戦史の探求

戦史の情報を整理し探求するサイトです。 古今東西の全てを対象とし、特に戦況図や作戦図に着目しながら戦略・作戦・戦術について思索します。

タグ:アラビア

前回塹壕の戦い←                 →初回及び参考文献

 629年、イスラムの敵として戦いムハンマドを打ち負かしさえしたハーリドがイスラム勢力に参加したことは大きな出来事でした。彼は30代後半で既にアラビアの中では随一といって良い軍歴を持っていましたが、この後の戦歴はそれを遥かに上回ることとなります。これは彼のムスリムとしての最初の会戦の記録です。

 ムタの戦い。この会戦でイスラム勢力は敗北します。
 ただ、敗北したが故に、ムタの戦いをして彼はこう呼ばれるようになります。

 『神の剣』ハーリド・イブン・アル・ワリード

battle of uhud-gif
<ウフドの戦い_625_ムハンマドに勝利したハーリド>
→ ウフドの戦いは本リンク参照
(以下、本文敬略)
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前回ウフドの戦い_片翼包囲 ←          →初回及び参考文献

 ウフドの戦いで示した偽装退却、小迂回、背面攻撃、そして片翼包囲への迷いのない連続的戦術はハーリドの後の戦いで振るう戦術の前触れとも言えた。ただウフドは数で圧倒しておりハーリドだけでなく友人のイクリマ、総司令官のスフヤーンの手腕による所もあっただろう。ハーリド個人が抜きん出た才能を示すのはイスラムに加わってからであった。今回記述する627年の塹壕の戦いは彼がイスラムと戦った最後の会戦である。

4-1. ウフドの戦いの後

メッカvsメディナ
 ウフドの戦いはハーリドの活躍も有りメッカ・クライシュ族(以下メッカと呼称)の勝利に終わった。メッカ側の最有力者スフヤーンはメディナ・イスラム勢力(以下イスラムと呼称)がこれで衰退していくであろうと踏んでいた。復讐戦を見事果たしたことで面目は保たれたこともあり、彼はメディナへの突入をすることなくメッカへの帰還の途に着いた。

 しかし彼の予想に反しムハンマドはここから再び立て直していく。彼は敗北したとは言え戦術的には優れた才覚の端緒を見せていた。帰途のメッカ軍を襲撃し自分たちが終わっていないことを内外に示すことにも成功していた。そして2年も絶たぬうちに以前を上回る勢力を獲得するのであった。

 ハーリドはウフドの勝利にも関わらず一族の者が戻っってこないことに関心をいだき始めていた。何より現状のメッカの支配体制に不満があったであろう。続きを読む

前回バドルの戦い←           →初回及び参考文献

3-1. メッカ・クライシュ族の再侵攻とハーリドの参陣 [the battle of Uhud]

メッカvsメディナ
 西暦624年、ムハンマド率いるメディナ・イスラム勢力はバドルの三叉路の戦いで数倍のメッカ・クライシュ族を撃退し有力者の1人ハカムを戦死させた。この寡兵で得た勝利はイスラムを勢いづかせるには充分であり、メディナの勢力は更に増大を始めた。
 一方で権威を失墜させ有力者を何人も失ったメッカ・クライシュ族は焦っていた。交易と参拝で成り立つメッカで部族と己が神の沽券を失えば取り返しがつかないことに成ってしまう。有力者が戦死したことで事実上の指導者となったスフヤーンは、部族会議を開き復讐を行うことを決定した。
 スフヤーンはバドルと同じ戦い方では勝てないことを悟っていた。彼は時間をかけ充分な準備をしてから出撃することに決めた。バドルの戦いから1年弱たった625年、スフヤーンは装備を整えると復讐戦を開始した。その中には騎兵部隊等の隊長格として参画したハーリドの姿があった。
 家族の中には既にイスラム側に行ってしまった者もいたが、武門の一族マフズーム家の誇りを賭け彼は戦いに赴く。


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2-1. イスラム初の会戦 ー バドルの三叉路の戦い ー

 
メッカvsメディナ
 西暦624年、イスラム勢力にとって史上初の会戦が訪れた。場所はバドルの三叉路と呼ばれる3つの道の交差点だった。この戦いにハーリド・イブン・アル・ワリードは加わってはいない。ただこの戦いは来たるハーリドの才能が初めて歴史に現れるウフドの戦いの直前の戦いであり、ハーリドの敵将としてのムハンマドの軍事手腕を語る上で欠かせないためここに記述することとする。
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1-1. 武門の一族

 ハーリド・イブン・アル・ワリードはクライシュ族の中の有力一門である マフズーム家(バヌー・マフズーム)の生まれである。マフズーム家は特に戦ごとに責務を負う一族であったと言われている。この一族はクライシュ族が戦で乗る馬を育て訓練し、遠征軍の準備とその仕組を調整することができた。訓練された馬だけでなく未調教の若馬やラクダも乗りこなし馬上で戦えるようになることを求められた。それ故に戦時においてこの一族の者が指揮官格を占めることが多くあったのである。その武門の空気を吸いハーリドは育っていくこととなる。
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He promised himself battle. He promised himself vicotry. And he promised himself lots and lots of blood.
      ー『 神の剣:ハーリド・イブン・ワリードの生涯と戦役集』第1章より抜粋 ー 
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 本稿はイスラム勃興を支えた不世出の将ハーリド・イブン・アル・ワリードの参加した数多の戦役とその会戦における指揮を追っていくものである。そしてその中で彼がなぜ圧倒的な戦歴にも関わらず不遇の扱いを受けたのか、特にその軍事勢力の特性から紹介したい。

イスラムの勃興
< イスラム勃興期の急激な勢力拡大 >
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