戦史の探求

戦史の情報を整理し探求するサイトです。 古今東西の全てを対象とし、特に戦況図や作戦図に着目しながら戦略・作戦・戦術について思索します。

タグ:ソ連

 米陸軍が公開してくれているACCPに短くまとめられたソ連軍の追撃戦に関する項目があったので紹介してみることにします。以下の文は核攻撃の可能性を含む追撃条件の下で、相手(ソ連軍)がどう考えて行動してくるか想定できるようにするために米軍が作った教練項目の1つです。(本文中に出てくるものはほぼ戦術核想定)
 いつもながら推敲していない直訳なのでご助言大変感謝致します。
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 米軍の追撃戦に関してはFM3-90 chapter7などをご参照下さい。ソ連とおおよそ類似する概念が書かれていますが完全に同じではありません。
Frontal PursuitCombination PursuitPursuit Control Measures
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以下、本文開始

 学習項目2:

後退作戦実施時の米軍へのソ連の脅威を知る

 ソ連の軍事辞典は「追撃」を以下のように定義している。

『撤退中の敵軍への攻撃、敵軍の最終的な破壊か捕獲を目的とする進行中の作戦または戦闘を実施する事である。敵主力部隊へ(火力投射)打撃し、容赦の無い精力的な並行追撃や追尾追撃を実施し、敵撤退進路を塞ぎ、そして敵軍の側面や後背を攻撃することにより撤退中の敵軍の破壊は達成される。』

 撤退中の軍を追跡するソ連軍によって使われる戦術に関して、この教練は貴方を習熟させるだろう。ここでのデータはまるでソ連軍将校が使用するために書かれたかのように表現される。それにより追撃作戦中のソ連指揮官の目を通して戦場を「見る」ことをアシストするだろう。
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 CIAが1970年6月に入手した、ソ連・ワルシャワ条約機構軍による南欧・トルコ等NATO諸国への攻勢演習図の紹介です。
 元は冷戦が終わりCIAが公開してくれている下記ワルシャワ条約機構の分析レポートからです。1955~1985年の各種の(元)機密報告書を要約し分析をして実に短く読みやすくまとめてくれていますが、その分詳細についてもっと長く書いてほしいと思うかもしれません。多いのでとりあえず作戦図のみ紹介しますが、冷戦期写真はCIAやNARAが多数公開してくれているので元サイトなどを参照頂ければいくつも興味深いものが見られます。

掲載元
CIA公式サイト・ライブラリー
CIA Analysis of the Warsaw Pact Forces: The Importance Of Clandestine Reporting
https://www.cia.gov/library/publications/cold-war/the-warsaw-pact-forces 

CIA公式Flickr
https://www.flickr.com/photos/ciagov/sets/72157631830870415

Soviet_Map_01_-_Warsaw_Pact_Plan_of_Action_CIA

 <ワルシャワ条約機構の南欧及びトルコ侵攻計画全体図>
西側と東側と明記されている
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 1917年末に開始されたロシア内戦は拡大し、ボリシェヴィキと呼ばれたレーニンらの政府勢力は各地で戦線を開くことになります。諸反対勢力の蜂起だけでなく諸外国の干渉は事態を複雑化しました。
 1918年初頭に労農赤軍の創立が正式に宣言されボリシェヴィキは一部で反撃を開始するも白軍や外国軍によって幾度か危機を迎えます。3月にドイツら中央同盟国軍に大規模な領土割譲を認める代わり戦争を収束させるブレスト=リトフスク条約を締結。ただ諸白軍との戦争は続き、しかも今度はWW1の戦勝国が介入を本格化します。ボリシェヴィキはモスクワを中心としながらペトログラード(後のレニングラード)やスモレンスクを保持する領域で耐えロシア各地で支持者が入り乱れます。

 1919年は特に厳しい時期であり、レーニンは帝国時代の首都だったペトログラードの放棄を悩むほどになります。この時ペトログラードへ迫ったのはそれまであまり日の目を見ていなかったバルト三国周辺、特に陥落していなかったエストニアから進む北西軍でした。率いていたのはWW1オスマンとの戦線で活躍したユデーニチ将軍です。彼は連合軍の支援を受け、関係勢力を驚かせる進撃を見せました。
1919_ユデーニチの攻勢と赤軍の反撃

 以下にはユデーニチ北西軍と対したペトログラード周辺の赤軍及びトロツキーについて中心に、その戦闘の一部を鉄道路線に着目しながら記載します。
別記事→【資料紹介_ロシア内戦_戦況図集】に全体図はあります。

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 ロシア内戦の戦況推移集です。ほとんどの出典はソ連国防省のソ連軍事事典ですが他書籍でも同じ図見るので大元は別かもしれません。ちゃんと辿っていなくて申し訳ないです。

別記事→【1919_ロシア内戦_ペトログラード攻防戦】にも多数戦況図あるため参照下さい。
 ネット環境が厳しい&PC壊れそうなので先に図だけ貼っておきます。突如消えるかもしれません。

ロシア内戦主要戦況図
<ロシア内戦 主要戦況図>
全体概要_1918
<ロシア内戦 全体概要_1918>
別サイト出典--> http://referad.ru/grajdanskaya-vojna-predshestvuyushij-period/index.html続きを読む

 戦況図紹介です。

 ロシア、というかソ連時代に作成された日露戦争の主要戦の戦況図一覧です。
 日本軍のマニューバについて色々と思う所はありますが、ロシアから見た戦況推移という感覚を知るためには有用かと思います。
 ※元画像大きいのでご注意ください。
1904_日露戦争まとめ

 ソビエト連邦はWW2で人類史最大の戦争に勝利し、その軍事理論は今なお多くの戦史家を惹きつけています。
 WW1の途上で生まれたソ連軍はその直後からWW2までの間に東アジアから中央アジア、そして東欧と北欧に至るほぼ全域で戦争を行っており、大戦間における戦闘経験は世界で最も多い国の1つとなります。これらの中から軍事理論家やWW2で優れた手腕を発揮する将軍たちはその姿を現して来ました。
soviet-Manzhouli-offensive-resize
 本記事はWW2の作戦指揮官の最高峰と讃えられることもあるロコソフスキー将軍が参加した1929年の中ソ紛争におけるマンジョウリ・ジャライノール攻勢について記述しようと思います。
 騎兵の活躍した戦いであり、同時にソ連が国産設計した戦車の最初期にあたるT-18戦車の実戦としても知られています。続きを読む

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