられて後方に戻れた
・HISTORYIRELANDは"dead"と記述しているがBoyleは"loss"数
・竜騎兵という単語の兵科内容は変遷するが、本稿は当時の竜騎兵が乗馬歩兵つまり騎馬で移動し戦闘時は降りて歩兵になる兵科とするHISTORY IRELANDの記述に従う。ただし状況次第では騎乗のまま戦闘した可能性は否定しない。
・ヘッセン公部隊の位置は中央左であるならその場で止まっているのは中央左翼となる。


Everywhere he had cause to fear that the least inadvertence would be fatal,
yet everything moved with precision,
every plan answered his expectations, and now,
at every point, he stood secure and successful.