戦史の探求

戦史の情報を整理し探求するサイトです。 古今東西の全てを対象とし、特に戦況図や作戦図に着目しながら戦略・作戦・戦術について思索します。

タグ:ティムール

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名称と年代:ジャンディ・カマル_駝城

 中央アジアを中心に遊牧民の間で使われた4足獣を用いた即席障害物構築戦法が存在する。
 この戦法の確固たる共通名称は無いが、カザフ語またはキルギス語では「ジャンディ・カマル(Жанды камал)」と発音されたことが伝わっている。意味は「生物塁砦」である。ロシア語圏では直訳し「動物による塁砦(Живая крепостьまたはкрепость из животных)」を使用している。中国・清王朝はこれを「駝城」と記録しているが、駱駝に限らず4足獣全般がこの戦法に使用されている。ラクダの場合は「トゥイェ・カマリ(Туйе камалы)」と呼ばれ、ロシア語訳はВерблюжья крепость(ラクダ塁砦)が対応する。ドン・コサックの地域では「батованием」と呼ばれていたとされる。

 主に記録さている活躍は16世紀~19世紀であるが、20世紀ソ連でも存在しており知見が継承されている。また、弓にも効果的であるため使用開始の年代はさらに古いと考えられている。使用最盛期は18世紀であるとされる。
 年代から明らかなように、ジャンディ・カマルは銃が普及した時代に騎馬の民がそれを活かすために好んだ手法である。何もない平野や雪原だろうと突如として塁壁を作り上げ猛威を奮った。
清と闘うジュンガルのジャンディ・カマル1941_雪原で展開するソ連軍タタール騎兵


<右図:1941年のソ連軍タタール騎兵部隊が雪原で散開しながらジャンディ・カマル(?)を展開している>
https://www.iwm.org.uk/collections/item/object/205087014


<左図:清王朝と闘う際にジャンディ・カマルで苦しめた18世紀のオイラート>続きを読む

※ 本記事はアンカラの戦いの会戦戦術そのものについては記述せず、その場所に到るまでにティムールが行った戦略と諸作戦、特にその行軍について記します。

 中央アジアで覇を唱えた大アミル・ティムールが小アジア及びバルカン半島で拡大を続けるオスマン朝のバヤジット1世と対決したアンカラの戦いは広く知られています。
 両国共に隆盛期であり数多の戦歴を重ねそして勝ち続け巨大な勢力となっていました。2大国の衝突は大会戦へと到り戦争そのものに決定的な勝敗を生み出します。ここで展開された作戦について記述してみたいと思います。
Timur_Campagin at Asia Minor
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