古代ローマ、この強大な国家には何度か変質をした転換点がありました。その内の1つが前1世紀に起きたガリア戦争及びローマ内乱期です。これらの戦争の中で幾人かの優れた将軍、そして後世で研究されることになる高度な戦術と作戦が記録されることになります。この転換期にユリウス・カエサルは絶大な影響をもたらし歴史上において比類なき人物としてその存在を刻み込みました。
 彼の賛同者は最高の賞賛を与え反対者は最大の批判をし、歴史に興味を抱かない人々の間ですら名を覚えさせてしまうほど、カエサルはあまりにも魅力的人物なのでしょう。軍事面においてもカエサルは単に会戦に勝ったというだけでなく高度かつ複雑な軍事理論を遂行しており、極めて卓越した将なのは間違いありません。

 ただ、あるいは故にと言うべきでしょうが、彼と戦った者達もまた忘れられるべきではない活躍をしています。政治、外交、軍事、文才、コミュニケーション能力…ほぼあらゆる面で圧倒的に優れていたカエサルに対しそれでも戦いを挑んだ人々の存在は何かの意味を残したのだと思います。
 今回はその中のティトゥス・ラビエヌスという人物の戦史を紹介したいと思います。人物の伝記はBlake Tyrrellが記してくれていますので本稿ではテーマとはせず、幾つかの軍事理論の方を主題としその実戦例としてラビエヌスの戦史記録を取り上げることとします。(よって紹介する会戦の時系列を意図的に並べ替えます。)

 かつて副司令官としてカエサルと共に戦い、後にカエサルを相手に戦い、そしてカエサルに会戦で勝利した1人の軍人の記録です。

BCE52_Battle of Lutetia_4
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 ティトゥス・ラビエヌスは護民官になる前の記録は乏しいが、幾つかの戦争に参加して経験を積んでいた。彼はカエサルがガリアでの戦争をするにあたり伴ったレガトゥス(総督代理)であり、他の将官たちと比べても一つ抜きんでた存在でカエサルにとって最も頼りとする軍人であった。Tyrrell (1970)によればカエサルはスペインでの指揮官経験はあったが激しく大規模な戦争での指揮をしたことはまだ十分とは言えず、その初期においては実戦経験豊富な将官たちに頼る面があった。誤情報を送ってくる将校や統制がとれない兵士に悩まされていた時期に、ラビエヌスは明確に優れた働きを見せカエサルの信頼を得ることになる。(別記事詳解)

 ラビエヌスはガリア戦争での副司令官を任せられ、様々な局面でカエサルを助けた。サビス川やアクソナ川での会戦で決定的な役割をラビエヌス指揮下の軍団が果たしたし、カエサルが政治活動のためにイタリアへ一時帰還した際にはガリア派遣軍の完全な指揮権を任された。後期にアントニウスの台頭はあったがそれでもラビエヌスがカエサルにとって最高の副司令官であった。そしてガリア全域で複数の抵抗勢力を倒さねばならなくなるとカエサルの主力軍とは離れて動く別動隊を彼が任されるようになる。それらでの活躍でラビエヌスはその優れた手腕を証明することになる。
 以下には別動隊を率いて行っていた遠征でラビエヌスが示した作戦的判断と会戦での戦術の例として前52年ルテティア戦役を記すこととする。

前52年春季戦役_独立部隊指揮官としての戦争全体への視野

【概要】

 ラビエヌスはパリシイ族への1つの遠征を実施した。彼はルテティア(現パリ)へと到達したが、間もなくしてカエサルがゲルゴウィアの戦いで失敗した(Battle of Gergovia)知らせを聞いた。彼はカムロゲネスという有能な男と対峙しており、彼がするべきことがカエサルの所に向かうことだと理解していると同時に、最初に敵に打撃を与えなくてはその場を離脱することは安全にはできないと理解してもいた。彼はこれを大胆かつ巧みに計画を練った戦でやり遂げ、それから迅速にアゲンディクムへと後退した。
 ハエドゥイ族の反乱は事実上カエサルを彼の副司令官(ラビエヌス)から分断していた。そしてウェルキンゲトリクスはゲルゴウィアでカエサルを打ち破り更にいっそう活動的になったのである。しかし大胆な北へ向けた行軍によってカエサルはラビエヌスと合流し、そして11個軍団を1つにしたのであった。彼の明確な政策は、現在分断された根拠地州(the Province = ガリア・ナルボネンシス)から圧力をかけて基地の安全を再確立することで、再びガリア同盟軍に対し進撃することであった。彼は最も有望なルートから開始した。ウェルキンゲトリクスはとどめの一撃の瞬間が来たと信じていた。彼はそれまでしていた小規模戦の方針を辞めて、カエサルをその途上で迎撃した。だがその決めようとした戦いにローマは勝ち、ウェルキンゲトリクスはアレシアへと後退した。この勝利によって根拠地州との繋がりを再び開き、そしてアレシアへとガリア軍を追ったのである。Dodge, p.270)
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【ルテティア遠征と目標修正_行軍】

 カエサルがゲルゴウィア遠征で南に向かった間にラビエヌスは、最近イタリアから到着した補充部隊を輜重の護りとしてアゲディンクムの基地に残し、4個軍団を率いてルテティア(現パリ)へ向かい北上した。(つまりラビエヌスは強大な独立部隊を率いてカエサル本隊とは全く違う場所で作戦を実施していた。)ルテティアはセクアナ河(現セーヌ河)の中州の上にパリシイ族が造った町である。
5全体BC53_gergoviaへの道_
< 前53~52年のガリア戦争の部隊推移_北へ向かう点線がラビエヌスの独立部隊 米陸軍士官学校 製作>

 敵はラビエヌスの接近を知ると近隣の諸部族から大軍を集め、全体の指揮権をアウレルキ族カムロゲヌスに委ねた。老齢であったにも関わらずカムロゲヌスが総司令官に請われたのは、軍事によく通じていたからである。
 彼は渡りにくい沼地がセクアナ河まで続いていることを把握し、そこで止まってローマ軍の通過を阻止する作戦に出る。

 ラビエヌスは最初はその沼地を土や束柴で埋めて道を造るつもりであった。しかしそれが難しいことが分かるとラビエヌスは策を修正し、隠密に移動しカムロゲネスの側面を獲りに(迂回)マニューバを行おうと決めた。Dodge, pp.271~272)第3夜警時(夜半過ぎ)にひそかに陣営を出て、来た時と同じ道を通ってメティオセドゥム(現ムラン)へ移動した。メティオセドゥムは、先のルテティア同様、セノネス族がセクアナ河の中州に造った町である。この時、町の住民の大部分は戦いのために別の所に集められていた。

 ラビエヌスは約50隻の船を奪うや、それを船橋にして兵士を中洲へ渡し、残っていた住民を奇襲で恐怖に陥れ一戦も交えることなく町を制圧。そして前日敵が破壊した橋を直して全部隊を渡らせ、ルテティアを目指して河を下った。(※川沿いを行軍し船も随伴させた。)
 彼は城市の後部へとカムロゲネスより早く到達した。カムロゲネスはラビエヌスのマニューバをすぐには把握することができなかったのだ。だがその出遅れはそう長いものでは無かった。彼はすぐにローマ軍に続いた。Dodge, pp.271~272)カムロゲネスは逃げて来た者達から事情を知ると沼地を離れセクアナ河に到り、ルテティアの町に火をかけそこに架かる橋も全て壊し、河を挟んでラビエヌス陣営の真向かいに布陣した。
Labienus_Campaign against Parisii_blue
< ルテティア遠征でのラビエヌス軍の行軍ルート 出典:Dodge(着色追加) >

 この時には既にカエサル本隊のゲルゴウィア戦失敗が知れ渡り、ハエドゥイ族の造反やガリアの蜂起についても噂が流れていた。ガリア人の流した話では、カエサルはリゲル(現ロワール河)渡河を阻まれ、食料不足から「属州」へ退却したとのことであった。(※ガリア・ナルボネンシスへカエサルが撤退したという作り話が流れて来た。)
 この噂を受けて、以前もローマに忠実では無かったベッロウァキ族がさっそく叛旗をひるがえす。彼らは兵を集め、公然と戦争の準備を始めた。
 こうした状況の激変にラビエヌスの方も計画を変更する。 彼は極めて適切に思考し、これらの不利な状況下ではパリシイ族を倒し領地占領を試みるのは無駄なことだと考え、基地へと向かって退却しカエサルのために戦力を無傷で保持しておくことが再善であると判断した。片手では反乱を抑えることは不可能だったのだ。Dodge, p.272)

ルテティアの戦い_Battle of Lutetia_陽動と片翼包囲

BCE52_Battle of Lutetia_1

 ベッロウァキ族はガリアの中でも最も武勇の誉れが高い部族であった。一方からそのベッロウァキ族がラビエヌス軍に迫っており、さらにもう一方向には装備を整え訓練を受けたカムロゲヌス軍が待ち構えている。(つまり広域で見ると今にも挟まれそうな戦況であった。)しかも軍団は大河によってアゲディンクム基地の輜重や守備隊から切り離された状態だ。
 だがラビエヌスは優秀な軍人でありそして大胆であった。この突如現れた難局においては、一目散に撤退しようと励むよりも一度目の前に接近した敵を打ちのめすほうがより安全であると彼は大胆に判断した。撤退するのは弱気を伝染させるであろう。彼は配下将校を呼び集め作戦会議を開き、彼らのタスクを徹底的に遂行するよう念入りに命じた。Dodge, p.273)
BCE52_Battle of Lutetia_2

 そしてメティオセドゥム(現ムラン)から曳いてきた船をローマ騎士に与え、彼らに対し21:00頃から静かに河を下り4マイルほど下流で自分を待つよう指示した。
 また、戦闘に最も不向きと思われた5個大隊を野営陣地の守備隊として残し、同軍団の残りの5個大隊※マリウス軍制改革時の1個レギオンは10個コホルスで編成には何隻かの船を随伴させて夜半に大騒音をわざと出しながら共に上流へ向けて進発させた。これはラビエヌスがそちらの道で行軍をして言っていると敵に誤認させる狙いである。(Dodge, p.273)

 それからすぐにラビエヌス自ら3個軍団を率いて発ち下流へ向かい、船団の行先として指示した地点を目指した。(Dodge, p.273)
 下流には敵の偵察兵が川沿いに配置されていたが、彼らは折からの暴風に気を取られてローマ軍にまだ気づいていなかった。そこでこれを奇襲で片付け、その後ただちにラビエヌスの指示通りローマ騎士は全部隊を川向こうへ渡した。
 夜明け前、ローマ軍の動きは矢継ぎ早に敵に伝えられる。ローマ軍陣営で異常な騒音が聞かれた、長蛇の列が川上へ向かっていて、櫂の音もする、少し下流では部隊が船で河を渡っている最中だ、と(敵には思えた)
 カムロゲヌス軍はこうした報告に、ローマ軍が3つの地点に別れて河を渡っており、ハエドゥイ族の寝返りで混乱して逃走を企てているのだと判断し、彼らもすぐさま軍勢を三分した。即ち、1つをローマ軍陣営の真向かいに守備隊として残し、もう1つこちらは小部隊をメティオセドゥムの方へ船団が進んだ地点まで行かせ、残り全軍をラビエヌスの方へ差し向けた。

 明け方、ラビエヌスの全部隊が渡河を果たすと、その視界内に敵の先陣が認められた。
 ラビエヌスは兵士らに対しこれまでの武勇や戦績を讃えると共に、皆を歴戦の勇士に鍛え上げたカエサルが今ここにいるのだと思え、と述べて彼らを激励しそれから戦闘開始の合図を出した。
 第7軍団が占めていた右翼は初戦で敵を撃破、壊走へと追いやった。一方第12軍団が占めていた左翼は飛び道具で相手の前列こそ粉砕したものの、後列の1人もひるむことのない熾烈な抵抗に苦しんだ。敵方は総指揮官のカムロゲヌスが自ら戦場にのぞみ、兵士らを督励していた。

 戦いの帰趨は尚も分からない状況の中、左翼の戦況を伝えられた第7軍団の指揮官が敵の背後に部隊を送りこれを攻撃させたのである。
BCE52_Battle of Lutetia_3

 それでも尚、敵右翼は1人も逃げなかった。それゆえに彼らは最終的に包囲され、全員が殺されてしまったのだ。総指揮官のカムロゲヌスもこの時同じく果てた。
 ラビエヌス陣営の真向かいに残されていた敵守備隊は、戦闘が始まったのを知ると救援に駆け付け丘を占拠したが、ローマ軍の攻撃を支えきれず敗走してきた仲間と混じりあった。こうして森や丘に難を逃れた者以外は、全てローマ軍の騎兵に討たれてしまった。戦いを終えたラビエヌスは、全軍の輜重を置いていたアゲディンクムへ戻り、そこから全部隊を率いてカエサルのもとへ戻った
BCE52_Battle of Lutetia_4

(参考:カエサル,第7巻, 57~62項 及びDodgeの考察 )

カエサルとの合流とガリア主力軍撃退

 カエサルはゲルゴウィアからの途上でロアール川(Liger)を渡った後、ラビエヌスと合流するため明確に行軍を北へ向けた。ラビエヌスもカムロゲヌスを倒してから軍を己が上官の方へ向けて移動させていた。アゲディンクムから南にそう遠くない場所で、総司令官と副司令官は合流することができた。ローマ軍を分断しようとしたガリアの計画は破綻したのである。カエサルは今や11個軍団を有していた。(Dodge, p.276)

 ラビエヌスとの合流を達したことで、カエサルは自軍基地へと可能な限り速く行軍することが必須だと考えた。ハエドゥイ族が間におりは南の根拠地州へは移動できなかった。彼はまず東のリンゴネス族の地へ向かい、それから南へとセクアニ族を目指して移動を始めた。(Dodge, p.277)
6全体BC52_gergoviaからalesiaへ_
< 前52年ガリア戦争終盤_東へ次に南へ行軍し一度の会戦でRoman Provinceとの連絡線を再確立した。その上でアレシアの決戦へ到った。>
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 ウェルキンゲトリクスは集結した第軍勢を率いてローマ軍陣営から約10マイルの地点に3つの陣営を築き、騎兵部隊の隊長らを集めて勝利の時が来たことを告げた。
(中略:ウェルキンゲトリクスの演説)
 翌日、騎兵部隊は3つに別れ、内2つがローマ軍の両側に迫り別の1つが前衛を阻もうとする。これを知ったカエサルはこちらも騎兵部隊を3分して敵に当たらせた。至る所で戦闘が行われた。隊伍は歩をとめ、市長は軍団が囲んだ内に入れられた。ローマ軍に苦戦している所があるとカエサルはそこへ軍団兵を送って戦列を組ませ、敵の追撃を阻み、こうして味方を勇気づけた。
 それから間もなくローマ軍のゲルマニー人騎兵部隊が右手に見える丘の頂を奪い、敵を駆逐した。彼らは、ウェルキンゲトリクスが歩兵部隊と共にいた河岸を目指して逃げる敵を追って、多数を屠った
 これを見た残りの敵が、囲まれるのを恐れて逃げ始めると、方々で殺戮が展開された。
(カエサル,第7巻, 66~67項 )
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 ウェルキンゲトリクスは最後の瞬間に彼の小規模戦システムを捨ててしまったのである。彼のファビアン戦略に反感を持っていた者達の主張によって彼がどのような影響を受けこうせざるを得なかったのか、我々には知る術はない。この方策を追求し続ける限り、彼はカエサル軍と直接対決するよりも良いものであっただろう。戦闘機械は闘うことができなければ成し得るものはほとんどなく、その一方で食っていかねばならないのだ。高練度の軍団を相手に、特にカエサル指揮下のレギオンを相手に開かれた場所で相対することはできないとウェルキンゲトリクスは知るべきであった。それにカエサル麾下でマニューバを行うゲルマニア騎兵はガリア軍の騎兵よりも優越していた。(Dodge, p.281)

 この(ゲルゴウィア敗戦からの)移動においてカエサルは明白にその大いなる能力を示した。ラビエヌスの部隊を合流させた彼の狙いの1つは、その時遮断されている根拠地州との連絡を回復させ、脅威となっている敵をその境界部から駆逐して行き、新たなスタートを切ることであった。彼はその行軍を何にも邪魔されてはならないとようにした。ウェルキンゲトリクスはカエサルにとって都合の悪い瞬間に攻撃をすることができなかったのである。そしてウェルキンゲトリクスと対峙した時、カエサルには守勢で戦うという考えを持ってなどいなかった。即座に彼は鋭い攻勢を行ったのである。(Dodge, p.282)

 ウェルキンゲトリクスがアレシアへ向けて退却した瞬間根拠地州へと続く道がカエサルの前に開かれた。敵と対峙する戦線から自軍基地までの道に神経をすり減らす必要はもう無くなったのだ。今やウェルキンゲトリクスが彼の根拠地州を脅かしている周辺部隊を呼び戻すか、あるいはそこにいる部隊が身を守ることができるという事実をカエサルは活用することができた。彼は自軍基地への行軍をそれ以上続けないことを決め、直接敵軍の方へ向け行軍することにした。そこには自軍の連絡線に関して何の恐怖も存在しなかった(Dodge, p.282)

軍事面の考察

 「この戦役はラビエヌスが卓越した将であることを証明した。彼のマニューバはあらゆる観点から見て素晴らしい。彼の軍歴後半がかつての上官へ抗ったことで曇ったのは悲劇的だ。カエサルのコントロール下において、ラビエヌスは後に彼と対決した時に見せたものよりも遥かに素晴らしい功績を成し遂げたのである。」
 (Dodge, p.274 より抜粋)
 
 Dodgeの言う通り前52年春季戦役でのラビエヌスの指揮はまさに完璧に近かった。ルテティア会戦だけではなく遠征全体およびガリア戦争全体戦況にとって最も良い選択をして成功させたからだ。
 開始時点では戦争全体における彼の独立部隊(4個軍団)の目的はパリシイ族の抵抗鎮圧であり、周辺の町村を制圧したり同盟部族を北に確立すること、そしてパリシイ族野戦軍の壊滅が求められていた。そのために北へ向かい速やかに根拠地のルテティアを狙い、かつその途上で行軍困難で相手が待ち構えている場所を迂回して狙った場所へと到着成功した。
 ここまででも十分見事なのだが、カエサルの本体がゲルゴウィアで敗戦したことで独立部隊の軍事目標を切り替える必要が生まれ、指揮官の手腕は更に価値を増した。「ガリア全域の戦況」を鑑みて最適の「ルテティアcampaignでの目標」を独立した指揮官として判断しなければならなかった。ラビエヌスはその答えがカエサル主力部隊との合流だと短時間で解いてみせた。ウェルキンゲトリクス主力軍が終結したためその撃滅が戦争そのものの決勝点となった。そしてその目標を達する際に成しておくべき戦争全体にとって必要なルテティアでの作戦の終局状態とは、独立部隊戦力を保存したまま基地へ戻ることおよびパリシイ族軍が追って来てウェルキンゲトリクス軍と挟撃になることを避けることである。よって会戦で目前の敵に打撃を与えてから即座に退却することを戦術的目標と定めた。しかも総司令官と連絡が妨害され且つ虚偽情報が流れまわっている中での決断である。
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【全体戦況】
・カエサル本隊の敗走
・根拠地州と連絡途絶、分断
・ウェルキンゲトリクスが小規模戦を辞め主力軍の集結および会戦志向への変更


Campaign 優先目標】 
・パリシイ族の抵抗の鎮圧 →(変更)→ カエサル主力軍との合流
※単一Camapignの目標は全体戦況から必要な目的を鑑みて導出される。よって全体戦況が変化した場合は変更が起こり得る。


【ラビエヌスの作戦で満たすべき終局状態
・独立部隊の戦力保存
・合流時にパリシイ族軍が追って来てウェルキンゲトリクス軍との挟撃が発生する事態の回避


【ルテティア会戦の戦術目標
・至近にいるパリシイ族軍へ打撃を与え追撃を不可能にする
・戦闘後の速やか且つ妨害無き離脱
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 勿論会戦での戦術も素晴らしいものだ。河を挟んだままでは会戦へ持ち込めないので陽動をしかけた上で危険な渡河および対岸展開をやり遂げた。陽動部隊がわざと音をたててその間に別方向へ本命が静かに動かしたやり方はそのまま教科書に載せられるくらいスムーズだ。実際このやり方はフロンティヌスの古代ローマ兵法書にも載せられている。(フロンティヌス, 第2巻, V-30)


 渡河後に戦力が一部分散した敵に対して、背水になっていることから押されてはならないので積極的に攻撃を仕掛け、右翼部隊の突破から片翼包囲へと繋げた。騎兵を隠密に更に外翼へと配置していたことは右翼からの側面及び背面攻撃を最初から計算していたからだ。また追撃もしっかり行われている。パリシイ族野営陣地の駐屯部隊が駆け付けようとしたが逃走する味方の流れに飲み込まれた、という記録は追撃の効果を良く表している。味方へは攻撃ができない(ことが大半である)上に他の味方部隊への士気へ最も深刻な損害を与え連鎖的に崩壊を引き起こし得るため、時に逃走する味方は敵よりも厄介になる。
 ラビエヌスは背水状態になる戦術的リスクを冒していたがやみくもにしたのでは無く、作戦が満たすべき終局状態へ到るためには会戦が必要不可欠だったからだ。戦術的リスクを恐れて踏み込まなければいずれ作戦の根幹的破綻へ到ることを彼は見通していた。これは勘や浅慮のギャンブルと幸運ではあり得ない。戦争全体を広く見た上で勝負すべき時を彼は理解しており、故にその手腕は絶賛に値するのである。

 ラビエヌスは独立部隊を率いるだけの統制ができ、かつカエサル本隊を含んだ全体で何が最適かを考えて会戦をいつどこでするかを決め、その上で優れた戦術を会戦で実行した。彼が卓越した軍人であることは疑いようがない。しかも貴重な独立部隊運用が可能な手腕を有しておりカエサルにとってまさに最高の副司令官であった。
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 本稿の主題ではないため踏み込んだ記述はしないが、カエサルもまたこの種の広い作戦思考ができていたことがゲルゴウィアからアレシアまでの途中経過から見て取れる。
 ラビエヌスとの合流へまっしぐらに動いたこともそうだが、合流後の行軍の狙いに着目する意味がある。その1つが南にある根拠地ガリア・ナルボネンシスとの連絡が遮断されていたのを回復させるためのマニューバでもあるからだ。単にウェルキンゲトリクスとの会戦の場を探し彷徨ったのではなく、会戦に勝利した際にどうなるかその影響が深く計算されていた。アレシア包囲戦はカエサルの広い視野で練られた作戦の最終成果が結集したものなのだ。
 カエサルはほとんどの会戦をいつどこで行うかを主導的に決め、単一ではなく複合的な効果を狙っていた。それは1つの会戦に敗北した後ですら同じであり、故に彼はその人生で複数回会戦に敗北しながらも全ての戦争で勝利したのである。会戦でカエサルに勝った者達は全て直後の会戦で敗北しそしてその作戦全体が致命的に崩壊している。この戦役計画こそがカエサルの最も恐るべき所なのかもしれない。

 また合流直後の会戦も戦術的に見るべきところがある。明確にウェルキンゲトリクスは両翼で騎兵を使い包囲を狙い、それをローマ軍が自慢の耐久力と適切な後列部隊投入で撃退し、最後は右翼騎兵が敵後方の丘を奪ったことで包囲の脅威を見せて敵を壊走させた。対包囲戦術として最もシンプルな1つは包囲してくる敵翼部隊へ相対するように自軍部隊をぶつけることだ。ただし各所が崩れないように適宜後列部隊を投入する必要がある。

 Dodgeの「戦闘機械は闘うことができなければ成し得るものはほとんどなく、その一方で食っていかねばならないのだ。」という考え方には誤解を避けるため補足を加える必要がある。確かに戦闘をその機能とする部隊は戦うことが主眼の1つであるが、衝突をしなくても脅威を示すことで多くのことを成し得る。効果的に脅威を与えることを求めた広域のマニューバもまた戦いの一部であり戦史ではかなりの割合がその争いに当てられている。直接戦闘も間接的脅威もできなければ戦闘機械が成し得るものはほとんどなく、維持費が膨大にかかるだけになってしまう。

サビス川の戦いとアクソナ川の戦い

 上記はあくまでラビエヌス個人の手腕に焦点をあてたものとなっています。
 サビス川の戦いとアクソナ川の戦いはラビエヌスがカエサルと共に会戦に参加しており、幾つかの軍事理論にとって重要な記録が残っています。次回はそれを主眼に記述したいと思います。時系列的にはルテティアより前になります。

 続きます。
次回→【サビス川の戦いとアクソナ川の戦い】












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 以上です。ここまで長い文を読んで頂きありがとうございました。
 本当は次回の軍事要素の説明が主題なのですが、ラビエヌスについて書いていたら長くなり過ぎたため分離します。本来は前文のような箇所なのですがそれでも長い…。それだけ書くべきことが多いのですが、これでもだいぶ省略しています。一応は全4回を予定しています。

 考察や別資料をご存知でしたらどうか教えてください。


参考文献

Theodore Ayrault Dodge, (1892), "Caesar A History Of The Art Of War Among The Romans Down To The End Vol I"
Julius Caesar, Aulus Hirtius, "Commentarii de Bello Gallico",W. A. McDevitte and W. S. Bohn(英語化)
ユリウス・カエサル,"ガリア戦記", 中倉玄喜(訳), (2008)
Sextus Julius Frontinus, "Stratagems", (英語化)

Kate Gilliver, (2014), "Caesar's Gallic Wars 58–50 BC"
Ross Cowan, (2007), "Roman Battle Tactics 109BC–AD313"

Wm. Blake Tyrrell, (1970), "Biography of Titus Labienus, Caesar’s Lieutenant in Gaul"



_【メモ】_________________________________________
Camulogenus = カムロゲヌス
Agendicum = アゲンディクムだが、アゲディンクムが正確。
Aeduan = ハエドゥイ族 = Haedui
Bellovaci = ベロウァッキ
Isara = イゼール川
Sequana = セクアナ

corduroy road = 沼地などを渡る丸太道

the Province = 属州=ガリア・ナルボネンシス