戦史の探求

戦史の情報を整理し探求するサイトです。 古今東西の全てを対象とし、特に戦況図や作戦図に着目しながら戦略・作戦・戦術について思索します。

タグ:包囲失敗集

 16世紀、中~西欧において銃の性能と戦術の発展は、他の様々な要素と絡み合いながら戦場の様相を少しずつ変えつつあり、異なった度合いながらその事象は世界各地でも見られました。今回は西アフリカ戦史において重大な契機と捉えられ、そして幾つかの誤解をかつてされていたBattle of Tondibiについて記します。

 この戦例の中では戦史で注目される幾つもの事象を見ることができ、非常に意義の深いものとなっています。

・火薬技術と戦列銃兵について全く未知の軍が、火薬にあまりにも偏った依存をした軍と対決した
・モロッコ軍歩兵において銃兵が占めた割合が50%を超え、更に殆ど槍兵がおらず戦闘した可能性がある
・銃兵vs騎兵の発生
・銃兵vs弓兵の直接的対決が起きた
・包囲戦術の敗北
・牛の突撃または塁壁化戦法
・砂漠を横断する長期行軍とその膨大な損失
・会戦に勝利できても後の広域の統治支配を行える軍ではなかった
・宦官の指揮官
1591battle of Tondibi_GIF

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 包囲を行ってくる敵に対してどう対処するかという命題について戦史には様々な応えが記されています。そもそも包囲を行える部隊組織を持ち、発案しくる敵指揮官は優れた相手であることが多く、それを上回る戦術は卓越したものとなります。

 第3次ラムラの戦いは包囲を企図した者とそれに対抗した戦術が現れた良質な戦例です。

 この戦いの指揮官、十字軍国家の王ボードゥアン1世は中東で戦歴を積み重ねてきました。
 直近の会戦で対決したファーティマ朝軍は数で上回っていたためか尽く包囲を試みており、第1次ラムラ会戦では包囲が失敗し、第2次ラムラ会戦では前回の欠点を見事に改善し包囲戦術を成功させボードゥアンを破りました。学習し成長したとも言えるこの敵に対してボードゥアンもまた戦術的な変化を持って再び戦に挑みます。
スライド9

(以下 本文敬略)
第1次ラムラ会戦及び第2次ラムラ会戦に関する記事は本リンク参照
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 包囲戦術・作戦は軍事史において古今東西変わらずその有効性を示し続け、今や米軍の教範に戦術上最も検討優先度の高いマニューバとして記されています。
 しかし包囲を行おうとすれば勝てるというわけではなく、相手もまた優れた軍事知識を持つ将校である場合に包囲を成功させることは至難であり、逆襲を受け敗北することもあります。特に相手の包囲を上回り逆襲する手法は対包囲(反包囲)という括りを為され、恐らく戦術という観点では最も高度な手法の1つが見られるでしょう。
 といっても複雑な対包囲もあればシンプルなものもあります。時に対包囲というより包囲側の自滅的な要素もありますが、いずれも迅速で大胆な決断力を必要とします。なぜなら全て巨大なリスクを背負わなければできないマニューバだからです。

 今後このサイトではある程度、包囲戦術の各タイプごとの戦例をあげた後、それらに対する対包囲戦術・包囲戦術失敗の戦例を定期的に投稿していこうと考えています。

 この記事はその最初の投稿となります。会戦の名は「ラムラの戦い」、中世に行われた十字軍騎士とアラブ兵の戦闘です。
スライド6

(以下本文敬略)
(対包囲戦術の例:第3次ラムラの戦いは本リンク参照続きを読む

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