戦史の探求

戦史の情報を整理し探求するサイトです。 古今東西の全てを対象とし、特に戦況図や作戦図に着目しながら戦略・作戦・戦術について思索します。

タグ:包囲


  騎馬戦士よ!ラワ戦法などに首を突っ込まず、
  自らの命を惜しむがいい。

プーシキン詩作『騎馬戦士』(1829年)
(鈴木淳一, "В.В.コージノフ『19世紀ロシア抒情詩論(スタイルとジャンルの発展)』翻訳の試み(3)", p.67より抜粋)
_______________________________________________
 ラワという軍事単語は現在はあまり使われません。ただ戦史を調べていく中で特定の人々、例えば旧日本軍の戦術書籍を読む方々はこの言葉に出会い、なぜ固有名詞化されているか気になったかと思います。
lava_various

 本件はよくある話ですが、調べれば調べるほどわからなくなるテーマでした。ラワとは戦術的概念であるという説明の他に、フォーメーション寄りの解釈をしているものが少なからずあったからです。資料元のロシア国内ですらこの解釈に混乱があるという話を見た時、どれか1つの書籍にあるものをそのまま主張するのではなく、複数の資料を列挙して示しておくことにしました。ですのでラワとは何かの普遍的定義を導くのではなく、複数解釈ある背景を説明する方に比重を置きました。
 かなり厄介なテーマでしたがようやく調べが進んだので簡易ながら覚書を残します。同じく興味を持つ人がいつか現れ、調べた時に少しだけ助けになれたら幸いです。続きを読む

 循環移動射撃(カルーセル、トラゥザーズ)戦法について紹介した前回の記事に続き、それを組み込んだ戦術的行動について調査しましたので記載しようと思います。
 機甲の循環移動射撃が組み込まれ得る戦術は様々あり、現在シリアでの実戦やロシア軍の演習で試されています。いずれも極めて強力なものであり、相手がもしそれを把握しておらず巧みな対処ができなければ破滅的な影響をもたらし得ます。それらは真新しいものではなくむしろ歴史的に幾つもの巨大な実績をあげた戦術の現代への適合と統合という意味での進化に近いものでした。循環移動射撃戦法がもたらす効果はその戦術を構成する一要素として、例え循環移動射撃が単一では敵に重い損害を与えていなくとも、全体の戦果に対し大きな貢献をしています。
 以下の事項について特に着目して記述しました。

・偵察‐打撃コンプレックスの活用
・機甲のノマド式運用
・長時間制圧射撃と別チームの移動支援
・誘引からの分断、包囲、逆襲(マニューバラブル防御の一部)
カルーセル_偵察からの打撃

関連
前回の循環移動射撃(タンク・カルーセル、ファイヤ・カルーセル、タンク・トラゥザーズ)、シリア式塁壁に関する調査記事。
リンク→タンク・カルーセル戦法_機甲による循環移動射撃
http://warhistory-quest.blog.jp/20-Apr-15

攻撃時に後退を含む頻繁な移動を許容し、継続的な射撃を行うタイプの戦闘技法とそれを用いた包囲戦術の事例
リンク→弾性の包囲概説と戦例
http://warhistory-quest.blog.jp/18-Apr-12
続きを読む

現在ロシア軍が訓練とシリアでの実戦データ収集を続けている機甲による戦法『タンク・カルーセル』について記述します。関連する『タンク・トラゥザーズ』戦法と『シリア式塁壁』についても触れることにします。

 内実は循環移動射撃戦法と呼ぶべきものであり、基本コンセプトは古くから続くショット&アウェイです。科学技術進歩に伴い複合的に進化した機甲車両と砲兵隊によって、このコンセプトを現代戦の中で実践する手法として再び現れました。ロシア軍、シリア軍、ウクライナ軍による実戦運用と訓練が進められており、米軍も少しずつ研究を続けています。
 長所と短所の両方があるこの戦法の特性について調査して判明した範囲で説明し、次に戦術の中でこの戦法がどう活用されるのかをロシア軍の演習を例に記そうと思います。

 まだ不明点が多く実戦記録も十分でないため、別の資料や戦車運用の知見をご存じの方の意見をどうか伺いたく思っています。発展性と制限性の両方がある極めて興味深い戦法だと感じています。なにとぞご助力お願い致します。
Fire Carousel

続きを読む

 東ローマのユスティニアヌス、そしてササン朝のカワード1世は恐らくこの2大国の長き歴史の中でも有数の名を知られた君主です。彼らの時代に両国間国境は大きく動きはしないものの多くの衝突を繰り返しました。まさに大国らしい大規模な軍事戦略と強かな外交の中で、幾名もの将が会戦を行い名を残します。そして531年にとある戦役がユーフラテス川沿いで発起されました。

 カリニクム戦役と呼ばれるこの時東方戦線の司令官を務めたのは後に東ローマで最高の将と称えられるべリサリウスでした。米軍や英軍ではかなりの人気があり日本でも知名度は東ローマの中ではずば抜けた将軍だと思います。まだ若きべリサリウスはこの戦役でもその優れた才覚の片鱗を見せササン朝の侵攻に対抗します。
 一方ササン朝の遠征軍を率いたのはアザレテスと呼ばれる軍人でした。彼は記録が少なく恐らくあまり知名度の無い人物ではありますが、本戦役でその手腕を明確に示すことになります。1つは会戦を避けようと退却し作戦全体を見直した視野の広さで、そしてもう1つはあのべリサリウス率いる東ローマ軍を壊滅させた戦術で、アザレテスは素晴らしくそして後世の人々が幾つかの軍事理論を理解するのに役立つ指揮を戦史に残してくれました。

 以下にはカリニクム(現ラッカ周辺)で行われた会戦での水場側への片翼包囲、兵士統制の難しさ包囲の困難性とリスク、対包囲戦術としての鈎型陣形、そして会戦へ到るまでの退却行について注目しながらその戦史を紹介しようと思います。
531_Battle of Callinicum_gif

続きを読む

 ソ連のアフガニスタン紛争は山岳ゲリラ戦に関する多くの教訓を残しました。戦後1991年、フルンゼ軍事アカデミーで数多の戦闘記録を集め分析した書籍が編纂され、それは米軍指揮幕僚大学とも共有されました。その中に山岳ゲリラの掃討を成功するために満たさねばならない3つの基本事項があります。

1偵察 preliminary reconnaissance
 事前に偵察を行いゲリラ部隊のいる場所を明らかにしておかねばならない。その際にはゲリラ戦力の編制と彼らがどう動くかの予想をつけておくこと。

2ブロック limit / constrain / block
 ゲリラの移動を拘束しなければならない。戦術的空挺強襲や急襲部隊などを用いて敵ゲリラの撤退ルートを全て塞ぎ、逃げようとする敵をブロック部隊の打撃に晒せるようにする。

3掃討 sweeping
 敵戦力は我が方の主力掃討部隊によって撃滅されねばならない。あるいは正面攻撃をもって撃滅する。(撃退などではなく、撃滅しなければならない。)

 この内のどれか1つでも満たしていなければ、(相手側にミスが無い限り)ゲリラ掃討任務の成功は難しくなるとされています。敵と密接に接触し情報を入手し、ブロック部隊がマニューバを行い配置につくと同時に戦闘によって敵をくぎ付けに拘束し、そして敵ゲリラ部隊を包囲し撃滅すること。これがソ連軍が1978年から89年までの長きに渡りアフガニスタンで戦争をして数多くの戦例で犠牲を払い確認した山岳戦の基本事項でした。

 前回はこの3つの基本事項を具体的な戦例の中で説明しました。
【アフガンゲリラ山岳戦例集_1980s_掃討作戦】
http://warhistory-quest.blog.jp/20-Jan-24

 この基本を踏まえた上で応用的な戦例を1つ紹介しようと思います。既にソ連側もゲリラ側も疲弊し、しかし戦術的な知見が積み重なり洗練されてきた時期である1984年、ソ連・アフガン政府の連合軍が掃討作戦を実施します。そこでゲリラ側は逃げ続けるのではなくあるタイミングで逆襲を仕掛けました。場所はパンジシール渓谷南西部、指揮官はアフマド・シャー・マスード、この戦争で最も名を馳せた将です。
1982_マスードの対包囲_高地と町の同時攻撃_All

続きを読む

 山岳ゲリラの掃討作戦を成功するために満たさねばならない3つの基本事項があり、それは『偵察ブロック掃討』であるとソ連軍は述べました。
 この内のどれか1つでも満たしていなければ(相手側にミスが無い限り)ゲリラ掃討任務は成功が難しくなります。山岳ゲリラ掃討作戦では敵と密接に接触しそして情報を入手し、ブロック部隊がマニューバを行い配置につくと同時に敵をくぎ付けに拘束し、そして敵ゲリラ部隊を包囲し撃滅します。
 積み重ねられた全史の戦闘記録はこれが必要であることを示していますが、今回は特に1980年代のアフガニスタン紛争での戦例を複数取り上げ、具体的に上記3つの基本事項がどう影響したかを説明していこうと思います。
アフガン戦例集_掃討

参照元文献_米軍と共有したソ連フルンゼ軍事アカデミー編纂書籍

 アフガニスタン紛争は軍事侵攻をしたソ連と現地協力政府アフガニスタン民主共和国に対し各地方勢力が主にゲリラで戦ったものです。ソ連軍では侵攻初期から様々な課題が浮き彫りとなり、戦争中にそれを改善していこうと尽力し戦争後もその試みは続けられました。1991年にソ連軍はこの戦争の山岳ゲリラ戦例を多数まとめあげその軍事的分析、教訓集を作り上げます。『アフガニスタン共和国でのソ連軍の戦闘活動集』と名付けられた本書はフルンゼ軍事アカデミーとして知られる指揮幕僚の最高学府で編纂され使用されることになります。

 時を同じくして米ソ冷戦が終わり両国は急接近していました。CIAの現場職員が驚くほどに両国はもう敵でなくなるのだとと上層部から通達が入ります。それは軍事面でも同じで、なんとソ連軍はこの極めて貴重な軍事資料を作成後「即座に」米軍と共有しました。フルンゼ軍学校で出版されたのは1991年であり、米軍が正式に受領し翻訳して英語版を製作したのは同じ1991年です。ソ連軍は赤裸々に自分たちのミスが記された、そして膨大な血と金を代償に得た軍事的教訓の実例を米軍に直接明かしました。そこにはアフガン侵攻の基本戦略軍事コンセプト、そして対山岳ゲリラ戦術の説明も載っています。訳者のグラウ中佐を筆頭にソ連軍事研究の大御所グランツ大佐などが関わり、米国指揮幕僚大学外国軍事研究室(FMSO)の責任の下で英語版が発行されることになります。米軍側もこの資料を自軍が将来戦う可能性のあるタイプの戦役であると大切に受け止めました。文章の構成はまず実戦記録が短く記され、次にフルンゼ軍学校の分析、そして米軍の(FMSOがレビューした)英語版編纂者のコメントが追記される形となっています。

 「軍部同士の暫定的な交流プログラムが実施拡大されており、米ソ両軍の巨大な相違を橋渡しする試みが為されその2国の軍は将来、統合作戦と平和維持作戦をする可能性がある。」
L.W.グラウ

 これは英語版の前文(p.XX)に書かれた記述の抜粋です。ソ連はロシア連邦へと変わり、現在2020年時点では両国は友好的とは言えず、本格的な米ロ統合軍事作戦という90年代に抱かれた夢は難しい情勢です。それでも2001年からアフガニスタンで新たな戦争を続ける米軍にとってこの資料は非常に高い価値があり、開戦時の将校の中の何人かあるいはかなりの人数が読んで参考としていたはずです。実際に2000年に発行された米陸軍野戦教範FM3-97.6 Mountain Operationsには多分にこのフルンゼ軍学校の本の内容が反映されており、実戦例と図もそのまま参照しているものがあります。

「これはソ連・アフガン戦争における最初の暴露資料である。そしてこれが最後の資料でないことを祈っている。」
D.M.Glantz Introductionより抜粋

 この書籍の中には膨大な数の戦例が記されていますが、本記事はその中から掃討作戦について記された箇所を参照とし記すことと致します。
続きを読む

↑このページのトップヘ