ISIL支配域を奪取するため競うように行われた3勢力の攻勢についてユーフラテスの盾作戦を中心に追っていき、最後にトルコのシリア侵攻において実施された3つの作戦の関係性を振り返ろうと思います。
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関連別拙稿:【オリーブの枝作戦】報道からみるトルコ軍の空爆・砲撃と陸軍の進軍経過
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operation123
(移動概略の矢印はサイト編纂者作成)

 トルコ軍が介入を余儀なくされ、同時に「ユーフラテスの盾」における限定的作戦目標を決めた背景として最低限の点を先に挙げておく。

・トルコにとって国内で活動するPKKクルド労働者党)を中心とする過激派こそが深刻な問題。
・シリア国内で活動するYPG(クルド人民防衛隊)はPKKに繋がり、互いが外部根拠地(ゲリラにおける聖域)の役割を果たせる。
SDF(シリア民主軍)は多数の組織があるが主導組織は明らかにYPGである。
アメリカISIL打倒を優先目標として活動するために使用できる最も有力な勢力がSDFである。
・SDFはアメリカの支援のもと大規模な反攻作戦をISIL領域に展開中で勢いは増大している。
・SDFは西のアフリンからのタル・リファト攻勢と東からのマンビジ攻勢により東西連結が現実味を帯びた。
・SDFがシリア北部国境沿い全域を支配下に置くことは上記のPKKとの関係性上、トルコにとっては許容し難い事象である。
・SDFの東西からの攻勢の集結点はアレッポ北東にあるアル・バーブ市と想定される。
20160603
(画像ソース:トルコ系サイトSuriye Gundem

 まず全体を把握するため作戦結果と各段階攻勢内容を記す。

作戦「ユーフラテスの盾」の結果

 【作戦名】:ユーフラテスの盾(Fırat Kalkanı Harekât)
 【期間】:218日間 = 2016/08/24~2017/3/29
 【損害】:
  トルコ軍:71名死亡、負傷者不明
   親トルコ系反政府軍600名以上死亡、負傷者不明
  SDF131~425名死亡(SDF発表とトルコ発表)、負傷者不明
  シリア政府軍:30名死亡、負傷者不明
  ISIL2500名以上死亡、その他負傷、捕虜不明。
※数値は未確定
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 【終局状態】:
  トルコ系:アル・バーブ奪取、トルコ国境付近ISIL掃討、親トルコ勢力のユーフラテス西岸での拡大(マンビジを除きクワイク平原とバーブ高原を奪取)、両SDFの分断、南端は政府軍と接しISILとの接触は消滅。
  SDF:合流は失敗。アフリン方面はタル・リファト~シャフバー貯水池南部までの細い突出部の形成で停止、マンビジ方面はアリマ街付近で進撃停止後に、マンビジ市は管理下に置くものの西方境界部で政府・ロシア・アメリカへ妥協をし緩衝地帯が設置。
  政府軍:アル・バーブを喪失するもアレッポ北部は衝突が控えられるトルコ系と接し、アレッポ東域へ大規模な進撃に成功。マンビジSDFとの衝突は回避。戦線が整理されシリア中央部への南進が可能となる。
  ISIL:シリア北西部の支配権喪失
gif_operation euphrates shield
(gif_ユーフラテスの盾作戦及び3勢力の攻勢
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 【攻勢内容】:

[0] 北西端反政府勢力の支援と維持(アザーズ周辺)※作戦発動前
[1] 北東部ISIL域へ突入部形成(ジャラーブルス周辺)
[2] 北東部の拠点確保とSDFとの妥協線設定(サジュール川)
[3] 北西端と北東端の突入部の拡大・連結(トルコ国境沿い)
[4] 西端ISILの局所的包囲撃滅(アザーズ東域)
[5] アフリンSDFの東進阻止のための威嚇攻撃(タル・リファト沿線)
[6] 戦況確認と攻撃準備
[7] 戦線中央部からの大規模南進⇒アル・バーブ前面まで突出⇒両肩の除去
[8] アル・バーブ東部での南進突出によるマンビジSDF進行阻止 
[9] アル・バーブ西部での南進突出によるアフリンSDF/政府軍進行阻止
[10] アル・バーブ接近と市街戦開始
[11] 政府軍の攻勢本格化に伴い周辺制圧
[12] アル・バーブ市街地制圧
[13] 南東への領域拡大
[14] マンビジ領域の西境界部への攻勢と緩衝地帯設定
operation euphrates shield_Summary

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 これでトルコはSDFを東西に分断、アフリンの孤立が決まった。マンビジは戦略的価値を減少させSDFにとってはユーフラテス河西側で突出する悩みの種となる。トルコとシリア政府は正面衝突の回避を望み妥協することが明らかになり、互いに戦線戦力配分で好影響をもたらした。ただしこの関係は後のアフリンへSDF部隊が政府支配域を通過して入れたことなどに代表される危ういバランスの上に成り立っている。
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 以下にユーフラテスの盾作戦の経過を日付を追って記述していく。

【作戦直前】トルコ国境、アザーズ周辺の反政府勢力の耐久

 2016年初頭、北端反政府勢力は窮地であった。
20160701_location
 政府軍の反撃で分断された直後にアフリンSDFから2月にタル・リファト攻勢を受け更に削られた。ISILも弱った相手を見逃さず攻勢をしかけて北端部反政府勢力はアザーズ街を中心とする国境付近に僅かな支配域を残すのみとなる。
別拙稿リンク参照:【SDFによるシリア北西部侵攻作戦群に関する覚書_2016】

 2月に中旬にトルコは関係各国に対し、国境と避難民を守るためという名目で10km縦深の安全地帯の設置を要請している。だがこの試みは成功しなかった。トルコ軍は国内からの砲撃で各所へ阻止を行っていたがじりじりと反政府勢力は削られていく。
(http://www.abc.net.au/news/2016-02-17/turkey-wants-secure-strip-on-syrian-side-of-border/7178840)
  アメリカの航空爆撃がISILに遂行される等もあり、北端反政府勢力はギリギリで耐えていた。この最中の3/16~17にクルドがロジャヴァ域での政府発足を宣言している。
(https://www.reuters.com/article/us-mideast-crisis-syria-federalism-idUSKCN0WI0ZT)

20160329 3月末にかけてISILと北端反政府勢力は接戦を繰り広げた。複数の自爆攻撃が確認され1つはトルコ国境部で起きている。トルコ側から義勇兵の名目で兵士が入るのはこの前後でもあるがトルコ陸軍の本格介入はまだ抑えられていた。

 2016/04/04、前後数日で北端反政府勢力が領域を広げ始めた。特にトルコ国境沿いで拡大が著しかった。4/9まで攻勢は国境沿い東へ向け細長く進展した。適切にトルコ軍の支援砲撃がトルコ国内から為されている。4/11に行われたISILの反撃もしのぎ切る。4/12から数日に渡りトルコ空軍と思われる空爆が行われISILの反攻はわずかな領域奪還に留まる。しかしここからまた北端反政府勢力は危機を迎えることとなる。
20160404_location2016040920160412
 4/14にISILが北端反政府勢力の中央部に突進するように大規模攻勢をかけた。東方へ進む反政府勢力を尻目に領域内に浸透していた過激派が呼応して爆弾テロを起こすと中央部へ攻撃が始まる。境界から連続する自爆攻撃と突撃に大きく中央は削り取られた。そしてISILはトルコ国境そば僅か2kmのハワール・キッリス村のすぐ南まで迫ったのだ。だがこの攻勢も4/18までに収束した。お互い息切れを明らかにしていた。中央が突出する形になったISILは相手の反撃に対しゆっくりと後退する。しかし同じく反政府勢力側も東方へ細長く突出した箇所が防御に不向き過ぎた。4/26~27にかけてISILが東方突出部の大半を再奪取したとみなされる。5月中も同じくアザーズ周辺の狭い領域で戦闘が続けられた。
201604142016042220160427
 2016/05/27、北端反政府勢力最大の危機が訪れる。ISILはアザーズ一帯へ攻勢を一挙に行い境界全体を押し進めた。アザーズ街の南東そばの村(カフル・カルビーンとカルジブリンヌ)が陥落しISILはついにアフリンSDFと接するまでになる。これは南東のマーリア街と中央のアザーズ街、そして北部トルコとの連絡線が阻害されていることを意味する。翌5/28日にはアザーズ街の外縁で戦闘が記録され北のトルコ領内キリス街とを繋いでいた街道が爆弾攻撃を受けている。南東マーリア街は分断された後この日に猛攻撃を受けている。更にマーリア街のすぐ西の村(シャイフ・イーサ)がアフリンSDFに侵攻された。ギリギリでマーリア街もアザーズ街も耐えていたが危険すぎる情勢だった。ただISILも息切れしてきていた。
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 同時期の5月末、SDFがマンビジ攻勢を開始しユーフラテス西岸への進出を本格化した。ISILも厳しい情勢が明らかになっていく。
 6月初旬において米国の空爆がマーリア街東部のISILへ猛烈に行われISILの勢いは消失する。そして6/8から北端反政府勢力は大規模な反攻を開始、各部を連結し中央へも厚みを再度持たせることに成功した。その後も削り合いは続くがお互い戦力不足は明らかだった。
 7/4、北端反政府勢力は再び国境沿い東方突進を行うも進撃は停止、その状態でまる3週間以上戦線は膠着の様相を見せる。ところでこの頃大都市アレッポでの反政府勢力と政府軍の戦いが進展し、7/27に政府軍が市街の反政府勢力の連絡線を遮断している。かつては絶え絶えとしていたシリア政府軍の勢いは今や増しつつ有った。
201606082016061520160704

 8月に入っても北端反政府勢力は大きな動きを互いに見せず国際社会の注目はアレッポで優勢な政府軍とマンビジ包囲戦を展開するSDFに注がれていた。
20160820 8月半ばにトルコ軍の砲兵支援のもと反政府勢力は東端でわずかに攻勢を見せる。だがその最中、ユーフラテス西岸すぐそば且つトルコ国境沿いジャラーブルス街で動きがあった。8/20頃から街の真北のトルコ領内に陣営構築が行われているという報道が現れる。22日にはジャラーブルス街へのトルコ軍の砲撃も始まった。翌日、翌々日と砲撃は激しさを増していく。集結する軍の規模が明らかになり始めた時、トルコ軍の攻勢が始まることを一部の人々は確信した。

 2016/08/24、トルコ政府は公式声明を発表。トルコ陸軍大部隊が国境線を横断、ユーフラテスの盾作戦が発動した。

トルコ軍のシリア侵攻の第1作戦「ユーフラテスの盾」

 livenews mapとトルコ系サイトSuriye Gundem報道に加え下記2稿を主に参考にする。
(SETA, "OPERATION EUPHRATES SHIELD IMPLEMENTATION AND LESSONS LEARNED"
https://setav.org/en/assets/uploads/2017/11/R97_Euphrates.pdf
edam, "Operation Euphrates Shield and the al-Bab Campaign: A Strategic Assessment"
http://edam.org.tr/wp-content/uploads/2017/01/elbab_eng.pdf

1.【ジャラーブルス街への進駐】

 8/22から急激に激しさを増した砲兵の活動は突入部形成に備えた準備砲撃だったとみなされる。場所は図のISIL域北東角にあたるジャラーブルス街である。その真南でマンビジ包囲戦が終局へ到る寸前となっており、SDFが国境沿いへ来るギリギリ前にトルコ軍は先手を打った。進軍はトルコ第2軍隷下の第5機甲旅団の部隊とされる。数百名の親トルコ系反政府勢力(TFSA)が続いた。以下にトルコ系軍と総称する。
2016082220160824CqpiDTTXgAEgjSV


 8/24に地上部隊の進軍が始まってから数時間で250人の特殊部隊が街へ侵入、1000~1500人のTFSAの兵士も加わる。翌日のうちにはジャラーブルス街はほぼ制圧されていた。それだけではなく街周辺の各村まで同日中に侵攻。24日~25日にかけてはマンビジSDFも北上しており挟撃に晒されたISILは耐えることなど到底できなかった。SDFとトルコ系軍は領域を接することとなる。
 この時、米国の空爆が支援として行われておりトルコの攻勢を助けていると報道されている。SDFも直ぐ傍にいることも注記する。ただバイデン副大統領がトルコ訪問中であり連携または了承が取れていたものと考える。
 8/24~8/26まででトルコ系軍はジャラーブルス街周辺を制圧した。
(ジャラーブルス侵攻の流れについては下記を参照
"The Campaign West of the Euphrates: Analysis of Turkish Army and Rebel Organizations' Capture of Jarabulus"
https://www.terrorism-info.org.il/Data/articles/Art_21057/E_159_16_323992529.pdf)


 問題はここからである。

2.【サジュール川南岸へSDFを追い出すトルコ軍】

 接触した後SDFは例え敵対的であってもトルコ系軍へ攻勢へ出るような状態ではなく、まずはISIL域奪取を進めようとしていた。これはトルコ系軍もほぼ類似する考えを持っていたが、その前に確固たる領域範囲を設定する軍事行動を行った。
 8/27、トルコ系軍はSDF領域へと侵入。ユーフラテス西岸に沿い南進が開始されたのだ。トルコ空軍がSDFへ攻撃を行ったことが記録されている。この時点で米国の妨害はない。
(https://www.reuters.com/article/us-mideast-crisis-syria-village-idUSKCN112094)
 この時期バイデン米国副大統領はYPGはユーフラテス東岸まで下がらなければ米軍の支援は受けられなくなると述べている。
(http://www.rudaw.net/english/middleeast/syria/240820163)
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 トルコ系軍は圧力をSDFにかけ続ける。相手を殲滅するような攻勢ではないが、トルコ空軍が複数の爆撃を行っておりアメリカの支援が無いSDFは後退を余儀なくされる。互いに戦闘を拡大させないように配慮が見られる。
 8/29までこの南進は接触部全面で行われサジュール川へ到達する。この川がトルコ軍が要望した境界線だった。8/31にはこの妥協点で安定化していった。トルコ系軍にとってまずは南方の憂いを一段落させられたことは、ISILへの新たな攻勢を確実なものとした。
20160829

3.【突破口部拡大連結_アザーズとジャラーブルス接続】

 SDFとサジュール川で妥協点へ到りつつある8/31の時点で既に始まっていたが、翌日にはより明確に西方への進撃意図が判明した。ジャラーブルス方面部隊は西方へ大規模な攻撃を開始、同時にアザーズ方面からも航空支援のもとで東方へ進撃が始まった。複数の戦車・装甲部隊が確認されている。
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 その後の5日間で両方面部隊は接続し国境沿いからISILは完全に放逐された。重要なのはこの9/1~9/6日までトルコ軍は南方のISIL域へ縦に突進するのではなくあくまで横の突破口の拡大・連結を優先していたことである。ハワー・フィク街手前とトルコ国境の縦深距離は約15kmである。この幅の中で横方向に必要な39kmをトルコ系軍は進みきった。アザーズ近辺での進撃は行われていない。
 ここから10日ほど中央部戦線は戦闘はあるものの大きな前進を見せない。9/15は不気味なほどに静かな情勢となる。この後始まる大規模な前進の準備は着実に整っていた。アル・バーブまでの距離と戦況図は下図のようになる。状況が逼迫して介入したので当然であるがトルコ系がこの競争で最も遅れていた。それでもトルコ軍司令部はこの選択をしたのである。
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4.【西端のISIL排除】

 政府軍とSDFがいつ突進を始めるかわからない状況は続くがトルコ軍司令部は慎重だった。突破口部を連結すると中央部からアル・バーブへ向けて南進をする前に、まず端のISILを排除することに集中する。
 9/16、アザーズ真東のISIL突出部に対し局所的な包囲企図前進が始められた。攻勢の主力は中央部やや西よりの位置である。そこから南西へ向かい「く」の字型の対極位置にあたるマーリア街付近を目指す。ISILは長く保たれていたこの境界部で激しく抵抗した。だが9/19までの3日間でトルコ系軍は少しずつだが確かに進んでいく。シリア西北のISILにとって破綻が迫っていた。彼らは最後の望みをかけた反撃を行う。9/20、トルコ系軍領域の中央部に対しISILは大規模な攻勢に討って出た。包囲攻撃が行われることは配置上予測することは難しくない。アザーズ真東の包囲攻撃に対し直接対抗するのではなく、外郭そばに打撃を与えることで再度分断しトルコ系軍攻勢が頓挫することを狙っている。9/21には中央部でISILはいくつかの村町を奪取した。
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 これによりトルコ系軍包囲主攻の前進は停止する。ISILが前進してきた地点を奪い返すことを優先としている。しかし9/26には再度トルコ系軍主攻は前進を再開している。9/26~27にISILは爆弾攻撃などで中央部で僅かに前進するもそこまでだった。シリア北西ISILの戦線は阻止戦力を喪失した。トルコ空軍のピンポイントの支援爆撃が主攻の前進先に行われる。今度こそ大きく南西へ動き出した
 次第に攻勢範囲が広がっていく。10/10に攻勢が拡大したのかISILが撤退を判断したのか、大きく包囲形中央部は動いた。続く1週間で押しつぶされるようにアザーズ真東のISILは撃滅された。各村町で僅かに隠れるISILは抵抗を行うが組織的な動きは無くトルコ系軍は遠慮なく次の攻勢を始める。
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 ユーフラテスの盾作戦における重要目標であるアル・バーブ市へ向けて前進が始められようとしていた。だがその前にトルコ系軍はやっておかなければならないことがあった。

5.【アフリンSDF東方突進の阻止】

 10/18、即ちアザーズ真東全域でトルコ系軍が接続した翌日、既にアル・バーブへを狙う動きが見られる。
20161018
 主攻だった部隊の外縁部が方角を変え南東前進、シュッドゥード(Ashu Shudud)町へ到達してるのだ。ただ包囲攻撃後、即座に突進を行えるほど戦力をトルコ軍は投入していない。この後数日の配置移動期間があったことは不思議ではなかった。
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 しかしそれ以外にもアル・バーブへ即座に向かえ無い要因があった。彼らの南で進軍を続けるアフリンSDFの存在である。
 この時期の各勢力の関係は不安定な妥協の上に成り立っていた。トルコ系軍はSDFとは敵対するものの、あくまで優先の攻撃目標はISIL域であり且つアル・バーブへ到達することである。しかしアル・バーブへ到達する本質的な目的はSDFの合流を阻止・分断することである。
 阻止するだけならアフリンSDFの細い突出部の晒している側面から叩きのめしてしまえばいい。TFSAの弱体が懸念されるが一応軍事面では可能だろう。けれども予測困難の波及をもたらしうる。東西両SDFとの全面衝突が発生しなし崩しに戦線が広がっていくからだ。トルコは「まだ」それを望んでいない。
 よってアフリンSDFに大して壊滅的打撃を与えることは避けながらも先にSDFにアル・バーブ周辺へ到達されるわけには絶対にいかない。そこでアフリンSDF突出部の側面へ攻勢をしかけることでSDFを拘束するのだ。この攻勢は広く薄く行われる。脅威をあからさまに示し、SDFに広範囲に防御を行わせることで突進を辞めさせようというのだ。加えてSDF先端にはピンポイントの阻止攻撃を行う。地上部隊は威嚇させるものの拡大はしないよう遵守させる。
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 上記の攻勢は10/19から実施された。連日のようにトルコ空軍がアフリンSDF先端部へ爆撃。側面部への攻勢は日毎に広がっていくが、全くと言っていいほど縦に踏み込むことはない。側面への威嚇はシャフバー貯水池~タル・リファト北方の約13km幅に渡り実施されている。
 10/22、アフリンSDFの前進を告げる報道は激減する。
 10/24、SDF側面へ攻撃を広くしかけながらも、トルコ系軍はアル・バーブ方面へ向けISIL陣地を攻略していく。SDF先端が止められているうちに前進を続け、翌10/25にはついにシャフバー貯水池を挟んでほとんど並んだ状態となる。
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 10/26には側面への威嚇は収束し、アル・バーブ方面へ集中が始まる。SDFの先頭部隊も前進を再開するがその勢いは弱まっていた。SDFとトルコ系軍地上部隊は互いに相手の撃滅を狙わず、接触部では敵対的行動を続けながらも両者とも目の前のISILを倒していく奇異な競争を見せる。だが更に事態を複雑にする動きが南から現れた。

6.【政府軍の参画とアル・バーブを目指す競争】

 10月末おそらく30日ごろ、シリア政府軍がアレッポ方面から北上攻撃を開始したと思われる
 SDF側の武装勢力との情報もあるのと、SDFは比較的協力体制を政府軍と図ろうとするためはっきりしない。まだアレッポ市街周辺で激戦が続いており全く十分な戦力では無かったが、ISILが2勢力を相手取る状態なら政府軍の一部部隊で前進は可能である。
 11月前半にはわずかだがアレッポ学生軍事訓練場付近で北進が確認される。前進というより支配域前線の確保だったかもしれない。SDFとの境界部及び接触し弱まるISILの陣地をかすめ取るように動いている。一方でトルコ系軍は11/2にISILの反撃を受けている。
 本格衝突を避ける事象がはっきりと顕在化した。SDFの攻勢可能なISILへの正面幅はわずか10km前後で主要道路無しとなる。これは狭すぎるのだがSDFはそれを広げようと政府軍やトルコ系軍に攻撃をすることはなかった
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 アフリンSDF、マンビジSDFそして政府軍は牽制をしあいながら少しずつ前進していた。けれどもトルコ系軍の攻勢はそれらと一線を画す、ユーフラテスの盾作戦の最も激しく変化する段階が訪れる。

7.【トルコ系軍の中央攻勢】

 11月初旬の時点で政府軍・SDF・トルコ系軍の攻勢先頭は揃って20km前後の距離までアル・バーブへ迫っていた。(アル・バーブ真南は11kmだがこのあたりはISIL拠点が多く、政府軍は前進を行おうとしていない)
 トルコ軍司令部の選んだ攻勢は、これまで横に広げ続けた戦線の中央における広正面前進である。
 2016/11/07が前進の始まりと見なされる。北へ続く2本の主要街道一帯(アル・バーブ~アル・ラーイ間道およびアル・バーブ~サンディ間道)を中心に攻勢の報道が始まると急激に拡大した。11/7~11における攻撃はこれまでない規模のものであり、正面幅30km(あるいはそれ以上)での一斉前進が現れた。前進はほぼ均一に進み5日間弱で8~10km程度進んでいる。この期間で一気に他2勢力を置き去りにしてトルコ系軍はアル・バーブへ接近した。
201611072016111020161110


 11/12には戦線中央はやや緩やかになり、代わりに左翼に攻勢が集中しISIL残存を押し潰している。これにより完全にマンビジ方面からのSDF進軍部隊と接触する。まだ進行先の頭を抑えられてはいない。
 翌11/13には驚くほど早く中央部での攻勢が再開される。ただし今度は広域では行わず、街道付近の攻勢幅約10kmで集中させることで連続的な進軍を成功させている。これによりISILは戦線を立て直すことができず、一挙にアル・バーブ外縁となる3km位置まで到達された。
201611122016111320161115

 11/14~16において、アル・バーブ近域の人口集中地帯で踏み込んだことで街での戦闘が激化しトルコ系軍の突進部は鈍る。これは予想通りだったと思われる。トルコ系軍は進軍地の完全制圧を優先しそれ以上の突進はしていない。何よりも突出部両肩の拡大を遂行している様子が鮮明に現れている。その後も突入せず周辺を先に制圧しようとしている。
 更に今回は別の価値が有った。両側から迫る他2勢力がアル・バーブへ到るのを阻止するためである。

8.【マンビジ方面SDFの前進と阻止】

 マンビジ方面SDFはトルコ系軍が大規模な前進を成功させたことで急ぐ必要性を迫られた。ただISILの戦線がトルコ系軍の攻勢で崩壊的様相を見せたことは助けになった。彼らを長期間に渡り苦しめていたのはアリマ街のISILである。マンビジ~アル・バーブを繋ぐ主要街道上に位置する作戦上重大なこの街の攻略は困難を極めた。
 10月中盤からアル・バーブ方面への前進を開始したがアリマ街は進軍こそできても制圧ができず、街に手こずっている間に周辺からISILの反撃が行われ行き詰まりを見せる。11月初頭に彼らが戦力の増強を図っている間にトルコの方が先に行ってしまった。そこでややリスクは有ったが、ISIL戦線がトルコ系軍により崩されたのを見たマンビジSDFは進軍を再開する。
 11/17、未だ抵抗を続けるアリマ街を北から迂回し一挙に前進、広がり続けるトルコ系軍と接触した。翌11/18にはアリマ街はまだ陥落しなかったが半孤立となった。ただし拠点が少ないため裏の街道は完全制圧できていない。戦闘は激しく続き必死で進もうとしていた。アリマ街はもう少しで陥落する、それができればアル・バーブへの道は開ける。だがトルコ軍司令部もそれはわかりきっていた。
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 11/21、トルコ空軍の阻止爆撃が始まる。SDF突進部先端、アリマ街北迂回部根本、そしてマンビジ西部といった複数箇所にトルコ空軍機による偵察と攻撃が実施される。翌22日もほぼ同様かつ量が増している。これによりSDFのアリマ街攻撃は再度勢いを喪う。11/23から数日はアルマ街周辺に爆撃が集中される。突進部先端はほぼ停止しトルコ系領域を奪うことはできなくなった。アリマ街はSDFの包囲下でありトルコ系軍が先につける可能性は皆無同然であるが、トルコ空軍はこの街への爆撃を実施する。ターゲットはISILにも置かれたが、主の狙いはSDFの攻勢頓挫であった。

 11/22、少し日付を戻るがこの日にトルコ系軍の狙いを伺わせる攻撃が見られる。SDFとトルコ系軍、そしてISILの3勢力が接する箇所において、トルコ系軍は南のISILへ向けて支援空爆を含む攻撃を集中させ小規模な突破口を形成している。翌11/23、突破口から南へ進撃を開始しマンビジ~アル・バーブ街道のすぐそばまで到達する。狙いは明らかだろう。マンビジSDFの進軍方向を先に制圧し頭を抑えてしまうことである。SDF突進部隊は激しい空爆で進むどころか戦線を整理するために後退せざるを得なかった。11/25にはトルコ系軍は街道上に完全に達し遮断に成功する。
2016112220161125

 主要街道を先に制圧されたこの日、マンビジ方面SDFがアル・バーブへ到達する可能性は事実上消滅した。

9.【アル・バーブ西方の競争】

 マンビジ方面SDFを止める一方でアフリン方面のSDF、そして少しずつ現れ始めた政府軍も止める必要があった。やはり進行路先取りするためにトルコ系軍は動いている。
 11/19、肩口の拡大を行った後にアル・バーブ西方に向かって前進が開始されている。アル・バーブ真北の最接近箇所は継続して戦闘が行われておりISILは釘付けになっている。11/23には更に前進し西方の街道を遮断した。
2016112120161123
 だが11/24におそらく政府軍と思われる部隊が動きを見せる。SDFと並びながら(協同?)西方からISIL陣地を突破しアル・バーブへ動く。一部は未確定だが同時にアル・バーブ周辺のトルコ系軍に対しシリア政府空軍が爆撃を行い足止めを図っている。翌日11/25にはISILの西部戦線は崩壊し政府軍あるいはSDFはアル・バーブへ急激に近づいた。しかしここで停止する。なぜならその街道上先には既にトルコ系軍が陣地展開していたからである。政府軍は11/25と26日に多数の空爆をトルコ系軍に対し実施。街道上から立ち退かせようとしたがトルコ系軍は耐え抜いた。
201611242016112620161128

 この西方で動いた部隊はSDFか政府軍か曖昧でISILから奪取した後、どちらが支配権を得ていたのか判然としない。いずれにせよここに来て1つの結果が確定した。アフリン方面SDFはその頭を抑えられ、かといってトルコ系軍に攻撃すれば細長く晒す側面を逆襲される。南へ迂回するには道も幅も足りない。アフリン・マンビジSDF両方面軍のアル・バーブ到達及び連結作戦が成功する余地は消失した。

10.【アル・バーブ攻略戦_接近】

 2016年12月初頭、数日の調整を行ってからトルコ系軍は再度アル・バーブ周辺制圧へ乗り出した。南方まで到達するよう部隊が動き出す。正面でもジリジリと市街中心へ近づく。特に12/9と12/10の集中攻撃は激しく、重要街道であるアレッポへ続くM4ハイウェイと国道212号線まで遮断した。
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 同じく12月初頭、政府軍またはSDFは突出部の先頭が抑えられているためわずかに南進を開始した報道がある。この時期トルコはより急いでアル・バーブ制圧を成功させなければならないことが判明しだした。11月末~12月初頭にかけて政府軍はアレッポ旧市街で突出していた反政府勢力を包囲し更に踏み込むことに成功、趨勢を事実上決めていたからだ。加えて入り乱れていた各戦線が整理され始め、兵力転用と効率的配備が進みつつあった。特にロシア軍の支援はめざましかった。よってアレッポの抵抗がまだ強いうちにユーフラテスの盾作戦を完了させる必要があった。
(12/11に何度も奪い合っていたシリア中央部パルミュラでISILは再占拠したことを高々に喧伝したが、シリア政府軍のこの後始まる大攻勢は既に計画されていた可能性がある。
→2017年における政府軍によるシリア北部・南部・中央部攻勢)


20161231 12月中旬、アル・バーブ西部と南西部および北東部の主要道路は遮断し、北部からは激戦を続けながら少しずつ制圧域を広げる。建物が次第に増えて厄介な市街戦となり始めるも町村を一つずつ着実に潰していった。SDFはもはや連結を諦めており無為な攻勢には出てきてはいない。
 12月末にかけて市町へ入ったトルコ系軍の進展は極端に鈍る。まだ政府軍も動いていないが時折政府軍の空爆がアル・バーブ市街へ行われている。逆に12/30や12/31にはトルコ軍がアル・バーブ南方道路上の政府軍境界付近でISIL車列への空爆を行っている。

 2017年1月初頭から中旬にかけてトルコ系軍は北東からの圧力を強める。1/8前後にはアル・バーブ東側にある大きな街ビザア外縁へ到達。3方向からの圧力が強まった。ただやはり市街に入り侵攻は遅くなる。ISILは弱まりつつあるが1月中旬まで大きく動くことはなくなる。
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 注記すべきはトルコ軍司令部は南方を遮断することによる全周包囲を完成させず、あくまで3方向からの圧力のみで市街戦への突入を選択したということである。死守戦をさせないように包囲時に逃げ道をわざと残すのは戦史では珍しくはない。市民の脱出を促すという意味合いもある。だが相手がISILであること、アル・バーブ南東の町村希薄度、市街全周包囲での攻勢選択肢増加、そして何よりも政府軍にアル・バーブへ到達する望みを残していることを鑑みると、南方も制圧し完全に取り巻いてから市街戦へ行くことを選んでもおかしくなかったはずである。(後述)

11.【政府軍の進行開始】

 2017/01/17、おそらくこの日が始まりである。政府軍のアレッポ東域攻勢がついに実施される。まずアル・バーブ南方の政府軍境界部の2つの村(Mushayrafa & Rasm Al-Alam)が奪取された。その村のすぐ西側にはアレッポとアル・バーブを結ぶ主要街道(M4ハイウェイ&212号線)がある。この街道は政府軍域に突出する形でISILが保持していたが、1/18~19の間に放棄されている。
 1/20、政府軍の本格的な進軍が主要街道沿いで発起される。22日まで進展は著しくはなかったが、これまでの境界部の牽制ではないことはISILにもトルコにも瞭然であっただろう。22日午後~23日にかけて主要街道付近のISIL戦線は崩壊、間髪入れず政府軍は北上を進める。

 1/24には政府軍の北進はアル・バーブ西部ISIL領域を飲み込みトルコ系軍との境界部まで達した。アフリンSDFは既に諦めており政府軍の邪魔はしていない。翌日には東へ部隊が転進し同時に街道上からの北進で着実に進み続ける。1/26と1/27に街道上でISILは自動車爆弾などを複数使用しなんとか進撃を遅らせるが劣勢は明らかだった。トルコ軍もアル・バーブを攻めるが劇的な進展とはいかない
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 1/28、ISILをふり回すように政府軍の攻撃が続く。主要街道上で戦闘が激化するのを尻目にその真東10km前後の距離、即ちアル・バーブ真南から政府軍の北進が新たに動き出す。ATGMによる車両破壊がISILにより実施されるなど抵抗があるがアル・バーブ南部に政府軍は着実に迫り、ISILは、そして直接攻勢対象にされているわけではないトルコも追い詰められた。
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12.【アル・バーブ攻略戦】

 2017年2月初頭、トルコ軍はやや強引に攻勢を進展させる。まっすぐ南進を行い政府軍が西からアル・バーブへ到達できないようにしている。
 同時にアル・バーブ東部の大きな街ビザアでの猛烈な砲撃と爆撃で建屋ごと潰しながら進み、2/4にビザア街を半制圧するとそのまま街の西境界すなわちアル・バーブを望む位置へ攻撃を続行する。街の中で抵抗が続いているため2/5~2/7の間は多数の損失報道が出ている。このビザア攻略時期にアル・バーブ市街への攻勢は行われていない。
 2/8、アル・バーブ中心市街への突撃が始まったのはこの日からである。それまで連日の空爆があるものの地上侵攻は控えられ静かだった戦線が急激に街の西部と北部全域で動く。主攻は西からで、市街内部で激戦が行われながらも着実に前進した。
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 だが同じく2/8、政府軍も北上しアル・バーブ市街中心からわずか6km(Birat Al-Bab)まで到達、2/10には中心市街から3.6km(アブー・タルタル)へ到る。続く数日で戦線全体が北へ少しずつ押し上げられる。

 トルコ系軍の西からの攻勢は激しさを増す
 2/11、ついにトルコ系軍は市街南部を走るM4ハイウェイ上でも突進、突出する形となるが南方街道を遮断する。まだ中心市街制圧は進んでおらず街道両脇はISIL陣地でありとてつもないリスクを冒している。同時に北からも圧力がかかっている。2/15、南の街ターディフと分断されたISILは反撃をまだ試みる。政府軍からターディフ街も攻撃を受けておりISILは極めて苦しい状態だったが、2つの街から挟撃する形でM4ハイウェイを細長く占拠したトルコ系部隊へ圧力をかけ、なんとか追い返すことに成功した。
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 ただこの頃、政府軍はおそらくアル・バーブをトルコより先に手に入れることを諦めていた。既に市街の1/4が奪われており、その手前のターディフ街の抵抗はまだ続くため安易な突入はできなかったためだ。
20170215 2/12付近から北のアル・バーブではなく東方への進撃が始まり、翌日から明確に東部戦線全体が大きく前進をしている。この動きは近い将来アル・バーブ以南へ更に進んでくるトルコ系軍の侵攻ルートを先に占拠し、頭を抑え込んでしまおうというものである。
____________
 アル・バーブ攻略戦に戻る。
 2/17頃、一時的に押し戻されたトルコ系軍は一旦西からの攻撃を沈静化させ、代わりに街の北部からの攻撃を少し行った。この戦況は2/19まで続いた。ISILは想像以上の抵抗を見せていたのは間違いないだろう。だがついに終局が訪れる。
 2/20、西からの攻撃が再開し、一層激しい攻撃が一斉に発起される。2/21に市街中心部へ到達、更にその周りでも次々と建物を占拠していく。M4ハイウェイへも同時侵攻し今度こそ奪取した。2/23、戦闘は市街の東端まで至る。トルコ系軍はアル・バーブ市街全域へ進軍したのだ。制圧が各所で進む。
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 そして2/24、アル・バーブは事実上陥落した。ISILはシリア北西域の人口地帯であり交通の失い、トルコは1つの大きな目標を達成した。建物に潜むISILの戦闘は続くものの奪還は不可能であった。翌2/25から抵抗は目に見えて減少し始める。
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 続くように2/27には政府軍がターディフ街を制圧しシリア北西ISILは崩壊する。その東域でも急激に支配域拡大を続けていた。

13.【アル・バーブ東方での最後の競争】

 2月末、アル・バーブ街とその南にあるクワイリス空軍基地の中間地点で東へ向かう政府軍の攻勢が激しさを増す。連日のように攻勢が行われこの幅20kmほどの戦域は次第に東へ突出系を形成する。
20170223 政府軍の目的はISILからの領土奪還である。シリア北西部ISILの拠点を考えると今の政府軍の勢いなら問題はなかった。加えてトルコ系軍と連動作戦をとっているわけではないが、ISILにとっては2勢力からの攻勢を受けていたことから政府軍はより優位に立てた。ただ厄介なのはやはりトルコ系軍より先に進駐しなければならないことである。かつて反政府勢力として政府軍と戦っていたシリア北端の部隊は完全にトルコの影響下となりシリア政府と迂闊にことを荒立てることはしなくなった。それはシリア政府軍にとっても同じであり彼らの支配域に攻勢をしかける可能性は下がったが、潜在的な敵性は残りこれ以上トルコに交渉材料を渡したくも無い。よってシリア政府軍の進行方向はトルコ系軍の拡張を防ぐようにISIL域を奪い返すこととなった。

 2/25、即ちトルコ系軍がアル・バーブを奪取した直後、政府軍はそのすぐ近くで東へ先回りするように大きく戦線全域進ませた。この付近のISILの抵抗力は減衰仕切っているのが確認される。翌2/26にタフリァト・カビール村(Tafriat Kabir)で集中的な攻撃が確認され、戦線に小さな突破部が突き出る。トルコ系軍もアル・バーブ東南方への進撃を実施、ISILを次々と飲み込んでいく。政府軍の突出部を数日中に追い越しさらに進めばマンビジSDFを3方向から囲む配置となれることに加え、シリア中央部すら伺うことになるだろう。これは将来SDFへの攻勢・交渉に役立つ。
 それを見たマンビジSDFも黙っていることはせず、リスク覚悟でISILに対して南進を開始する。3勢力が互いに相手の進む先を抑え込もうと動く。2/26~2/27は短期間であるが激しい競争なった。だが最も大胆だったのは政府軍であり彼らがこの競争の勝者となった。
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 2/27、カビール村突出部より政府軍が突進を開始した。極狭い一点での直進である。北東ヘ向かい目の前の村を奪取しては止まらず連続で走り続ける。この高速かつ危険な突撃を遂行したのはシリア政府軍で第4師団と並び最も知名度のある部隊「虎部隊(Tiger Force)」である。
 虎部隊は凄まじい働きを見せ27日のうちに4~5の村を縦に突破、マンビジSDF勢力圏境界へと到達した。村を一本縦に繋いだだけの支配域というか細い突進は当然危険である。ISILの反撃、トルコ系軍やSDFの攻撃が万が一だが有った場合は数少ない精鋭である虎部隊が大損害を受ける。それでも政府軍司令部は外交情勢を信用しトルコ系軍の頭を抑え込むことを優先した。

 2/28、戦況が確認された。トルコ系軍は東南へ進んで政府軍突出部の境界部全域と接触していたことが判明する。文字通りすんでのところで政府軍はトルコ系軍の侵攻先を抑え込んでいたのだ。トルコ系軍は政府軍領域を無理やり奪うことはせず東南への進撃は止まる。ここがユーフラテスの盾作戦における最南端となった。
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 虎部隊は北への警戒を怠らないようにしながらも東南へ進軍、今度はマンビジSDFの南下が確認された先へ近づいた。これ以上SDFに進ませないようにする意図が見える。ただこれは杞憂に終わる。マンビジSDFは別の脅威に対処しなければならず到底南進は不可能だったからである。競争は終わった。政府軍はアル・バーブこそ取れなかったもののそれ以上の拡大はさせず、残るシリア北中部ISIL地域(マスカネ平原周辺)への攻勢の権利を獲得した。

14.【SDFへの攻撃とユーフラテスの盾作戦の収束】

 マンビジSDFが動けない理由は、トルコ系軍が境界部への攻勢を始めたからである。兆候は以前からあったものの、小競り合いをしながら緊張状態が保たれていたマンビジ西部境界線でである。
 直前の攻勢準備は2/27に行われたアリマ街へのトルコ空軍の爆撃だ。この日はまだ地上部隊は進軍を開始していない。だが翌2/28からM4ハイウェイ上で攻撃が少しずつ広がり、それまでの威嚇でないことが判明しだした。エルドアン大統領がアル・バーブが完全占拠できたらいずれマンビジも獲ると話したと報道がなされる。
 2017/03/01、トルコ系軍によるSDF支配下のアリマ街へ向けた本格的な攻撃が明確になった。東南への進撃は政府軍に先回りされ行き詰まった直後である。この結果を少し前から想定していたのだろう。翌3/2にはアリマ街外縁まで到達する。マンビジ西方でアリマ周辺は突出する形となっており危険であった。3/3にも激戦が行われている。ただこのあたりからSDF(YPG)は増援要請や支援国家へのアプローチを強め、更にシリア政府もこの地域の処遇への外交活動を具体化させた。軍事衝突以外でマンビジ西方地域を抑えようとしたのだ。
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 3/4~3/7、SDFはマンビジ近郊にアメリカ軍の車両が来ていることを大々的に報道。一方でロシアの報道でこの地域の支配権を政府に譲りわたすことが決まったなどと未確定情報が錯綜する。するとトルコ系軍はアリマ街を陥落させずに部隊を後退させ始めた。マンビジ評議会はマンビジ市は他のいかなる勢力にも支配させないと表明するが、同時にアリマ等のマンビジ西方境界部はロシア・シリア政府軍の管理下に置くことで合意されたと報道が出る。
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 3/8、この時の関係は実に興味深い。報道通りシリア政府軍がマンビジ西方境界域へ大々的に入り、トルコ系軍を侵入させないようにする。境界部でSDFは政府軍の通過を受け入れ、トルコ系軍と政府軍の戦いが発生する。このマンビジ西方の境界部以外でSDF領域は政府軍へ渡されていない、あくまでトルコ系軍を防ぐための妥協でこれに政府軍がのった形である。一方で他の戦線において、政府軍とトルコ系軍は戦闘を激化させずこれまでの緊張関係を保ってトルコ系軍は政府領域へ深く踏み込む意図は決して見せていない。明確な戦闘が行われているのはあくまでマンビジ方面だけである。
 また、このマンビジ西方地域を巡り支援国家間の調整が進む。特に3/7に行われたアンタルヤ会議でロシア、トルコ、アメリカそれぞれの参謀総長が会談を行ったことが大きかった。
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 3/9~3/11の期間において政府軍の活動はマンビジ西方境界部で活発化し、トルコ系軍は元の位置で競り合いを続けざるを得なくなる。トルコ軍司令部はまだ政府軍及び各支援国家の今後の反応を測りかねているようだ。増強して攻撃続行することは恐らくできただろうが、その後がどうなるかわからなかった。3/12には戦闘は沈静化していった。これ以降はお互いに進軍の意図を全く見せなくなっていった。ユーフラテスの盾作戦での攻勢は終わったのだ。
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 2017/03/29の国家安全保障会議において、エルドアン大統領は作戦「ユーフラテスの盾」を目的が達成できたために終了することを発表した。3/31には軍参謀本部のサイトでも同作戦の終了が発表された。
 この直後において、トルコは次の標的を定めていた。北西ロジャヴァ・アフリンを狙う作戦「オリーブの枝」の発動は2018/01/20のこととなる。

 一方でシリア政府軍の攻勢は極大を向かえていく。複数の攻勢・作戦が同時的かつ連続的に遂行され、そして一つの大攻勢へ収束する。シリア中央戦役である。
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以下では2018年までのトルコ軍司令部の作戦活動全体について考察する。

トルコのシリア侵攻作戦群についての小考_2018年8月まで

 トルコ首脳部は(彼らにとっての)過激派による国内での活動消滅を政策目標としたとする。
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 その場合、国内での激しい弾圧や非軍事分野と並行して行われたシリア侵入はこの目標のために必要な要素だとトルコ首脳部が判断したことになる。目的を果たすために戦略目標が設定される場合は下記2つが特に軍事と深く関係するためどちらか(あるいは両方)が求められることが多い。

【戦略目標A】国境付近のISILとYPG主導SDF戦力の殲滅。
【戦略目標B】国境付近シリア北部領を地理的に親トルコ型管理能力を創立し、トルコ国内過激派がゲリラ根拠地・支援地域として利用できる可能性を将来に到るまで消失させる。

【仮定パターン1】優先戦略目標:{戦略目標B>戦略目標A}={地理的獲得>戦力殲滅} と仮定する。

 軍事はあくまで一要素でありそれ以外の活動も含め戦略目標達成は求められるが、少なくとも全ての軍事作戦は最終的にこの戦略目標に貢献する意図を持ち行われるはずである。戦略目標を達成するために複数の作戦が組み立てられたとするなら、ユーフラテスの盾作戦の位置付けを再確認する必要がある。2018年9月時点での材料はアフリン奪取の作戦「オリーブの枝」と、続いて行われたマンビジ進駐の外交交渉である。ユーフラテスの盾作戦を加えたこれら3つの作戦群は確固たる連動性を持っている。(計画が最初に立てられたもの通りだったかは疑問があるが)即ち以下のようになる。

作戦1】:「ユーフラテスの盾」作戦=アフリンとマンビジSDFの分断を目的とするアル・バーブまでの中央突破。
作戦2】:「オリーブの枝」作戦=中央で分断されたSDFの各個撃破1つ目。
作戦3】:「マンビジ管理交渉」作戦=各個撃破2つ目。

よって算出される
【軍事戦略目標1】:ユーフラテス河西側かつシリア北部国境周辺の奪取=「連続した作戦1~3の統合
⇒影響を与えるのは戦略目標B
作戦1~3は戦略目標A敵性戦力の殲滅が達成されるような攻勢ではないことが判明している。

 「ユーフラテスの盾」作戦はISILに対し脱出の余地を残している。SDFに対しても与えた戦力損害は殲滅的でなくむしろ押し出すようなマニューバとなっている。
 「オリーブの枝」作戦でも山岳地帯の掃討はしたが全域で見ると大規模な殲滅は行われなかった。突進後も(機会があったにも関わらず)アフリンの後方路を最後まで遮断しなかった。アフリンは孤立していたため殲滅ができる可能性が最も高かったにも関わらずしなかった。違和感はあるがこれで次のマンビジへのアプローチも同じ傾向が現れることが予想できた。
 「マンビジ管理交渉」では武力侵攻ではなくあくまで脅しの段階で抑えて多国間交渉によりマンビジ地域一帯の管理権獲得をもたらした。2018年9月時点ではあくまで共同管理であり支配圏とは言えないが管理の精度が上がれば戦略目標Bへの貢献は確固たるものとなる。
→SDF側の対抗策についても余地が残る。(後述)
また、これに代表されるように戦略目標達成は必ずしもトルコ単独でなくても良い。反トルコ系過激派を消失させるような管理さえできれば他の国でもいい。トルコ財政にはそれがむしろ望ましいのだが、ただ各勢力とトルコの関係は良いとは言えないため今のところ過剰な期待はできない。
 いずれもまだ他に支配域が残っているので行き場を失い瓦解するなどという事は無く、今回の侵攻地域の反トルコ戦力はそこに移動できる可能性を保有していた。

 以上より、トルコは戦略目標B=地理的目標の達成を優先していると想定した。
 戦略目標Bのみでも妥協的だが、トルコ国境から距離を稼ぎ更に厳格な管理下におかれることで国内過激派へある程度の損害を及ぼせる。この推察に正直疑念は多い。YPGが殲滅されないので戦線が奥深く広がり緊張状態が続かざるを得ないのだが、その間にPKKに大損害を与える計画があれば一応は政策目標に殉じていることになる。ただし戦争はまだ終わっておらず、今後進めば戦略目標Aの戦力殲滅を達成するための大掛かりな準備段階であったと成る可能性も残っている。

 軍事戦略目標1としたのは次の段階がある場合に備えてである。なぜなら軍事戦略目標1では戦略目標AとBの両方が決して達成できないからである。軍事戦略目標1ではトルコ国内の過激派の活動は残るロジャヴァ域から十分支援されうる。それどころか軍事侵攻で敵意が深まり、トルコ内過激派への流入・支援が増大する可能性もある。当然懸案の武器流入は止められない。アメリカのYPGへの武器支援を止めるのにどれほど役立つかという点でも軍事侵攻が最善手とは言い難い。また段階1で獲得した地域は天然資源は乏しく、いかなる収奪を敷いても到底軍事支出を補填できる量ではない。
 けれども一応はシリア北部全域にクルド系勢力が展開するのを防ぐことはできたため妥協して止めるというのも無くはない。これ以上の侵攻は初期想定を遥かに上回る損失が生まれると予想された場合で、現在の状況で生まれる不利益の方を許容するという選択だ。これをやれる政治指導部であればそもそも侵攻していない気がしないでもないが、翻意の可能性は残っている。

 軍事戦略目標2が発生するなら戦略目標AとBのどちらかに貢献するものとなる。ただトルコ単独で武力侵攻しロジャヴァ全域やラッカまで到達というのはあまりにも困難である。あらゆる外交障壁を乗り越えなければならないし、そもそも戦力が足りない。よしんば侵攻だけはできても維持管理ができるとは思えない。可能性があるとすればシリア政府軍と合わせる形で進行する場合だけである。
 それならば非軍事分野において戦略目標達成を求める可能性の方が大きくなるかもしれない。

 ところで作戦3が武力行使なく交渉でマンビジ管理権の獲得を実現できたのは最善に近いだろう。戦略目標達成に軍事は使用されたがそれのみに依存していない。また、エルドアンの発言や実際の部隊の動きを見るとアフリンとマンビジ進駐の順番(作戦2と作戦3)は当初は逆だった可能性もある。あわよくばといったところであろうが。重要なのは3つの作戦が互いに段階戦略目標1を達成するために必要な影響をもたらせるかである。
 一連の作戦群に段階性が存在するが同時性はほぼ存在しない。個人的には大攻勢を最少犠牲かつ最短時間で達成させるには段階性と同時性が共にあった方が良いと思う。しかし現実問題としてトルコ軍の経済的な投入可能規模もあるし、もし大量に投入した場合はシリア政府を含め各国を過剰に刺激し、トルコの戦略目標がより巨大なものであると解釈される可能性があるためこの判断はおかしいものではないと考える。
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【仮定パターン2】戦略目標A>戦略目標B=戦力殲滅>地理的獲得
←戦後に正誤に関わらず実験すること。
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【 マンビジ管理を巡るSDF(YPG)側の対抗 】2018年12/28までのメモ、日付等不正確

SDF(YPG)はコバニに塹壕増加させている。
12/12 数日以内にSDFへ攻撃するとエルドアンが表明、しかし攻撃はなされなかった。これはユーフラテス東岸を含むニュアンスである。
12/21 トランプ米大統領がシリア・SDF域から米軍撤退を表明・12/26 アリマへ政府軍が進駐報道→確認。マンビジ西方境界部全域に再度入ったとの報道あり。撤退するとするがいつまでにするという期限は明言されていない。
12/22 エルドアンは友軍の撤退の調整のために攻撃延期と表明。数ヶ月以内に攻撃するとも述べた。ただマンビジ境界部へ軍が増加しているとも報道有り。ユーフラテス西岸と東岸は完全に分けて作戦を展開する可能性。

12/25 トルコは軍事作戦の前にまずメディア戦を行うこととなっている
http://www.syriahr.com/en/?p=110383

12/26 アリマ及びマンビジ境界部に政府軍が入りトルコ軍の大規模侵攻を予防すると報道。
外縁部まで到達と報道。担当は第1機甲師団と民兵。ロシア軍もいるとあるが未確定。
・12/28 SDFの要請で政府軍がマンビジ進駐を行うと報道。12/28深夜までは市内で民衆が政府旗を掲げる報道あるが軍はまだ外縁部にいると報道されている。
12/28 マンビジに政府軍が入ったとの報道があるがそれを米有志連合は否定。報道が錯綜。ただアリマは確定
https://www.dailysabah.com/politics/2018/12/28/us-led-coalition-says-no-assad-regime-presence-in-
クルド公式が声明、28日時点ではまだ政府軍は入っていない。
https://www.foxnews.com/world/the-latest-kurdish-official-says-syria-has-not-taken-manbij

12/30 境界部でのTFSAの増大報道はまだ続いている。
2019年1/1 米軍は今だ西境界部とマンビジ市に確認される。市街は政府軍支配下となっていない。
1/6  トルコ軍のクルド攻撃回避が撤退完了の条件とするとボルトン大統領補佐官

 2018年末まではSDF、政府軍とトルコ軍は激しい武力衝突を抑える、しかし軍事力を背景とした交渉の色が濃くなってきている。YPG側は少なくともマンビジについては対抗策として(彼らにとってトルコよりまだましとなる)政府軍へ譲歩することで侵攻を予防しようとしている。これはオリーブの枝作戦の後に、YPG域の資源と領土の一部を渡す材料にし政府軍と自治権などの妥協的交渉に入るのではと指摘してきしていた人々の意見と合致する。
 トルコ正面のコバニ(クルド大拠点の1つ)は徹底的に増強している報道がある。側面側となるマンビジは政府軍を使い護る作戦方針?この場合はユーフラテス川西岸全域を譲歩する可能性有り。トルコ側も政府が管理するなら(というよりクルド急進派でないなら)問題ないと述べた報道が過去に複数ある。ただシリア政府とトルコ政府は紛争初期からイドリブの交渉に至るまで緊張関係が極めて高い。しかし正面に散らばるクルド拠点はあまりにトルコ国境に近く、かつてのISILとの戦闘を鑑みても侵攻を防げる期待は薄い。侵攻させてからゲリラ・テロへ移行か、政府軍がイドリブのお返しとばかりに外縁を保護し膠着するかといった方がまだ考えられる。


政府軍がどこまで権益を取ろうと企図しているのかが最大の懸案事項。SDFにつくか、あるいはトルコが大きな見返り(イドリブなど)を渡してトルコ側につくかという重大影響要素は政府が握っている。

マンビジの趨勢は都市そのものの権益ではなく、政府側がSDFにつくかの最終決定箇所となるかもしれない。

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ここまで長い長い記述を読んでいただきありがとうございます。

参考:トルコのシリア直接侵攻決定に到る情勢推移

 あとで振り返る用メモ
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 Soli Özel "Turkey: Military Action in a Strategic Void"
http://www.iemed.org/observatori/arees-danalisi/arxius-adjunts/anuari/med.2017/IEMed_MedYearbook2017_turkey_military_strategic_Ozel.pdf/
池田明史 "「ユーフラテスの盾」作戦の舞台裏 トルコのシリア内戦軍事介入をめぐる三つ巴・四つ巴"
http://www.jccme.or.jp/japanese/11/pdf/2016-09/josei01.pdf
参考:"中東戦略環境の構造変化"
https://www2.jiia.or.jp/pdf/research_pj/h27rpj06/160405_middle_east_security_report_vol8_ikeda.pdf
トルコはなぜシリアに越境攻撃したのか 今井宏平(日本貿易振興機構アジア経済研究所)
https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2016/09/post-5887.php

書籍は青山 弘之, (2017), "シリア情勢――終わらない人道危機"
また同氏がニュース記事を逐一まとめて記録してくれているサイト "シリア・アラブの春 顛末記:最新シリア情勢"で各ニュースについておおよそチェックを行える。
http://syriaarabspring.info/

SDF(シリア民主軍)はYPG(クルド人民防衛隊)を主体としており、クルド系でない組織は多数あるが主導権は明らかにクルド系組織が保有している。YPGがクルド民族主義的なニュアンスを隠し外国の支援を受けやすくするためにシリア民主と名乗っていると指摘する者は数多くいる。
SDFに関してはジャーナリスト坂本氏による坂本・アジアプレスが2017年時に明瞭な紹介をしてくれている。→http://ronahi.hateblo.jp/entry/2017/12/18/183000
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シリア内戦以前のトルコの外交パターン分析についてJETROアジア経済研究所中東研究グループ 今井宏平 氏の各種論考を参照。一例リンクを残す。
"トルコの中東外交の短期的見通し-外交パターンと現状分析の視点から-"
http://www2.jiia.or.jp/pdf/resarch/H25_Middle_East_as_Global_Strategic_Challenge/03-imai.pdf
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時系列メモ
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2013/07/30 中東地域におけるトルコの仲介政策―シリア・イスラエルの間接協議とイランの核開発問題を事例として―
http://ir.c.chuo-u.ac.jp/repository/search/binary/p/5475/s/3321/

2015/11/24 トルコ軍によるロシア軍機撃墜事件

2016/08/30 米国はトルコ軍のシリア領内での目標は受け入れがたいと述べた、とトルコ筋が報道
https://www.dailysabah.com/diplomacy/2016/08/30/us-comments-about-turkeys-targets-in-syria-unacceptable-says-turkish-mfa

2017/03/07 トルコ、露、米参謀総長、アンタルヤで会議 
アメリカのジョセフ・ダンフォード統合参謀総長、ロシアのワレリー・ゲレシモフ統合参謀総長、トルコのフルシ・アカル統合参謀総長
 =今後テロ組織とさらに積極的に戦っていくために、3か国の軍の間に予期せぬ事件が発生するのを阻止する内容で、取られ得る新しい対策も話し合われた。この内容で当事者は、以前合意に達した「シリアでの航空作戦における協力体制」に関する取り決めを、陸軍兵士のためにも拡大することを話し合ったと伝えられている。
http://www.trt.net.tr/japanese/toruko/2017/03/08/toruko-lu-mi-can-mou-zong-chang-antaruyadehui-yi-687148

2017/04/06 区切りを迎えたトルコのシリア介入:「ユーフラテスの盾作戦」の終了
 = 3月29日の国家安全保障会議において、レジェップ・タイイップ・エルドアン大統領は2016年8月24日から対「イスラーム国(IS)」掃討のためにシリアで展開していた「ユーフラテスの盾作戦(Fırat Kalkanı Harekât)」を目的が達成できたために終了することを発表した。 3月31日には、軍参謀本部のウェブサイトでも同作戦の終了が発表された 。218日間に及んだ「ユーフラテスの盾作戦」において、トルコ軍兵士は60名以上が死亡した。一方で、アルジャジーラ・トルコの報道によると、トルコ軍との戦闘で3060名のISの兵士、462名の民主統一党(PYD)の兵士が戦闘不能の状態となったとされる 。 
https://www.excite.co.jp/News/world_g/20170406/NewsWeekJapan_E189973.html

2017/06/08 ロシア軍機がISに対するトルコ軍の攻勢に対し航空支援を行った
https://www.nytimes.com/2017/01/08/us/politics/russia-turkey-syria-airstrikes-isis.html

2018/04/03 ロシア、イランそしてトルコはシリアでの事態を収束させる落とし所をめぐり議論する
https://www.reuters.com/article/us-mideast-crisis-syria-turkey/russia-iran-and-turkey-struggle-to-find-common-ground-on-syria-idUSKCN1HA1MZ

アスタナでの会議は2015年に行われているが件のアスタナ合意は2017年の一連のものである。
http://vestnikkavkaza.net/news/Second-round-of-Syrian-opposition-talks-begins-in-Astana.html

2017/1月 アスタナ会議
https://www.theguardian.com/world/2017/jan/24/syria-talks-astana-russia-turkey-iran-ceasefire

2017/2月、7月、9月、10月、12月と続けられるトルコ、ロシア、イランの代表団による会議は進展を見せる。特に9月はアスタナ合意として報道されている。
http://www.trt.net.tr/japanese/shi-jie/2017/09/15/di-6hui-asutanahui-yi-siriaidoribunofei-fen-zheng-di-dai-dehe-yi-807759
2017/3/16 最終プロセスとしてのアスタナ会議


2018/6/18 トルコによるマンビジ共同管理の開始
http://www.trt.net.tr/japanese/toruko/2018/07/10/siriamiyunbiti-torukojun-ga12du-mu-nopatororu-1009861