戦史の探求

戦史の情報を整理し探求するサイトです。 古今東西の全てを対象とし、特に戦況図や作戦図に着目しながら戦略・作戦・戦術について思索します。

June 2018

 ドイツ軍の公式資料が電子化され閲覧可能になっています。

 ドイツ国防軍最高司令部(OKW)及びドイツ陸軍総司令部(OKH)及び各司令部が戦中戦前に公式に作成し使用した資料などです。中身は戦争関連の多岐に渡り生産量や敵情、多数の図版(部隊配置図、作戦図、要塞配置図、道路網など)も含みます。
 また、それとは別項目にWW1関連のドイツ軍が保管していた資料も多量にあります。

【※重要】内容物に関し、学術研究以外での使用・転載は基本的に禁止されています。

OKH, OKW等のドイツ軍の公式資料

ロシア・ドイツ共同プロジェクト【ロシア(旧ソ連)文書館に保管されているドイツ資料の電子化

本プロジェクト内におけるドイツ軍関連資料の電子化及びリスト化」のサイトページ
→ WW2リンク
URL :  http://wwii.germandocsinrussia.org/ru/nodes/1-fond-500
→ WW1リンク
URL : http://tsamo.germandocsinrussia.org/ru/nodes/1-germanskie-dokumenty-pervoy-mirovoy-voyny-tsamo-fond-500-opis-12519

文書保管集積元【ロシア国防省中央文書館
(露:Центральный архив Министерства обороны Российской Федерации 略称:ЦАМО РФ 英:Central Archives of the Russian Ministry of Defence)

【WW2トップページ大項目】

・ドイツ国防軍最高司令部(OKW)
・ドイツ陸軍総司令部(OKH)
・B軍集団/中央軍集団
・ヴァイクセル軍集団
・第1~10軍、バルク、ドゥミトレスク、 フレッター=ピコ、 ヴェーラー集団軍の各司令部
・第1~101軍団の各司令部
・ソ連軍偵察情報部のドイツ軍分析資料
・ドイツ国防軍の庶務処理資料

大項目
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 第2次チェチェン紛争の最初期においてチェチェン武装勢力は幾度かロシア連邦軍の部隊に損害を与えました。
 本記事はその内の「776高地の戦い」(別名ウルス・ケルトの戦い)を紹介したいと思います。
 それまでゲリラ戦をしていたチェチェン・イスラム過激派が勝負に出て山岳地帯で大規模な攻撃に討って出て発生した戦です。

map_104連隊
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 第2次チェチェン紛争の初期における反ロシア系武装勢力の構成要素について概要を記載しておきます。
 本当は776高地の戦いの章の1つだったのですが長すぎるので分離しました。

776高地の戦い リンク

[目次]
0.チェチェン紛争の始まり
1.通信及び交通
2.ロシア軍の交通を妨害する工作
3.索敵
4.基本戦法の代表例
5.長所
6.弱点
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 1992年、ロシア連邦軍は混乱の中で新たな門出を迎えました。
チェチェン紛争_侵攻ルート
 ソ連の解体による組織改編、経済苦境による軍予算の縮小、組織の腐敗などの様々な苦境に直面します。必死で再編が進められる中で彼らはかつてのソ連構成国への軍事侵攻を行います。その内の1つがチェチェン紛争と呼ばれるものです。
 この軍事侵攻は様々な教訓を新生ロシア連邦軍に、時に軍事的に大いなる反省を必要とするものを彼らにもたらしました。

 その中の1つ、2000年3月に行われたセルギエフ・ポサードOMONの伏撃について、C.W.Blandy氏の文献を基軸に分かっている範囲で記載しようと思います。

 最初に結論を書いておきます。この戦闘はOMONによる「見事な」待ち伏せ攻撃であり、そして救いのない同士討ちと考えられています。
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 サンスクリット語の「 व्यूह = Vyuha(ビューハ)」は軍事的には部隊配置という意味で使われ、「一般的なビューハ」は陣形と捉えられます。ただしあくまで一時的な位置関係を示すのみであり、そこから流動的な展開をするのが殆どです。

 古代インドの陣形について参考程度ですが判った範囲で紹介しようと思います。…ご覧になればお分かりになるかと思いますが、色々と困惑させてくれる陣形集です。
 最初はお伽噺だと気にしていませんでしたが、バクシ少将が大真面目に資料を作成したのを見て慌てて調べ直しました。
Garuda_vyuha_(eagle_like_array) - 2
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