機動防御とは何か、そして陣地防御とどのようにわけるべきなのかという議論は一見簡単に見えて非常に根深い問題を抱えています。

【機動防御を巡る米軍の混乱】
http://warhistory-quest.blog.jp/20-Mar-23
何がモバイルなのか
 それについて前回の記事で簡単にその一部に触れましたが、まだわかりにくかったかもしれません。Walters少佐の論文のp.38に記されているように、このテーマはともすれば衒学的になってしまいがちです。
 それでも本テーマは現代の防御ドクトリンを考える上で重要な価値があると思います。この困難な道を研究する人々の何かの刺激になればと思い、本記事にはこの問題を考える上で参考になる資料の一部を訳せるだけ訳しました。特に1993年にWalters少佐が提出した論文を中心としています。
 目次は下記となります。最初に用語の説明を教範中から抜粋した後で論文試訳を行い、最後にそれらを踏まえた上で幾つかの年代の教範の実際の記述を記すこととします。教範の翻訳はエリア防御とモバイル防御両方の範囲を含みます。もしかしたら論文よりも教範の文章を先に読んだ方がいいかもしれません。

用語解説
・2001年版FM3-90 Tactics 第8章_防御作戦の基礎(MBAとFEBA、Battle positionの定義)
・1954年版FM100-5 Operations 第296項_主逆襲と局地逆襲

論説翻訳
・1964年論考_Infantry_防御マニューバ_歩兵学校の定期誌でのモバイル防御問題の論考
・1973年論考_Militery Review 12月号_柔軟対応ドクトリン
・1994年論文_Mobile Defense : Extending the Doctrinal Continuum_モバイル防御の混乱について新条件を組み込んで解決しようとした論文(本文全翻訳)

教範中のエリア防御とモバイル防御の記述
・1954年版FM100-5 Operations 第9章_防御
・1960年版Landing Party Manual_第10章_防御_陸戦隊の教範中でのモバイル防御とポジション防御
・1993年版FM100-5 Operations 第9章_防御の基本事項
・2015年版FM3-90-1 Offense & Defense _第7章_エリア防御(縦深防御と前方防御)
・2019年版ADP3-90 Offense and Defense_エリア防御とモバイル防御そして後退行動の定義
_____以下、本文____________________________________

基礎用語の説明

2001年版FM3-90 Tactics 第8章_防御作戦の基礎

(略)

【主戦闘エリア_Main Battle Area】

【第8-11項】
 主戦闘エリア(MBA)とは、指揮官が自身の有する戦力の大部分を展開することを意図しそして敵攻撃を負かすための決定的な作戦を実施するエリアである。防御の際に指揮官の得る主要アドバンテージとは、戦闘が行われる場所を通常ならその指揮官自身が選ぶことになる、ということだ。敵突入を吸収したり(こちらが)準備しておいた交戦エリアへ方向限定し、(部分的に)優越する戦闘能力の効果を集中させることによって敵の攻撃を打倒するために、指揮官は隷下戦力を縦深的に相互に支援し合う各ポジションへと配置する。そのポジションの自然な防御力は戦線正面(横)の戦力配分と縦深の戦力配分の両方に直接的に相関している。加えて地形の自然的防御戦力を向上させるために、防御部隊は野戦築城および障害物を用いる。また主戦闘エリアには、防御部隊が敵を負かすか或いは撃滅するための決定的な逆襲の機会を創り出すエリアも含まれている。

【第8-12項】
 MBAはFEBAからから部隊後方境界まで広がっている。指揮官は識別可能な地形的特徴に沿ってその隷下部隊境界を配置し、前方の境を設けることでFLOTを越えてそれらを外へ拡張する。部隊の境は接近経路または重要地域を分断してはならない。戦場インテリジェンス準備(IPB)プロセスの成果とMETT-TCの各要素を用いた分析に基づいて、指揮官は主戦闘エリアを選ぶ。IPBプロセスは使用可能接近経路を敵がどのように使用する可能性が高いのかを明示する。

【戦闘エリア前方端(主陣地帯前縁)_Forward Edge of the Battle Area】

 戦闘域前方端(FEBA)とは、地上戦闘部隊が展開されている一連のエリアの最前限界(援護部隊や遮蔽部隊が作戦行動を執っているエリアを除く)であり、火力支援、戦力配置、各部隊のマニューバなどを調整するために指定される。(JP1-02参照。)米陸軍では防御作戦においてのみFEBAを使用する。FEBAとは境ではなくむしろ指揮官の意図を伝えるものである。それは地上戦闘部隊の多くが展開するそのエリアの最前限界を示し、ただしセキュリティ戦力が作戦行動を執っているエリアを除く。MBAの戦力はセキュリティ担当部隊の後退作戦を捗らせるために、FEBAの前方へ一時的に移動することも可能である。指揮官は隷下部隊の火力支援とマニューバを調整するためにFEBAを指定する。MBAの最も前方の地点を指定する段階線(PL)がFEBAを示す。上級指揮官の計画した防御戦力による直接射撃の効果範囲をFEBAは表している。防御部隊はそのマニューバ計画の中でこのエリアに必ず取り組み、そして必ず調整地点での戦術的計画に関する情報を交換する。(図8-3は現在のFEBAと提案されたFEBAを図示している。)
fig8-3
< 図8-3_12月19日22:45現在のFEBAと提案された12月20日08:30でのFEBA >

【戦闘ポジション_Battle Positions】

 戦闘ポジションとは、敵接近経路の可能性がある所に向けられた防御位置のことである。戦闘ポジションは意図表現グラフィックであり、その防御戦力の大半の場所と全般志向性を表現する。戦闘ポジション(の表現)を指揮官が使うということはその範囲内にある隷下全戦力のポジションを指定するわけではない、なぜならそれは作戦エリア(AO)ではないからだ。(図8-4参照。)
fig8-4
< 図8-4 >
 大隊タスクフォース規模の部隊でも分隊規模の部隊でも戦闘ポジションを使用する。丘の地理的頂上、前方斜面、反斜面、あるいはそれらのエリアの組み合わせた各所を彼らは占拠しておくだろう。地形、敵能力、自軍能力に基づいて各ポジションを選定する。指揮官は己の作戦エリア内にある隷下の全ての部隊あるいは一部の部隊の戦闘ポジションを割り当てすることができる。(図8-5参照)
fig8-5
< 図8-5_点線箇所はまだそこにいるわけでは無いが将来移動してくる可能性のある戦闘ポジション >

(略)

1954年版FM100-5 第296項 逆襲

 【a】一般事項
  逆襲は元のポジションを回復するためにも、逆襲に特に適した地点で敵突入を罠にかけ撃滅するためにも為される。ローカル予備(local reserves)あるいは上級階梯の予備を用いてそれらは発起されるだろう。緊急事態を除き、予備戦力の投入が決定的行動の結果をもたらす時のみ、予備が従事させられる。決定的行動とならないものに予備を使うよりも、敵突入をわざと許しそしてその攻撃の勢いが減耗した後で行われる決定的逆襲のために予備を温存しておく方が良い場合が多くある。その逆襲は一般的には敵主力の投入が判明するまでは発起されない。

 【b】局地逆襲
  局地逆襲は、逆襲の全要素が単一の指揮官の下に置かれるように組織化されている。それらは一般的には重要地域を奪還するために発起され、従って事前に計画し、偵察し、リハーサルをすることができる。発起された場合、あるポジションを奪取した後の敵の一時的な混乱と組織性乱雑化の戦果を拡張するべきである。局地逆襲が実施される時は上位階梯の指揮官へ連絡しておく。局地逆襲は敵の強力な突破に対しては発起されない。そのような状況では、各ローカル予備はその敵突入をブロックしその一方で上位階梯の予備が逆襲を行う。これはそのポジションにおいて縦深に到るまで犠牲になってしまうことを防ぐため、そして大規模な逆襲計画の一部として使われ得るローカル予備戦力の浪費をしないようにするためである。

 【c】主逆襲
  主逆襲を実行するにはかなりの時間が必要とされる。必ず充分な予備を集め、適切な火力支援をあらゆる使用可能機関を用いながら手配しなければならない。集結エリア、行動区域、各目標、攻撃時間は命令の中で明確に指定される。実行可能ならどんな場合でも、逆襲は敵突出部の肩部分または側面に対して発起される。そのような作戦には最終準備の必要時間を最小化するために事前計画が必須だ。逆襲は主な防御手段である場合、その後の使用に備えるために、逆襲をする戦力の急速な離脱ができるようにする必要がある。

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【訳者補足:米軍の古典参考資料】

 米軍は1935~1939年に4名の将校をプロイセン軍事大学(Kriegsakademie)に送り学ばせドイツ軍事ドクトリンを米国に持ち帰った。これは有名なTruppenführung教範を実践化するための軍学校での教育を反映したものである。その中で米軍は局地逆襲という単語を使用していない。あるのはローカル予備と一般予備(general reserve)の運用だけだ。海兵隊が修正発行した1989年版の第64項で記されているのは次の内容である。ローカル予備は戦線の間隙を埋めるため、ローカルな突破に対して逆襲を実施するため、前線の兵員を解除するために使われる。一般予備は側面を護るため、深刻な突破に対して逆襲を実施するため、状況が攻勢的戦術への移行を示したら逆襲をするため、前線の編制を解除するために使われる。

 またW.バルク中将が記した『戦術』(1903年)と『大戦での戦術発展』(1920年)は米軍内で広く読まれ影響を与えたことで知られている。その英語版で局地逆襲と一般逆襲(general couter-attack)の言葉を登場させてはいるが記述は少ない。それでも中将はこの2つが非常に曖昧なことを示唆している。書籍『戦術』の方ではp.463に登場するだけであり、「一般予備が行う逆襲によってその(戦いの)決はもたらされる。セクション予備による局地逆襲もまた推奨される。」と書かれている。『大戦での戦術発展』第1部p.160では「それらが効果的になった場合において、局地逆襲と一般逆襲の違いは時間というただ一点のみである。」と述べてから説明を進めている。「局地逆襲は自動的に(automatically)、即時に作動する。(中略)一般逆襲は計画性ある(systematic)攻撃であり、奇襲ができる状況でない限り徹底的準備砲撃が為される。」「一般逆襲において、準備は明白なる決定が訪れた後でのみできる。(中略)局地逆襲において全ての準備は前もって完了しておかねばならない。」興味深いことに、局地逆襲は少しも遅れては効果的にならないので中間地帯でなく前線にいる師団司令部によってのみ発令されなければならないとも書かれいてる。
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 以上を基礎用語説明とする。以下にはまず論説を載せ、その後に各教範の防御項目を翻訳し載せる。エリア防御とモバイル防御を両方とも載せる。並びは時系列順とする。

モバイル防御に関する論説

1964年_米陸軍歩兵学校の定期誌

【出版元】US Army Infantry School
【書籍名】Infantry : The Professional Magazine For Infantrymen (Defenseive Maneuverの節を抜粋)
【出版年度】1964年

【防御マニューバ】

 戦術について真面目に取り組む学生なら皆、現在の米陸軍ドクトリンに組み込まれている2つの基本マニューバ形態の概念的な理解を深める必要性にすぐに直面する。エリア防御とモバイル防御だ。非常に頻繁にこれらのコンセプトを「差異」という言葉で説明しようという試みがなされ、例えば「エリア防御は領土域志向である一方でモバイル防御へ敵志向だ」といった過度に単純化したフレーズが使われたりする。別の好まれがちな説明は、エリア防御の意図とは領土域を保持することであり一方でモバイル防御の意図とは敵を撃破することである、と仮定することだ。これらの説明によって提起される疑問は明らかだ。例えば「エリア防御では敵の撃破は二次的な重要性であり一方でモバイル防御では領土域は放棄できる、ということを意味するのか?」というものだ。この疑問への答えは「いや、必ずしも正確ではない…。」だ。

 理解するためのより現実的アプローチはおそらく、これら2つのマニューバを運用する根本的な意図を探し求めることだ。AR320-5の定義上の防御エリアとは「敵攻撃から護りそして保持することを、ある部隊に割り当てられたエリア」である。大半の教練用書籍では、防御エリアの代わりに『戦闘エリア(battle area)』を使用しており、このエリアは前方端や側面及び後背範囲境界を指定することで区切られている。この定義の合理的分析はある結論へと到る、防御を行うある部隊は敵の攻撃に対して自身に割り当てられたエリアを護りそして保持しなければならずもしその任務任務達成のためであるならば如何なるマニューバの形態でも採用される、ということだ。従って、これら2つのマニューバの更なる理解をするためのコンセプト議論をするために、1つの確固たる共通基盤が打ち建てられた。

 エリア防御のコンセプトは、その決定的な活動を戦闘エリアの前方端付近に置いている。エリア防御とは縦深を欠いた線的(linear)概念ではないことを暗に意味しておりそれ故に、ここでは「前方端で(at)」ではなく「(戦闘エリア)前方端付近(near)」であることを強調するのが重要だ。その一方でモバイル防御が想定しているのは、その決定的活動を戦闘エリアの内部の幾つかの場所、それは必ずしも前方付近とは限らない場所で行うことである。けれども、その(モバイル防御で行われる一連の)戦いが決定機(決戦フェイズ)まで闘われて到った時、防御側は(地歩を譲るのをやめ)その担当エリアを敵攻撃から護り、保持し続ける。

 これら2つのマニューバの違いを表す1つの言い回しは、強調点または用いられる手法やテクニックの観点であろうとなかろうと、これらのコンセプトと共通意図に照らし合わせると更に有意義になる。数々の違いが説明できる。例として、エリア防御では使用可能手段の配分優先は前方部隊へと向けられ、モバイル防御での優先は予備戦力に向けられる、という一般原則を検討してみよう。それはなぜだろう?コンセプト上の理由とは、エリア防御においてその決定的戦闘は戦闘エリアの前方端でそして前方端付近で計画され、その一方でモバイル防御においてはその決定的戦闘は前方展開戦力が決定的には活動できないような場所で、むしろ前方部隊の行動が(我が方にとって)好ましいとある決定機に貢献できる場所で計画されるからだ。

 ここで提示されたテーゼとはシンプルに、その採択された防御マニューバの形態(エリア防御またはモバイル防御)は防御を実施する戦力の基本的な意図や任務を修正するものではない、ということだ。防御任務の意図のこの理解からの如何なる逸脱も、遅滞行動(そこでは決定機は避けられ敵コントロール下に領土域を譲りわたす行動)のような異なる任務または意図を含んでしまうことによって、問題を単に曇らせているにすぎない。

____p.27_翻訳終了___________________________


1973年Militery Reviewの柔軟対応を求める論考でのエリア/モバイル防御

【書籍名】Military Review (Professional Journal of the United States Army)第53巻第12号 
【論題】Division Defenseive Operations for Nuclear and Nonnuclear Environments (論考よりDoctrine for Flexible Responseの節を抜粋)
【出版年】1973年 12月号
【著者】Michael A. Molino少佐

【柔軟対応のためのドクトリン】

 柔軟対応戦略は核投入想定下での広範なスペクトラムで闘うことを必要とした。陸軍の全ての師団は1950年代の機甲師団と同じように3個旅団司令部制へと再編された。戦力は増強された。機甲師団は8個から11個大隊へと膨らみ、一方で歩兵師団は多くが機械化され5個戦闘グループから10個大隊制へと変わった。現在の米陸軍指揮幕僚大学での指導においては、これらの師団の運用という点では核兵器は戦術的ドクトリンへの影響は小さなものとされているようだ。核が活動的な状況とはルールと言うより除外とされている。
 2タイプの防御は2つのフォームの防御へと置き換えられた。詳細部比較において1960年代と1970年代の防御形態の違いは非常に明確だ。2つの防御フォームとはエリア防御(ポジション防御から置き換わったもの)とモバイル防御(微調整が現在も進行中)だ。モバイル防御とは敵を撃破するために主導権を奪取する攻勢的行動、防御的行動、遅滞行動のコンビネーションとして定義されている。エリア防御では、敵の戦闘エリア突破を防ぐために特定地域の保持を指定された期間行うこと試みられる。エリア防御での予備戦力は敵を立ち退かせる(eject)ために使用され、一方でモバイル防御での予備は敵を撃滅する(destroy)ために使用される。

 適切な防御フォームを定めるため、1950年代と同じ基本要素(任務、敵、領土域、相対的移動力、核、空域戦況)が用いられた。現行の師団用教範(FM61-100 Division)では師団において望ましいとされる防御フォームは指定されていない。けれども一般的には機甲師団の移動力と戦車戦力はモバイル防御に適していると考えられている。現行の師団レベルの教範では上位階梯の予備戦力の規模は、防御フォームを決める際の考慮事項としては言及されていない。だが基本ドクトリン教範であるFM100-5(Operations of Army Forces in the Field)では1つの要素として残り続けており、それはより大規模な部隊用教範であるFM100-15(Larger Units Theater Army-Corps)でもそうだ。

 モバイル防御の現行版において、師団は通常は2個旅団をFEBAに沿って前方に配置し1個旅団を予備として置いておく。セキュリティ部隊の編制と機能は既述のドクトリンと同じだ。前方にいる各旅団には、敵を集めて(予定外であったとしても)少なくとも師団長が可能性として想定していた範囲の敵突入を形成するタスクが与えられる。このように(望む形成に)なる敵対応を引き起こすために、通常は1個旅団が幾つかの所定ラインの前方で敵を遅滞及び封じ込めをするように指示される。もう一つの旅団は通常は防御するよう指示される。その防御を行う旅団には、その旅団及びその隷下各部隊が重要な局地的予備戦力(local reserve)を保持できるだけの充分な戦闘能力を配分される。(師団にとって3つ目の旅団の)予備旅団は戦車の重部隊で4~5個の大隊から構成され、機甲騎兵スコードロンももし他に任務がなければ割り当てられる。その予備旅団は逆襲する準備をするよう指示され、優先は遅滞行動をしている旅団の区域となる。

 再度記すが、逆襲がモバイル防御成功の鍵だ。けれども現行ドクトリンは以前のドクトリンでハイライトされていた散開急速集結(dispersion and rapid massing)の重視をしていないようだ。また先制攻撃とFEBAで停止しない(敵の予備と支援火力を志向する)逆襲についての重視も失われている。現在の攻勢的行動は逆襲(counterattack)でありそれは突入してきた敵を撃滅し、元の態勢を再び取り戻すか又は新たな修正版の態勢にすることを師団に可能とするものだ。方向限定された敵を封じ込めるテクニックとより巨大な逆襲戦力(その封じ込め部隊を通して敵へ攻撃する用)を集結されるテクニックの結果ッとして、モバイル防御をする師団はかなりの敵戦力に対して極めて効果的になるだろう。野戦教範ではモバイル防御は核投入状況下で有利になると述べられている。エリア防御の代替フォームを考えたならばこの記述は正しいようだ。
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 エリア防御において、師団は2つの旅団をFEBAに沿って前方防御エリア(FDA)に展開し、そして1個旅団を予備に置いておく。前衛の各旅団は各々の区域を防御するよう指示される。これらの各旅団にはかなりの局地的予備戦力を保持できるようにするため充分なマニューバ戦力を与えられる。予備旅団は高いモバイル性能を持ち、しかし極めて軽く、一般的に大隊規模の部隊3個かそれ以下で構成される。その予備旅団はそのFEBAを回復するための逆襲に備えるよう指示される。

 ポジション防御におけるのと同じように、エリア防御は敵をFEBAで食い止めるようデザインされている。だがもし敵突入が進展してしまったなら、各階梯の予備がその突入部内にいる敵戦力へ攻撃をしかけ、敵を撃退しそのFEBAを回復させるよう試みる。
 エリア防御は大規模な戦力集中をFEBAに沿って行うことが求められる。核投入状況下での敵攻撃に対して極めて効果的であるにも関わらず、散開の規定は殆ど無く、それ(エリア防御)は核兵器によって容易に打破されてしまうように思われる。実際、教範では核投入環境下ではモバイル防御を採用するのが好ましいことが示唆されている。
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 核投入レベルと防御フォームやタイプの関係性とは何か?これこそが我々の議論の核心であろう。1960年代の野戦教範は戦争の全形態のための指針をもたらすものだと宣言しているが、核投入状況の範囲を扱った理論(1961年5月版FM17-100第2章、1968年9月版FM100-5第6-4項で概要が記されている)は無視されがちのようだ。両参照資料が述べる所によると、核投入行動にはいくつかのレベルがあり核兵器使用無しから無制限投入まである。核使用の上限あるいは無制限状態において、陸上マニューバの効力性は減少させられるか或いは消されてしまい、火力が戦闘能力の支配的存在になるだろう。この極端状況に無いのは、戦闘部隊の効果的マニューバが可能な程度の核投入レベルであり、そしてこのレベルですら多様な核の活動の程度がある。核投入無しの極端状況に近づけば、マニューバが支配的になり火力がサポート的になる。逆に核投入有の極端状況に行けば、火力が支配的になりマニューバはサポート的になる。(※←要検証。疑問有)

 それぞれの核活動レベルに最適の防御のフォームまたはタイプを見つけようという試みにおいて、散開性をもたらす戦術が核投入環境下では最適だと思われた。一方で核投入の無い状況下では最も堅い或いは密な防御形態が最適のように思われた。最も堅い或いは密な防御フォームとは1960年代のエリア防御である。選択に影響を与える他の要素が中立的状態であれば、このタイプの防御は核の使用も脅威も無い環境下ではベストのようだ。
 1960年代のモバイル防御には防御側が核兵器無しで相対的に大規模な敵戦力を封じ込め撃滅するに充分な集結性があったようだ。けれどもこれと同じ特性つまり集結性が故に、防御側は核攻撃に脆弱となった。ターゲット分析プロセスが高速化されそして核兵器発射に必要な準備が削減されていったことで、その脆弱性は増大した。テクノロジーは、核兵器は移動している標的には投入できないものという想定を時代遅れにしつつある。従って現行ドクトリンとは反対に、モバイル防御は核活動レベルが増大するとあまり望ましいものでなくなっていくと思われる。マニューバを制限するほどの核兵器活動レベルにおいてモバイル防御は効果が無いようである。
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 1950年代のポジション防御の散開性は核兵器の投入される戦場でも防御側が生存することを可能とした。だが機甲師団の移動能力と衝撃効果はほとんど活用されておらず、そしてそれ故に、そのように(分散的に)配置された部隊は脆弱で大量集結が可能な敵に打ち倒されてしまうと思われる。核兵器が活発でないかあるいは使われない状況下では、ポジション防御の強化拠点は細部において敗北させられてしまうかもしれない。

 1950年代のモバイル防御は適切な散開性と充分に急速な移動をもたらすものであったのでマニューバが支配的な核環境下ではかなり効果的であった。大規模な打撃戦力を無くして、核攻撃による反撃を行う。(マニューバ戦力による戦力集中をした逆襲を、核兵器の身の予備戦力に置き換える。)そうするとこのタイプの防御は、火力が戦闘能力の優勢的な要素となる戦場において効果的になると思われる。けれどもどんな形状であろうとも、防御側が核兵器を使用できない状況下では、この防御もまた大量集中をした敵戦力によって打ち倒されてしまう。

 1950年代と60年代の各防御は様々な核環境下においてそれらの適用性を(様々な程度で)有していた。核活動の全てのレベルに最高の適合をする防御のフォームやタイプは存在しないようだ。
(以下略:
具体的にエリア防御とモバイル防御をどの距離でどういう部隊規模でするかの修正案を核を想定にしながら提案している。p.24ではその対応可能になったモバイル防御が「柔軟防御 flexible defense」と呼べると主張されている。p.25ではマニューバが制限されていたり戦力集中型の大規模逆襲が過度にリスク(核でまとめて倒される)がある場合なら、その大規模な師団予備の一部を小型部隊にして前方の各旅団へ付属してしまうことが提案されている。
図7_師団区域の柔軟防御_モバイル防御のアジャスト
 これらの核環境下でのアジャスト提案は更にエリア防御とモバイル防御の差異を曖昧にしているように見える。)

____以上、1973年Militery Reviewの記事翻訳終了_______________________________

1994年_モバイル防御の混乱を再定義しようと試みた論文

【論題】Mobile Defense : Extending the Doctrinal Continuum
【承認年度】1994年(製作1993年)
【著者】G.L.Walters少佐(当時)

【第1章:導入】

 1993年版FM100-5『Operations』は防御作戦に2つの公式パターンがあると認識している。即ちエリア防御とモバイル防御である。
 エリア防御とは「防御の各ポジションによってもたらされる静的な枠組みを中心に構築され、連動する火力で敵戦力を撃破しようとするものである。また指揮官は各守備ポジションの間を突入してきた敵部隊に対して局地的逆襲(local counterattacks)を使用する。」
 一方でモバイル防御とは「敵攻撃を負かすために火力とマニューバ、攻勢、守備、遅滞のコンビネーションを用いることによって敵戦力の撃破を指向する。」

 個々に、或いは多様な組み合わせで採択されるこれらの2パターンは、指揮官が取り得る全ての防御手法を説明している。
 モバイル及びエリア防御各パターン全体と各々のコンビネーションが1つの防御的スペクトラムを現している。この連続体は時折、静的(static)なものと動的(dynamic)なものとして誤って表されてしまう。(図1参照)
図1_static & dynamic
 この過度に単純化されたスペクトラムにおけるエリア防御とはその(図の)Staticの末端のことであり、地域を保持するように各守備位置が相互に支援し合うように組み合わせられ、「defend」という言葉の意味を体現したものだ。このスペクトラムのDynamic側の末端がモバイル防御であり、逆襲による敵戦力撃滅に偏ったハイリスク」作戦である。そのエリア防御は一般的にシンプルでよく理解されている。モバイル防御は謎めいておりしばしば論争の原因になってしまう。

 モバイル防御は本論文の研究テーマである。本論文は1993年の指揮幕僚大学課程の最も重要な演習であるPrairie Warriorに刺激を受けている。この演習においてカバゾス将軍が37の戦闘指揮訓練プログラムの先任管轄者としての経験を述べた所によれば、指揮将校学生を含むあらゆる指揮官は少なくとも一度は彼らがモバイル防御と呼んだ作戦を実施してきたという。さらに続けて彼は断言した、現在に至るまでモバイル防御を1度でも実際に実行した指揮官は1人も存在しない、と。

 カバゾス将軍のコメントに刺激を受け、指揮幕僚大学の生徒と戦術教官たちは1週間の演習の間に将軍と幾たびかモバイル防御に関する議論を交わした。既に述べたようにこの問題の核心とは、モバイル防御はしばしば誤解されていることだ。Prairie Warriorで議論した各グループは凡そ、モバイル防御とは静的と動的作戦で分けられた単純な防御形態スペクトラム以上のものであると結論付けた。

 その議論の中で浮かび上がって来たのは、モバイル防御とエリア防御の間の差異とは単なる実施される防御手法を越えたものであり、しかしそこに含まれてもいる。そしてその差異とは第1にその防御を実行可能な手段(特に戦力)、第2に防御作戦の望ましい終局状態(endstate)そのものであった。1つの技術やパターンであるというよりも、心的姿勢(attitude)ではないかという意見もあった。これらの議論に参加した将校のほぼ全員が問題があったことに同意した一方で、その問題の解決にはその演習や教練課程に残された時間では足りておらずもっと必要であった。

 予備調査が示していたのは、モバイル防御を取り巻く混乱の多くはWW2後に米陸軍の辞書に載せられた時からの定義的変化に起因することだ。その変化は朝鮮/ベトナム/冷戦の主要事件を通して、そしてアクティブ・ディフェンスエアランド・バトルのコンセプトを通して行われた米陸軍の防御ドクトリンへの取り組みの結果としてであった。これらの変化の理論的根拠は今や大半が無くなった、もしそれが今も存在していたとしてもである。むしろモバイル防御は、常に理解されているわけでもなく常に良い方向へ変わったわけでも無いが、漸進的かつ進化的な変貌を遂げた。現在のドクトリンは何がモバイル防御を構成するか明確ではあるが、旧来の定義の名残があり、そして現在の議論では未だ解決されていないのである。

 本論文の目的はモバイル防御を確定的な特性を特定することにより明確化し定義することである。次にFM100-5の定義とどのように調和するか、いつ指揮官はモバイル防御を運用するか、そして上述のスペクトラムがもし誤りだとすればどのように且つどんな風にすべきであるかを記す。
(中略:各章に何が書かれているかの要約)

【第2章:モバイル防御の進化】

 本章では(米陸軍にとっての)その始まりであるWW2後から現在までの陸軍ドクトリンのモバイル防御の軌跡を追いかける。この振り返りは重要である。なぜなら「モバイル防御」とは、その意味を巡る議論が存在することから明らかなように、これまでもそして今も定義が不十分だからだ。過去50年に渡り進められてきた各変化がこの議論の中核である。名前は同じあり続けていても、都度新たに発行されてきたFM100-5各々の中でその特性は変化しそして他部分の米軍防御ドクトリンに従って強調してきたのである。これらの変化を追いある時代のドクトリンと次の時代のドクトリンの違いに着目することは、なぜモバイル防御が多様な人々に多様な見方で説明されているのか、そしてなぜ現在の理解が混乱しているのかを把握する上で非常に有益だ。

 この進化のハイライトは(米軍の)モバイル防御がWW2でのドイツ軍の経験から、主として戦力優越的な敵に対して使用される高度に柔軟な防御として生まれたことである。時間と共にそして米国の軍事的成功と共に、(特に欧州でのソ連の脅威に対しての運用を狙いとしたアクティブ・ディフェンスに道を譲るまでは、)それは柔軟性を犠牲にして攻勢的性質を高めていった(その後)アクティブ・ディフェンスは脆弱性があり現代的な戦場の縦深を説明することができないとみなされるようになった。その結果、次のFM100-5でエアランド・バトルに取って代わられたのである。最後にエアランド・バトルに伴う縦深作戦のフレームワークの中で、モバイル防御は当初の概念とは大きく異なるものの陸軍ドクトリンに再び組み込まれたのである。これらの変容を追うことが我々の現在の理解にとって重要なことを改めて述べねばならない。以下がその追跡調査である。
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 WW2後期の連合軍攻勢の成功の真っただ中に書かれた1944年版FM100-5は唯1つの防御パターンだけを述べている。
 「我々の防御ドクトリンは、如何なるコストを払ってでも保持するべき戦闘陣地の組織と、敵前進を遅滞乱雑化させるため及び我が方の戦闘陣地の位置を欺瞞するための掩護(covering)部隊の使用を考えている。」
 この教範は「多数の相互支援防御エリア……各々が全周防御を組織されている」という記述へと続く。その防御に関する解説は現在のFM100-5には見られない要素を含んではいるが、それでもエリア防御の古典的な記述だ。モバイル防御として我々が知るものの構成要素はほとんど言及されいない。予備戦力の作戦は、モバイル防御の萌芽を発見するための最初の場所だが、バラバラに言及されている。「彼らは移動可能性を保持し、上位指揮官のマニューバ計画に従って戦いに参加する準備を為される。」
モバイル防御コンセプトに最も近いのは機甲部隊が「通常は防御陣地を保持するためには運用されない、」むしろ「馬の騎兵と同様に作戦行動する、ただしより多くの予備戦力が逆襲の目的のために最初から留保されている場合を除く。」という記述であった。

 モバイル防御を後に形成することになる可能性のある他の段落を見てみると例えば見つかるのは、上述の戦闘陣地防御の完全な形を回復するために逆襲が必要とされる場合において、敵攻撃を負かすためには局地的逆襲が主要な手段である。そして敵突入がその局地を任されている指揮官の対処許容力を超えた場合、
 「上位階梯指揮官は、彼が自由に投入できる予備を用いて戦闘陣地を回復するために逆襲をするか、またはその戦闘陣地での戦いを継続するか、或いはその後方地帯に準備しておいた陣地へと退くかを決断しなければならない。……実施可能ならばいつでも逆襲は敵突出部の側面に対して発起される。このような作戦には事前の計画が不可欠である。」

 WW2終了時の米陸軍ドクトリンにはエリア防御が内包されておりモバイル防御についてはほとんど言及がなく、そして一般的にWW2中には現在の防御思想に異議を唱えることがほぼ無かったため、その防御ドクトリンの妥当性に満足しているようであった。ケヴィン・ソウター(Kevin Soutor)は『モバイル防御:アメリカの作戦的防御ドクトリンへのドイツの影響 1944-1954』と題する論文を作成しその中で次のように記した。
 「米陸軍はWW2を通して攻勢的な状態に置かれていたおかげで、(アルデンヌでの)成功は防御という観点では自己満足を生み出してしまった。1944年の後は防御ドクトリンは徹底的な冊子を求められなかったのだ。」
 ソウターの論題で提唱されているように彼はドイツ軍の影響、米陸軍外国軍事研究室が明らかにしたような、それが米陸軍のドクトリンにモバイル防御を導入せしめた要因であったかについて論議を行った。

 その影響の源がなんであったにせよ、そしてドイツ軍の影響についてのソウターの結論が説得力のあるものであるにせよ、次の改訂版である1949年版FM100-5の中にはモバイル防御の始まりの明確な証拠が、その名でなかったとしても、存在していた。「如何なるコストを払ってでも保持すべき」単一戦闘陣地防御は防御について記された章の中核ではあり続けていたけれども、それでも尚この教範のの第2章は「広大な戦線での防御」を導入していた。この章は1954年版FM100-5の中でモバイル防御へと進化することになる。

 1949年版の「広大な戦線での防御」の中心的特徴は次の段落に記されているものだ。
・第601段落「部隊に割り当てられたのが通常想定しているよりも遥かに巨大な戦線である所では、その防御は遮蔽的行動の形態を取ることになるだろう……」
・第602段落「主抵抗線に沿った位置に全てまたは大部分の戦力を従事させることが望ましいことは滅多にないだろう。」
・第603段落「そのような状況下で主抵抗線において各部隊が割り当てられた区域は、一般的に戦線全体に渡る相互支援防御の領域を組織することが不可能なほどに広大である。」
・第605段落「各部隊において最大限の数の兵員をモバイル状態に保持しておかれる。」

 広大な戦線と現代のモバイル防御の主な差異は1949年版FM100-5にある「広大な戦線の防御」の箇所中にあり、指揮官は希薄な前方防御に追い込まれ、通常の何倍もの広大な戦線を割り当てられた。指揮官は柔軟性を維持するために大規模な予備戦力を創設し、それを用いることで担当区域での如何なる敵突入も封じ込めるか打ち負かすことを可能とした。それとは違い、現代の指揮官は一般的にある1つの薄い防御を担当区域の一部に設置することを(自ら)選択し、それにより『制御された』敵突入を意図的に許し敵にその側面を曝け出させ逆襲によって圧倒するのである。これらの違いが何であれ、それが結果的に将来どのようなものになろうとも、1949年版ドクトリンの執筆者達は単なるエリア防御コンセプト以上のものが必要になると感じていた。他の軍事研究者もその懸念を共有していたのである。
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 1951年5月、モバイル防御の進化の中で重大な記事がMilitery Reviewに掲載された、それはロバート・ホフマン(Robert J. Hoffman)少佐が記した「モバイル防御」と題する論考である。ホフマンの記事はモバイル防御に関する当時の諸問題を巧く捉えていた。特に彼は欧州シナリオ(フルダ・ギャップ)からの派生に注目し、想像力に富んだ防御コンセプトの必要性を強調していた。連合軍の使用可能な戦力は従来の位置的(領域)防御には不十分となるであろう。(※positional (area) defense)

 ホフマンの始まりの前提には好ましい「次の戦争」シナリオは3つの段階で起きるというものがあった。
【1】戦略的防衛、それに続く【2】全戦線の安定化、そしてそれから【3】1つの決をもたらす攻勢、である。モバイル防御は最初の2つの段階に必須であった。ホフマンによると連合軍は第1段階において2種類の行動を準備する必要があった。即ち「後退移動、及びモバイル防御または広範囲戦線防御」である。これは西側連合軍の「今ある戦力」が数的に劣勢であったために示されたものだ。

 この時期ホフマンはその防御観について孤独ではなかった。かつてホフマンも指導教官であった指揮幕僚大学以外でも同様の提起が投じられた。歩兵学校の司令部より指揮幕僚大学の司令部へと1954年9月付けで立場表明が送られ、それは次の様に始まっている。
 「歩兵において、ある異なる防御コンセプトを求める必要性が存在する。実質的に将来の戦役についてのあらゆる分析が2つの点で一致している。第1に、米国及びその連合国は将来の如何なる戦争であろうと、守勢に立たされることを強いられるであろう。第2に、欧州域にわたり企図されているあらゆる防御線への配置の試みも、ポジション型防御コンセプトを用いるなら不可能であるのだ、なぜならそのようなことを実行するには膨大な数の兵員が必要とされるからである。現状ポジション防御のために十分な兵数は使用可能ではないし、おそらく将来(の戦争)においても初期は使用不可能であろう。現実に使用可能な兵数を用いて、より広大な区域を防御する必要がある。」
 歩兵学校が提案しているものこそがモバイル防御であった。

 ホフマンはモバイル防御の比較的新奇なコンセプトに触れることによって、防御の各種類というのが意味するのは何なのかを正確に説明した。彼がこの記事を書いた時点で凡そ防御には2種類があるとみなされており、一見は現在の米陸軍ドクトリンに記されたものとそれほど違いが無いように思える。彼の言は次のものである。
 「ポジション防御は相互に支援し合う一連の防御強化地点またはエリアで構成される。これらの各防御エリアはそれらの間で支援射撃を相互に交わせるように配置される。……まだ十分な予備戦力が保持できている一方で、カバーしなければならない前線があまりに広すぎて各陣地間で効果的な相互支援が達成できない場合はいつでも、モバイル型の防御が採用されなければならない。これはしばしば広正面防御(wide-front defense)あるいは『defenseive-offensive』と呼ばれる行動である。」

 ホフマンはポジション防御とモバイル防御について書いた。彼の理解上のポジション防御は本質的には現代のエリア防御と同じである。だがホフマンのモバイル防御は、明らかに現代のモバイル防御の先駆者ではあるが、単純に同じというわけではない。本研究論文の主要結論の1つが、ホフマンの定義は現代の定義と異なるだけでなくより優れたものだった、ということである。(『ホフマンの』定義とそれをしたのは彼がモバイル防御の理論的解釈をMilitary Reviewに彼が寄稿した記事中で説明したからにすぎない。彼の定義は当時のFM100-5と合致していた。)ホフマンの定義のより詳しい検証は以下のものである。

 ホフマンのモバイル防御は、我が方の指揮官が直面していたエリア防御のためには不足した自軍戦力で防御を敷かねばならない時の極めて危機的状況に対処するために設計されたものである。(ホフマンが思い描いていたフルダ・ギャップのシナリオは、我々の戦力投射時代であっても未だ存在している。おそらくより小規模でそして欧州以外の戦場の可能性もある。)連結し相互支援を行う各陣地に依拠するエリア防御は戦力集約型であった。ホフマンの論考から生まれたアイディアは、戦線全体に(十分な戦力を)配置できずリスクを取る必要が生まれた場合にどのようにして指揮官は防御するのか、という疑問であった。精錬された一般用語で言えばホフマンの答えは、敵の意思選択』を充分に念頭に入れた柔軟な防御を開発して、理想的状況にならなかったまずい事態に対処するために最も可能性のある防御を準備するというものであった。

 この最も可能性のある防御というのがモバイル防御だった。モバイル防御の設計には、地形上の限定的な数の重要箇所を特定し、それらを強化地点と化し、そして避けられない敵の突入に対処するのに十分な戦力の予備を保持しておくことが含まれる。その敵突入は不可避のものであった、なぜなら存続できるエリア防御をするには戦力が不足していたためその指揮官がモバイル防御を選んだ、というのがホフマンの仮定の1つであったからだ。完全な相互支援をする防御が不可能であったが故に、2つの要因からその指揮官は防御のために前方の地をまばら且つ慎重に選ばなければならなかった。
 第1に、その場所は敵突入のサイズと領域を制限することによって防御の完全状態を保持するための基盤として奉仕し、さらにその後の逆襲のための土台をもたらすのである。
 第2に、前方での防御の規模を厳しく限定することによってのみ、指揮官は広大な前線にわたって現実的な柔軟対応をもたらすために充分に大規模な予備戦力を編成することができたのである。(わりふる戦力を厳しいまでに少なくして、抽出した戦力を予備に集めることでようやく柔軟対応に十分な戦力となった。)またモバイル防御実施の決断は、例えば敵戦力を撃滅する機会を創ろうとする様な、指揮官が意図した時だけでなく、戦況が緊急的事態になった時に引き起こされることもある。

 ホフマンのモバイル防御と現在のドクトリンの主な違いとはデザインの違いなのであると読者はここまで読んで推察したかもしれない。ホフマンの記事で説明されている防御は、敵の可能選択肢があまりに強力である場合は本質的に受動反応的な防御を構築するのが彼にできる最善なのだということを受け入れていた。これは指揮官が、例えば各梯団を分断したり特定の接近経路を阻止したり或いは敵指揮官を欺くことによって、戦場形成ができなかったと言っているわけではない。

 ホフマンが受け入れたこと、そしてそのオリジナルのモバイル防御が許容していたこととは、不利としか言えないような防御の全般状況になる可能性があるということだった。防御を実施する指揮官が必要としていた事とは、敵の握る主導権に対処するための防御の方法論であった。つまり全般的な状況は敵側が極めて有利なものであり、『主導権の明け渡し』などといった意味論について心配するよりも、柔軟な戦術的対応を用意する方が理にかなっていると考えられたのである。

 1951年にモバイル防御を採用している指揮官は、柔軟性に焦点を置いた防御を用いた。例え短時間であろうとも敵の突破侵入に対応しなければならない可能性を受容する準備が為されていた。また、その突入に対し戦場形成作戦を成功させられない可能性があることも理解していた。ホフマンは次のように述べた。
 「通常、モバイル防御の場合はポジション防御よりもより多くの逆襲攻撃を準備しなければならない。なぜならその区域の幅および各防御エリア間の相互支援火力の欠如があって敵は突入のより多くの機会を得ているからだ。如何なる突入にも反撃するために、可能な限り最大限に詳細な計画を準備する必要がある。ただし状況が進展するに応じて調整し適合させるために、あらゆる計画において柔軟性の保持は必須である。」
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 (ドクトリン)進展の追跡を続けると、モバイル防御は1954年版FM100-5において正式に名指しで導入された。陸軍全体での「広大域防御」を巡る議論に端を発し、1954年版FM100-5は1949年版の広域戦線防御からの進化を反映するだけでなく、2つある防御形態の内の2番目のものとしてのモバイル防御というタイトルの中に含まれる幾つかの細かな改定もあった。そのモバイル防御において
 「戦力の大部分は移動可能な打撃戦力として保持され、残る戦力は前方の防御ポジションに配置を続けられる。前方の防御ポジションは複数の抵抗拠点、強化地点、監視所、またはそれらの複数のコンビネーションで構成される。これらの抵抗の独立拠点(islands)及び/又は強化地点は相互に支援し合っている場合もあればしない場合もある。打撃部隊は最も有利な戦術的位置において敵を撃破するための逆襲戦力として従事する。」
 1962年版FM100-5は上述の定義をほとんど変更していない。
 「モバイル防御とは最小限の戦力を前方に展開し、差し迫った攻撃への警戒や攻撃してくる敵戦力をより不利な地形へと方向限定し、妨害し、断続的に削り(harass)乱雑化させる防御手法である。その防御戦力の大部分は決定的時間と場所において敵を撃破するために、強壮なる攻勢的活動へと投入される。一般的に、前方の戦力は遅滞行動の原則を用い、一方で他の戦力は攻勢的戦闘の原則を用いる。」

 モバイル防御は上述の2つの登録によって現代のバージョンの大半の観点がしっかりと取り込まれた。(1962年版教範では『position』防御が『area』防御に置き換えられた。)モバイル防御は『広大なる戦線の防御』から生まれたものであり、1949年版FM100-5の言葉が未だにはっきりと見て取れる。「核不使用の作戦において、モバイル防御は高度に可動性がある戦役および(広大な前線を最小限の戦力でカバーしなければならない)その状況に適用される。」

 この歴史的振り返りによって示された主要論点であるその新たなモバイル防御の1つの側面は、進化する定義の中で形作られた『柔軟性』と『主導権』間のせめぎ合いという未解決の問題だった。
オリジナルとしては柔軟性をもたらすためにデザインされたものであったが、1962年版モバイル防御の定義は現在のFM100-5の捉え方(柔軟性よりも主導権を上位に置く)に向けて変わり始めていた。「敵戦力をより不利な地形へと方向限定し」と言及された時に我が方の指揮官の主導権に更に直接的に取り組むようになったのだ。この文言はホフマン版よりもやや不安定さがマシな戦況を示してはいたが、少なくとも1962年版で「核使用及び未使用の両状況下で、モバイル防御は敵攻撃戦力を撃破し主導権を再獲得するための機会をもたらす」と続けている時には、敵が主導権を握っている可能性があることを認識していた。だがしかし、何が『主導権‐柔軟性』問題なのであろうか?

 オリジナルのモバイル防御コンセプトは自軍指揮官が標準3:1戦力比を超過した状態で戦うことを強いられるという想定に基づいていた。前方に位置取りした防御戦力では敵の主攻箇所を特定してから自軍を再配置するのが困難なので、それに依存をほとんどしない防御(モバイル防御)を準備することによって対処しようとした。(前方に配置するのではなく)代わりにモバイル防御を使用する指揮官は麾下戦力の最大限の量を1つの予備ポジションに配置し、そして各内線で柔軟に動かして敵突入がどこに来ようとも会敵できるようにした。

 柔軟性と主導権の間のせめぎ合いはドクトリンが発展するにつれ現れ、そして複数の逆襲を計画するという観点は打撃戦力コンセプトと『敵突入(の進展形状を我が方の意志で)形成をする』という考えに取って代わられた。端的に言うとそのせめぎ合いが問うているのは、指揮官は多様な可能性のある諸突破行動に対処するため複数の逆襲を準備しておくべきなのか、あるいは1個の計画された敵突動に対して設計された1個の打撃戦力の逆襲を準備しておくべきなのか、である。前者は柔軟ではあったが、後者は主導権をもぎ取ることに焦点を置いていた。前者の問題は敵主攻の決定を待つ際に主導権を犠牲にしていたことであった。後者の問題は敵突入の進展形状を我が方の意志で形成することが確実にはできない様々な防御戦況があるのにそれを認識に入れず、それによって柔軟性が犠牲になっていたことだ。防御側に打撃戦力と予備戦力を編成するのを求めることは、エリア防御をするには戦力が不足していたが故にモバイル防御がしばしば採用されたということを見落としていた。これらの戦力がエリア防御をするには不可であった場合、モバイル防御の中に前方防御、打撃戦力、予備戦力を編成するのもできない可能性があった。この『主導権-柔軟性』問題はモバイル防御の検証全体を通じて繰り返されるものであり、第3章で分析を行う。
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 1954~1962年において、指揮幕僚大学のMilitery Reviewはモバイル防御について多くの記事を載せた。その内の1つが1954年版新FM100-5と同じ時期に刊行され、指揮幕僚大学の教官であったクラレンス・デレウス(DeReus)中佐の「The Defense of Tomorrow?」と題した論考だ。モバイル防御は陸軍ドクトリンの重要教範の中に含まれてはいたとしても、全ての陸軍の専門家に受け入れられたわけではない、とデレウス中佐は指摘する。彼はその記事の冒頭で論争があることを示唆した。「今日の軍事作戦の中で見ることができる更に物議を醸している作戦の内の1つが、モバイル防御の立案と遂行である。」その冒頭の節の後半では「米軍はポジション防御の理想的形態の訓練を長年注力してきたので、多数の将校がこの形態の防御にあまり信頼を表していない。」と述べられている。

 それでも、デレウス中佐の論考はモバイル防御への熱烈な陳謝であった。彼のテーマは巨大で次の世界大戦を見据えており、そこでは米軍は数的に圧倒され敵は核兵器を解き放ってくる。彼はホフマンと1954年版FM100-5と同様にモバイル防御は必須だと記した一方で、指揮官は「強力で高いモバイル性を有する予備戦力で逆襲し敵を撃破する目的のために、かなりの縦深の敵突入を受容する意志を持ってモバイル防御を採用する」場合に限ら無いと述べ、その所掌範囲を広げた。
 しかし指揮官が「彼の全体の任務は防御であり続けていたとしても、自軍各配置の前方で敵が危ういポジションにいる時には敵を打撃する可能性があることに常に注意を払っている」場合にもモバイル防御は採用された。(※現行FM3-90-1のspoiling attackをモバイル防御としている。)

 デレウス中佐の論考が強調したこととは、複雑で流動的(fluid)モバイル防御は多様な見方ができるということである。デレウス中佐がもたらした主な考察は 
1】 モバイル防御はもっとリソース集中的なポジション(エリア)防御を実施することが不可能な戦力の場合に実施され、
2前方の各兵員ポジションの集中をしていないことは敵の大量破壊兵器の効果を薄れさせ、
3】モバイル防御は敵にとって不利な時と場所で敵戦力を撃破することに注力しようという心的姿勢(mental attitude)であった。

 もしデレウス中佐のモバイル防御を『心的姿勢』だとする考えが一見奇妙に感じたならば、1962年Military Review掲載のクリントン・グレンジャー(Clinton Granger)大尉のその防御についての考えは正真正銘の奇異に感じるに違いない。
 グレンジャー大尉は作戦教範の1954年版から1962年版への移行の際に、防御とは「攻勢行動のための戦闘能力が局所的に実行可能に足りていない時に用いられる、攻勢の望ましからぬ代替手段以上の何かである、として捉える価値観に対してドクトリン執筆者達側が暗黙の受理をしたことを発見した。攻勢と防御の間の境界線が現代の戦場の可動性能の増大によって曖昧になっていったとグレンジャー大尉は主張したのだ。これは特にモバイル防御の導入が証拠とされた。分析目的のためなら攻勢と防御について言及するのは合理的であるだろう、ただそれらの「個々の要素」は戦場で起きたものを巧く表現するものではなかった、と彼は指摘した。それよりも戦争はもっと複雑だったのだ。

 むしろ、グレンジャー大尉が述べるところによると、
 「将来の戦場で予想されている可動的コンディションでは、少なくとも限定的期間は遅滞行動の際のように各ポジションを保持する、或いはモバイル防御の際その司令部の他部隊が攻撃をしている期間は拘束実施戦力の作戦は幾つかの部隊が担うタスクとなる。従って現在のドクトリンのように、「防御」または「攻勢」の定義をその司令部内での各部隊のタスクに基づいて行うことは、将来の戦いで起こり得る性質を無視したものなのだ。」

 大規模な司令部はある与えられた時間内に攻勢と防御の多くの要素を実行することを認識して、最終的にグレンジャー大尉はおそらくより有用な言葉は「接敵線の後方または前方への行動」だと主張した。将来の戦争では攻勢と防御が流動的に組み合わせられている、というアイディアは現在の読者にとって斬新なものでなくなるだろう。これらの考えへのグレンジャー大尉のアプローチがモバイル防御の発展と並行していたことを意識するのは、モバイル防御が誤解されている理由を理解するための小さな一歩かもしれない。

 攻勢と防御が一緒に単一の作戦へとブレンドされ、明確に線引きされた戦術的一時停止状態がないという影響は、攻勢と防御を別個にわける明瞭な概念に対して挑戦するものであった。モバイル防御の中にある逆襲の攻勢的性質が原因で、柔軟な防御コンセプトとしてのオリジナルデザインを見失ってしまう人がいるかもしれない。焦点が敵から主導権を奪取するためのそれ(モバイル防御)のリソース集中型能力へと移り、(元の背景である)広大な前線を防御するためのリソース不足型対処能力から離れていった。モバイル防御が次第に更に攻勢的性質を指向するようになったと同時に、防御のアドバンテージを重視する新たな防御コンセプトが出現した。
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 1976年版FM100-5の到来により、モバイル防御の議論が解決する前にアクティブ・ディフェンスが登場しドクトリンの水を濁らせてしまった。その新たな作戦教範は高度な可動性のコンセプトおよび防御の長期的アドバンテージを組み合わせ、新たなその時だけ必要な1つの防御コンセプトを創り出した。それは1つの曲解であった。新たな教範で『モバイル』と『エリア』防御という用語は無くなり、『アクティブ』防御とその5つの基礎事項に置き換えられた。 
・敵への理解
・戦場把握
・クリティカルとなる時間と場所へと集中
・1個の諸兵科連合チームとしての闘い
・守備側のアドバンテージの活用

 1976年版教範におけるこれらの基礎事項の存在と検証は、アクティブ・ディフェンスの批評のためにはあまり踏み込んだものでなかった。基礎事項そのものは健全であった。現在の専門家たちが反対するようなものはなかったであろう。では問題はどこにあったのだろうか。

 ワグナー大佐(Robert E. Wagner)が1980年8月号のMilitary Reviewに寄稿した所によると、
 「私の意見としては、その問題とは、これら(どのように闘うか)の教範が充分に到ってはおらず、異なるドクトリンといくつかの国立学校の思想の間では重要ポイントについて言葉を濁していることだ。」
 この箇所で彼が何を言いたいのか推測する必要はない、彼はその数行後に続けている。
 「それにも関わらず、アクティブ・ディフェンスとは前方に展開され横方向に散開されそれを機能させるための攻勢的マニューバの要を欠いた静的作戦である、と解釈されてしまう危険がある。」
 これがまさに米陸軍将校の頭の中にあった防御とは何なのか、そして今それをどのように記憶しているかを示している。ワグナー大佐によれば、アクティブ・ディフェンスが何であれ様々な解釈の余地があるものだった。

 アクティブ・ディフェンスという概念は、もしかしたらワグナー大佐は意図的に言及を避けたのかもしれないが、米軍及び同盟諸国軍が圧倒的な数的不利でしかも前方での防衛をしなければならないという欧州のシナリオに対して高度に科学的(計算的)な対処であったということだ。それが科学的であったと言うのは、自軍と敵の兵器性能に関する厳密な情報に基づいて、現地戦力の比率と殺傷確率(PK)の統計を大きく重視していたからである。
 
 アクティブ・ディフェンスを更によく理解するために、そしてなぜモバイル防御が消えたのかに繋がるために、どのようにアクティブ・ディフェンスが構成されていたのか及びどのようにその5つの基礎事項がソ連の脅威への対策として組み込まれていたのかを検証することが役立つであろう。これはモバイル防御及びアクティブ・ディフェンスの動機となったのがソ連の脅威であったからだ。

 上述のようにアクティブ・ディフェンスの最初の2つの基礎事項は、敵を理解する事及び戦場を把握することであった。これらの2つの要件は、遥かに大規模な敵戦力に相対しそして前方防御をしなければならないという状況の中で、クリティカルな時間と場所に集中しすること(第3基礎事項)と防御側アドバンテージ活用(第5基礎事項)と相まって、アクティブ・ディフェンスの全体コンセプトに形を与えるものであった。第4事項である諸兵科連合チームとしての闘いは、ターゲット『検知』の技術的観点を巧妙に扱うものだった。

 もう少し書くとアクティブ・ディフェンスの考えは、戦術~戦略レベル全てで集めた敵作戦に関する知識と積極的諜報システムを通じて(基礎事項1、2)、最初に敵の戦闘編制と攻撃箇所を見定めることだった。指揮官は戦力をシフトさせて適切な戦力比(基礎事項3)を作らねばならなかったので、どこからどのように敵が来るかを知るのは致命的に重要であった。それは厳しい数的な状況と順次的ターゲット『検知』の両方、即ち敵の様々な編制や梯団区分を正確に把握するためであった(基礎事項4)。最後に、敵が到着する前に隠掩蔽した迎撃陣地のアドバンテージを得ておくことが重要だった(基礎事項5)。

 指揮官は(敵が)どこで、どれほどの量で、どんな編制であるかを知ったら(理論的に)適当な数と混成の戦力を各内線に沿って迅速にシフトさせ、局所的には最小1:3の戦力比を達成し、優位なポジションで敵攻撃を待ち受けることができる。『正確性(Precision)』はアクティブ・ディフェンスの標語であった。適切な全体戦力比を持つことができず、領土を捧げ時間を得るやり方が拒否されており、それでもワルシャワ条約機構の途方もない数的優位に対抗するためアクティブ・ディフェンスは科学的解決策に助けを求めたのだ。
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 エリア防御は相互に支援をし合う各ポジションと連動した火力投射を備え、欧州防衛で求められるものに近かったのだが、必要とされる極めて高度な戦力の節約を実施するための柔軟性を欠いていた。指揮官が正確な時間に、迅速に、劇的なほどにその保有戦力をシフトさせることについてそれは扱っていなかったのだ。側面での節約を求めるアクティブ・ディフェンスは、「相互に支援し合う各ポジション」というエリア防御の定義とシンプルに一致させることができなかった。

 一方で、敵の側面を晒させ逆襲することを重視しているモバイル防御は、前方の地域(ドイツ国境地帯)を適切に維持することができなかった。更に重要なことにモバイル防御は、第5基礎事項である守備側アドバンテージの獲得(それは適切な戦力比の達成と成功そのものにとって極めて重要な要素)について適切に注視することができていなかった。

 ワグナー大佐はアクティブ・ディフェンスは静的であると(狭い)解釈をされてしまう可能性あると話した。なぜならそれは厳格に前方地帯を保持するようにデザインされており、そしてどんな移動が発生するにせよ最初の弾が発射される前に移動しておくのが理想とされていたからだ。ワグナー大佐は次の様に述べた。「読者はその事例と検証の中で、アクティブ・ディフェンスへの弁護ではなくすぐに私のした批判を見て取ることになるだろう。」

 彼の論考の中の事例は『トラップ・プレイ』だ。この例の中で彼は自然地形のアドバンテージを片翼での戦力節約作戦へと結びつけて考えた。この戦力を最初は航空機で増強し翼包囲を防ぎ、それによって敵に自軍区域内の他の側面で最も可能性の高い接近路を使うように仕向けた。彼はそのエリアを軽く防御し自軍戦力には遅滞をしながら増強されたブロック用ポジションまで後退させることによって、その敵の移行とする方向の流れを更に偏らせた。遅滞作戦によって、ワグナー大佐の言う予備戦力の逆襲をするための、突破してきた敵部隊の側面が曝け出させることを可能とした。この防御パターンはなじみ深いものであるように思えた。それは現代のモバイル防御の古典的な説明であったのだ。

 ワグナー大佐は確かにアクティブ・ディフェンスにおける『active』を強調しはしたが、彼はあくまで説明的に記述したのであり、特段アクティブ・ディフェンスのコンセプトを心にとめているわけではなかった。ドクトリン執筆者たちはそれらのコンセプトを理解し、あらゆる場面でアクティブ・ディフェンスを機能させられるように注意深く言葉を選んでいたのだが、彼らはそれに成功してはいなかった。アクティブ・ディフェンスは防御スペクトラムを非常に特殊な種類の防御へと置き換えた。1976年版FM100-5はそれ以外種類の防御を考慮しておらず、『ドクトリン』はあらゆる理論と可能な全ての戦術およびテクニックと手順の歯車を、単一のものへと縮小した。それは「フルダ・ギャップ」問題へ対処するための最悪のケースのコンセプトであった。

 圧倒的な数的優位を持つ敵を相手に自軍の地域保持をするのは単純に無茶な仕事だった。アクティブ・ディフェンスが生まれたのはフルダ・ギャップのシナリオからでありそこに焦点をあくまで置いていたにも関わらず、それは旧い防御スペクトラムを同時かつ全体を飲み込もうと試みた。かつて1つの防御スペクトラムであったものを単一コンセプトへと置き換える試みの中で、アクティブ・ディフェンスは『モバイル・エリア・ディフェンス』になった。なぜならこれは指揮官が(敵突破口で)局地的エリア防御を実施するために充分な戦力比を達するために戦力の適時融通を行ったからだ。それは砂上の楼閣であった。

 ワグナー大佐のような指揮官たちはFM100-5に明瞭さが欠如していることに不満を感じていた。欧州の情勢用に5つの基礎事項をまとめた時、それらはある種の狭義の意味(欧州シナリオ)を成したが、今やそのコンセプトは脆弱性を抱えていると現代の指揮官には思えている。一致させられなかったのは、アクティブ・ディフェンスの全てを包含する言葉をどのように採用するかとどのように全ての起こり得るシナリオでの全ての状況に対し適用するかであった。そこには如何なるスペクトラムも無く、完全に対になるの防御基軸も無く、様々な範囲へ対処する異なる防御作戦も無く、ある防御を実施するための可能な全ての方策を考えたり判断するための基準が無かった。そこにあったのは、目の前の状況を踏まえて改めて作り上げる必要がある(そのままでは使えない曖昧な)単一の防御コンセプトであり、そして全て説明するには欧州シナリオがなければならないものだった。さしあたってのソ連脅威の緊迫は旧い防御スペクトラムを駆逐してしまい、そこにはモバイル防御も含まれていたのだ。

 アクティブ・ディフェンスはモバイル防御と同様に、ソ連の脅威に対処するための試みとして生まれた。ソ連の脅威は巨大なる戦力的優越だけでなく、複数の梯団化戦力もあった。梯団化戦力は前方梯団の戦果を後方梯団がマニューバを行い拡張することができるようにしていた。モバイル防御とは違い、アクティブ・ディフェンスは領土を譲り渡すこと無しにソ連の巨大な優越戦力を倒すよう設計された。米軍とその連合国軍は西欧の東端境界に沿って相互に支援し合う各陣地を置くのになら足りる防御戦力を保有していたが、ソ連の複数梯団の攻撃に耐えるには充分ではなかった。我々が知っているように、ソ連はどんな(防御線の)亀裂だろうと強大な戦力を通らせて我々の後方地帯に大混乱をもたらすことができるだけの装備を有していた。

 アクティブ・ディフェンスはその計算内で敵の梯団化戦力を考慮に入れてはいたが、それらの後続梯団へ影響を与えるようなものはほとんど無く、その結果アクティブ・ディフェンスは脆弱となった。ソ連にとっては敵妨害干渉が無かったので、初期の成功戦果を拡張する完全な自由を得られ、あるいは望むなら、後続戦力を多かれ少なかれ好きなだけ転用して充分な防御が為されていない地域へ投入できた。アクティブ・ディフェンスの脆弱点はすぐに認識されるようになり、次のFM100-5改定版で代えられた。
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 エアランド・バトルとして知られるようになる1982年版FM100-5が対処したのは、アクティブ・ディフェンスの脆弱点、敵に対する主導権の急速な喪失であった。このよく知られたコンセプトにはそこまで多くの時間は必要なかった。アクティブ・ディフェンスと同様にエアランド・バトルは欧州シナリオから凝結されたものだが、アクティブ・ディフェンスとは異なりフルダ・ギャップが無くても妥当なコンセプトだと言えた。アクティブ・ディフェンスの各基本事項と、エアランド・バトルの信条の内の2つである協働性敏捷性の間には強い関連性を感じることができる。それらは直接的に連なるものだった。だがエアランド・バトルの他の2つの信条である主導権縦深性はかつてアクティブ・ディフェンスで答えられなかった問題の核心へ真っすぐ踏み込んだものであり、究極的にはモバイル防御の役割に影響を与えたのだ。

 1982年版教範でアクティブ・ディフェンスは消えたが、エリア防御とモバイル防御が完全に復活したというわけではなかった。代わりに新ドクトリンの著者たちはかつてのスペクトラムの本質を取り戻して、より概念的な用語である『静的』と『動的』を選んだ。けれども防御作戦がそれに沿って動き、容易さと速度を示したいようでもあった。(図2)
図2_static and dynamic

 更に質的な違いもあった。1982年版において防御とはテクニックであると称され、「旅団、大隊、中隊に適用される」と述べられていた。さらに実施し得る防御の説明において、図2に示されるスペクトラム以上の言葉はほとんどなく、それはモバイル防御であるようにも聞こえるものであった。ただし逆襲の必要性及び流動的戦場で闘う準備の必要性に関する間接的な議論がいくらかあった。1982年版FM100-5ではモバイル防御に関しては1968年版と1976年版の中間のポジションを取っていた。現代の戦場の縦深性と可動性が増大し続けていることに如何に対処するかに関して防御側観点では概念的な進歩はあったが、モバイル防御そのものはエアランド・バトルのコンセプトによって遅れて小さく見えた。エアランド・バトルは縦深戦闘及び精密なタイミングを重視していた。そのゴールは一度に1つの梯団と闘うことであり、敵指揮官が後続戦力を用いてその戦闘に影響を及ぼすのを防止することであった。
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 18年の隠遁を経て、1986年版FM100-5においてモバイル防御とエリア防御は正式に復活した。1986年版においてモバイル防御は次のように運用された。
 「(モバイル防御の運用は)敵攻撃を負かすための攻勢と防御と遅滞行動のコンビネーションだ。それらの正確なデザインは状況ごとに異なり、そしてどの場合でも詳細に説明されなければならない。モバイル防御を実施する指揮官は、比較的小規模な戦力を前方に展開し、そして敵が防御エリアに侵入してきたら火力と障害物によって支援を受けているマニューバを用いて攻撃してくる敵から主導権をもぎ取る。」

 1986年版の定義は「攻撃してくる敵からイニシアチブを奪取する」ことを除き、ホフマンの定義からそれほどかけ離れたものではなかった。しかしかつてはその除外点故に、そして計画外または敵の奇襲での突入に関する検討が無かったが故に、主導権‐柔軟性のせめぎ合いは1986年版でもいまだ未解決のまま残り続けていた。計画図の例(図3)はモバイル防御のかなり好都合にいった場合の姿だ。その防御では、区域の一部で素早く保持し、別区域では遅滞行動を実施し敵が側面をさらけ出すに充分な領土を譲り、そして逆襲を実施した。
図3_mobile defense_1986

 この1986年版の例をもって我々はモバイル防御の米陸軍ドクトリンへの導入期から現代までの追跡を完了し、モバイル防御の現在の捉え方と実践と共に次の章へと進む準備ができた。これまでの所、モバイル防御は急場しのぎの手法から時間の獲得や決定的敵戦力撃破メカニズムまでの色々な範囲で揺れ動いてきたコンセプトであった。米陸軍ドクトリン上の防御コンセプトは今まで進歩してきた。それは主にアクティブ・ディフェンスに入れられたり外されたりし、そして戦場の縦深に関する問題への洗練された対応によって計られ、ついにエアランド・バトルで具体化されたのだ。それにも関わらず巨大なるソ連陸軍の圧力の下で、その同じ陸軍ドクトリンはオリジナルのモバイル防御コンセプトから遥か遠くに進んでいった。欧州でのソ連の脅威に対抗できるだけの能力のある選択肢の範囲を考慮して、防御スペクトラムは時間の経過と共に圧縮されていった。そうすることで『柔軟性のある』モバイル防御方式がその連続体から切り離され、それに伴って特に展開の初期段階では酷く数的不利だとわかっている戦力投射軍にとって、モバイル防御の幾つかの潜在的に有用な諸『タイプ』も切り離された。この以前の『柔軟性ある』バージョンの痕跡はモバイル防御の議論の中に非公式に残っており、今なお論争となり得ること、そして誤解されていることを証明している。

【第3章:現在のモバイル防御のドクトリンと実践】

 第3章にはモバイル防御のコンセプトを厳密なドクトリン上の位置づけの記述を含み、だがそれに限定されることなく最新の状態について話を進める。言い換えると、現在モバイル防御が現実的にどう使用され議論されているのか、である。陸軍戦術センターの「モバイル防御白書」の草案(1993年10月時版)を簡単に検証し、過去2年間のBCTP最終演習レビューを振り返ることによって行う。

 CTACの「白書」によって提示されたモバイル防御の定義は1993年版FM100-5からそのまま引用されたものだ。新しい作戦教範の重要な点は1つの例外を除いて白書の中の検証で言及されていた。例外とは、現在のモバイル防御には敵の可動性と「同等またはそれより上」ではなく、「それより上」の可動性を要求されるようになったことだ。この問題は『相対的可動性』と題せられた下記の節で扱われた。

 白書の実施要領はなぜそれが必要かについての説明で始まる。次のように述べられている。
 「エリア防御とモバイル防御の違いについてはかなりの混乱があった。これはエリア防御において敵に反応して実施されたマニューバの際に特に顕著だった。」
 研究グループワークから2つの重大な発見があった。
 「最初の問題は米軍の軍団、師団、旅団の作戦教範全体にわたって明瞭さが欠けており、考察が充分なされていないことだ。幾つかの小規模階梯の教範ではドクトリンに反する用語を使っていたり単純に間違えていた。2つ目の問題はモバイル防御とエリア防御の特性に関する不十分な教育である。その結果、現場の多くの立案担当者がその2つの防御形式の違いを識別できていない。彼らはマニューバを伴う防御なら何でもモバイル防御として誤って分類しがちなのだ。」

 白書が混乱を『現場の立案者』に限定した理由ははっきりしないが、その中核の検証は重要なものだった。指揮官グループにモバイル防御を説明するよう尋ねてみると、尋ねた指揮官の数だけ(各々違う解釈の)答えが返ってくる。
 実施要領に続いて、その「白書」はモバイル防御を説明している野戦教範の必須マニューバの調査から始められた。「白書」はこの教範が上述のように一貫性が無くドクトリンに反していたり誤っているものがあることを発見した。この発見はどうやら完全にあっていたようだ。ただし、本研究論文は出版物レビューに関するものの中でFM100-5に限定しておく。

 研究グループが現行のFM100-5の中で唯一現実的な異議を唱えたのが「1個の大規模な、モバイルの予備として(特徴づけられている)の打撃戦力」であった。研究グループは打撃戦力を予備と呼ぶのに反対した、なぜなら「モバイル防御の成功は打撃戦力の運用の成功に依拠している」からであり、それ故に予備戦力が関与していたのだ。その考え方とは、単純に打撃戦力は(モバイル防御内の特定の活動に)関与約束済みであり従ってそれは予備になり得ない、というものだ。後述するCTACの例では、打撃戦力と独立し関与約束が為されていない予備戦力の両方が用意されている。予備と打撃戦力は次章の「リスク管理」の基準の中でもっと検証を行う。
 研究グループはさらにFM101-5-1(作戦用語マニュアル)の予備の定義に次の一文を加えることを提言した。「その主要な目的は柔軟性をもたらすことと、攻勢的行動を通して主導権を保持することである。」
ここでは柔軟性がキーワードであり、この問題も次章の「柔軟性」の基準の中で説明する。
 かつてマニューバ防御が実施された全般的状況の内の一部は、「エリア防御を充分に機能させるには自軍戦力が不足した」ので指揮官はマニューバ防御に「頼った」状況だったのである、と白書の「マニューバ」という節の中で述べられている。興味深いことに白書が発見したこれは、定義から次第に消えていったモバイル防御の構成要素である。これはどのように「戦力撃破への志向」と一致するのだろうか?次節で「柔軟性」の基準の中でその問題を詳しく検討する。
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 本研究論文に関連する白書内の最後の重要な箇所は次のものだ。
 「防御側はその戦闘能力の大部分を打撃戦力へと置いておかねばならないため、リスクを受け入れることはモバイル防御におけるクリティカルな観点である。……リスクは2要素ある。1つ目が、静的な部隊または防御中の部隊は単独で任務を達成するには戦力不足である。従って、モバイル防御の成功は打撃戦力の投入成功に依拠している。2つ目は、敵が誘引されない可能性または防御側指揮官が意図した場所へ動いてきてくれない可能性があり、そうして打撃戦力の投入が不可能になってしまうということだ。(重要)」

 残念ながら、掲載されたCTACの例は非常に都合よくいった場合のものであったため、モバイル防御が内包するリスクを表現していない。けれども下記図4の要約で見られるように、CTACの例は指揮官が打撃戦力、大規模な予備、またはモバイルの予備戦力にどれだけの戦力をさけるかを表現している。全てが図内に描かれているわけではないが、我が方の軍団は4個師団の敵戦力に対面している。CTACの例内のこの戦力比率が防御側にとってかなり好ましいということは、モバイル防御が戦力志向の防御から戦力破壊志向の防御へと変貌したことを示すもう1つの小さな証拠である。
図4_1993年白書内のモバイル防御
(※敵は二重線のシンボル)
 図4の左側の計画図は初期配置を示している。注記しておくと、1個マニューバ旅団だけがこの軍団の前方防御に従事している。図左上の機甲旅団のこと。右上の機甲騎兵偵察連隊は前方防御ではなく警戒が任務。)
図の西側(左)で一部を欠く師団(機械化歩兵)がその旅団の背後にいて敵を止め、やがて『鉄床』を形成し、逆襲の『ハンマー』のために貢献する。機甲騎兵連隊(ACR)は活動が制限される地形と連携することで、東側の防衛で戦力の節約を実行している。「真の」予備戦力の1個旅団は軍団エリア後部の西側に居り、後部の東側には2個の重装備の師団による打撃戦力部隊が配置されている。
 右枠の計画図はモバイル防御が展開されたものを示しており、前方で防御する旅団は遅滞を実施し敵戦力を引き込んでいる。機甲騎兵連隊は図に示されているように(敵を東に来ないよう)西に拘置し、敵の露出した側面へと打撃戦力を通らせる。それは古典的なモバイル防御であり、上位の指揮官が敵戦力を迅速に撃破するように我が方の軍団に指示したのでこの状況で闘うこととなった。ここの戦力はエリア防御には充分すぎるほどあるのだが、モバイル防御の実施を求められたのは速度のためであり、そして敵戦力がその陣地で『跳ね返って』他の場所に影響を与えて軍司令官の計画を阻害しないように(自部隊の所に誘引し撃滅)するためであった。それは戦力破壊を指向した作戦である。

 CTACの例はモバイル防御の実施可能なうちで最も理想的なものだ。モバイル防御に内在する前提事項の1つは、ただ米軍が攻撃可能な敵を相手取る場合だけではなく、積極的に攻撃してくる敵と対峙した時に最も効果的に機能するということだ。我々の考える例(上図)において、仮想敵国の戦力は積極的に突破侵入をしてきてくれるだけでなく、それをたった戦力比4:3でしてくれている。
 現在までの米軍の戦史の中にはCTACの例のような理想的なものと比べられる事例はほとんどない。ほぼ間違いなく米軍の指揮官にはそんな闘いをした経験がある者はいないので、戦争の際のモバイル防御のドクトリン的なやり方での実施について検証するのは不可能だろう。けれども、BCTPウォーファイター演習(WFX)での師団と旅団のモバイル防御のシミュレーションを我々は最近経験した。では少しモバイル防御を含む近年の演習を見てみよう。
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 1992年~1993年にかけて実施されたWFXの内で15件を調査した。含まれていない6件は主に分類上の理由から省いた。考慮されることになった15件の演習の内、3件の演習で「モバイル防御」の用語が明示的に使用され、4番目の演習では指揮官がモバイル防御を意図していたことは明らかだった。(4件の内の)ある演習では1個機甲師団が行い、他の2件では機械化歩兵師団が行い、別の1件では1個軍団が行った
 その重装備師団の3件(の演習)では全てのケースで次のように計画した。2個のマニューバ旅団が前方での防御を担い、師団予備として指定された3番目のマニューバ旅団を持って計画された師団交戦エリア内への逆襲を行うと立案されていた。4番目の旅団は航空戦力であり、全てのケースにおいて縦深作戦を実施するよう計画されていた。ある師団(の演習)ではその師団区域の中央で(敵の)突入の形成を行い、他の2件の師団(の演習)は翼側で突入の形成を行うよう指示された。(4件目の演習の)軍団のモバイル防御計画では軍団『逆襲』が打撃する突入箇所を形成するよう1個師団に求めていた。軍団の逆襲の内の1つは地上戦力の予備として置かれたマニューバ旅団が実施し、もう一つの逆襲は航空旅団からのものだった。

 4件の演習において、防御が事前の計画通りに進んで闘われたことや現行ドクトリン通りのモバイル防御で闘われたことなど1件たりとも無かった。これはモバイル防御の構成要素である「柔軟性」と密接な関連性がある。師団規模で防御実施した2件において、防御側事前計画で予定していた敵が突入してくる地点(そこに予備投入予定していた)とは違った場所に敵は進撃した。3番目の演習では、遅滞行動をしていた旅団は激しい圧力を受け、逆襲のための鉄床を形成するどころかついには予備旅団へ通り抜けられてしまった。軍団演習においては、敵戦力が弱体すぎてそもそも主戦闘エリアを獲得することができなかった。4つの作戦の内3件で、我が方の指揮官は敵突入に対し形成を行ったり制御することができなかったのだ。現行の定義で戦闘を遂行したドクトリン的モバイル防御は無かったということではあるが、全ての防御は辛うじて成功し(ここでの成功の定義は当座の任務を達成したということ)、ただし続く更なる作戦をするには不十分な状態で作戦終局しており、いくらかの再建を必要としていた。

 上述4件の演習は個々で見るとモバイル防御の統計的に有意義ではないサンプリングだ。けれども実際の所、それらは米陸軍の主要大規模部隊訓練プログラムでのモバイル防御に関するここ2年に渡って行われた全てを事実上表している。これら4例を用いてモバイル防御についての包括的結論を引き出すのは不可能ではあるが、分析しモバイル防御に関してどのように陸軍思想を描写するかという目的のために用いるのなら可能である。

【第4章:現在のモバイル防御の分析】

 本章では6つの基準を用いながらモバイル防御の分析を行う。
【1】相対的可動性
【2】リスク管理
【3】準備
【4】セキュリティ
【5】妨害乱調化
【6】柔軟性
 驚くことではないが、この検証は前の3つの章で繰り返し示唆されたように上述の基準の6つ目の『柔軟性』を中心に展開することが判明した。他の基準は副次的なものだ。以下に記す検証において他に指定がない限りは師団規模のモバイル防御を想定したものとする。

相対的可動性
 1993年版FM100-5によれば「モバイル防御は攻撃側(=敵)を上回る可動性を必要とする。」という。これは1986年版FM100-5からの変更点であり、旧版では単に同等の可動性を求めていた。もしそれの執筆者たちが『可動性』という言葉によって複雑な各要素一式(それら全てが可動性を定めるためには考慮する必要があるもの)を言い表した場合、それなら問題は何も起きないしこのサブパラグラフの残りの部分は無意味になるだろう。けれども執筆者達が、複数の部隊を動かすことができる相対的な「地上での速度」について言及しているのならば、両教範は要求事項を大げさに述べているのだ。防御作戦のフル・ディメンションにおいては、狭義の意味での可動性は重要な考慮事項ではあるものの常に決定的な要素になるとは限らない。両教範は可動性を絶対的なものにしており、それは行き過ぎた主張だ。
 その他の重要要素3つの名を挙げるとしたら地形の通行性早期警戒、作戦の内線外線があり、それらは逆襲(打撃戦力)要素と同じくらい或いは時にそれ以上に重要になり得る。相対的可動性の事柄は大切だが、通常は他の多くの要素よりわずかに重要性が高いだけだ。『可動性の各必須事項』について教範は不必要なまでに制限的であり、或いはわかりにくいかもしれない。移動可能な予備戦力を区域内の求められた地点へと動かす能力が必要とされ、そしてその能力とは複数の複合的な要素で作り上げられる1個の機能なのである。

リスク管理
 CTACの「モバイル防御白書」によると「FM71-100-1(師団の作戦、戦術、テクニック)ではモバイル防御とはその流動性故にハイリスクの作戦であると述べられている。」その白書もまた次のようにリスクを考察している。
 「防御側戦力はその戦闘能力の大半を打撃戦力へと置かねばならないが故に、(リスクこそが)モバイル防御の中のクリティカルとなる観点である。モバイル防御では防御のために配置される戦力は戦場形成を行うのに充分なだけであるべきだ。リスクは2つある。1つ目は、通常なら静的または防御実施する戦力はそれのみでは任務を達成するに充分な戦力が無い。従ってモバイル防御の成功は打撃戦力の投入成功に依拠している。2つ目は、敵が誘引されない可能性または防御側指揮官が意図した場所へ動いてきてくれない可能性があり、そうして打撃戦力の投入が不可能になってしまうということだ。」

 その白書の2つ目の類のリスクは素晴らしい着眼点であり、少なくとも近年のウォーファイター演習で裏付けられている。敵が我が方の指揮官の望み通りの所へ進んでくれるとは限らないのだ。
 それ故に1つ目のリスクに疑問が抱かれる。打撃戦力の予定していた投入成功によって結果が出て初めて)、CTACが意味する所の「計画通り」にいったとわかる。その他の不測の状況は「真の」予備によって対処される。ここで、そのリスクに関する考察が柔軟性放棄についての議論と絡みつき、そしてモバイルの予備戦力と打撃戦力の対立議論に繋がる。陸軍戦術センターは、指揮官は特定役割への従事約束をしていない戦力を予備として置いておくのだと主張している。この予備戦力は打撃戦力とは明確に異なる部隊だ。その(予備戦力の)任務は打撃戦力の逆襲成功如何によって決まるものであり、(一方で)打撃戦力は特定役割への従事予定をしておりそれ故に定義的には予備とは言えないのだ。けれども果たしてこれは有用な、あるいは本当に必要な定義なのであろうか。

 予備戦力の重大な特性とはそれによって指揮官にもたらされる柔軟性である、ともその白書は述べている。モバイル防御が常に1個の打撃戦力と1個の予備(或いは予備は無し)を保有していると主張するのは不必要なまでに硬直的な考え方だ。既に本文中に示され、またCTACによっても提唱されているように、敵が我が方の意図した通りの場所に行かない可能性がある(これはおそらくWFX演習の結果に限らなくてもそうだ)。もしそうなら、なぜ戦力分割の主張があるのだろうか。もし敵が望み通りの所に進んでくれるならば、その時打撃戦力は計画通りに運用されそして予備戦力は従事することになった任務に従って再編成される(或いは指揮官は予備無しのリスクを取るかもしれない)。もし敵が望み通りの所に行って逆襲が成功するのならば、その任務の達成はおそらく可能であろう。
 敵が意図した場所へ進んでくれない場合、打撃戦力はどこに行くのだろうか。もちろん打撃戦力は敵突入箇所に向かうだろうし、そして如何なる場合でも(自軍にとって)最高ではないケースの敵突入に対処できるように配置されているべきであり、それは真の予備戦力として機能する。真の打撃戦力として1つの主要な逆襲を計画することというのは、予備部隊指揮官に優先従事事項を指定するというだけだ。任務の成功はできるだけ単一の打撃戦力計画に依存してはならない。指揮官は戦場形成を達することを望むし敵撃破を企図する地点を指定しもするだろう、しかし成功するかどうかをその地点に依存させてしまうのは愚かなことだ。現行のFM100-5は「白書」が推奨しているようにその言葉を「モバイルの予備」から「打撃戦力」に変更するべきではない。

 もしモバイル防御が好ましい戦力破壊メカニズム以上のものであり、(CTACが述べており本論文の主論点でもあるのだが、)極めて劣勢な戦力比の場合でも時折使用されることがあるならば、その時どこに指揮官は予備と打撃戦力の両方を見出すのだろうか。それは単にその名前を見つけるということではない。この柔軟性の問題の考察は下記の『柔軟性』と題した節から始める。それはモバイル防御の定義を狭義にし過ぎたことに起因する問題の典型的なものである。

 モバイル防御が内包する現実的な最大のリスクとは、我が方の予備が阻止または撃退できる許容量を越えて敵戦力が複数の突破を成功させ、到底「撃破」ができなくなることである。このような状況下では、モバイル防御は真にハイリスクの作戦ではあるものの、その指揮官の想像の範囲内の作戦ではあるだろう。防御作戦がこのような(防御)スペクトラムの切し迫った終局が起きる可能性があることは、本研究論文で繰り返し述べられているテーマであり、スペクトラムと我々のドクトリン上の思想はそれらの可能性に道を譲るべきなのだが、今の所そうはしていない。

 まとめるとこれらのページで説明されているようにモバイル防御とは、様々な(幾つかは絶望的な)状況で実施される可能性があり、そして(新版FM100-5に記されているような)ただ敵が我々の各防御ポジションの前で攻勢限界に達した時にその攻撃者に差し向ける逆襲というだけのものではない。モバイル防御がこのようにより広い視野の見方をされるまでは、それは狭義であり続け、定義通りに運用されることは滅多に無く、そして説明されないままであろう。

準備
 客観的に測ることは難しいが、準備という観点からエリア防御とモバイル防御が競い合っている効用について検証するのは有意義なことだ。準備には2種類あることが判明した。即ち物質的な準備と心的な準備だ。その1つは戦場において必要とされるものであり、もう1つの方は戦場に到着する遥か以前から必要とされる。物質的な準備は比較的重要性は薄いかもしれないが、本考察にとってはより深く関連している。
 
 モバイル防御はエリア防御に比べると求められる物質的な準備(量)が少ない。工兵隊の尽力はエリア防御でもモバイル防御でも両方で膨大に為されるのだが、モバイル防御では戦闘エリア前方端に沿って実施する工兵作業は比較的少ない。なぜなら遅滞実施戦力は主な工兵活動をその区域のいくらか深部にある最終阻止陣地に求めるからだ。エリア防御においては、前衛境界に沿った工兵の尽力が根本的にもっとしっかりと為され、そこで任務を課せられているセキュリティ上の要請事項もある。
 要するにモバイル防御のける打撃戦力のような戦力の『大部分』は、その初期作戦を後方エリアで受動的に実施するのであり、エリア防御ほどの物質的な準備を自動的に求めるのではないのだ。これを考慮する上では準備(量)とは(事前準備)時間とイコールのものであり、なので戦争中ならばモバイル防御とは時間が比較的少なく済むものとなる。それはたとえ平時に高度な部隊とリーダーの技量を獲得しておくためにより多くの訓練が必要となるものであってもだ。

 心的に、指揮官にとって己が意図を伝えようとする際により大きな乗り越えねばならぬ事柄があるという点で、モバイル防御は準備するのがより困難だ。実際の遂行はもっと困難であり、しばしば難解なタイミングを伴いそして高い練度の部隊を求められることがある。必ず多くの移動する部隊がいて、求められるリハーサルの労力は肥大化する。

セキュリティ
 モバイル防御のセキュリティ必要事項は次の2つの事由から難易度のより高いものとなっている。第1に、モバイル防御は早期警戒に大きな価値を置いており逆襲の準備と計画確認をするために長いリードタイムを必要とする。モバイル防御を行う指揮官はその戦力の大部分を予備(打撃戦力)へと集めるのと引き換えにセキュリティ域でリスクを取っているが故に、この困難性は更に上がっている。
 第2にセキュリティには戦力防護の役割を含んでいるのだが、モバイル防御では打撃戦力を創り出すために戦力の節約をする必要があり、その防御の主要特性が逆襲であるという点でもハイリスクで常に危険を伴う作戦だ。

乱調化(妨害)
 乱調化(妨害)効果という観点ではエリア防御とモバイル防御の差異は小さい。両方ともが縦深戦で敵戦力を分断し、敵の指揮と統制やロジスティクスそして火力支援を阻害することにかなり依存している。モバイル防御は(敵にとっては)主戦闘エリアを予測しにくく、そして逆襲遂行能力が大きいので、一般的に僅かではあるがより敵を混乱させる効果が高い。

柔軟性
 柔軟性は他のどの特性よりも、モバイル防御をエリア防御と区別するものだ。また、モバイル防御について最も誤解されている特性でもある。ここで第2章で最初に取り上げた「主導権問題」に立ち返る。
 上述で既に指摘したように、戦力比が3:1よりも大きい敵と相対するので堅くエリア防御をするには不適切だと判明した場合にモバイル防御が採用される。これは冷戦時に米軍と連合国の軍が直面していた状況だ。モバイル防御とは前線からその移動可能な戦力を立ち去らせ、敵の大量破壊兵器による打撃エリアと思わしき所をよけて、戦力比劣勢故に不可避となる敵の突破に対して『融通の利く』状態になることができる後方エリアへと移動させるものであった。モバイル防御は戦力志向であり、必ずしも戦力破壊志向ではなく、領土域志向では確固として無かった。『戦力破壊志向』よりむしろ『戦力志向』というこの単一の、単純な言葉の中にモバイル防御を取り巻く混乱の大部分があるのだ。

 ホフマンとデレウスがMilitary Reviewの論文で述べているのは主に戦力志向の防御であったのだ。彼らの論考の中で見られる(相対的に)新しいモバイル防御の議論から生み出されたものは、もっと巨大な防御構想に直接的に影響をもたらした。その中心は防御の2つの基軸であるエリア防御とモバイル防御であり、特殊な防御ではあまりなく、概して対極のコンセプトであった。防御という主題が複雑で、そこにある選び得る形態はたった2つのパターンである場合、その両パターンは必然的に対極のものとして設定されてしまい、結果として生じるスペクトラムに従って各々全てに特定の防御(様式)を定義しなければならなくなる。その対極コンセプトが正しくなければ、スペクトラムから外れた防御パターンが存在してしまうことになる。

 現在のFM100-5に載るモバイル防御の定義は正しくない。それはあまりに特殊過ぎで、『柔軟性』を代償にして『主導権』を強調している。現行のモバイル防御の定義は全く一般性ある対極コンセプトではなく、むしろそのコンセプトの極めて好都合の類を載せてしまっている
 この自軍指揮官が主導権を奪取するために敵突入を形成しようというアイディアは1954年版FM100-5の時点ではっきりと確認できる。その問題は(どんなに小さなことであろうとも)このアイディアがすぐにモバイル防御を戦力重視ではなく戦力破壊重視の防御へと進展させてしまったことにある。戦力破壊は戦力志向の素晴らしい構成要素なのであって、論理的対極ではない。従って、エリア防御の『地域志向』と全く正反対にあたる巨大なる要素の一部なのだ。
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 では何が問題か、そして『柔軟性』と何の関係があるのだろうか?現行のFM100-5で定義されているモバイル防御の問題とは、防御連続体を「定義」していないことだ。それをするために、現在ドクトリンで与えられている定義よりももっと汎用的なもので、エリア防御と対になる位置を占めるようにしなければならない。そのモバイル防御とは遥かに広範な概念であるエリア防御と論理的に対立するものではない。むしろ極端な所が不足している連続体を略したものだ。それはモバイル防御の非常に特殊で好都合の例なのだ。連続体から話題が離れるが、モバイル防御の現行の定義から外れてしまっているのは、エリア防御をするに充分な戦力が無い状況、そして本当にハイリスクのモバイル防御をするしか選択肢がない状況だ。(全てのモバイル防御がハイリスクであるわけではない。CTACの白書の例を見れば防御側と攻撃側の戦力比率は3:4だ。)

 現在の防御連続体に考慮されていないのは戦力不足の要素だ。現行ドクトリンでは戦力破壊と地域保持の2つの防御が連続体上で対極的に位置づけられている。(図5のa)
 これは論理的に防御連続体の両極を、一方の端では前方防御もう一方では真なる戦力破壊として置いている。完全に欠落してしまっているのはホフマンの述べた『広大なる前線での防御』であり、そこでは担当区域用に使用可能な限られた戦力が影響要因であった。これはエリア防御に必要な戦力が不足している場合にのみモバイル防御が使用されるということを意味するのではない。モバイル防御とは1つの柔軟なパターンなのであり、そして逆襲が実施不可能であるケースを除くあらゆる守勢的状況で使用される可能性がある。(逆襲不可能の例:地域を譲り渡すことができず敵の側面または脆弱箇所を攻撃する他の手段がない場合、または内線や自軍の移動性能が足りておらず逆襲できない場合。)モバイル防御は理論的にはエリア防御よりも実施可能である状況が多いのではあるが、それは好都合な状況が多いということを意味しない。(図5のb)
図5_防御のパターン

 防御連続体を適切に定義するために、決定基準は現行ドクトリンのような指揮官の意図する効果だけでなく該当するその防御形態にとって充分な戦力というものも考慮しなければならない。これには通常ならよく『使用可能戦闘能力』という語で表現される幅広い各要素を含むことになる。その結果として生まれる連続体は、「鉄床のような(敵攻撃に耐えられる)」前方防御から圧倒的な戦力差で事実上絶望的な戦力の節約をされる部隊の防御までに至る各作戦を説明できるようになるのである。どんな指揮官も後者(絶望的戦力差での防御)を闘いたいとは望みはしないだろうが、防御理論であるならばそれも説明し可能性の全範囲を示すべきだ。最終的に図5のaとbを重ね合わせ、完全な防御連続体を作らなければならない。そうでなければどのようにして防御の各パターンを汎用的かつ明確に語ることができるのだろうか。それは過剰に論理の形式に拘っていると言われてしまうし実際そうかもしれない。しかしそれらのパターンの重要度は充分あり、全ての指揮官の防御作戦のための意向表明には『エリア防御』または『モバイル防御』の正確な用語が含まれる(ようにすべき)とセバゾス将軍は主張している。

【第5章:結論】

 現在の米陸軍ドクトリンはモバイル防御を戦力破壊志向の防御として定義しており、戦力の大部分をモバイルの予備に置き、我が方の防御に対し攻撃してくる敵が攻勢限界に達した時に打ち負かすためにその予備戦力を使用する。通常、我が方の遅滞行動または『制御された敵突入』によって敵が曝け出した側面に対しその予備投入は実施される。それにより防御側指揮官は主導権を奪取しそして敵攻勢を終わらせようとする。それは地域志向のエリア防御とは対立するものだ。(というのが米陸軍ドクトリンから読み解ける要旨)

 では本当にそうなのか。そうではないことを本研究論文は発見した。モバイル防御とはむしろ狭い定義を為されたものであり、エリア防御と論理的に対立するものではない。(混乱のあるモバイル防御と違いエリア防御はよりしっかりと理解されている。)だが現行の定義はかなり特殊で好都合のモバイル防御の例であり、一般的なパターンそのものではない。その結果として、ある範囲の起こり得る防御がその防御連続体に含まれずに取り残されてしまっている。これは特に初期に防御戦力が散開している軍の戦力投射の際に起きるだろう。

 その(現行ドクトリンの)モバイル防御には良いクオリティの部分と同様にまずい部分も有している、なぜならそれ(良くない部分)は「エリア防御を実施するには戦力が不足している」場合に使用されるパターンとなっているからだ。極端なものを除くが、これはモバイル防御の総体的定義には入らない。もちろん完全なものにするためには、軍事専門家によって必ず考察されそして定義の一部には含まれる必要はある。
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 防御のパターンとは戦力破壊や地域保持といった単に指揮官の求める事項だけでセオリーのように決めるべきものでは無く、何が可能かでも決めらねばならない。要するに指揮官の意図だけでなく戦力の充分性も、防御連続体には考慮して入れられておくべきなのだ。戦力の充分性とはその戦線に参与している自軍戦力と敵戦力の相関だ。今までこれができていなかったのはモバイル防御の全容について誤解があったからである。

 以下に記すモバイル防御の定義の提案ではもっと限定の少ない表現が為されており、そして提案されたフル・ディメンションの防御連続体の拡大を可能とする。
 「モバイル防御は戦力志向型防御であり、大規模移動可能な予備戦力で特徴づけられ、最大限の効果を予備戦力が発揮するようにデザインされた諸作戦(防御、攻勢、後退の変化するコンビネーション)が用いられる。指揮官はモバイル防御を様々な守勢状況で使用し、敵戦力撃滅のために注力する猛烈な逆襲から高度に柔軟戦力の節約を行う作戦(これには遅滞行動が可能/不可の両ケースが考慮される)までその範囲は広がっている。指揮官は自由に地域を捧げ、必要な戦闘効果とトレードする。」

 では、図5にあった2つのダイアグラムを合体させた連続体を図6に示す。
図6_全次元対応型防御連続体
 連続体の左半分は今やモバイル防御の完全な定義を可能としている。連続体の左の極は戦力破壊志向から戦力志向に変えてあり、指揮官の意図(図5のa参照)に加えて戦力充分性の要素も認識するようになっており、これらを2つの三角形で表現してある。右の戦力充足性の三角形の欠けている点線部分は、もはやエリア防御を設けられない(相互に支援し合う各陣地を造るだけの充分な戦力が無いことを意味する)スペクトルの部分を表している。この範囲に該当する戦力しか使用できない場合は、指揮官はモバイル防御に頼らなければならない。
 最後になるが、連続体の上に描かれている4つの計画図は連続体に沿って存在する可能なこと(複数ある可能オプションの内の代表的なもの)を表しており、1つの計画図では防御のパターンを全て説明はできないことも示している。旧版(ドクトリンにあるエリア防御とモバイル防御の定義)の連続体は計画図(b)と(c)で表現されていたし、図(d)を説明してもいた。だが追加された最も柔軟でそして時に最も好ましくない防御アプローチにもなる計画図(a)はかつて説明に入っていなかった。FM100-5で特に説明がされていないのがこの計画図だ。けれどもこれは実施可能な選択肢であり、将来指揮官が必要とする可能性のあるものだ。特に(米軍では)戦力投射展開の初期段階で可能性がある。

 モバイル防御は米陸軍が理解できないような難解な防御ではない。それは実行可能で強力な防御のパターンの1つだ。元々は欧州でソ連に対抗する防御手段として米軍のドクトリンに取り入れられたのだが、今では新たな意味を帯びている。米軍は前方展開型と対比して戦力投射型の軍を計画しているからだ。
 モバイル防御がWW2後に初めて米陸軍のドクトリンに登場して以来、その定義には変化と乱れが生じてきた。主導権と柔軟性の各コンセプトのバランスを取ることとして、主な問題を特徴づけるのが一番良い。実の所、それは誤った二分法であった。モバイル防御の定義は今また拡大されるべきであり、そのオリジナルの特性を内包するためにフル・ディメンションの作戦の状況の中で再拡大されるべきだ。そこには現行FM100-5のモバイル防御だけでなく、極めて劣勢な(しばしばドクトリンの1:3を超過する)戦力比に対処するよう準備された防御も含まれる。モバイル防御は好ましい状況はもちろん厳しい状況でも指揮官に使われる柔軟な防御でであるべきなのだ。

__以上、翻訳終了__________________________________________




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※ 論説の紹介は以上とし、以下は各年代の教範の一部を紹介する。順番は時系列とする。
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教範

1954年版FM100-5「作戦」_ポジション防御とモバイル防御

【第9章:防御】
(略)

【第272項:所掌範囲】

 本章には2つの主要タイプの防御を含む。即ちポジション防御とモバイル防御である。本章で取り扱うのはそのグラウンド、兵員の戦術グループ、火力の編成、そしてその両タイプの防御の遂行についてである。防御に関連して運用される逆襲攻勢(counteroffensive)戦術は第8章「攻勢」で検証した原則事項に従う。防御に関連して用いられる遅滞行動部隊と掩護部隊は第10章「後退行動」で検証する原則事項に従う。
(略)

【第275項:防御の基盤事項】

【a】適切な地形活用
【b】セキュリティ
【c】相互支援
【d】全周防御
【e】縦深防御
【f】協調的火力計画
【g】協調的障壁計画
【h】柔軟性
(※各事項説明省略)

【第283項:防御タイプの選定】

(略)
【b】
 ポジション防御は、その場所の緊密に統合された組織にある固有の強みを活用する。その採用が好ましいのは次の場合だ。
 【1】如何なる犠牲を払ってでも保持すべきある地域が、任務において求められている。
 【2】敵のマニューバを行う空間を制限するような地形、そして自然の諸抵抗線をもたらすような地形である。
 【3】使用可能な戦力が主に相対的に移動能力が限定的な歩兵である。
 【4】地形と相対的航空優勢(の敵側優位性)が防御側予備戦力の展開されるかもしれない各地点への自由な移動を制限している。
 【5】そのポジションを編成するに充分な時間が使用可能である。
 【6】上位の階梯部隊において十分な量の予備戦力が利用可能となっている。

【c】
 モバイル防御は、その場所の統合された組織よりも、最大限のモバイル戦闘能力を重視する。その採用が好まれるのは次の場合である。
 【1】充分な縦深で闘うことが許可されている任務である。
 【2】防御側のマニューバを促進するような地形である。
 【3】攻撃してくる敵戦力より防御側戦力の移動能力が優越している。
 【4】防御側にとって相対的な自由移動が可能となる航空戦況である。
 【5】ポジション防御を編成するための時間が足りない。
 【6】使用可能な上位階梯の予備戦力が限られている。
 【7】敵が大量破壊兵器を投入する能力がある。

(略)

【第285項:ポジション防御】

【a】
 ポジション防御の理想的フォームは効果的相互火力支援がそのポジションの横幅と縦深全域にわたり存在するコンパクトな防御だ。その防御は一連の組織化され占拠された複数の戦術的拠点(局所=localities)を中心に構築される。これらの戦術的拠点は、それらを保持すればそのポジションの完全性を確保することになるので、その監視性と自然の防御効果を考慮しながら選定される。その戦闘ポジションは、縦横(特にかなりの縦深)にわたって不規則に配置された多数の相互支援防御エリアからなる抵抗ゾーンから構成され、それぞれが塹壕、個人壕、障害物、銃座を備えた全周防御を編成する。戦術的結束性をそれぞれの防御エリアに維持しておく。使用可能な火力の大部分は前方に展開され、そして予備戦力(その戦力全体の1/3を超えることは稀)は最初は拘置しておく。その(予備の)目的は逆襲をすること、縦深または側面にある阻止ポジションを占有すること、或いは防御されているエリアの守備兵と交代することである。

【b】
 この防御のコンセプトとは、そのポジション前方(陣前)での火力投射によって敵を倒すことによって、そのポジションの中に敵攻撃戦力を吸収することによって、或いは逆襲で敵を撃滅することによって、その戦闘ポジションが保持されるというものだ。

【第286項:ポジション防御のバリエーション】

【a】
 理想的ポジション防御であるならば防御の基盤事項の全てを最大限適用することが可能となる。けれどもそのような理想的状況はほとんど存在しない。従って、1つか或いはそれ以上の基盤事項の適用が制限されているバリエーション版を採用する必要がある。

【b】
 全ての基盤事項の最大適用をするにはその区域の前線があまりに広すぎる場合、指揮官はその任務に最小限の有害影響で済むようにどの基礎事項が犠牲にできるかを決断しなければならない。柔軟性を得るために強大な予備を保持することを状況が強いたならば、組織化された各戦術的拠点の間隔を増大させねばならず、従って相互支援の減衰を伴う。前方に最大限の初期火力が求められる状況ならば、予備を費やしてでも組織化された各戦術的局所の数は増加させねばならず、従って相互支援の増大が為されるが柔軟性と縦深性が損なわれる。

【c】
 ポジション防御のバリエーションの数を制限するのは、指揮官の構想力と使用可能な戦力の構成(火力支援)のみだ。ステレオタイプなポジションにするのは避けるべきだ。前方に最大限の初期火力投射を達するために編成された単一線の防御の形であったり、または強度と欺瞞の両方をもたらす一連の複線(数線)防御であったり、或いは敵の勢いを強制消費させるように縦横に(散らばって)編成された一連の各戦術的拠点というバリエーションになる可能性もあるのだ。

【第287項:モバイル防御】

a. 一般事項
 モバイル防御とは、差し迫った攻撃を警戒し、その敵の攻撃戦力を(敵にとって)より不都合な地域へと方向限定し、その攻撃してくる戦力をブロックまたは妨害するのに必要なだけの最小限の戦力に前方の各防御ポジションを占めさせ、その一方でその防御戦力の大部分を用いて攻勢行動をとり防御側にとって最も好都合の時と場所で敵を撃滅する防御手法である。状況が都合よければ、攻勢行動は敵がアタックポジションにいる時に打撃できるに十分な早さで発起され得る。機甲師団はモバイル防御に適しているが、歩兵師団もまたモバイル防御の際に(そのような運用が正当な状況であれば)効果的に運用され得る。

b. 前方防御ポジション
 前方の各防御ポジションは次の複数のコンビネーションで構成される可能性がある。

 【1】抵抗(独立)拠点(Islands)
  抵抗拠点とは、打撃戦力のマニューバ計画のために必須の地域を保持するために全周防御を整備されたあるエリアのことだ。抵抗独立拠点は敵の突破拡大を防ぐために肩口を保持し、または打撃戦力の活動を援護して火力投射を管制する優れた観測を守り抜き、或いは我が方の打撃戦力にとって不利になるような地点への敵の前進を防止するだろう。抵抗拠点は通常なら連隊以下の規模の部隊とするべきだ。連隊より小さい部隊では、物資投下や避難用航空機やヘリコプターの着陸が可能となるほど充分広大なエリアをコントロールできない。さらに連隊より小規模の部隊の範囲では十分なだけの支援兵器を置くことができない。

 【2】強化地点
  強化地点は数人規模から増強中隊まで様々な規模のチームで構成される。彼らは相互支援があるにせよないにせよ、その区域へ入る敵接近経路のある前方防御エリアにまたがって置かれる諸ポジションを占拠しておく。彼らの任務は敵を欺瞞し、差し迫った攻撃を警戒し、敵を(敵にとって)より不都合な地域へと方向限定し、その攻撃してくる戦力の前進をブロックまたは妨害することだ。しかし、彼らは常にその初期ポジションを保持するというわけではなく、必要あらば遅滞行動を闘うこもある。指揮官は状況に応じて強化地点を補強する。

 【3】監視所
  監視所は多様な規模があり、諸強化地点と抵抗拠点の中間や前部に配置される。指揮官は主にそこから得られた情報をもとに打撃戦力の投入を決定する。これらの監視所は抵抗拠点や強化地点から送り出されることもあり、そのようにしてポジション型防御における戦闘用前哨の機能を果たす。

c. 打撃戦力
 前方の各防御ポジションに配置するために絶対必要というわけではない残りの戦力は、防御側が選んだ時と場所で敵戦力を撃破することを任務とするモバイル打撃戦力へと編成される。モバイル打撃戦力は1つ又は複数のエリアに集結し、それは区域の幅や地形、敵能力(航空及び大量破壊兵器含む)、計画上の展開方法などによって決まる。モバイル打撃戦力は機甲が強大であるべきだ。

____以上、1954年版FM100-5第9章抜粋翻訳終了_________________________________________

1960年_Landing Party Manualでの定義

【名称】Landing Party Manual
【出版】United States. Office of the Chief of Naval Operations
【出版年度】1960年

【第10章_戦闘原則_第50項_防御戦術】

a: 任務 
 (略)
b:実行
 任務はその戦闘ポジションの編制によって達成される。即ち敵突入の制限及び逆襲のための予備戦力の使用、そして敵情報の獲得/遅滞/乱雑化/欺瞞をするためのセキュリティ部隊の運用である。

c:防御の基盤事項
 (1)地形の適切な活用
 (2)セキュリティ
 (3)相互支援
 (4)全周防御
 (5)縦深的防御
 (6)協調的火力計画
 (7)協働障壁計画
 (8)柔軟性
(※各項目の説明省略)

【第10章_戦闘原則_第50項_防御の形態】

a:一般事項
 防御には2つの基本形態が存在する。ポジション防御とモバイル防御だ。その主要な違いとは防御する戦力の大部分についての使い方である。
 ポジション防御において、その戦力の大部分は選定された戦術的各拠点へと配置される。あてにしているのは、そのポジションを保ちそしてその各ポジション間の領域をコントロールするためのそれら(各局所配備戦力)の性能である。予備戦力は縦深を増大させるため、敵をブロックするため、突破されたポジションを逆襲によって回復させるために使用される。
 モバイル防御において、その戦力の大部分はモバイル打撃戦力に置かれる。残りの戦力が前方の各防御ポジション(各抵抗拠点、強化地点、監視ポスト、あるいはそれらのコンビネーション)へと配置される。その(モバイル防御における)前方の各防御ポジションは相互に支援し合うようにするが、そうならない可能性もある。そのモバイル戦力は最も望ましい戦術的位置及び時間で逆襲そして敵の撃滅をするために使用される。

b:形態の選定
 (1)防御の形態はその任務における防御戦力、自然地形、構成(文字判別不能のため中略)、敵戦力によって選定される。空の状況が予備戦力の展開に影響するのと同じように、季節、交代の許容性や上位階梯の予備戦力もその選択に影響してくる。

 (2)ポジション防御は地上の密接に統合調整された組織の最良の活用をもたらす。その採用が好まれやすいのは次の場合である。
  (a)ある領土域を如何なるコストを払ってでも保持しなければならない場合。
  (b)その地形が敵のマニューバの空間を制限しており、自然の防御戦力になれる場合。
  (c)使える自軍戦力が主に歩兵であり、可動性が制限されている場合。
  (d)地形及び相対的航空優勢が、展開する可能性のある各所への防御側予備戦力の自由な移動を制限している場合。
  (e)各ポジションを組織的構築するに充分な時間が使える場合。
  (f)上位階梯の部隊が十分な予備を使用できる場合。
 
 (3)モバイル防御はその地の(戦力配置)組織よりも優先してその移動可能戦闘能力を最大限活かす。それが好まれるのは次の場合である。
  (a)その任務が充分な縦深で戦闘を行うことが許可されている戦いである。
  (b)防御側がマニューバを行うのを促進する地理的状況。
  (c)防御側の可動性が攻撃側よりも優越している。
  (d)空の情勢が防御側に相対的な移動の自由を許している。(敵空軍の脅威が少ない)
  (e)ポジション防御を構築するに充分な時間が無い。
  (f)上位階梯の部隊が使用できる予備が限定的な。

 (4)(陸戦隊が受領する)可能性のある任務の形態故に、そして陸戦隊の大隊が通常使用可能な装備には制限があることが理由で、モバイル型防御の採用は滅多に実行可能にはならないだろう。従って本章の注意事項は、ポジション防御を強調するであろう。

c:ポジション防御
 理想的ポジション防御は相互火力支援の概念を防御エリアの横にも縦にも拡大する。それは一連の組織化され固められた戦術的な(複数の)拠点を中心に構築される。そのような各局所地点は視界と自然の防御力をもとに選ばれる。(文字判別不能のため中略 ability of the entire position.)その戦闘ポジションは複数の相互に支援し合いながら縦横に不規則に配置された防御エリアによって構成される。各々は全周防御を編成し塹壕や障害物、個人用壕、銃座を備えている。それぞれの防御エリアの戦術的結束性を維持しておく。運用可能な火力の主体は前方に展開される。予備(通常はその編制が保有する部隊の3つ目)を最初は(前方に)出さずに手元に留めておく。その予備の目的は逆襲を実施することや、縦深部や側面で敵をブロックする位置を占領すること、或いは各防御ポジションの(損耗した)守備部隊と交代するためである。大隊以下の階梯では、抵抗主線にいる部隊への火力支援という追加のそして重大な目的もある。ポジション防御のコンセプトは戦闘ポジションの前方で敵を火力により撃破すること、(敵がまだ進んできた場合)その戦闘ポジションの中で敵攻撃の戦力を吸収すること、そして逆襲によって敵を撃破することである。

防御のバリエーション
 理想的状況なら第10章第49項に示した防御基盤事項すべての最大適用が可能となる。だがしかし、そのような状況など滅多に存在しない。よって、基礎事項の内1つか時にはもっと削ったり制限的にしたバリエーションが採択されることは一般的に必須となる。

 (a)割り当てられた前線が全ての基礎事項の最大活用をするにはあまりに幅があり過ぎる場合、指揮官はどれを犠牲にするか決定しなければならない。柔軟性を増大させるために強大な予備戦力の保持を状況によっては指定されるかもしれない。そのような場合、戦術的な各局所間の間隔は広がらざるを得ない。従って相互支援は減衰してしまう。(逆に)状況によっては第1線での前方火力を最大化させることを求められる場合もある。これを生じさせるために、戦術的拠点の数は予備を費やして増大させなければならない。これにより相互支援は増大するであろうが、柔軟性と縦深性を代償にすることになる。
 (b)己が構想力、使用可能戦力の規模、支援をしてくれる兵器の存在によってのみ指揮官が使えるバリエーションの数は制限される。ステレオタイプの配置は避けるべきだ。バリエーションには、前方で最大初期火力を達成するために編成された単一の防御線の内のサブ・バリエーションも含められる。即ち、強度と欺瞞の両方をもたらすために設計された一連の複線(防御)幅広く縦深に組織された一連の戦術的拠点、それは攻撃してくる敵の勢いの消耗を強いるものだ。

第10章第50項終、第51項以降は略
____以上、翻訳終了_______________________________________
Landing Party Manualは明らかにMobile defenseの記述が少ない。

1993年版FM100-5 Operations 第9章_防御の基本事項

【名称】Field Manual 100-5 Operations 
【出版年】1993年 
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【第9章2項:防御パターン】

 防御作戦の2つの主要フォームはモバイル防御とエリア防御だ。戦争の戦術及び作戦の両レベルにこれらを適用する。モバイル防御とは、あるポジションの中への敵の前進を許容しそこでモバイル予備戦力による逆襲に敵をさらすことによって攻撃してくる戦力撃破destruction)を志向する。エリア防御とは、組み合っている一連の各ポジションの中で敵を吸収すること(absorbing)によって、そして火力によって敵を大きく破壊すること(destorying)によって領土域の保持を志向する。

 これらの記述は各防御タイプの一般パターンを伝えているが、その防御の形態は両方とも静的要素動的要素を用いる。モバイル防御では、静的な防御ポジションは敵突入の縦深と横幅をコントロールするのに役立ち、そして逆襲を発起する場所を確実に保持しておくための助けとなる。エリア防御では、パトロールとインテリジェンス部隊そして予備戦力を緊密に統合し、各防御ポジション間の隙間をカバーし、必要に応じてそれらのポジションを補強し、指示に応じて(敵が侵入した)防御ポジションを逆襲する。防御側指揮官は両パターンを組み合わせ、静的諸要素を攻撃してくる敵に対し遅滞 / 敵進行方向限定 / 敵最終的停止するために活用し、動的諸要素(敵攻撃妨害攻撃や逆襲)を敵戦力の打撃及び撃破に用いる。これらの要素間バランスは敵 / 任務 / 戦力構成 / 移動能力 / 相対的戦闘能力 / 戦場の性質によって変化する。
【モバイル防御】

 モバイル防御は敵攻撃を負かすために火力とマニューバ/攻勢/防御/遅滞の組み合わせを用いて敵戦力を破壊を志向する。最小限の戦力を純粋なる防御行動に従事配分させる。最大限の戦闘能力を打撃戦力へと配備し、防御に専念している(友軍)戦力の所を蹂躙しようと試みているような敵をとらえる。モバイル防御を実施している指揮官は、火力とマニューバを用いて攻撃側から主導権を奪取する一方で、縦深の領土域や障害物そして地雷の利点を活用する。モバイル防御には攻撃側が有する以上の移動能力が必要である。防御側は、攻撃側が有するその攻撃性を誤った目標へと集中させ、敵が予期せぬ方向からの(我が方の)攻撃を生み出し、圧倒的な戦力と暴力でその(敵の)攻撃を元の所へ退ける。

 防御側は最小限の戦力を前方に配置し、(その一方で)敵が最も脆弱となる時と場所において敵を打撃するための強大な戦力を編成する。防御側は敵(の行動)をその攻撃全体に渡って追跡しておく。指揮と統制、レーダー、ロジスティクス用列車、間接火力支援部隊のような敵の重要結節点を特定する。敵にとってクリティカルな偵察部隊に対し遮蔽をしたり欺瞞を行う。即ち我が方の副次的活動に対し、重要度がより低い敵偵察部隊が注意をひけるようにするのである。決定的瞬間に、防御側は攻撃側戦力の縦深に到るまでの全域同時的に打撃する。敵の指揮と統制システム、弾薬運搬機械、燃料タンカーを火力投射によって妨害または破壊して、攻撃してきている敵の後方と前方に航空機または野戦砲で地雷原を施設する(※)。航空または地上攻撃によって敵を打撃し、開けた側面から強襲して徹底的に敵を打ち負かす。
(※訳注:散布型地雷システムFASCAM)

 敵の注意を防御側主力からそらし、攻撃側リソースを限界を超えて拡がらせ、敵側面を露出させ、より規模の大きいモバイル予備戦力の逆襲に対抗する敵能力を低下させる態勢と地域へと誘引する、それらの最大効果を得るために領域は捧げられる。モバイル防御は大規模な逆襲を仕掛け、主導権を獲得し維持する機会をもたらし、攻勢へ転移し、戦果拡張と追撃へと移行する。図9-1を参照。
図9-1_モバイル防御_1993年版FM100-5

【エリア防御】

 指揮官は指定された領土域または施設に指定された時間の間敵がアクセスするのを阻止するためにエリア防御を実施する。ある特定戦域での戦役において、その戦域のモバイル防御の一部としてエリア防御は選択的に使用されることができる。エリア防御を遂行するよう指定されたそれらの部隊は、より広範な戦役全体の中におかれている自身の役割を理解しておかねばならない。エリア防御の際、防御戦力の大部分は土地を保持するために展開し、防御ポジションと小型のモバイル予備戦力のコンビネーションを用いる。各防御ポジションによってもたらされる静的なフレームワークを中心に防御を組織し、連動する火力をもって敵戦力の撃破を試みる。また、各防御ポジション間に突入してきている敵部隊に対し複数の局地的逆襲(local counterattacks)を用いる。セキュリティ領域または掩護(カバーリング)部隊もまたエリア防御の一部である。

 時折、自軍の状況が防御側に他に選択肢を与えてくれない場合や自軍が圧倒的数的不利で闘っている場合には、指揮官は鍵となる重要地域への敵アクセス拒絶またはそこを保持することが必要になる。そのような状況における成功の鍵とは、各ポジションを整備し更に兵員をそこに適応させ準備を整えるだけのことが時間内にできるようにあらゆるリソースを賢く活用することだ。これはずっと継続するプロセスであり、防御側がその地域の放棄を命じられた場合にのみ終了する。障害物と障壁の計画を最大限活用し、METT-Tの各要素によって実行すべきタスクとその優先順位が決定される。交戦エリアおよび火力管制&配分がエリア防御を成功させる鍵だ。

 作戦エリアの縦深を最大限活用するために、指揮官はMETT-Tの全要素(の影響度)を計量し、最も有利となる防御パターンを使用する。縦深にあるポジション防御は、相互支援を行う諸ポジションを戦場全体にもたらし、その諸ポジションによって攻撃側(敵)は次々と(我が方の)ポジション各々からの攻撃に晒されざるを得なくなる。そのような前方防御はおそらく必須であるが、縦深防御よりも実施が難しい。モバイル防御にはかなりの縦深が必要であり、それに対しエリア防御では状況に応じて様々な縦深になり得る

 指揮官はその保有戦力を適切な地形にある小隊/中隊/大隊の各戦闘ポジションに配置し、特定の志向性と方向性をもたせるか或いは火力投射区域を設定する。状況次第では、重要地域への敵侵入を阻止し別方向への移動を強いるために強化拠点の建設を指示もすることになるだろう。強化地点の建設にはかなりの時間と戦闘工兵支援を要する。幾つかのケースでは地形的制限、特定地域の保持の必要性、または敵戦力が脆弱で組織性が乱れている場合などがあるが故に、あまり縦深が無いエリア防御に成らざるを得ない可能性があり、その主な取り組みは充分前方でなければならない。図9-2を参照。
図9-2_エリア防御_1993年版FM100-5
____以上、1993年版FM100-5第9章2~3項翻訳終了_________________________________________

2015年版FM3-90-1 第7章 エリア防御_縦深内防御と前方防御

(略)

【エリア防御の計画】

(略)
【第7-24項】
 エリア防御を計画する際に、指揮官は2つ防御マニューバの形態の内から選ぶことになるだろう。防御する部隊は、縦深内防御(defense in depth)か前方防御(forward defense)のどちらかを編成できる。上位の指揮官はマニューバの形態を指示するか、従属部隊指揮官のマニューバ形態をふるい落とす制限事項を課すだろう。これらの制限には時間、セキュリティ上注意事項、特定地域の保持などが含まれ得る。これらの2つの展開選択肢は完全なる相互排他性を持つわけでは無い。防御している指揮官の部隊の一部が前方防御を実施している一方で、別部隊が縦深内防御を実施していることもあり得る。

(略)

【縦深防御_Defense in Depth】

【第7-30項】
 縦深防御は通常なら指揮官の好ましいオプションだ。縦深内防御を行っている戦力は、敵に繰り返し我が方の縦深的に配置された各相互支援ポジションに対し攻撃するのを強いることによって、敵の攻撃の勢いを吸収する。これらの諸ポジションの建設はかなりの工兵とその他リソース(生存性と移動妨害性に特化している)を必要とする。縦深性は我が方の火力支援アセットに圧倒的効果をもたらしきる時間を与え、そして防御側指揮官にその圧倒している(部分の)戦闘力の効果を攻撃してきている敵に集中投入する複数の機会を与えてくれる。また縦深性によって、敵の攻撃に適切に対応するための更に長い反応時間が防御側戦力にもたらされる。戦闘開始時からある行動過程に敵が入るまでの間、指揮官は攻撃してくる敵の意図と能力に関する追加情報を継続して集める。これにより敵戦力が予想外の方向へ防御主線を迅速に突破するリスクを低減することができる。

【第7-31項】
 また、敵が多くの精密誘導兵器や大量破壊兵器を使用できる能力を有している場合にも縦深防御を採用する。縦深防御の結果として自軍側戦力と施設が防御作戦エリア全体にわたって分散することになる。指揮官は大量破壊兵器の自軍への影響を低減するためにエリア・ダメージコントロール処置をとり、そして敵にとって有利な標的を与えないようにする。防御側戦力の分散の程度は、決定的地点に圧倒的戦闘能力を急速集中する敵能力と自軍戦力の能力の両方に相関して決まる。

【第7-32項】
 縦深防御を実施する際は、敵接近路とおぼしき所に沿って諸戦闘ポジションの連続的各レイヤーに防御戦力を配置する。(図7-4参照)
図7-4_エリア防御における縦深防御

指揮官は通常は次の場合に防御を実施すると決める。
・戦場の縦深全域にわたって闘うことが許されており、その任務が制限されていない。
・十分に前方で防御するに適していない地形で、その作戦エリア内の奥地にはより望ましい地形がある。
・その作戦エリアがその横幅に比べ縦に深く、そして十分縦深的に利用可能である。
・掩蔽と隠蔽がFEBA上または近辺には限定的にしかない。
・防御側よりも何倍もの戦闘能力を敵が有している。

【第7-33項】
 師団や軍団のような大規模部隊は縦深防御を用いることで、前方防御を採用した場合よりも広い戦線でエリア防御を遂行できる、なぜなら前方防御は戦力を再配置する時間またはスペースがないからだ。縦深防御では、敵の決定的作戦を特定するため及び主戦闘エリア(MBA)への敵侵入の深さをコントロールするために、その主戦闘エリアの前方部分においてセキュリティを行い戦力も投入することができる。それらの防御活動によって、これらの戦力は敵行動に対応する時間を防御側指揮官に与えてくれて、そして敵を排除するオプションである攻勢的なステップ(敵戦力の側面へ逆襲を実施するといったような)を踏むことができる。

【前方防御_Forward Defense】

【第7-34項】
 前方防御の場合、FEBA近辺にある前方の各防御ポジションから決定的作戦を実施する。(図7-5参照)
図7-5_エリア防御における前方防御
指揮官は使用可能な戦闘能力の大部分をFEBA沿いの交戦エリアに集中させる。防御エリアの中への重大なる敵突破を防止することがその意図だ。前方防御を遂行している指揮官は、FEBA沿いのこれらのポジションを保持するために闘い、敵の突入に対しては激しく逆襲を行う。けれどももし主防御ポジションを敵が突破したら、防御側は縦深を欠いているが故に敵の急速な拡張を許してしまうだろう。

【第7-35項】
 一般的に指揮官が前方防御を用いるのは政治的、軍事的、経済的、その他様々な理由で上位の指揮官から前方の地域を保持するように指示された時である。それ以外では、その作戦エリアの一部の地域が(自然障害を含め)防御戦力に好都合な時に前方防御を実施する。理由は次の事項である。
・FEBA沿いに最適な防御ポジションが配置されている。
・強靭な自然障害がFEBA付近にある。
・FEBA付近で自然に交戦エリアが発生する。
・その作戦エリアの後背部分の掩蔽と遮蔽が限られてしまっている。

_____以上、翻訳終了_____________________________________

2019年版ADP3-90

【名称】Army Doctrinal Publication 3-90 : offense and defense
【出版年】2019年
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【防御作戦の3態】
 我が軍は敵の前進を阻むために3つの防御的作戦を運用する。

・エリア防御(Area defense)は地域に焦点を置いている。
・モバイル防御(Mobile defense)は敵戦力の移動に焦点を置いている。
後退行動(Retrograde)は自軍の移動に焦点を置いている。

【エリア防御】

 エリア防御とは、徹底的に敵を撃滅することよりむしろ、特定の時間ある指定地域に敵戦力がアクセスするのを阻止することに集中した類の防御作戦である。エリア防御の焦点は、それ自体で相互支援し合うよう準備された守備戦力の各ポジションの大部分のある地域を保持し続けることにある。諸部隊は各々のポジションを維持し、そして敵戦力位置と彼らの望む地域の中間地域をコントロールする。その決定的作戦はエンゲージメント地域への火力投射に焦点が置かれ、おそらく逆襲によって補完される。各指揮官は彼らの有する予備戦力を火力増強、縦深増大、ブロック、または逆襲によるあるポジションの回復をするために使用することができる。逆襲はイニシアチブを奪い取ること、そして敵戦力を撃滅することだ。全階梯の各部隊がエリア防御を実施することができる。1943年7月クルスクの戦いがソ連によるエリア防御の歴史上の参考例だ。(エリア防御を実施するにあたり縦深での防御と前方防御の使用における各長所と短所の検証はFM3-90-1を参照)
fig8-1
(訳注:クルスク突出部北域、ロコソフスキーの方面軍の一部での防御。)

【モバイル防御】

 モバイル防御とは打撃戦力による決定的攻撃を通して敵の撃滅または負かすこと(defeat)に集中する類の防御作戦である。モバイル防御は、打撃戦力による決定的逆襲に晒される地点へと敵が前進するのを許容することによって敵を負かすことまたは撃滅することに焦点を置く。打撃戦力とはモバイル防御の中において使用可能な戦闘能力の大部分で構成される逆襲に専念する戦力のことだ。拘束実施戦力は、特定の時間特定のエリアから敵が移動させないようにすることによって、打撃戦力を補足支援するために指定された部隊のことである。拘束実施戦力は陣地内で攻撃し来る敵戦力を引き留め、待伏せエリアへと方向限定し、打撃部隊が発起する地点を保持しておくことによって打撃戦力を補足支援する。ドイツのマンシュタイン将軍の1943年2月ウクライナでのドンバス作戦はモバイル防御であった。
fig10-1

 モバイル防御は充分な縦深のある1つの作戦エリアを必要とする。指揮官は己の戦場を形成(shaping)し敵戦力にその連絡線を過度に引き延ばさせ、その側面を露出させ、その戦闘能力を放散することを引き起こさせる。指揮官は自軍を敵戦力の周囲及び後方へと動かし分断し撃滅する。師団及びそれ以上の階梯の編制が通常はモバイル防御を実行する。各旅団戦闘チーム(BCTs)及びマニューバ大隊は1つのモバイル防御の中に拘束戦力または打撃戦力として参加する。

【後退行動】

 後退行動は敵から組織的に移動して離れることを含む類の防御作戦である。これらの作戦をせざるを得ないよう敵が強いてくるか、指揮官が自発的に実施することもある。後退行動を実施する部隊の上位階梯の指揮官はそれが開始される前に必ず後退行動の許可を出しておかねばならない。後退行動は孤立して実施されてはならない。主導権を再獲得し敵を打破するためのより広いマニューバ計画の一部として常に設計される。

 後退行動には3つのバリエーションがある。遅滞(delay)、離隔(withdrawal)、撤退(retirement)である。

遅滞_delay
・遅滞はある部隊が圧力を受けている際に、決定的交戦へ没入すること無しに敵の勢いをスローダウンさせ且つ敵戦力にできる限りの損害を与えることによって、空間を捧げ時間と交換するのだ。遅滞の際には、敵戦力に最大限のダメージをもたらすために各部隊は柔軟性と行動の自由を保ちながら、時間を得るために領域を譲り渡す。

離隔_withdrawal
・withdrawalは敵戦力との交戦から離脱(disengagement)しある方角へ移動し敵から離れていくことである。部分的にせよ全部隊いずれにせよ、withdrawal部隊はその自部隊戦力を保存するためか或いは新たな任務に就かせるために現状から解放するために、自らの意志を持って敵戦力との交戦から離脱する。

撤退_retirement
・retirementは接触していない部隊が敵から離れていくことである。

 後退行動のいずれのバリエーションでも、通常は戦術的道路行軍によって、敵と接触していない部隊が別の位置へと移動する。全ての後退行動のバリエーションで、自軍マニューバ部隊の確固たるコントロールが前提条件となる。

< 以上、Army Doctrinal Publication 3-90 Chapter 4 pp.4-3~4-4 翻訳 終 >
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  以上を持ってモバイル防御及びエリア防御に関する米軍の教範及び論文の抜粋翻訳を終える。

訳者あとがき

 Walters少佐の分析は鋭い視点を持っていた。また彼が取り上げている1954年FM100-5作戦教範の防御の記述は現行のFM3-0でも引用がされるなど明らかに米軍内で重視されている。Walters少佐がドクトリン史の調査から見出した「米軍におけるモバイル防御とは元々は(広正面防御、拡張的防御のような敵戦力優越情勢を想定の基盤として作られた)戦力志向であったのであり、それが時代が進むにつれ(戦力的にそれほど不利ではない、或いは理想的に近い状況を仮定とした)敵戦力撃滅志向になっていった」という説は非常に価値あるものだ。米陸軍ドクトリンとWalters少佐の提案の違いは防御スペクトラム中の基準を戦力志向に戻していることにある。それにより絶望的状況を含め撃滅に打撃戦力などが編成できない場面も防御ドクトリンの中に入れ込むことに成功している。また、白書草案で指摘されている逆襲のようなマニューバを行った際にエリアとモバイル防御の差異が混迷化することについて、Walters少佐はその短い論考の焦点をそこに絞っているため半ば論理的説明を飛ばしている。最終提案のスペクトラムから伺えるのは、逆襲の様なマニューバをエリア防御からほとんど除外することだ。(下位階梯内の局地逆襲のみが残存することになると推察される。)これは大きな争論となる点であり詳細な問題を解決するのは多大な労苦がいるが、その指針を建てて再構築すればある程度は定義は形を成すはずだ。

 それでも米陸軍はそれを採用することは無かった。特に戦力志向は重大な観点であるが殆ど1993年版と現在で敵戦力撃滅志向に変化はない。この防御ドクトリンの変化の少なさは、実際の所米軍を取り巻く環境が彼らにとって現状そこまで問題を引き起こすほど切迫していないからだろう。ソ連が崩壊期を迎えてから米軍がかつてフルダ・ギャップで想定していた圧倒的戦力劣勢及び先手を取られた状況というのが薄れていった。昔彼らが教範中に「不適切に」書き記していたモバイル防御の理想的/あまりに都合の良い状況というのが、次第に非現実的でなくなっていた。1980年代末~2020年現在まで米軍に対し戦力圧倒的優越で先手を取れる軍隊は存在しなかった。その情勢では米軍の防御が取り返しのつかない急激な破綻を迎えることはなかったのである。もし米軍の防御ドクトリンに現実より酷い欠点があったとしても破綻しなかっただろう。要するにリスクを冒してまで抜本的な変化を行う必要性に迫られていなかったのだ。
 21世紀の次なる挑戦者は既に明確化したが、1970年代の欧州シナリオほどの絶望的戦場は想定されていない。ただ米軍はエアランド・バトルの遺産やアフガン/イラク/シリアなどの戦争経験を基に、各国との交流を含め少しずつ変化をしていっている。この先何らかの改革がmobile defenseに行われることは充分考えられるだろう。
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 Molino少佐が取り上げてくれたのはモバイル防御が机上の空論化しないための脆弱点への洞察である。これは戦力志向理論の議論とも関係する。

 エリア防御はその位置に長期間固定され、さらに前方防御の場合その戦力が敵との接触線の近くに集結されることになる。ここを敵に偵察され大量破壊兵器を投入されては戦力の大半が一瞬で消滅してしまう。故に縦深方向に待避しており移動的な性質を持つモバイル防御は自軍戦力を保つことができる志向性を持つとされていた。
 だがMolino少佐が論じたことから提起される問題は、後方のモバイル部隊にすることで敵攻撃を躱すことが期待されているが、現代の兵器投射技術(航空機含む)及び大量破壊能力の環境下では殆ど意味がないのではないかということだ。確かに縦深位置にいれば偵察で位置を特定される可能性は減るし、砲兵の火力集中は前方よりもマシになるだろうが、果たして現代の凄まじいまでの効力を持つ航空戦力と中・長距離ロケット、そしてそれらが搭載し得る大量破壊兵器の脅威から戦力を護るに充分なだけなのかが疑問となっている。特に米軍は戦力志向から敵戦力撃滅志向へ移行したことによって、打撃部隊に戦力を『集中』する傾向が強まった。即ち生存のための散開性を犠牲にして主導権奪取のための集中性に比重が置かれるようになった。これは敵の航空戦力と大量破壊兵器にとっては「より良い的」になる結果をもたらしている。

 もう1つ重大なのが、モバイル防御は隠蔽位置に最初は留まることができたとしても、絶対に移動をしなければならず、その移動中に敵攻撃に晒されるリスクがあるということだ。米軍のモバイル防御はWW2でのドイツ軍装甲部隊を参考にしている所が大きいが、当のドイツ軍装甲部隊を率いた者達は口を揃えて航空戦力の地上マニューバ部隊への影響力を述べ、装甲部隊が『移動』することの危険性を警告している。そしてドイツが航空優勢を作れた状況でこそ機甲部隊のモバイル運用は攻勢/防御の中でその最大効果を発揮した。後に元帥となるマンシュタインとリヒトホーフェンの率いた各司令部が1942年に見せた連携の事例を思い出すのは容易だろう。ドイツ軍地上部隊のマニューバによってソ連の戦車を含む大部隊は「隠掩蔽位置から移動を強いられ」そしてルフトヴァッフェの眼下にその姿を曝け出す結果になり次々と撃破された。
 エアランド・バトルを謳った米軍は決して航空優勢を譲る気はないが、それでもその名が表すように完全なる制空権を取るのは難しい。モバイル部隊が動くその瞬間は明らかであり、その位置に敵が航空リソースや大量破壊兵器の投射を集中し、米軍の高性能の防空システムですら局所的に飽和されてしまうかもしれない。そして米軍以外でモバイル防御を適用を考える軍隊はこの問題をより深刻に受け止める必要がある。

 モバイル部隊を主体とするのは強固な陣地を長時間かけて作り隠蔽位置から戦うのよりどれほど効果的になるか、指揮官は空軍やその他部局との垣根を越えた意思疎通と情報共有の中で判断することになるだろう。そして分散と集結を急速に行うという、近代軍事理論の発展の柱は更に重要度を増している。
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 以上です。
 ここまで長い拙訳を読んでありがとうございました。

 以上がモバイル防御とエリア防御の各資料を読んだ所感の一部となります。
 長すぎるためこれ以上は訳す力は残っていませんでしたが他にも資料はあります。この問題への疑問を掘り下げるまで、ある特定の教範から得られた知見を正しい答えだと思い、そこにある曖昧な所を独自解釈し『
自分の機動防御』を頭の中に造っていました。例えばその一部が、敵攻撃を粉砕する決定的な役割を担うことが『期待されている』のがモバイル部隊かポジション部隊かで分ける、というものでした。ですがこれも具体的に期待して何をしたらそうなるのか、決定的役割とは何を持って言うのか…様々な質疑に対し答えていくとエリア防御との境が曖昧なことに気づきました。
 今でも自分の中におそらくこれが最適の解釈だというものはありますが、それが完璧だとは思っていません。米軍の優れた将校達が激論をしても半世紀以上辿り着けなかった答えに、自分が到れるとは正直思えないというのはあります。それでも少しでも近づけるようにと、新しい考えを調べることを続けており、本翻訳はその痕跡の一部です。ほんの僅かですがこの先調べ考察する人々の助力となれることを祈っています。
 2020年5月26日 戦史の探求





…Walters少佐の論文は流し読みした時は気づかなかったのですが、恐ろしく訳しにくい文体でかなり苦労しました。ニュアンスや訳語などは元の英単語がわかるようにしてはいますが、何か気になったことあれば教えてください。