軍事的文脈おいて全滅とは部隊の3割が死傷したことをいう、という言説は一般にまで浸透しつつあるようです。ただこの言説が何を根拠に言われているのか辿るのは難しく、かなり朧げなものです。この言説は日本だけでなく諸外国でも類似的なフレーズが広まっており、確かに軍人にもそれを使う者はいますが公的な一致は無いというのが実情です。
 本拙稿は誰が言い始めたかという起源調査ではなく、実戦データの統計を見ることでこの死傷率N%で機能喪失の言説がそもそも正しいのか、実戦の運用に足るものなのかをテーマとします。そのために米国で行われた調査論文の結果を紹介しながら書いていきたいと思います。
死傷率N%機能喪失言説

 戦史を学んでいる人々にとっては予想通りの結果でしょうが、調査の過程で浮かび上がった幾つかの事象の方が興味深いかもしれません。先に結果を書いて、後半にそれらを記述しました。
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各国に流布する類似的言説

 「部隊の3割が損耗したらそれは『全滅』とされる」という言説は日本で広く流布している。(5割で壊滅、部隊が消え果てたら殲滅というフレーズも付属する。)このフレーズにはまず、約何%失われたかわかっているのになぜその数値を使わず全滅という単語に置き換えるのか、という疑問がわく。これに対する返答は、『全滅』が「その部隊の組織的戦闘(抵抗)能力が失われる」という意味を保有するから、というもののようだ。或いは別の攻撃/防御/任務といった言葉が使われる場合もあるが、壊滅や殲滅も同様に部隊組織として何らかの状態になったという意味合いの方が文脈上の焦点であるから、数値ではなくそのような単語が使われている。
 
 では軍事的意味と一般から呼ばれている全滅の場合、「部隊の3割が損耗したらその部隊は組織的戦闘遂行能力を喪失したとみなされる」という形になるのであるが、果たしてこれはどのような根拠があるのだろうか。恐らく殆どの軍事研究者は初めて見た時にこのフレーズを鵜呑みにすることは無く、少なくとも「3」という数値に対して自己の知見の範囲内で妥当性を検証するだろう。本稿のテーマはそこにある。
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 これが言われ始めた根拠を旧軍関連の書籍で辿ろうとする試みを既にネット上でも幾人かがしている。戦史叢書などを巡ってくれており、今の所確固たる元文献が発見されておらずこの言説に疑念の目が向けられている。
※参照リンク
2011.02.28 死傷3割の損害は全滅なのか 山猫文庫第3版
https://yamanekobunko.blog.fc2.com/blog-entry-292.html
「戦史叢書の「関東軍<1>」の681頁で気になる記述に行き当たりました。いわく日本陸軍においては、短時間に部隊の30%の打撃を受けた場合には一時的に戦闘力が失われ、50%の打撃を受けた場合には殲滅的打撃と判定していたのだといいます。これは日露戦争等での経験から得られた法則」

 他に検索して簡単に出るものは例えば1932年『砲兵戦術講授録 原則之部』第2篇5章1節の
「之に依って見るに 概ね三〇%の損害を受くれば歩兵は攻撃力を失い 五〇%に至れば壊乱又は退却するを知るを得べし 又 第一回旅順総攻撃に於ける第九師団の損害は三〇%内外なりしも全滅を報ぜられたるは世人の知る所なり」
という文章だ。どうやら30%損失で攻撃能力を失うという話は昭和7年で既に広まっていた。だがこの陸軍大学校将校集会所の文は調査する者達を満足はさせられないだろう。なぜなら『之に依って』という根拠として使われている実例は、韓城堡(25%砲撃被弾で攻撃成功)、北大山(30%で攻撃失敗)、Gumbinnen(50%で失敗し壊乱)というたった各1戦例のみであるからだ。しかも1m2ごとの砲撃命中率を、砲兵の密度から述べるための文だ。つまりこの陸大の文は30%で攻撃能力を失うという観念が元からあった上で言われているだけである。
 もし旧軍の論拠が日露戦争にあるのだとしたら、現在判明している日露両軍の記録を再検証すれば虚実は判明するだろう。
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 だが本サイトではこの言説の論拠のために旧軍のデータを辿るつもりはない。率直に言ってしまうと、この言説は外国で学んだ者達から入って来たものだと予想している。日清~日露戦争のデータだけでは「言い始めるには」少な過ぎるというのもあるが、最大の理由は日本のみならず諸外国でも類似したフレーズが見られるからだ。

 例えば以前紹介したインド軍のバクシ准将は、WW2で英国領インド軍として日本軍と戦った際に中隊を率いていた頃言われていたフレーズを1965年8月21日に部下達に再度述べている。
「この度、ハジピールを如何なる代償を払おうとも奪取せよと明白な指令が下った。 如何なる代償を払おうとも(at any cost)と言った場合、一般市民の間ではそれは100%の損失を出してもという意味になるんだが、いち歩兵たる私は『40%の損失を出した時にのみ、私のもとに戻って来なさい。そうなるまでは徹底的にやれ。』と言うんだよ。WW2で私の中隊は40%の損失を出した後はそれ以上続けるのを防止されていたものだ。」
 出典:【ジブラルタル作戦_ハジピール山道の戦い_1965_ゲリラ浸透と対抗作戦】を参照
 http://warhistory-quest.blog.jp/19-Nov-08

 フレーズの構成はまさに日本での全滅の話と同じ形だ。この英国式軍事教育の根拠が日露戦争とは思えない。数値が違っているので「各国で独自に、併行的に生み出された普遍的言説である」と、外国からの流入説以外にも考えられるだろう。(英領インド軍で4割と言われている時点で普遍性は脆弱となっているが)

 以下に記す調査論文を見ればN%言説が広まっていたことは明らかだった。
「兵力の一定のある割合を失うと戦闘効力を喪失するという記述(通常は20~30%という数値が使われる)」[Clark, p.1]
「N%の死傷者を出したある部隊はもはや戦闘効力を喪失したと考えられる、という言説は頻繁になされる。定められるNの値は様々だ。米陸軍将校たちの推計では通常は20~30%の間が落としどころで、30%が広く信じられている。」[Clark, p.7]

 これが1954年の米陸軍のデータを調べる論文の序盤のページで、なぜ調査したかD.クラークが述べている理由である。1986年のワインスタイン調査でも同じだ。アメリカの記者が1943年や1973年の戦闘では35%以上の損耗となった後大きな部隊機能減衰が起きたと書いているのを紹介し、加えてカナダの軍事研究では1/3の死傷者がでると心的にその部隊は機能不全になると述べていることを記している。[Wainstein, p.6]
 間違いなく米国内でも昔からこの言説は流布していた。
 またワインスタインはソ連軍大隊の値も紹介しているが、この原文は米陸軍歩兵誌1985年1-2月号でソ連軍研究の専門家W.Grauが述べているものだ。より正確に原文を引用すると、「WW2のソ連軍では『ビルドアップ区域』での戦闘において歩兵及び機甲部隊は非常に重い損失を出しており、将来的な市街戦でもそのような重い損失は想定されていた。70%の損失を出したら大隊は任務を解除される」という文だ。[Grau, p.27], [Wainstein, p.6]
 ※Grau中佐が言う70%までの損失を大隊が出すまで突破口形成攻撃をさせるという一文は典拠が不明である。冷戦期ソ連軍の将校用教材には見当たらなかった。戦車および自動車化歩兵教本をあたっているがいずれも70%までという文は今の所見つかっていない。

 ソ連での興味深い数値を、1970年代のソ連軍将校用教本が流出し英語化されたヴォロシーロフ・レクチャーから紹介しておく。これは軍事用語の章の制圧射撃(抑込=подавление=suppressに関する説明文である。
「経験上、25~30%の損失が標的の集団に与えられた場合、またはその領域が同じ比率の砲火によってカバーされている場合、標的は制圧(抑込)されていると考えることが証明されている。」[Wardak,vol.2, p.191],
 これは現在のロシア軍でもほぼ同じで、制圧(подавлениие)の説明文として標的の30%が撃破されるように期待されるだけの砲火をすることとなっている。[Bartles, p.241]
 また、同ヴォロシーロフ・レクチャー3巻にある砲兵の戦闘運用における説明ではその突破口形成幅表と共に以下の文が載せられている。
「敵国の種類と突破幅を考慮した上で、準備砲撃時に敵に一斉に損失を与えるための砲兵密度(損失基準25~30%)の運用規範は以下の表の通りである。」[Wardak,vol.3, p.208],

 少々本稿のテーマとずれるかもしれないがもう一つ興味深いのが、方面軍の攻勢作戦における医療支援組織に書かれている死傷者想定数値だ。
「各野外演習と軍事研究は、核兵器を用いた1個方面軍の攻勢作戦において発生する人的死傷数は35~40%(平均して1日あたり2~2.6%)だと示している。次に示す使用される兵器種ごとの死傷者分類である。
―核兵器 16~18%
―火器 6~7%
―化学兵器 5~6%
―バイオ兵器 1.5~2%
―疫病 1.5~2%
―その他兵器 4~5%

 初期核攻撃の間に膨大な数の死傷者が発生すると予測される。これらの死傷者は全死傷者の内の30%に上るだろう。核の大量または集団投下を伴う戦闘に於いて、人的死傷は一日あたり4%まで上がりうる。核兵器無しで作戦を実施する場合、方面軍の攻勢における損失は12~13.5%(平均1日0.8~0.9%)となるだろう。」[Wardak,vol.3, p.268],
 突破口形成時の砲撃は敵を一時的にほぼ機能不全にすることが期待され、その目標数値としてソ連軍は30%を拠り所にしていた、というのは旧日本軍と合致している。だがこれらソ連の数値は「戦闘効力の喪失が死傷率30%で起きる」と直結できるような話ではない。方面軍が35%以上損失を出すと想定されながらも攻勢作戦を成功させる気であったことからもそれは明らかだ。

 このように様々な%を書いている文献は幾つも見つけられるが、部隊の約3割が損耗したらその部隊は組織的戦闘遂行能力を喪失したとみなされるという言説の起源を辿ることは、その言説が正しいかどうかの根拠へと到らせるよりもむしろ複数の「誰が言っていた」というデータに基づかぬ権威の迷路へいざなうであろうと思われた。
 従って以下の本サイトの焦点はこの言説の正当性の検証のみに向ける。そのために米国において実施された近代以降の多くの戦闘記録を用いて統計的な調査を行った論文を紹介する。もし3割全滅言説が正しかった場合、部隊が特定のある状態になった時の死傷率について各戦例を調べていけば、その数値は必ずしも30%とならなくともその付近に多く現れるはずである。
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 ※これには調査の前に幾つかの条件事項について注意し分類する必要があるのだが、順序を入れ替え先に結論を述べる

結論

 先に結論を述べてしまう。 各国陸軍や各戦闘指揮官たち、軍事史家または防衛研究者の間では、損耗の値についての一致はない。更に統計をとってみると3割損耗で戦闘機能を喪失するという言説はまるで実戦記録に基づくものではなかった。調査を行った各論文はどれも、戦闘機能喪失時に死傷率N%の事例が多いといった収束性をその分布に見出すことはなかった。それは調査できた範囲に於いて部隊の規模や種類、国籍、近代の各戦争、攻防といった各戦闘形態いずれでも同じだった。各戦闘の結果は極めて高い多様性を見せ、その各数値の分散は死傷率N%というある特定の数値を述べること自体を否定した。20~30%という言説のものでもかなりの幅なのだが、実際はそれよりも更に分布が広かった。
 認識すべき事実は「3割」の否定ではなく、「N%というある一定の普遍的数値が存在するという考え」そのものが否定されることだ。
 ※ただしクラーク1954調査で一応、約30%という数値がどのような条件で見られるかの形跡を発見している。その条件を後述する。

 また各調査論文はいずれも、この言説があまりにも条件が曖昧であることにかなりの苦言を呈しており、条件付けを徹底するべきと考えている。ワインスタインは不確実性をもたらしている要因を戦争ごとに事例分析し多く列挙している。今後N%で部隊がどういった状態になるといったものが造られるとしても、それは徹底的に限定された条件下でのみ適用される数値になるだろう。

【クラーク1954調査の結果】[Clark, pp.34~35]

《調査対象:WW2欧州戦域、米軍、大隊規模》

 ・ある特定の損失率を出した時その部隊は戦闘効力を喪失したと考えられるという言説は、大まかで過度に単純化されており戦闘記録に基づくものではない

 ・死傷数が戦闘効力の損失を計る重大指標として採択され得るのは、適切な定義化と限定化をされた各要因が特定された場合のみである。
 ① 部隊の種類規模は必ず言及されなければならない。
 ② 記録の各データは広範に散らばっているが故に、平均損失%というのはただ限定された意味しか持たない。
 ③ 実際の戦闘において何が起きたかを正確に示すために、損失%の分布範囲は必ず使われなければならない。(平均だけでは不適格)
 ④ 戦闘効力の損失はその部隊の任務が達することが不可能となったことをと定義できるが、任務の性質を必ず特定しておかねばならない。攻撃の一時停止から再編し攻撃継続、防御への移行、防御からの撤退など様々な種類(ブレイクポイント)がありそれらの損失%は広大に分布している。
 ⑤ その損失%を示す時間が特定されなければならない。例えば累積、ブレイクポイント当日、あるいはその他もあるだろう。交戦開始からブレイクポイントまでの期間が最も死傷者%分析で有意であった。交代の到着と損耗要因の増大は交戦期間の長さにおいて無視できない影響をもたらす。

 2つのカテゴリーのブレイクポイントが交戦開始数日において発生する可能性がある。カテゴリーⅠ(攻撃⇒即時再編⇒攻撃)とカテゴリーⅡ(攻撃⇒防御移行)である。歩兵大隊の兵卒の分布において、カテゴリーⅠのブレイクポイントが起きた累計死傷率は13~34%。カテゴリーⅡは4~23%の範囲である。この交戦初期においては実質的に交代補充は受領していない。
 交戦開始第2週において、カテゴリーⅡのブレイクポイントになる死傷者分布は、第1週のカテゴリーⅡの値とおおよそ合致する。つまりこれらの期間に於いて、歩兵大隊は同じ平均値で攻撃⇒防御移行が発生していた。また第2週において、カテゴリーⅠとⅡのブレイクポイントが発生する値はほぼ同じ28~30%であった。ただしⅠの再編攻撃続行が起きるのは、将兵の充分な交代補充があった時であるという点でⅡと区分できる場合がある。

 第2週になってカテゴリーⅢ(防御⇒撤退)が出現するのは、この種のブレイクポイントは交戦期間による(強く影響を受ける)ものだからだ。カテゴリーⅢが発生する第2週における歩兵大隊の兵卒の累計損失は42~71%、士官で29~63%であった。交代補充は殆ど受けられていなかった。(※これは死傷率よりも経過時間の方が頓挫の主要因なのでないかという説に関連)

 第3週の交戦における損耗要因は明瞭だった。新たな攻撃のための急速再編がもはや不可能であり、3週にはカテゴリーⅠの事例は出現しなかった。損失数から補充員数を差し引いたネット死傷率において、兵卒は8~17%、将校は5~11%で撤退が発生していた。
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 ・士官の損失率が相対的に兵卒より高いことは、ブレイクポイント発生の特質ではなかった。WW2の米軍歩兵大隊の損失に於いて、ブレイクポイントが発生している際の死傷率を見ると士官の方が兵卒よりも僅かに低かったのである。(※組織性の支えたる将校の死傷率が高くなった瞬間に機能不全が発生するわけではなかった。後述)

 ・核兵器を用いて一時的に相手を麻痺させてから通常兵器で拡張する場合、通常戦のデータから想定される核兵器で与える損失率は歩兵大隊の兵卒に於いて4~23%、士官において7~18%である。これは大隊の完全充足状態から一時的に麻痺させる場合である。もし核兵器のみで歩兵大隊を完全に機能しないようにするには、40~70%の損失を達する必要があるだろう。

 ・任務達成可能な状態かどうかに影響するのは、様々な要因がある。数以外に他に11の変数要因をクラークは挙げている。[Clark, pp.1~2]
 ◆交戦開始時の兵士のコンディション
 ◆異常な環境ストレス
 ◆割り当てられた任務の必要性
 ◆士気
 ◆リーダーシップ
 ◆戦術的計画
 ◆偵察
 ◆敵配置
 ◆火力支援および増援
 ◆ロジスティクス面の支援
 ◆連絡状況
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補足:言説の元になったと思われるケース
 
 『攻撃⇒一度停止し急速再編⇒攻撃』または『攻撃⇒防御』という事象が発生する際の各事例の死傷率を平均化すると、交代を差し引かない完全累計死傷数の比率が20~30%の所に落とし込まれた。
 恐らく俗に言われる20~30%の損失で任務を遂行する能力が喪失するというのは、この事象の平均化を感覚的にしたものではないかとクラークは統計結果から推測している。勿論これらは散らばった各数値を平均化したら20~30%という数値になっただけで、20~30%の範囲内に各事例の大半が収まったというわけではない。そのためクラークはこの数値の実践的意義を見出していない。 [Clark, pp.17~20]
 交代補充数を差し引いていないので率を表すのにそれが適切とも思えない。

 また、クラークは米軍内で流布している言説について、3割のカウントは「戦闘担当人員の損耗率」であるのではないかと考えている。

【ベスト1966調査の結果】[Wainstein, pp.12~13]

 《調査対象:WW2および朝鮮戦争、連合軍及び敵(北朝鮮&中国)軍、大隊~軍集団規模》

死傷者は(戦闘を決定づける要因として)必須の事項であるが、それは多様な状況で様々な程度に戦力の適応度合いを減少、制約、抑圧、または混乱させる傾向があるため、多様事前予測不可能の戦闘決定要因なのである。従って、死傷は戦術的状況展開のテンポを様々な度合いで低下させる。死傷は戦術的な結果に多様な影響を及ぼす。その影響の結果は時に決定的であり、比例したものであったり、比例していなかったり、相当な度合いであったり、そして全くなかったりするのだ。
 
・(部隊の)Casualtiesとは量的に(定まって表することが可能の)作戦的効果全体で予測可能な抑制作用なのではなく、質的なものである。

・集計された死傷率における量的規則性は、よく見られる戦闘の激しさの度合いを主に示すものである。部分的には死傷によって決まりはするが、烈度はその大部分が戦術的な諸事項の発揮されるその他制約と抑制要素によって決められるのである。不確実性やリスク、通信連絡の遅延や欠乏、指揮、採択されたマニューバ、再展開のための小休止、再編成、再補給、そしてロジスティクスの不足などが戦術的諸事項の例である。

 ※1966ベスト調査第2部は、死傷率がどれほど部隊の行動に影響を与えるか、特に前進速度の鈍りが果たして本当に規則的に死傷率によって影響を受けているのかに着目している。死傷が前進速度鈍化に影響をしているのは確実だが、果たして一般に言われるほど支配的なのかを疑ったのである。ただこの鈍化要因がロジスティクスによるものか、死傷が強制的に鈍らせたのかといった問への明確な答えはでていない。

【ワインスタイン1986調査の結論】

士気とモチベーション
 3割言説は物的要素のみで部隊の行動性が決まるとするものだが、ワインスタインは心的要素を軽視するべきではないと注意を払い、特に士気とモチベーションという言葉で表される要素での事例を解説した。これらが任務達成への前進意欲に大きく関係するし、士気とモチベーションが関係あることも明らかだが、部隊のパフォーマンスにどのような相関性があるかは全く不規則であった。[wainstein,p.14]

 ワインスタインは複数の戦例を具体的に紹介しながら、次の4項をまとめ改めて単純化に対し注意喚起している。
・兵員の士気が高い場合、極めて重い死傷度合いが部隊に出ていたとしてもその死傷量は部隊を『行動不能』にするとは限らない。
・士気とは多くの複雑な要素によって構成され、睡眠不足から戦闘損耗といったものまで同じように影響を与えている。
・士気の喪失はパニックへと導き或いは諦めをもたらし、戦闘損耗がろくに無い状態でも敗北を引き起こす事態となる。
・戦闘への対応とは経験豊富な部隊と浅い部隊では著しく違う。[wainstein,p.26]

WW1での事例調査結果

・両軍の各部隊は膨大な損失を飲み込みそして戦闘をまだ継続しようと積極的にした。塹壕戦の凄惨な様相がモチベーションを削ぎ落した後ですら、兵士たちはまだ激しい攻撃をしたしそして防御も行った。
・その巨大な損失を飲みこめる能力は、各編制の極めて大きな割合が戦闘要員によって構成されていたという事実によって、部分的にもたらされている。
・部隊が急激に重い戦闘損失を出した場合の影響が多様で予測不可能であることを、WW1は繰り返し示したのである。
・おしなべて両軍の士気は驚くほど長期間高いままであり、参加国全てが戦争に疲れ果てていた最終年でさえ、兵士達はその損失にかかわらず頑強に戦った。

WW2および朝鮮戦争での事例調査結果

 死傷率が部隊にもたらすインパクトがどの程度かは多様で予測不可能であると、多くの事例が示していた。[Wainstein, pp.48~61]
 明らかになった事象をまとめると次のようになる。[Wainstein, pp.61~62]
 
・戦闘損耗と部隊パフォーマンスの関係性についてのWW2の事例での分析は、部隊組織の形態が広大な多様性を持ちそしてそれぞれの(損耗・疲弊)状態を表するための特殊用語が用いられるため複雑なものとなった。これは特にドイツ軍でよくあった事例である。この問題のせいで、ある行動を開始し死傷者を出す事態に直面している部隊の戦力とパフォーマンスの関係はぼやけたものとなってしまう傾向があった。
・より小規模の部隊或いは酷く損耗した戦力が数的に優越する敵に対して攻勢や防御行動を成功させる膨大な数の事例があることをWW2は示した。朝鮮戦争において仁川上陸までは、北朝鮮軍側で同種のパフォーマンスが見られた。
・WW2と朝鮮戦争の両方で、大規模編制の中の各兵科で比べると歩兵が被った損失が著しく(突出し死傷率が)不均衡となっていた。
・上位階梯の編制の全体損失率の中に、先頭部隊の重い損失率は覆い隠されてしまう可能性がある。歩兵中隊や戦車要員などの先頭部隊での損失率というのは深刻な影響を戦闘パフォーマンスにもたらし得る。けれどもWW1と同じように、その重い戦闘損失がもたらす効果は多岐にわたりそして予測不可能であった。幾つかの部隊は能力を失いその任務行動から撤退しなければならなくなった。だがそれ以外の部隊では、重いと言える損失に苦しみながらも攻撃や防御任務を継続したのである。

機甲部隊での事例調査結果
 ワインスタインはWW2以降に現出した戦闘で大きな役割を果たす機甲部隊の損耗とパフォーマンスに特に注目した。その損失に関する特質として、兵員に加えて機甲車両(機材)をどう扱うべきかが重要なテーマになると予想されたからである。この2つは明確に繋がっているため、片方の損耗が高くなればもう片方も高くはなる。ただ補充などの機能的役割と影響度が違うためその最初期から機甲部隊の損失は常に兵員だけでなく機甲車両もカウントしていた。これについてドイツ陸軍総司令部(OKH)の1941年11月6日の記述は興味深い解釈の一例だった。
 「各歩兵師団は戦闘で死傷者を出したため平均2500人ずつ不足しており、この数値の内2000つまりほぼまる1個連隊分が歩兵の損失である。戦闘での死傷者に戦闘外で歩兵人員から出た死傷数を合算すると、師団内の歩兵総戦力は1/3ぶん減少したことになる。」
 「第2、第5装甲師団を除く各装甲師団は認可された戦力の約35%である。戦闘での純損失と戦闘以外での死傷数は歩兵師団と同程度であった。それらは装甲師団にとってその有する戦闘戦力の約50%減衰したことを意味する。各連隊の装備機器の損失は彼らの打撃力を約65~75%減衰させた。その他機甲部隊の機器損失、特に自動車の損害は、戦闘効力を40~50%低下させた。」
 「各自動車化歩兵師団と独立旅団及連隊内は60%となっていると推定される。自動車化歩兵部隊における死傷は歩兵師団のそれと同程度である。だが自動車輸送の劣悪なコンディションのせいで、自動車化歩兵部隊の戦闘効力は歩兵師団よりも損なわれている(度合いが大きい)。」[Wainstein, pp.63~64]
 これと同様の事象は米軍でも同様に起きている。

 また戦車の車輛損失数について、戦闘以外で失われる機械トラブルの影響についてもワインスタインは言及している。これは多くの興味深い軍事テーマと密接に関わっているが、本テーマにおいては人的死傷数と車両損失数の増加率が乖離するケースの一例としても捉えられる。(後半に一部載せる)[Wainstein, pp.73~]

 まとめると次のような結果をワインスタインは見出した。
・機甲部隊の戦闘損失は人員車両の両面から必ず評価しなければならない。片方が無事でも片方が失われればもう一方も機能できなくなる
戦車にはその個々に自己完結性が存在し、属している編制が崩壊的になった時ですら(ある程度)効果的に戦闘を続けることを可能としている。機甲車両の行動のその特殊性によって、編制内で出た死傷者の影響は戦車乗員には即時に伝播するわけではない。
・戦車損失の少なくない量が(一時的な機械・地形的問題などなので)比較的迅速に回復、修理、復帰が可能であるが故に、戦場損失の影響判断は複雑なものになる。特に敵兵器以外の原因で活動を停止させられた機甲車両の比率が極めて大きい場合に顕著である。(※これは多少の犠牲を増やそうとも攻勢を成功させ前進した方が回復可能車両を回収できるためよいという主張に関連するだろう)







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 少し入れ替えて先に結論を書いておきました。
 次章は各研究者が苦言を呈している条件の曖昧性についての説明です。

条件の曖昧性

 上述のように、何%の兵力損耗で組織的戦闘力喪失になるかの具体的数値は曖昧であった。
「俗に言い表される死傷パーセンテージは25、30、または33つまり1/3というものだ。」[Wainstein, p.6]
 「各国陸軍や各戦闘指揮官たち、軍事史家または防衛研究者の間では、その編制を無力化する損耗の値についての一致はない。」[Wainstein, p.3]
 実際の所この時点で、「3」割で全滅という値が大して信頼おけないことは明らかだった。定まっていれば便利に演習や実戦の敵評価に使用できるが、そう簡単にはいかせてくれない。20~30%でもかなりあるのに40%まで考えると前線指揮官たちにとって幅がありすぎる。であるなら誰が言い始めたかよりも、戦闘記録を検証し数値をより現在に適用しやすいように微調整するべきである。

 統計からそれを見出す試みは米軍内では実は少なかった。戦闘効力に対する損耗の影響はデュピュイらによる1986年の包括的統計調査でテーマとされなかったし、デュピュイらはClark(1954)の後は殆どこのテーマに関する調査はされていないと述べている。戦力の減衰が戦闘効力を損なうことは自明だが、その効力損失がどの程度なのかは様々な言説が広まっている割に不明瞭であった。[Depuy, pp.3~4]
 これに関しWW2記録の調査を1950年代にしたのがDorothy Clarkであるが、実はデュピュイの統計調査と同じ1986年にも論文が発表されている。


タイトル:Casulaties as a Masure of The Loss of Combat Effectiveness of an Infantry Battalion
著者:ドロシー・クラーク(Dorothy Kneeland Clark)
論文提出年月:1954年8月
 

タイトル:The Relationship of Battle  Damage to Unit Combat Performance
著者:レオナルド・ワインスタイン(Leonard Wainstein)
論文提出年月:1986年4月

③ この他に1966年3月RAC社より出版されたRobert Best著"Casulaties and the Dynamics of Combat."がある。[Wainstein, pp.12~13]

 これらは過去の記述を辿るのではなく、保有する実戦データを用いて統計的な調査を行ったものだ。
 N%の死傷者が出た時その部隊はもはや戦闘効力を喪失したとみなされる、という言説の正当性を実際の戦闘データから調査すること。それがクラーク(1954)のテーマだった。クラークもワインスタインも多くの戦闘報告書に目を通した結果、3という数値に拘らず、そもそも「ある定まった割合」の損失で部隊が機能性を失うという言説そのものに懐疑的だった。加えて、この言説は軍が実践運用するには定義が酷く曖昧すぎるものだった。
「兵力の一定のある割合を失うと戦闘効力を喪失するという記述は、もし実際に根拠があるとすれば、単純化しすぎであり慎重な定義を必要とすると感じられた。」[Clark, p.1]

【戦闘効力喪失の不明瞭性】

 クラークがまず指摘した定義の曖昧性は「その戦闘効力を喪失する」という言葉がどういう状況を指すかであった。より適切な言葉としては「ある部隊が任務を達するには不可能な状態=inability of a unit to fullfill its mission」が用いられる。任務とは何かも相当な影響があるはずだ。ただ厳密に同一の任務に揃えることはできなくとも、歩兵大隊ならある程度類似的な事例を見つけることはできた。そこで戦闘部隊の状態が変化するブレイクポイントを4つ、クラークは抽出した。これらの状態変化点は任務達成可能かの基盤になる。

【ブレイクポイントのカテゴリー】
 Ⅰ 攻撃⇒急速再組織化⇒攻撃
 Ⅱ 攻撃⇒防御(療養や増援のための数日間を得ずしては攻撃を継続できない状態)
 Ⅲ 防御⇒命令に基づく第2線区域への撤退
 Ⅳ 防御⇒崩壊
[Clark, pp.10~12]

 ワインスタイン調査(1986)でも同じだ。調査論文の導入部で「『効力』とは何のことか?」と何を対象にしたものなのかが指定されていないこの言説に強く疑問を投げつけている。攻撃か守備いずれれか(複数戦闘形態)?何の(不確定な)目標のためか?設定された目標をどうあがいても達成できなくなる致命的レベル(下限)のことか?それとも確実に目標を達成できると期待できる(上限)なのか?ある種の定められた兵員と車両の数のことなのか?死傷者が出た後も生き残っている人員や車両の数と、目標達成可能性の高い能力との間にはどのような関係があるのか?効力とは敵に死傷者を出させる能力という文意なのか、加えて/または地形を奪取あるいは保持する能力という文意なのか?[Wainstein, p.7]
 これらワインスタインが挙げたこの言説の実践上の欠落点は一例にすぎず、まだまだあるだろう。

(※ 全滅という単語が実践上不適切だと言える理由がこの状態指定欠如にあるだろう。それどころか全滅したという単語は、攻撃が継続不可能になったというよりもむしろ一挙に攻撃⇒崩壊までのプロセスが発生したかのような、つまり攻撃した部隊がその後攻撃はおろか他のあらゆる形態の任務も果たせなくなったかのような連想を引き起こさせる。任務変更の可能性がある場合、その部隊は上級司令部の判断を受けて初めて「如何なる任務も不可能」になる。ただし上位階梯の判断を待っていては損害が更に増大する場合、その指揮官は自己の有する情報に基づき独断を行う必要性を迫られる。この隷下部隊指揮官の有する情報がどれだけか、そして独断をどれだけ許容する風土となっているかは各国軍の重大なテーマとなる。)

【時間的視点の欠如】

 またクラークは「時間的視点」(これが言説には欠如している)にも分類を行っている。時間は部隊の再編成という事柄に直結しているし、部隊の戦闘というのは1週間以上続くことは珍しくない。壊乱した部隊でも、兵数は殆ど回復しなくとも、ある程度時間を得て再集結し人事組織と物資再配分を行うことで活動が可能となる場合がある。20~30%の死傷者がいつ発生したか(交戦開始日などの単一日に一挙に発生したか、または数日間の結果としての累計がそうなったか)を気にする必要がある。勿論増援がどのタイミングでどれだけ来たかも同じだ。これらは麻痺あるいは一時的機能不全という効果をテーマにする際に頻繁に取り上げられるものだ。クラーク1954調査では損失量を1日単位(毎朝のカウント)で出すこととし、そして人員交代(補充)数は死傷者数総数から差し引くネット死傷者数つまり純粋な部隊兵員総数の日足変動で見ながら、各時点での戦闘効力がどうなったかも調査している。

【クラーク1954調査点】
・ブレイクポイント日における死傷者とネット死傷者%
・ブレイクポイント日と続く2日間における累計死傷者と累計ネット死傷者%
・交戦開始日からブレイクポイント日までの累計死傷者と累計ネット死傷者%

【役割、兵科や部隊特性の未分類】

 実戦評価のためにもう1つ特に気がかりなのは、本言説は誰が死傷したかに言及していないことである。組織的機能性において士官の死傷率は非常に重大だが、3割言説は将兵分類なくカウントしていいかのようだ。士官とそれ以外がある程度定まった割合で死傷していく結果、全体死傷者数が3割で機能不全になるということであろうか。クラークは明らかに疑っており、まず一兵卒と士官を合わせた死傷者数から見た上で、士官の死傷率に着目している。 

 他にも編制ごとに性質が違うはずなのに同一化していることは疑問だった。規模[(a)軍、師団、大隊]や兵科[(b)歩兵、機甲、砲兵、その他]といった分類で死傷率N%が変わるのではないかと思うのは当然のことだった。それを踏まえた上でWW2欧州戦線において44個の大隊が参加した7つの交戦の記録、つまり同一の戦争での歩兵大隊に揃えてクラークはまず始めた。敵情については分類はしていないがドイツ軍を相手取った場合に揃えている。ドイツの理由は太平洋戦争や朝鮮戦争、或いは対中国では装備的非対称性が大き過ぎるためである。歩兵大隊から調査を始めたのは通常戦における米軍の基本戦術単位だからであり、コンスタントに重い損失をだしているからだ。機甲部隊などは各々特殊機材の損失度が人的損失以外に大きく影響されるため、死傷数に基づく調査ならば歩兵部隊からまず見るべきと考えた。

【誰がという観点の欠如】

 この言説で厄介なことは、実戦闘員数なのかそれとも通常は後方役務とされる者達(ドライバーや事務員、料理人、本部付き人員)も計上するのかが明記されていないことである。実はこれは米軍の公的記録においてすら通常非戦闘員との区分が曖昧であった。日本の一部では「部隊のあらゆる人員を計上した上での損失3割=戦闘担当の6割損失に該当」という文言がたまに見られるがその根拠は見受けられず、(では壊滅が5割なら戦闘担当は1兵残らず死傷したということになってしまうのに目を伏せたとしても、)率直に言ってこの計算は部隊の実情にあっていない。それどころかクラーク調査での米軍内で流布している言説においては、N%(よく30%と言及される)の数値は戦闘担当の中での割合だと思われると述べられている。
 「米軍の部隊記録に記載されている戦力推定値の他の例では、このデータが有効戦力つまり前線の兵力の数を意味していると思われる。朝礼報告ではそのような(非戦闘員)区別はないし、N%の死傷者が部隊の戦闘効力の崩壊を示すものとして引用されている場合にも、そのような区別は意図されていない。にもかかわらず、大隊将校が自分の部隊の有効性を、実際の戦闘に従事している兵士の損失で見積もる傾向があるのではないかと疑われるかもしれない。 確かに研究されたいくつかの状況では、運転手や調理師はライフルを使って敵と戦ったが、前線での損失がこれを必要とした場合や、部隊が攻撃から防御への ブレイクポイントを既に超過していた場合に限られていた。」[Clark, p.13]

 また、ワインスタインは完全な分類統計をとってはいないが、『死傷率の不均一分布』の章で注意喚起している。高い信頼性を持つN%を作るのであれば元の編制の各兵科の内訳を見た上で、それを任務ごとにかけて膨大な数を見る必要があると予想される。英国公刊史料から1944年8月の第21軍集団の構成内訳を紹介する。
・総計:660000人
・戦闘員(fighting troops):56%
     (Royal Artillery : 18%、Infantry:14%、Engineers:13%、Armored Corps:6%、Corps of Signals:5%)
・平常時非戦闘員(services):44% [Wainstein, p.46]
 現実的にはありえないが、もし通信部隊のみが消滅させられると第21軍集団全体からみた死傷率は5%だが、通信なき集団は全くの機能不全に陥る。このような極端な例でなくとも類似的な事象は必ず戦闘では発生するし、むしろWW2では機甲の突進力を活かした作戦/戦術はその麻痺性をかなり重視してすらいた。
 多数を占める歩兵でも消耗が「安い」わけでは決して無かった。各兵科は各々の戦術的役割を持ち、その1つが破綻すると諸兵科連合部隊全体が危機に陥った。[Wainstein, pp.45~48]
 カッシーノ戦でのドイツ軍指揮官(エッターリン将軍)は次のように記述している。「最も好ましいケースにおいてさえ、戦闘開始時には全戦闘要員の25%が前方ラインの歩兵に置かれていた。大きな戦闘があるとすぐに溶けたのはまさにそれ(前方ラインの歩兵戦闘員)であり、その一方で歩兵を支援する人員は維持できていた。それ(歩兵戦闘員)はこの全ての不利な状況を均衡化するため疲れ知らずに求められた。しかし支援部隊の各専門家たちを戦闘に用いるのは、戦闘のためには準備されていないので、助けにならなかった。こうして状況は日に日に悪化していった。」[Wainstein, pp.45~46]
strength levels of typical german divisions in italy

 ※部隊の約半数が通常時非戦闘の支援要員(戦闘員:支援要員=1:1)という話は広く知られるがこれは(基本的に米英軍の)充足時大規模編制を極めて大雑把にまとめたもの。1944年8月英第21軍集団は凡そその比率に適合している。
 ただ実際の前線に派遣されている部隊の比率が全く異なることが不思議ではない。米軍では特に任務(目的)の性質ごとに支援部隊の量が変動されるのが大きな理由である。[CBO,Chapter2, p.21]
 WW1やWW2のような長期間続いた戦争の中では様々なやりくりが行われ、その比率は紙面上のものから変動し続けた。

【交代人員に関する注意喚起】

 死傷率を述べる際に、その部隊に与えられた交代・補充人員についても影響があることを忘れてはならない。これも扱いが難しく、単純化をしてしまうと実情から乖離していく。
 「戦闘損耗のインパクトとは戦闘においてその部隊をバックアップすることができる交代供給の機能でもあるのだ。」[ワインスタイン,p.3]

 交代要員を単純に同等の数値としてカウントして良いか、それが人的性質を軽視していないか注意する必要がある。
 「また、交代をするということは心的には1つの増強を意味するのか、それともその代わりに非常に急速にその部隊で流れている雰囲気に染められてしまうのか、あるいは交代要員が自らの経験不足と混乱によって部隊の有効性を低下させる傾向があるのか、といったことも問われ得る。」[Clark, p.16]
 これは死傷者の内訳(KIA,MIA,SWA,LWAなど)も影響するので区分すべきかもしれないが、あくまで調査は将兵の死傷率の包括的な数値が影響するという言説に対するものなのでクラークはそこでの分類をしなかったと述べている。[Clark, pp.14~15]
 クラークは交代数を差し引いた数つまり累計ネット損失%と、交代数を勘定しない累計損失%を並記しているが、恐らく累計ネット損失%の方がカウントには適している。というのも交代数を含まないと人的損失は容易に50%を超え、にもかかわらず多くが任務を続行していることになるからである。

 「ある数的な兵士の損失を出せばその部隊が戦闘効力を喪失する、つまり数的戦力のある一定の枯渇によってブレイクポイントの各タイプが発生するのであろうか?もしそれが事実ならば、充分な交代数さえ到着すればその部隊は再び任務を実行するに足る能力を回復するということになる。だが感覚的には、数的な戦力に加えて確固たる心的要因や交代そして戦闘時間の長さもまた考慮しなければならない要素である。」[Clark, p.16]

 またブレイクポイントの行動を行う原因として、実際の死傷者数よりも当事者たちの考えている死傷者数が大幅に高い場合や、周辺の他大隊の損失が影響したことも考えられる。[Clark, p.13]
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 他に、ワインスタイン1986調査では戦闘損耗を補うための交代人員は、短期間ではその部隊は数値の上で回復しても戦闘能力は減衰すると注意喚起している。
 「だが交代人員とは不完全な充足である。元から居たよく訓練された兵員の損失は(数値の上で同じにしても新規/急遽交代人員では)補いきれないし、生き残っている士官や下士官は大多数の比率を新米が占める部隊を率いた時に損耗していくだろう。ただこれは歴史的には戦争のやり方がそうなのであり、部隊は通常、最初の激しい戦闘の後には最適状態ではなくなることは、与えられたものとして受け入れられるべきである。『歴戦(ベテラン)の部隊』とは不適切な名称である。なぜならより長く行動している部隊は、より少ない真なるベテランたちになるであろうからだ。」[wainstein,p.3]
 ただしワインスタインの述べているのは、部隊が一度後方に戻され中長期的な再訓練を施されるケース以外である。訓練と実戦経験の両方がバランスよく充実した部隊が一瞬だけ理想状態になるであろう。

 「未成熟な兵員を注入することにより部隊の人的戦力を維持することは、実際はその部隊の戦闘能力を減少させることもありうる。元から居る部隊の生存者たちは、効果的な作戦行動のために極めて重要なチームワークを経験とともに発展させてきた。経験の足りない将兵で充足させることはチームワークの効果性を減少させ、そして彼らと共に行動させられた時、恐らく経験豊富な兵員とくに将校と下士官がより速い率で死傷していくことになる。要するに、短期間ではそれらの損失が交代人員で置き換えられたとしても、30%といった死傷は今なお影響を及ぼし続けておりその部隊の効率性は低下させられている。」[wainstein,p.4]

 クラーク1954調査でも同じ観点が述べられている。
 「緊急時を除いて、このような部隊の死傷者は軽い。大隊の累積損失率が 50%にもなると、経験豊富な戦力が事実上消えていると想定され、残りの50%は部隊の有効戦力を評価する上で、ある種の劣化係数をかけるべきのようだ。」[Clark, p.13]

【再編とコンパクト編制】

 戦闘効力を喪失すると言っても『戦闘効力』とは何かその解釈は状況ごとに多岐にわたる。ある部隊が初戦闘に参入し、その後減衰し、そして一度後方へ戻され補充や休養そして再訓練を受け部隊が再編される。しかしその完全な補充が間に合わない場合、というよりそもそもそれほどの補充が期待できない場合、現場の上級階梯の司令官はその部隊に応急的な部隊再編成をさせる。即ちコンパクト化がなされる。最もわかりやすい例は独ソ戦の両軍が後退の時期にあった際の編制の組み換えだ。様々な応急的編成をされ、オリジナルの編制からすると崩壊的損耗であったが、部隊は強引に戦闘を継続した。言説でいう『全滅した』部隊の兵士達は、少しの時間を与えられた後再び強靭な抵抗を開始したのだ。これは上述の短期的な戦術上の交代というより、より長いスパンの補充(全充足には満たない)と組織そのものの組み換えだ。本稿でその膨大なバリエーションを取り扱いはしないが、大戦中に独ソの上級司令官たちは、ずたずたになった隷下各部隊を取りまとめ組織性を取り戻すための驚異的対応力を見せた。指揮官の才覚として、戦術や作戦の発想とは別に、マネージメント能力が問われるがこれはその最たる例である。

 といっても不足したまま再編された部隊の戦闘効力はオリジナルと比すると間違いなく減衰している。上級司令部は単純な部隊個数ではなく、その消耗状態を把握した分類をする必要があった。西欧戦線におけるドイツ軍各部隊は幾つかのタイプに分類されてOKW(国防軍最高司令部)に認識されていた。1944年9月6日の戦時日誌には次のような各タイプが次の個数いたことが記されている。[wainstein,p.37]
・『完全戦闘充足(Fully Combat efficient)』師団 ― 歩兵13個、装甲3個
・『損傷(Battered)』師団 ― 歩兵12個、装甲2個
・『戦闘疲労(Battle weary)』師団 ― 歩兵14個、装甲7個
・『縮小(decimated)』師団 ― 歩兵7個
・『リハビリ中(In process of rehabilitation)』師団 ―歩兵9個、装甲2個
 1944年9月7日時点でB軍集団の有する全戦車数は僅か100輌であった。これらをどのような戦闘効力であったと評価するべきだろうか。

 ワインスタインは対ドイツ分析としてカナダの公的資料で使用された分類も紹介している。[wainstein,p.38]
カナダ軍によるドイツ軍戦力分類
 これが提起するのは死傷率とはどの段階から数えるべきかという問いだ。戦闘開始時の数値か、それとも書類上の完全充足編制か、応急的な組織再編を為された数値か。交代人員と深く関係しているが、上述の戦術的交代よりもスパンの長い補充・再訓練を考慮にいれている。

 ワインスタインが指摘するこの項目で想起される重要なテーマとは、編制がコンパクトである方がその組織性を取り戻しやすいのではないかということだ。部隊は1個の有機的組織として完全充足状態を基に連携を練り上げ戦闘効力を発揮する。1編制が巨大な人員及び機材を内包していた場合、戦闘損耗から回復するには相当な量が必要となり、その期間残りの多数の兵員は効率性を低下させたままとなってしまう。小さな編制(で部隊が多数ある)のであれば、少量の補充でも幾つかの部隊は充足状態となりその機能性を取り戻し活動できる。
 ワインスタインは米英の歩兵大隊の戦闘員数が800~900である時、ドイツ軍大隊が実質的にその半分であった状況を考えている。対米戦でドイツ軍大隊は戦力が枯渇してはいたが、その編制上それは『strong』大隊として米英の大隊が完全充足状態であるのと同じように機能していた。それは広範で見た際の死傷数が戦闘効力に与える影響度を変化させたいた。「連合軍の部隊が戦闘で大損害を被ることはよくあることだが、彼らはドイツ軍をはるかに凌ぐベースラインの戦力から出発していた。しかし、非常に大雑把な一般化をすると、重度の死傷というものはドイツ軍よりも連合軍の部隊の方が大きな影響を受けていたようだ。」[wainstein,pp.38~39]
 これは多くの編制史の専門家を悩ませる問題に直結している。ワインスタインはWW2や朝鮮戦争の事例をいくつか挙げ、損耗からの回復度合いにも着目した考察をしているが、言説検証のメインテーマから離れすぎるためか残念ながらそれ以上の深堀をそこではしていない。[wainstein,pp.39~43]

 これらの各不確実性を数値化、定式化することは非常に困難だ。死傷率影響度の定量化の試みはそういった無形かつ変動する要因をある範囲内に収め、死傷数という大型の要因が他要因を飲み込むほどの影響があるかを調査することでもある。

所感

 3割言説が歴史的統計に基づかないという結論は特段驚くことではないし、その条件の不明瞭性への苦言も全く妥当だ。正直この説は調べるまでもなく実戦への適用が不能であることは予想できていたし、調査を行ったクラーク、ベスト、ワインスタインの3人も同じだったろう。論文は信頼性への疑問を呈する形、条件の曖昧性を糾弾する形で最初からスタートしており、いくつかの文はかなり厳しくこの言説を批判していた。クラークは「大隊に限定した調査を手始めとする」と言いながら連隊や師団そして軍規模での調査をその後発表しなかったし、ワインスタインの統計調査も各部隊規模ごとに分けると充分な母数とは言えない。彼らが継続しなかったのは結論が明らかであり、条件適合分類を膨大な労力かけするだけの意義を見出せなかったからだろう。
 そういった背景があったので、実はこの調査を紹介した意図は3という数値への否定ではなく、この調査に関連し幾つか浮かび上がった実戦例の傾向の方にあった。特にクラークの大隊に絞った調査は刺激を与えてくれるものであった。
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 さて散々な言われようではあったが、実は3割全滅言説が広まっていることはそれほど悪い事だと思っていない。軍事学を修め始める一番最初の段階では3割の死傷というものが「重い」という感覚を確実に身に着けるために役立つからだ。また、ほぼ死に尽くすまで戦場が続くなどないということも覚えやすい。30%以上の死傷者を出しながら任務を継続/達成した事例は戦史を調べていけば山ほど見つかるが、それは「損失が軽いからできた」のではなく「重い損失にもかかわらず成し遂げた」という表現を為されるべきだ。初心を得るには役に立つし、学び続けていけばその数値に拘らなくなり、必要な意味だけをくみ取れるようになっていくはずだ。全滅という単語で強調したいことは3という数字ではなく、遍く全員が死傷しなくとも(もしかしたら僅かな%でも)部隊が機能性を喪失し得るという事象だと理解しておけばよい。

 内的な話をすると、たとえそれが決定的要素でなくとも1つでも多くの項目を各将校は分析し、己の部隊個々の反応性を少しでも多く把握しておくことに変わりはない。死傷者だけでは決定的でないという調査結果は、同時にベスト1966で言われている様に死傷数は確実に影響要因であるので、死傷率を含めながらもそれ以外にも膨大な条件を、訓練や実戦の中で少しでも多く調査し続ける必要性を明示している。要するに今回の結果は死傷率「だけ」で決めるという楽を将校がすることを戒めているのであり、よく把握している部隊に関し指標を持っておくことは微調整のしやすさを考えても良い事である。

 外的に考える時は厄介だ。「敵はN%死傷者をだせば機能不全になってくれる」と盲信してはならないことは、統計調査が示している通り明らかではあるが、すると何を拠り所にすればいいかと問われると難しい。ただそもそも実戦の場ではあまり使用していないかもしれない。演習ではこの手の数値は拠り所にされることもあるが、実際の戦闘の各段階でタイムリーに死傷数を正確に把握するのは自軍ですら難しく、ましてや敵軍の死傷率は母数が何だったかも含め信頼性は低い。重要なのは、ある地点の敵の組織的抵抗が喪失したという結果そのものであり、実際にそれが敵のN%で起きたかどうかは二の次に過ぎない。制圧するための砲撃量も、実際に30%敵が死傷者をだしたと確認してから歩兵が動き出すわけではなく、「砲弾のある量を投下し(敵が沈黙し)たという結果を得て」歩兵や機甲が動き出す。敵が沈黙していなければ(もしかしたら30%きちんと死傷をださせていたとしても)砲兵隊はまだ忙しく要請を受けるだろう。計画段階で想定されるのは、ある状態に敵部隊がなるであろうと自分たちが思っているN%であり、実際に敵が出している死傷率ではない。演習における判定は幾つかのランダム要素を組み込むことにより、戦場の多様性を再周知させることになるだろう。敵状態のタイムリーな把握は、偵察とインテリジェンスの洗練に繋がっていくテーマである。

 敵の抵抗が後どれくらい続くかを評価するのは参謀の大きな仕事ではあり、特に戦力投入量を分ける重要な点だ。もし将来N%というものが生まれる戦場となり、多大な労力を尽くし各条件下のN%をある程度の信頼性で特定していたとしても、残念ながら参謀たちが楽になることはない。実際に目の前にしている戦場がそのどの条件に適合しているかの分析はとてつもなく難しいからだ。
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 ワインスタインやクラークらがこの結果から再周知を望んでいることの1つが、部隊の機能性は数値で表せる有形(物的)要素だけでは完全には評価できず、無形要素が今なおかなりのウェイトを占めているということだ。部隊の戦闘効力(combat effectiveness)に関する専門調査は他にもあるがそれらの多くも同じ主張をしており、例えばBrathwaite(2017)は特に物的要素と士気の両輪が重要であることを再度注意喚起している。この背景には恐らく(米軍内でベトナム戦争期に一度ピークを迎えそして批判を受けた)量的評価主義への警鐘がある。マクナマラらに代表される数値的能率主義は、確かに素晴らしい利点をある程度持っているが、(少なくとも現在の科学技術では)戦場の不確実性と多様性を支配しきるだけの絶対性はない。3割言説否定論文は、このテーマでは数値評価が信頼性を得られるだけの条件を作れていないことを明らかにした。変動条件の主要カテゴリーが無形の各要素であり、その内の重要な1つとして士気が挙げられている。
 逆にかつて無形要素に依拠した(せざるを得ない物的リソースだった)幾つかの国では、現場の実情がどうかはともかく、心的要素への反動が起きた。非合理的しがらみの改善と物的要素の再評価のためにそれは有用だった。
 実はこれらの流れは真逆にあるように見えて全く同じ場所へ進んでいっている。即ち有形要素と無形要素の両輪を共に高水準で備えようという試みだ。結局のところシンプルな1つの何かに頼るという楽をすることではなく、膨大でしかも必ずしも答えを得ることができない諸事項を労苦を尽くして分析する必要がある。わかっていても怠りがちのことへの再警告である。過度の単純化を戒め、有形要素を計算しながらも無形要素を含む多様性を受け入れ適応する余幅/弾力のある能力。それが戦闘効力の評価なのだろう。









以上です。
ここまで長い散文を読んで頂き本当にありがとうございます。
結論は特段驚くことではないかと思います。また、軍事的に全滅を死傷3割で使わない方が実際のデータに基づきますが、別にその意味で使っていてもいなくとも、多くの場合文脈上の意味を読み解けるので困ることも少ないかと思います。ですので個人的には戦史を調べる上で各著者の用法に合わせているだけなので、これにしろと言う気はありません。
統計調査の過程で浮かび上がった各事象の方が戦史研究上興味深いです。
下記は論文内に書かれていた統計から見出された幾つかの事象です。たまに追記するかもしれません。

備考:論文メモ

 ワインスタインが冒頭p.1で述べているが死傷と戦闘効力とは何かというテーマは厄介なものだ。combat effectivenessを主に使用したが、ワインスタインは意図的にタイトルをperformanceに変えたと述べている。他のfighting powerやability to fightなどもその問題に含まれる。OROレポートでベスト調査員はoperabilityという用語を使っており、本稿のテーマに関するならこれがより適切なものだろう。死傷という訳語をあてたCasualtiesも同様だ。全てが終わった後の統計結果として表示される場合その意味は死者、負傷者、行方不明者であるが、戦闘中または戦闘前後短期的の「損失=losses」を考える場合、一時的なものを含めより複雑となる。21世紀にはいってからもこの種の戦闘効力に関する論文は複数出ている。それらは特定の条件下で限ることにより数値や定式化の有効性を上げようとしている。
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 クラーク1954調査の結果、各歩兵大隊の死傷%は非常に多様な散らばりを持っていた。30%どころか別の定まった数値もまるで見受けられなかったのである。クラークはこの時点でこの言説が疑わしいことをほぼ確信している。実際の任務継続可能性よりも、むしろ将校がどう感じ判断するかの方がブレイクポイントを決定しているようであるならば、将校の下に集められた死傷数報告が真なる指標になるのではないかという議論が進められる。ただその部下たちの一部の状況は戦闘中に「その瞬間には」大隊の将校が知ることができないことがあるので、彼らが戦闘で積極的な役割を取ることをやめたことを必ずしも意味するわけではない。このように部隊内で多少の通信が一時的に失われても、敵への影響を考慮する限りでは殆ど違いはないだろう。[Clark, pp.13~14]
図1_第1大隊の1944年11月の戦闘での死傷率推移

 例えば1944年11月、第28師団109連隊所属の第1大隊の戦闘死傷率は上図のグラフのようになった。累計ネット死傷数が20%強となった時位に攻撃が中止され防御へ移行している。その後戦闘が小休止しⅥ~8日目に兵員交代を受けネット死傷率はほぼ0%にまで回復した。にもかかわらず10日目に大隊の防御は壊れ、崩壊へと移行している。この時の累計ネット死傷率は10%以下である。交代数を差し引かない死傷者率が50%強になった時に崩壊した、と見て取れる。この大隊の例における戦闘効力の喪失とは攻撃継続が20%強、防御継続が10%弱の時に発生した。[Clark, p.14]
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 統計に移る。1954クラーク統計調査における各大隊を平均した各ブレイクポイントの損失%は次のようになった。※信頼水準は95%。分布記述は信頼区間のもの?

《交戦開始からブレイクポイントまでの損失%》※交代・増援を差し引かない

 【カテゴリーⅠ】攻撃⇒急速再編⇒攻撃
 ・兵卒:分布15.01~34.61%、平均24.81%
 ・士官:分布11.00~31.95%、平均21.52%

 【カテゴリーⅡ】攻撃⇒防御
 ・兵卒:分布13.29~37.00%、平均27.64%
 ・士官:分布15.91~36.09%、平均26.00%

 【カテゴリーⅢ】防御⇒撤退
 ・兵卒:分布42.09~62.55%、平均52.32%
 ・士官:分布36.06~57.00%、平均46.38%

《交戦開始からブレイクポイントまでのネット損失%》※損失数から交代数を差し引く

 【カテゴリーⅠ】攻撃⇒急速再編⇒攻撃
 ・兵卒:分布8.55~25.05%、平均16.80%
 ・士官:分布5.00~22.44%、平均8.72%

 【カテゴリーⅡ】攻撃⇒防御
 ・兵卒:分布4.93~13.79%、平均9.36%
 ・士官:分布1.09~16.81%、平均7.86%

 【カテゴリーⅢ】防御⇒撤退
 ・兵卒:分布23.48~53.18%、平均39.33%
 ・士官:分布17.61~45.77%、平均31.69%
結果_table1図2_各ブレイクポイントでの累計損失%

 この結果から、恐らく俗に言われる説はこれではないかとクラークは推察した。即ち言説の20~30%の損失というのは交代を差し引かない累計損失数のこと、そして組織的戦闘効力を喪失とは(Ⅰ)攻撃⇒急速再編⇒攻撃または(Ⅱ)攻撃⇒防御の平均を感覚的に捉えたものではないかということである。

 だが、この平均をとった結果はある種の特定任務にしか適用できないことは明らかである。クラークが戦闘データからより正確に述べることができると考えたのが次の2事項である。
 【1】7~48%の範囲(平均26%)の兵卒損失累計において、攻撃をしている歩兵大隊が任務を達するのが不可能になり得る。短時間(24時間以内)でその損失の半分以上が出た場合、数時間後にその部隊は攻撃を継続できる可能性がある。そうでない場合、防御へ移行しなければならない。
 【2】37~69%の範囲(平均52%)の兵卒損失累計において、差し迫ると推測される崩壊を避けるために、その防御している部隊は撤退を課される。

 けれどもこの累計損失を用いることはデータに関する最良のアプローチではない。なぜなら交戦開始からブレイクポイントまでの多様な期間が考慮されていないからだ。カテゴリーⅠは2~11日、カテゴリーⅡは2~22日、カテゴリーⅢは6~17日に、大隊の記録ではなっていた。
 [Clark, pp.17~20]
________________________________________________________________________
 ブレイクポイントを交戦開始からの日数で分類したものが次の表になる。
 この表の結果から、カテゴリーⅠのブレイクポイントの2/3が最初の期間に発生し、そして最後の期間にはカテゴリーⅠは発生していないことが分かる。2~4日に損失が発生したブレイクポイントであるので、ほぼ全てが交代をまだ受領していない。
結果_table2図3_期間ごとのブレイクポイント時の損失%


 戦闘の最初数日間における歩兵大隊は、13~34%の範囲で兵卒の未交代の損失から迅速に回復することができる、と表2から見て取れる。なぜより損失が少ない部隊がより士気が崩壊しているケースが見受けられたかについて、クラークは大隊内の特定の中隊に大損失が発生した状況がその原因の1つと挙げている。大損失が特定中隊に発生しても他中隊が無傷なら大隊全体としては攻撃を継続する傾向があった。(※他にもわかることはあるが割愛する。)
 6~11日期間のブレイクポイントについて、カテゴリーⅠもⅡも27%前後の死傷率となっている。殆ど場合、ブレークポイントの日には異常に大きな死傷者が出ていなかった。カテゴリーⅠの部隊が再編成して攻撃を続けることができたのは、将校の損失を完全以上に補填したのであり、また兵卒の補充がある程度充実していたことが死傷者数の面から唯一の説明である。
 [Clark, pp.20~23]

(これと同様のことがワインスタイン1986調査でも述べられている。ある部隊が高い死傷率を出したとしても、隷下複数部隊の内で死傷率が極端に高い1個部隊が居る部隊、他の部隊は行動可能でありそれを用いて上級階梯の部隊は全体行動を継続できた事例がWW2や朝鮮戦争で挙げられている。この事象は『死傷率の不均衡分布』という事項で取り扱われている。[wainstein,pp.43~48]

 表1と2の統計では平均すると兵卒の死傷率より将校の死傷率の方が僅かに低かった。(つまり同%の死傷率に将校が成った場合、より深刻なブレイクポイント超過が予想される?)だが関連した戦闘報告数百件を基にクラークは将校の損失の重大性を感じ取った。ただし上述の統計では将校が数的損失の中で組織性崩壊により寄与すると明示する証拠はない。兵卒より将校の方が10%以上損失が高かったのは各大隊の記録の中で僅か5%である。そこでの平均損失%は将校:兵卒=1.66:1だ。ブレイクポイントでの損失比率は1.2:1だった。この結果では、1日の将校損失が不釣合いに高いことはブレイクポイントに大きく影響するには十分な大きさの要因ではないように思われる。ネット損失のように、交代人員において将校の補充は兵卒よりも比率ではより迅速かつ完全になされる傾向があった。彼らが同師団内からの派遣であったり慣れ親しんでくれていれば補充は機能性の面で充分交代と言える。ただ慣れていない者の場合、それは実際のところ数的に表されているほど充分な補充にはならないこともある。 [Clark, pp.25~26]
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 ざっくりとした戦歴を見ても、いくつかの点が明らかになっている。 戦闘の先頭を行く部隊の中では重度の死傷(30%は異常ではない)が通常になっている傾向がある。 歴史的には25%のような人為的な尺度は、部隊の戦闘能力を破壊するのに十分だとは一般的には考えられていない。 国軍、戦闘司令官、軍史家、または防衛分析家の間では、戦闘ダメージが編隊を無力にするポイントにつ いての合意はない。[Wainstein, p.3]

【戦車損失】

 また戦車の損失に関して、ワインスタインが重視したのが敵の手以外で発生した喪失数の多さであった。
1944~1945_Causes of German Tank Losts
 1944~1945年のドイツ軍において喪失した戦車の中から1207のサンプルがとられた結果は上記表のものとなった。43%が敵の手以外で発生した損失数であった。特に時間や物資さえ届けば放棄せずにすんだ数の多さは、守勢において地歩を奪われていくと喪失率が跳ね上がる可能性を示している。攻勢を行い前進を続けることの重要性を支える理由の1つだろう。ただ行軍距離の長さは攻勢の方が長くなりがちなため、カナダ軍の公式記録のように攻勢&追撃時に非戦闘要因で使用不能になった車両率が高くなるデータも参考にすべきである。

 ただしこの調査を行ったOROの分析官は【機械的問題または地形的問題】での損失率が非戦闘損失の中の10%というのはあまりにも低いと考えていた。これは多くのデータが散逸したドイツ軍の中から取られたためサンプリングが脆弱になった可能性がある。分析官たちは機械-地形問題損失率についてもっと高いと考えている3人のドイツ軍上級将校の証言を紹介している。ディートリヒ将軍は30%、ハウザー将軍は15%(長距離の接敵行軍では20~30%)、グデーリアンは東部戦線で(の戦況が多彩であった東欧~ロシア域がメインの時期を含めると)60~70%だと述べたという。名称不明だが別のドイツ軍将校は「通常は実際の戦闘より多くの装甲車両が機械的問題で使用不能になった」と語ったと記されている。同調査では米、英、カナダ、フランスを相手取った時にも言及しており、1940年を除くとドイツ軍の戦車は10輌が失われればその内訳は凡そ、2輌が放棄、2両が自己破壊、4輌が敵砲による破壊、1輌が航空機の対地攻撃、1両が成型炸薬弾によって起きる損失だということも述べられている。 [Wainstein, p.74]
 
  戦車の非戦闘時の損失に関して連合軍側のデータはあまり良いものがない。使用可能と思われる完全な公的記録はカナダ軍と米海兵隊のものだ。これらの記録ではこれらの要因(非戦闘全体?自己破壊含む?)25~40%となっている。
 カナダ軍の記録は攻勢&追撃時に長い行軍を要請され、それだけ非戦闘時の喪失が多くでたことも示している。イタリアでのグスタフ線を突破する際の損失において、地形-機械的問題での損失は敵砲による損失のほぼ2倍に及んだ。イタリア全体でのカナダ軍戦車の敵攻撃以外での損失は次の値となっている。また、イタリア半島以外も載せる。アメリカ第3軍の戦車損失107輌について、その28%が地形-機械的要因だった。 [Wainstein, pp.73~75]
Canadian army data of Tank losses by non-enemy cause
 特に追撃時は敵抗戦能力が著しく減衰していることもあり、比率としては故障が占める割合が高くなるのは自然なことだった。それを特に顕著に示したのが1944年8月28日~9月7日までの英軍の戦車損失である。これはノルマンディーの後ドイツ軍の防御戦線が崩壊し大きな後退に追い込まれた時期(特にセーヌ川を一斉突破した直後)である。ここでの英軍の追撃時損失の表を載せる。
1944_British tank losses during pursuit

【核攻撃】

 それを踏まえた上で核攻撃を受けた際のインパクト評価のために、何とか数値を作ろうと苦闘した。結論の章に書いた事項を提案している。




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参考文献

Leonard Wainstein, (1986), "The Relationship of Battle Damage to Unit Combat Performance"

Dorothy Kneeland Clark, (1954), "Casulaties as a Measure of the Loss of Combat Effectiveness of an Infantry Battalion"

Lt.Col. L.W. Grau, (1985), "MOUT and the Soviet Motorized Rifle Battalion" Infantry (Jan-Feb, 1985, Vol75, No.1)

G.D. Wardak, (1990), "Voroshilov Lecture" vol.2   ※Grossaryなので1巻368頁も同じ

L.W. Grau & C.K. Bartles, (2016), "Russian Way of War"
 
Kirstin J. H. Brathwaite, (2017), "Effective in battle: conceptualizing soldiers’ combat effectiveness"

米国議会予算局, 2019, "The U.S. Military’s Force Structure: A Primer"






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・3日平均をとるとブレイクポイント当日の平均損失が全ての状況で突出した。(カテゴリーⅠを見た場合86.5%、カテゴリーⅡが2/3、Ⅲが2/3) p.17

・今回紹介した論文には連続した作戦に関する調査が欠落していた。ある任務を達成した後で次の任務へ着けるようになるまでの回復時間というのも作戦規模以上なら極めて重要になる。重い損失を出した部隊はそこでも重大な影響を及ぼす。