リビア内戦において、2020年5月まではLNA(トブルク政府側)の戦略的攻勢期でした。そしてついに2020年6月初頭にそれは崩れ、GNA(トリポリ政府側)の攻勢期に移りました。より詳細部に触れるとGNAの逆襲作戦『憤怒の火山』などがあり両軍の膠着状態がトリポリ近郊で長らく続き、交通の要衝や空港を激しく奪い合う膠着期間がありました。

 その中で見られた作戦および戦術は興味深いものであり、戦史上幾度も議論された事象に関係していました。今回はリビア内戦の中でも最上級に大規模で大胆な、2019年4月よりLNAが発起した西部戦役の攻勢主軸を巡る紹介と考察をしてみたいと思います。
20190404_西部戦役
 軍事的/非軍事的を問わず多くの要因が戦局に影響を与えましたが、本稿で焦点とするのはただ1点、LNAのトリポリ突進は作戦レベルで適切な軍事的判断であったかどうか、それのみです。軍事的概念に置き換えるなら、周辺の敵拠点を占領せずに大規模補給拠点から遠く離れた敵中核都市の奪取に主力を突進させる方針の是非、となります。
__以下本文_________________________________
・西部のトリポリ首都、シラージュ暫定政府の有する勢力=GNA
・東部のトブルク(及びベンガジ)拠点、代議院(HoR)の有する軍事勢力=LNA

文字色はGNA=黄色、LNA=紫とするが各マップは色が異なっていることに注意。

トリポリの戦い概要

 『尊厳の氾濫』作戦(Operation Flood of Dignity)LNAを率いるハフタル元帥の司令部が2019年4月4日に作戦発動を宣言したリビア内戦で最大規模の、持てる力を振り絞った戦略的攻勢だ。LNAはGNAの防御を4月半ばまでに一気に突き破り市街戦へ移り、そのピークにおいてトリポリ中心部まで肉薄した。
 だが勢いが失われてくると同時にLNAの果敢な逆襲作戦『憤怒の火山(Operation Volcano Rage)が発起され急激に戦況は不透明になった。細かい戦術的要衝、幾つかの建物や交通結節点を奪い合う戦闘が続き、次第に膠着状態に陥っていった。その中で攻勢序盤はまだ補助的であった諸外国の軍事支援が存在感を増していく。ただ各国はリビア介入の利益の少なさからか大規模な動きを見せずLNAの攻勢は停滞した。
 GNA逆襲成功を確固たるものとして領土を奪い返し始めたのは2020年3月26日の『平和の嵐』作戦(Operation Peace Storm)が発起されてからである。トリポリ市街へ迫っていたLNA突出部はしばらく保たれていたが周辺部が次々とGNAに奪われていき、ついに6月初頭LNAは戦略を転換し大規模な撤退を決断した。トリポリ周辺からLNAが駆逐されたのは6月4日のことであり、これは2019年4月から数えて14か月弱続いたトリポリの戦いの終結であった。

影響要素

 網羅的に書くことはしないが、尊厳の氾濫作戦に大きな影響があった事象を幾つか書いておく。

1エネルギー資源
 2019年4月の攻勢発起までにLNA(トブルク政府側)はリビア国内の殆どの油田とパイプラインを抑えていた。2018年6月にOPEC・非OPECの増産決定で原油価格は落ちており2019年6月の減産期待で価格が上がっても回復には至らず、2020年初頭にはOPEC減産終了とコロナ危機で原油価格は世界的に下落した。地中海の埋蔵資源(特に天然ガス)に関連して、トルコは2019年11月27日に海洋境界協定覚書をトリポリ政府と結び利権の獲得へ進み、この際に軍事協力も約束された。
リビア・トルコ協定の英語全文 Ⅳが該当箇所
https://www.nordicmonitor.com/2019/12/full-text-of-new-turkey-libya-sweeping-security-military-cooperation-deal-revealed/
 2019年までのハフタル将軍の攻勢地域は油田及びパイプラインを狙った傾向が強かった。よってトリポリを狙った尊厳の氾濫作戦はこれまでと性質の違う攻勢であった。
リビア油田及びパイプライン
< 油田地帯とパイプラインを主眼にしたマップ_出典:The Economist>

2支配領土
 攻勢発起時にLNAは国土の約80%を支配していた。だがその大半が砂漠の人口及び設備希薄地帯である。GNAの領域は10%ほどだったがトリポリ周辺及び西部海岸の人口地帯を抑えていた。
 ※軍及びその連絡線が展開できるコントロール領域は極めて重要であるが、リビア内戦での支配域図は誤解を生む可能性があり注意しなければならない。

3人口要素
 リビアの人口はその大半が沿岸部に集まっており、特にトリポリが突出している。故にGNAは領土的には10%以下にまで落ち込んだ時ですら人口の半数(あるいはそれ以上)を有していた。またLNAは市民(恐らく都市住民)の支持をあまり受けられていないとする見方もある。ただし世俗派と呼ばれるように外国含め資産家がLNAに協力している姿勢は見られる。GNA側はイスラムの宗教的支持が基盤となる面がある。LNAの快進撃は希薄地帯を突き進んだという面が強い。故にトリポリの戦いはLNAにとって未経験の大都市での戦闘となった。

4外国の直接的介入
 2019~2020年において諸外国は大規模と言えるほどの直接投入を行わなかったものの、リビアの国軍は長い内戦で疲弊しきっており双方ともに弱体化が著しく、相対的に諸外国の軍事支援は影響力を増した。また民兵の流入に政府が間接的に関わっているという報道が相次いでいる。
 (略)

 他にも数多あるがこのままでは終わらないため本題に移る。

拠点に基づく戦況図の実情再考

 まず戦況を整理し直す。『尊厳の氾濫』作戦が発起される直前の情勢を示した地図としてデンマークの安全保障研究企業Risk Intelligenceが非常に良いものをSNS上に投稿してくれているので参照とする。
20190318
< リビア戦況図_3月18日時点 出典:Risk Intelligence https://twitter.com/riskstaff

 なぜ上図が素晴らしいかというと地理的勢力範囲の他に人口が簡易的に示されているからだ。一見するとLNA側が領域的に圧倒しているように見えるが、リビア北西部の人口地帯はGNA側が抑えており、LNA域の大半は砂漠となっている。GNAは海岸に追い詰められているのではなく最重要の海岸付近人口集中地帯を保持し続けているのであり、LNAは大規模拠点を持てない荒野部で広く長く伸びて西部内陸域を抑えている格好なのである。

 より詳しく見るためOCHA(国連人道問題研究所)の人口分布図とWorldmeters社の標高地形図と見比べてみる。
Libya_population map
Libya_geo map

< 左:人口分布図_出典:OCHA > < 右:標高_出典:Worldmeters >


Libya_Hydrogeology
 この他北アフリカの国家の場合、水資源が戦線の維持に影響を与える。海岸人口地帯やオアシス都市は水資源が多い場所にある。GNA側の支配域が水資源の大半を抑えていた。
 また、それでも足りないため、リビアは内陸部の埋蔵地下水を組み上げ都市へ配送する長大な輸送運河(リビア大人工河川)もある。長い戦争で各地の人口河川は故障が増えていったが、トリポリへ続く人工河川の作戦的破壊は意外なほどに起きず、実施されたのは随分と後になってからだった。


リビアの空港
 北西端にLNAの支配域が半孤立してあるが、ここをなぜ保有できているかというと、数少ない今なお機能する空軍基地であるアル=ワティヤ航空基地(al Watya)があったからだ。ここはトリポリへの攻撃の重要航空基地として使われ、後にロシア系と言われる軍事企業ワグネル・グループの兵士が駐屯して守りを担った。アル=ワティヤ航空基地北西の占領地点Zaltan(北西端海岸部)はチュニジアまで続く主要街道を遮断する町であり、基地の南東のZintanはGNAの西端内陸部支配域とトリポリを遮断する位置にあり、かなりの要衝だった。更にLNA支配域の中央部からこれら北西端の町へは大きな街道が直接は繋がっておらずGNA領域に遮断されていた。サハラ砂漠の道なき道を恒常的連絡線にするのは負荷が重すぎた。つまり北西端LNA域は当初ほぼ独立していた。Zintan周辺は両軍とも大量の兵士を投入することはできず支配は曖昧だった。Livenews mapなどはGNAエリアとして、北西端LNAを完全な孤立地帯として描いていた。

 後述するがLNAによる西部侵攻の基盤はリビア中央部のサブハ(Sabha)~ハン(Hun)~ラス・ラヌーフ(Ras Lanuf)またはノファリヤ(Nofaliya)境界付近だった。巨大な軍事拠点を町の無い所に作る体力はLNAには無かったしいくらか作れたとしてもこの広大なエリアをカバーすることはできない。中央部主要都市からトリポリへ向けての街道上の町を前線拠点にしながら進んでいた。つまりLNAの西域内陸部は確固たる拠点のない「長大で希薄な突出部」だった。
 勢力域を示す図の色を塗って示すなら、拠点の基地や町そして抑えている街道周辺とした方が実情を表していた。
2019070420190918
< 2019年7月~9月のトリポリの戦い戦況図_出典:wikipedia >
※少し攻撃の矢印と支配領域に異論はあるが凡そ他のサイトと整合性がとれている。
(wikipediaのリビア内戦やシリア内戦の戦況図を作成し続けているRr016氏らはそれに気づき、驚いたことに2019年9月18日からは支配域を限定化したものに修正した。)

 地図クリエイターのDzsihad Hadelliがツイッター上で公開した図は人口密度と支配域を最も巧みに表現した1つであり、大いに参考になる。人がいない地帯を塗りつぶした図の時と違い、それほどLNAが圧倒的には感じない。そして左上のトリポリへの攻撃をしているLNAが如何に突出しているかはわかりやすい。
ENm2dDDUcAIKrlS
< 2019年11月の人口密度に戦況を合わせた図_出典:@dhadelli >

 実行支配をしている拠点と街道沿いに限定した表示にすると途端にLNAの攻勢の不安定さがはっきりする。戦況実情のためにもう1つの重要な図である主要街道マップを添付する。この図においてSabha(中央左下)、Hun及びWaddan(中央)、Ras al Unuf(海岸部中央)のラインを確認した上でトリポリへ続く主要街道を改めて把握しておく。
リビア_道路網
< リビアの主要街道_出典:ezilon maps >
 主要街道マップは非常に重要で、これを常に念頭に置いておく必要がある。北アフリカ内陸部の砂漠・荒野を実際に走ってみた者なら皆、主要街道以外のルートを行く難しさをわかっていると思われる。攻撃のための単発かつ短距離なら行けなくもないが、安定的な長距離補給ルートの確立は至難だ。それどころか定期的なメンテナンスを長い内戦で欠いているので路面舗装の劣化が著しく、油断すれば主要街道ですら容易に事故にあってしまうだろう。LNAの侵攻ルート途上は明らかに主要街道に依存しており、特に内陸部の輸送では影響を強く受けていた。
 特に連絡線上の重要地点として以下の町の位置を頭に入れておくと理解しやすい。
・Gharyan(トリポリ近域南部)
・Bani Walid(トリポリ南東)
・Mizdah(トリポリ南方、Bani Walidへ続く結節点)
・Al Qaryah(Mizdahの南南東、LNAの攻勢発起の最前線)
・Ash Shuwayrif(Qaryahの東、南のSabhaや東のHunからの街道が結節する地点)
・Hun & Waddan(リビア中央部内陸側から西部へ出るための最重要地点、物資備蓄の拠点)
・Surt=Sirte(リビア中央部海岸側の街道結節点)

 以上で戦況図の実情の把握をし直す作業を終える。

LNAによるトリポリ攻勢

 LNAの攻撃ルート候補は詳細部に分ければ多数あるが、実は主軸は連絡線によって限定されていたためたった2方面しか可能性がなかった。海岸部を進撃する最短ルートと、内陸部を迂回するルートだ。

【2つの侵攻ルート候補】

【海岸部直行ルート】
LNA供給元(ベンガジ等)→ブレガ(Burayqah)→As Sidrah(及びRas al Unuf)→Sirte→Misratah→Al Khums→トリポリ

【内陸迂回ルート】
LNA供給元(ベンガジ等)→ブレガ(Burayqah)→Hun→Ash Shuwayrif→Al Qaryah→Mizdah→Gharyan→トリポリ

 2019年4月時点では海岸沿いの大きな町Sirte(Surt)はまだGNA側であった。これはかなりの影響をLNAの連絡線に及ぼしていた。海岸部は上述のように人口密集度が高く、防御拠点に使える施設や家が数多くあった。GNAはSirte、Misratah、Al Khums等を支配していたため、海岸ルートを進撃するとこれら厄介な陣地をいくつも陥落させていく必要があった。
 一方で内陸迂回ルートの場合、LNAは既にal Qaryahまでは進出できており、MizdahGharyanという(海岸部に比べれば)小さい町を落とせばトリポリはすぐ目と鼻の先であった。
リビア_街道侵攻
 実際にはLNAはQaryah町周辺に主力攻勢発起地点を置いた。そしてその連絡線はQaryahからAsh Shuwayrif町を経由して州都Hunへ続き、更にそこからAjdabiyaやベンガジといった中枢地域へ連なっていた。つまりLNAは内陸部を大きく回り込む形でトリポリへアプローチする攻勢を選んだのである。
LNA Offensive_logistics distance

 確かにトリポリに辿り着くのに楽なのは内陸迂回ルートだ。それは間違いない。しかし楽なのは辿り着く「まで」の話しだ。首都トリポリを陥落させられるかはまた別であり、そして即座に落とせなかった場合巨大な苦難が訪れることになる。これが本稿のテーマだ。
 
 米国防大学戦略研究アフリカセンターが述べているように、ハフタル将軍はトリポリ中心まで「電撃的に占領」するつもりだった。初期のLNAは確かに驚くほどの速度で進撃していった。4/4に攻勢開始するとMizdahを即座に突破、さらに4/5までにはGharyanを通り越しトリポリ郊外へ到った。そして4/5~10までに、つまり僅か1週間もたたない内に、トリポリ市街へ踏み込んだのである。だがそこで快進撃は停止した。

 首都トリポリは当然リビア最大の都市であり民兵雇用及び諸外国支援輸送というGNAの戦力供給源になっていた。市街中心部に近づけば近づくほど障害物は増え、防御戦力は増大する。増援も最短最速で駆け付けてくる。こういった大規模な市街戦において『街は兵士を吸収する』。ここを陥落させるのはリビアのあらゆる拠点の中で最も難しいだろう。ここを即座に奪取するほどの戦力(突進力または飽和に十分な量)がLNAにあったかは酷く怪しかった。長い内戦で機甲部隊と空軍は崩壊しており、ハフタル将軍は中核となる訓練の行き届いた兵士をある程度有してはいたが、攻勢の多くを民兵に依存していた。彼らは徒歩または一般車両に乗って移動していたし、戦闘車両はテクニカルが主体となっていた。砲兵は数も弾薬も足りていない。
 実際の戦闘推移ではやはり市街地へ入ってからLNAの進軍の勢いは消失し、次々と後続を送り込んでも相手も新手を投入して消耗戦となっていった。ここに到り、即座のトリポリ奪取が不可能な戦況となった時、内陸迂回ルートが内包していた長大な連絡線のリスクが顕在化して来たのである。

【長大な連絡線で消耗戦を支えなければならなかったLNA】

 補給の集積地点は前線付近のQaryahやあるいはMizdahに置いていたであろうが、大規模な事前集積地点を造れたのはHunまでが限界だったろう。Hunからトリポリ最前線までの道のりは600㎞を超える。戦闘が長期間になればなるほど後方の大規模地点への直接的依存度が増大していく。(下手すれば、というより実際に起きたように、Hunどころかベンガジのような中枢部から一部の増援・物資は出立させることとなってしまった。)そして常に発生する交代要員の輸送が重くのしかかることになる。なぜなら周辺に休める場所などなく、遥か後方へ彼らを輸送しなければならなかったからだ。
 最前線はトリポリ市街にある。LNAはそこまでの遠大な距離を通しながら最前線を支え、そして前進させるだけの戦力を供給しなければならなかった。この状態が14か月続くのだ。最前線を維持しようとする限り兵士も物資も逐次的な投入となり、長大な補給路上での事故などの損失は積り、効率は著しい低下を避けられなくなった。
 攻勢前に前線拠点へ物資を集積していただろうが、ハフタル将軍が電撃的にトリポリを奪取するという心づもりであったなら、最初の2週間で落とせなかった時点で補給計画は大幅な変更をそして許容量を超えた要請を受けることになっただろう。
LNA Offensive

 一方でGNA側はトリポリ近郊で闘う限り高い効率を維持し続けた。それだけでなく、トリポリへ充実したアクセス路を通して周辺の拠点から戦力を回すこともできた。決定打を欠く消耗戦において、効率の度合いは時間が経てば経つほど両軍の差異を大きくしていった。

 GNAに海岸部各拠点からトリポリへ戦力を回させないよう拘束するためにLNAが海岸部Sirteを奪取し脅威を与える本格攻勢を行ったのは2020年1月のことであり、作戦開始から8か月以上が経過していたのであった。これまでの期間ほとんどMisrata等は脅威を受けず、GNAは戦力の分散を最小限にすることが可能な状態だったのである。

【GNAの逆襲_連絡線の遮断】

 GNAの戦術‐作戦的な逆襲は極めて素晴らしいものだった。『憤怒の火山』と名付けられた逆襲作戦は作戦名とは裏腹に冷徹に市街の一部を切り捨てる、純粋に軍事的な行動原理に基づいた内容だった。鍵となるのはGharyan町だ。狙いはシンプルかつ効果的な敵補給線の遮断である。
スライド11

 トリポリ前縁に到ったLNAは市街を押し潰すために横に広がり、その右翼と中央が主なアプローチ方向となった。特に右翼が最も順調で市中心まで20㎞以内の地点に進出した。このタイミングでGNAは逆襲を発起した。その逆襲主攻箇所はトリポリからGharyanに直結する街道沿いに置かれ、GNA主力は全力で突進した。これによりLNAは中央が突破され右翼が半孤立する形になったのである。GNA逆襲主力は領域を安全に広げることではなく、細くとも長く突進し敵後方連絡線上の要衝Gharyanを奪うことに徹底的に集中していた。

 このGNAの作戦は実に勇敢だった。細長い突進を敵の攻勢の中で行うことはその突出部の側面が攻撃に晒されるリスクを抱えており最悪の場合根本を断たれて逆に包囲されてしまう。実際にLNAはそれを狙ったようで、分断危機の右翼を下がらせるのではなくその場で留まらせてGNA突出部に圧力をかけている。しかもGNA戦力は圧倒的とは言えず途中で撃退され、それから数度の押し引きを繰り返すことになった。当然その間もLNA右翼はトリポリ中心に極めて近い位置で戦闘を続けている。それでもGNA司令部はこれを貫徹しきった。ごく僅しかない航空リソースを割きGharyan周辺の連絡線空爆に投入している点もその方針をよく表している。更に4/15(日本時間4/16)にGNAの航空機がHunへと空爆をした。このトリポリ前面の危機ピークにおいてHunへ投入したことは、後方連絡線上拠点としてのHunの軍事的価値を象徴的に示している。
 GNAは突出部を維持し敵後方連絡線遮断を試み続け、2か月半後の6/26~6/27についにGharyanを奪取した。トリポリに最も接近していたLNA右翼部隊は今や補給線の不安定な位置に突出し、戦闘能率の低い市街戦に勝利するほどの打撃力をこの先得られる可能性は消失した。まだ前線戦力は大きく動きはしなかったが、LNAの攻勢作戦が破綻したことが事実上確定した。少なくとも電撃的な首都制圧という夢は霧散した。
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 GNA側もトリポリから離れて進撃するほどの力はまだなかったこともあり、戦況は膠着していった。LNAは右翼最前線を維持する方針にし、Bani Walidを経由して補給を繋ぐこととした。もう1つGawt ar Rih経由があるがGharyan南東すぐそばの小道であり危険すぎたのであまり使われなくなっていったようだ。他の主要街道以外を使うルートもあっただろうが、いずれにしろとても充実しているとは言えない道だ。

 この絶え絶えとした連絡線で前線を維持したLNA右翼の兵士たちには感嘆するが、LNA司令部の方針には大いに疑問が残った。ただでさえ連絡線の根幹に脆弱性を持っていた内陸迂回ルートである上に、最前線の展開まで非効率化した状態でその最前線を維持し続けるのは負担が大き過ぎた。もし増援に強力な打撃部隊が来ると予定されていたなら位置を保つのはありえたが、現状そのような圧倒的兵力は無くただ決定打を欠いた消耗戦しかできなくなっていた。先に力尽きるのはGNAの方だと予想していたのかもしれないが、Misrataなどから兵士を回せる上に拠点が近く圧倒的に運用効率が高いGNA側は粘り強く戦った。
 市街中心に迫りもう少しで落とせるのではないかという期待が餌になり、LNAはその戦力主体を市街戦に投入し続け非効率的に消耗していった。一方でGNA司令部は敵後方連絡線遮断に集中し、市街中心へ迫る敵を撃退することを二次的な位置づけにして戦力を投入した。(副次的と言っても勿論GNA側も相当数を市街戦へ割り振らなければならず、元々の戦力が乏しいこともあり圧倒的な攻勢には出れていない。)

 トリポリ南部の街道状況は教科書に使えるくらいわかりやすく、しっかりとした教育を受けた参謀将校たちならばこのGNAの作戦の合理性を確信していただろう。実行を承認してもらうための障害は軍内部の議論よりもむしろ政治部の態度だ。トリポリ市街戦が始まるほど敵に迫られている箇所が一部あるのであれば市民の反応は恐慌的で、政治家自身も物理的にも精神的にも追い詰められていたはずだ。そのような戦況で大くの戦力を敵最先端を押し返すために直接投入するのではなく、南西にずれた位置で奥へ突進させるのに割り振るというのは、容易に承認できるものではないだろう。GNAの軍事専門家達はこの作戦を立案したことだけでなく、政治部を納得させた点でも賞賛に値する。

LNA攻勢の破綻

 戦況は停滞したまま数か月が経ったが、2019年11月ごろよりトルコの軍事介入が増大し始めるとLNAはいよいよ追い詰められた。攻勢の頓挫から破綻へ移る時期が近づいていたのだ。ハフタル将軍は12月12日に「最終戦闘」を宣言し新たな攻勢を発起した。その攻勢の中でLNAはようやく海岸部を進撃、1月にSirteを奪取したが、Misrataまでは到ることはできなかった。冬季においてトルコとロシアが主導でベルリン平和プロセスを実施したため一時期小康状態になるが結局ハフタル将軍は合意をせず攻撃を継続した。
 2020年3月、トルコを中心とした諸外国の軍事支援、カタールからの継続的な経済支援を受けたGNAは反撃を本格化する。3月26日に『平和の嵐』作戦の発動を宣言。4月前半にはトリポリ西部に孤立していたアル=ワティヤ航空基地周辺のLNA拠点が陥落した。(続いて基地が包囲され5月半ばに陥落。ロシア系ワグネル・グループの兵士は基地を守備していたが空路でぎりぎり脱出したされる。)この西部端攻勢の最中でもLNA右翼突出部はまだトリポリ傍の位置を取っていたままだ。これはもはや明らかにGNAはトリポリを餌に敵を釘付けにし、その市街部の危機を取り除くより先に周辺の軍事的要衝を奪うことを作戦方針としていたことを示していた。
20200519

 ここに到り崩壊が迫ったことを悟ったLNAは、4月半ばからラマダンと外国の要請を理由にし一方的な停戦を宣言するが、GNAはこれを無視し逆襲攻勢を継続した。5月21日前後の戦闘は地味なものだったがGNA司令部の作戦の集大成だった。トリポリ南東部のLNA右翼突出部を駆逐しないまま、GNAの部隊はGharyanから更に街道を南進しついにMizdahを奪取した。これによりLNAはBani Walidを経由する東回りルートでの連絡線すら脅かされ、トリポリ前面の突出部は完全に破綻した。

 LNAはMizdahの再奪取のために戦力を振り向けねばならず、それは5/22~23日にほぼ成功したが、GNAにとってはまさに計画通りの動きだったろう。入れ替わるように同日中にトリポリ前面でついにGNAの前進が始まり、振り回されたLNAは翌23日に右翼突出部の前線が少しずつ下がり始め、6/4までには大規模な退却開始に追い込まれた。ここに14か月続いたトリポリの戦いは終わりを告げたのである。
20200605

 14か月も市街近域で戦うまでもなくGNAは押し返すことならできただろう。しかしそれは不透明な消耗戦が少し南で続くだけで敵はむしろ戦闘効率を改善して継続できる。実際の14か月の内のかなりの部分はGNAが意図的に伸ばしたものであり、大都市トリポリは囮としてその役割を果たしLNAの主力を不格好な形で釘付けにし分断していた。

 6月初頭、GNAはリビア中央海岸部のSirte及びその南のJufraの奪還を狙う作戦『勝利への道』(Operation Paths to Victory)を開始、ここに戦略的攻勢期へと移行した。
 https://www.aa.com.tr/en/africa/libyan-army-launches-operation-to-retake-sirte-jufra/1867500
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 以上で戦闘推移概略を終える。

考察:長距離迂回して大都市へ突進

【内陸迂回突進案と海岸順次進撃案】

 内陸側迂回及び首都トリポリ突進案の基幹コンセプトは明らかに短期決戦だった。なぜなら不可避の補給リスクを抱えており、このリスクが致命的な影響を及ぼすまでにトリポリを奪取しなけばならなかったからだ。逆に言うと短期で終わらせられるだけの相対的戦力差を有していると情報分析の結果がなったなら司令部が採択するのはありえた。この理屈はもう1つの案である海岸ルートを選んだ場合との相対性で補強される。

 海岸ルートは戦術的に優位をとれる地理条件をLNAは有していた。それでも総合的に見るととても楽な道のりではない。海岸部にはまだまだGNAの都市が残っていたため、リビア最大の人口地帯の各拠点を文字通り片っ端から突破していく必要があり、トリポリへ辿り着くのは最後の最後だ。如何に巧みな戦術を用いても膨大な損失を出し、時間もかかるだろう。そして人口地帯の隅から戦場となり、大量の民間人が必ず被害に遭う。
 対して内陸から迂回して放置し、首都トリポリを一挙に落とせば最短で戦争を終わらせ最小限の損害に抑えられる。「成功すれば」より全体にとって良いのは内陸迂回ルートの方だ。この魅力に恐らくハフタル将軍は抗えなかった。

 即ち、戦術的には有利ではあるが作戦全体では「たとえ勝てたとしても」必ず膨大な損失を出し且つ時間もかかる海岸順次侵攻案と、「もしかしたら」短期決戦で勝利を得ることができるかもしれず、されど短期で終わらなければ補給が破綻する内陸迂回突進案をLNA司令部は天秤にかけることとなったのだ。内陸迂回突進案は効果最大&リスク最大案であり、海岸順次侵攻案は成功期待値最大案と言える。

 注記しておくと、海岸順次侵攻案は将来の変化を充分に計算にいれることができない。不確定要素、特に諸外国の干渉次第で戦局は大きく変わる。長き内戦で両軍戦力の弱体化は、相対的に諸外国の軍事介入の影響度を跳ね上げている。先進国ならば少しの介入で戦局が動かせかねない。海岸順次侵攻案は理論上は成功期待値が高いが、それは攻勢発起時点の条件を基にしており、長期間が過ぎていく中で外国の政治姿勢の変化が起きると考えると不確実だった。そして現実にトルコは時間がたってから協力を拡大しGNAに決定的な貢献をした。
 その意味でも介入する時間を与えない短期決戦志向の内陸突進案はハフタル将軍にとって魅力的だった。

【大都市への長距離位置での突進】

 周辺のより近距離にある敵各拠点を迂回して、自軍の補給集積および兵員供給元の大規模拠点から遠く離れた位置にある敵中核都市へ突進する。これが今回の攻勢作戦の概念となる。それが作戦的に内包する性質を考える。

 各敵拠点をいちいち落としていっては遅くなるし相当量の消耗が避けられないため、迂回して敵重要地点へ突進するというのは珍しいことではない。後方地点を取られた敵の前線各拠点は防衛機能が著しく弱体化する。ただしこれらは後方地点に突進すればそこを奪取できる、という前提がなければならない。なぜなら即時奪取が頓挫した場合、突進部隊は増援と補給物資を遥か後方から送り込まねばならず、恐らく精鋭部隊であろう彼らは酷い戦闘能率のまま半孤立して消耗していくからである。

 だがリビアケースではその狙う敵後方地点が放棄はあり得ない首都であり、外縁での強力な防御陣地や大規模な市街戦など、突進戦力をこの上ないほど消耗させる要素を備えている。さらに首都を防御するため主力が配備されているはずだ。迂回したため敵周辺都市を落としてもおらず、そこにいる敵戦力の拘束もできず、それらは首都への戦闘に駆け付けることができた。防御側は人口地帯で新規兵士の大量雇用をする可能性があり、或いは後方があれば首都へ連なる交通網を使い増援を集め最短で前線へ投入できる。即ち中核都市を迂回突進の目標地点にすると即座奪取の可能性が他よりかなり低くなる。

 従って、敵中核都市への迂回突進を実施するのは、明確に情報的優位に立ち奇襲性を有するか或いは「即座に」倒せる強大な戦力差を有する等の条件が必要である。もしくは即時奪取が失敗しても、その後の数多の不利な要素で迎える消耗戦を勝ち切るだけのリソースを後続に持っている場合だ。これらを満たしていれば敵首都へサンダーランをすることもあり得るだろう。(非対称戦の場合、首都へ突進すると成功しても敵戦力が殲滅されぬまま各所へ散らばり潜伏し、長期的にはゲリラ戦の様相を見せてしまうというケースがあるが、別種の議論のためここでは触れない。)
 
 決断の責任を持つ将官にとって厄介なのは、成功した場合のリターンが絶大であることだ。可能性が低くリスクがあっても成功時の得られるものが大きければその期待値は低くならず、選択候補として存在感を残すことになる。ただ戦力差がそこまでない状況ではあまりに賭けの要素が強すぎる。現代の参謀ならば危険な誘惑には乗らず、犠牲がある程度確実に出るとしてもより成功可能性の高い別案を冷徹に選ぶ姿勢の方が多いだろう。

 率直に言って、ハフタル将軍が攻勢を宣言した後いきなりトリポリへ行こうとしたのを見て驚いた。上述の理屈だけでなく突進が不合理な条件はいくつもあった。だがLNA将校たちがこれらを知らなかったとは思えない。彼らは軍が崩壊する中で何年も戦い続けている経験を持ち、何よりもよく知った自国領土を戦場にしているのだ。なぜこの作戦を選び、そして失敗したのか、考え続ける必要がある。実情はリビアがまた1つになった後に明らかにされるだろう。
 2020年7月現在、リビア内戦はまだ続いている。










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 以上です。ここまで長い文を読んで頂きありがとうございました。
 御見識を少しでも教えて頂きたく、話しの叩き台になれたらと本記事を書きました。考察・別情報等をご存知でしたら何卒よろしくお願い致します。


2020年7月5日 戦史の探求
https://twitter.com/noitarepootra

海岸ルートの戦術的優位性

 LNAの海岸侵攻ルートは時間がはかかるが、戦術的には各都市を落とせる優位性があった。迂回突進案の議論とは独立し、それらの戦術的優位点について追記する。
 作戦全体の性質として、海岸侵攻ルートの目標は敵戦力の撃滅に置かれ、一方で内陸部迂回突進は敵重要地点の占拠に目標が置かれるという差異がある。

 後日追記します。