戦史の探求

戦史の情報を整理し探求するサイトです。 古今東西の全てを対象とし、特に戦況図や作戦図に着目しながら戦略・作戦・戦術について思索します。

タグ:戦列歩兵

 ウィリアマイト戦争の最終盤においてジャコバイト・ウィリアマイト両軍は最も激しい戦闘を交え、文字通りの決戦となりました。その会戦はイギリス・アイルランド史において極めて重大な出来事として知られています。そして本会戦の戦術は野戦での包囲戦術に対し重要な思索を与えてくれています。 
 本拙稿はアイルランドで人々が戦い抜いた終末、オーグリムの戦いについて記述したいと思います。
1691_Battle of Aughrim_片翼包囲と死闘
→【ボイン川の戦い_1690_迂回】の歴史上での続きとなります。続きを読む

 ナポレオンの最後の戦い、ワーテルローの戦いで彼を破った勝者として抜群の手腕を認められている人物
初代ウェリントン公爵アーサー・ウェルズリー

 ワーテルロー以前にインドで快進撃を続けたことで英国内で彼の名声は確立していました。そして続いて対ナポレオン戦争へ挑みスペインでスルト、ジュノー、マッセナ達ナポレオン配下の優れた将軍を相手に優勢に進め欧州中にその名を知らしめます。
 彼は戦略的には攻勢でありながら、会戦では優位な地形を占め態勢を整え相手を待ち受ける守戦を得意とし慎重なその采配は高い評価を得ています。
 
 ただ勿論ウェリントン公は常に優位な地形で防戦という状態を迎えられたわけではありません。時に自分から突撃が必要な際には激烈な攻勢に出ました。
 今回はウェリントン公の指揮官として初期の、そして彼にとって最も血塗れた損失をだした戦いの1つだと言われるアッサイェの戦いについて記載しようと思います。

Battle_of_Assaye_advance
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 古代ギリシャにおいて黎明期を迎えたギリシャ・ファランクス(槍密集方陣)は確固たる部隊編成を持ち指揮系統・マニューバが明瞭であるため、戦史において重要な役割を占めています。ファランクスは数々の会戦でその威力を発揮し戦術発展の礎となりました。

 様々な工夫がなされ応用が生み出されていきました。各戦術を詳述する際に理解をしやすいように、その基盤となった典型的なギリシャ・ファランクスの戦例を1つ紹介したいと思います。

 会戦の名は(第1次)マンティネイアの戦い。エーゲ海一帯にその名を轟かせ、今なお尚武の代名詞として扱われるスパルタがその力を見せつけた戦いです。
mantineia_ロシア語資料
※戦争の経過記述が長いため戦術のみに着目する場合は会戦の章まで飛ばしてください。

<関連戦役>
スファクテリアの戦い[軽装歩兵によるスパルタ重装歩兵に対する勝利]
デリウムの戦い[縦深陣による戦力集中]

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 古代ギリシャでは戦争術の歴史の礎となった数々の会戦が見られます。
 今回はその中から基礎軍事理論の1つ、戦力集中原則の古典戦例を紹介したいと思います。
Battle_of_delium_map-3
 会戦の名は「デリウムの戦い」または「デリオンの戦い」と呼ばれ、ペロポネソス戦争中にアテネとテーベが相対した重要な戦闘の1つです。
 典型的なギリシャ・ファランクスの戦闘であると同時にそこから次の時代へ繋がる戦術の端緒を伺わせる戦いでもあります。

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 戦史において古代ギリシャとオリエントは欠かすことのできない発展の礎と位置づけられています。トゥキュディデスやクセノフォン、アッリアノス、フロンティヌス等の戦史家達は軍隊の動きをある程度把握できるほど詳細な記録を編纂し残してくれました。

 本稿はペロポネソス戦争初期において、個々の戦闘技術で上回るスパルタ軍の重装歩兵にアテネ軍が作戦・戦術によって対抗したスファクテリアの戦いについて記述します。
BC425_Battle of Sphacteria_1

(以下本文敬略)続きを読む

 米独立戦争・南部戦域において1つの転機となる会戦がありました。キャムデンの戦いと呼ばれることになるこの会戦で独立派・大陸軍は危機的な戦況へと追い込まれることとなります。
 英国軍の練度と装備が充実していたため優勢だったと言われることの多い独立戦争ですが、この時に見せた王党派・英国軍の戦術は実に明確でかつ果敢なものでした。
battle_of_camden-single-envelopment

(以下本文敬略)


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