戦史の探求

戦史の情報を整理し探求するサイトです。 古今東西の全てを対象とし、特に戦況図や作戦図に着目しながら戦略・作戦・戦術について思索します。

カテゴリ: 戦例

 包囲を行ってくる敵に対してどう対処するかという命題について戦史には様々な応えが記されています。そもそも包囲を行える部隊組織を持ち、発案しくる敵指揮官は優れた相手であることが多く、それを上回る戦術は卓越したものとなります。

 第3次ラムラの戦いは包囲を企図した者とそれに対抗した戦術が現れた良質な戦例です。

 この戦いの指揮官、十字軍国家の王ボードゥアン1世は中東で戦歴を積み重ねてきました。
 直近の会戦で対決したファーティマ朝軍は数で上回っていたためか尽く包囲を試みており、第1次ラムラ会戦では包囲が失敗し、第2次ラムラ会戦では前回の欠点を見事に改善し包囲戦術を成功させボードゥアンを破りました。学習し成長したとも言えるこの敵に対してボードゥアンもまた戦術的な変化を持って再び戦に挑みます。
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(以下 本文敬略)
第1次ラムラ会戦及び第2次ラムラ会戦に関する記事は本リンク参照
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 包囲戦術・作戦は軍事史において古今東西変わらずその有効性を示し続け、今や米軍の教範に戦術上最も検討優先度の高いマニューバとして記されています。
 しかし包囲を行おうとすれば勝てるというわけではなく、相手もまた優れた軍事知識を持つ将校である場合に包囲を成功させることは至難であり、逆襲を受け敗北することもあります。特に相手の包囲を上回り逆襲する手法は対包囲(反包囲)という括りを為され、恐らく戦術という観点では最も高度な手法の1つが見られるでしょう。
 といっても複雑な対包囲もあればシンプルなものもあります。時に対包囲というより包囲側の自滅的な要素もありますが、いずれも迅速で大胆な決断力を必要とします。なぜなら全て巨大なリスクを背負わなければできないマニューバだからです。

 今後このサイトではある程度、包囲戦術の各タイプごとの戦例をあげた後、それらに対する対包囲戦術・包囲戦術失敗の戦例を定期的に投稿していこうと考えています。

 この記事はその最初の投稿となります。会戦の名は「ラムラの戦い」、中世に行われた十字軍騎士とアラブ兵の戦闘です。
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(以下本文敬略)
(対包囲戦術の例:第3次ラムラの戦いは本リンク参照続きを読む

 1780年10月、ノースカロライナ州の山林でアメリカ独立戦争の南部戦線において戦略的に非常に重要な戦いが行われました。会戦名はBattle of Kings Mountain。互いに訓練した民兵を少数の士官が率いる苦しい戦いでした。この戦いは独立派も王党派も互いに激しい戦闘士気を見せ、戦術的に意義深いものを見せてくれています。(以下 本文敬略)
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 古代西アジアにおいて2つの大国が熾烈な戦いを繰り広げました。高名なローマとパルティアの戦争です。彼らの戦争は数多の犠牲の上に成り立つ名将と呼ばれる者達を生み、戦史に大きな教訓を残しました。その初期に行われた戦いの1つ、カルラエの戦いは後の時代でも使われ続ける代表的な戦術を示してくれています。

 この戦いは片側の圧倒的勝利に終わりますが、決して敗者が、その将と兵士たちが嘲笑を受けるような姿勢を見せたからではありません。カルラエの戦いにおいてローマ軍とパルティア軍はどう戦ったかのかを歴史書の記述から思索しながら追ってみることとします。
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(以下本文 敬略)続きを読む

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2-1. イスラム初の会戦 ー バドルの三叉路の戦い ー

 
メッカvsメディナ
 西暦624年、イスラム勢力にとって史上初の会戦が訪れた。場所はバドルの三叉路と呼ばれる3つの道の交差点だった。この戦いにハーリド・イブン・アル・ワリードは加わってはいない。ただこの戦いは来たるハーリドの才能が初めて歴史に現れるウフドの戦いの直前の戦いであり、ハーリドの敵将としてのムハンマドの軍事手腕を語る上で欠かせないためここに記述することとする。
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