戦史の探求

戦史の情報を整理し探求するサイトです。 古今東西の全てを対象とし、特に戦況図や作戦図に着目しながら戦略・作戦・戦術について思索します。

タグ:戦術

 2023年中期、小型UAV-FPVドローンでの自爆特攻攻撃は著しい増大を遂げた。ロシア軍は自国製、軍専用ドローンを喧伝しているが、実際の戦場で大半を占めるのは民間(企業)販売されているUAVをハード及びソフト面で改造したものだ。また、UAV対策とそれへの対抗改良の極めて速い応酬は、安定して信頼できる機体の現出を許さず、軍専用UAVの大量生産に二の足を踏ませている。にもかかわらず戦線で効果を挙げ続けるその需要は、大量消耗を前提とした民生ドローンの大規模投入という暫定の答えを導いた。
 各国軍部は平時において極めて厳しくリソースを制限され、そして戦争勃発後ですらかつての世界大戦のような産業体制はできないという予測の元で、将来の大規模戦争において広大な規模へと急拡大する方策を考えなければならない。その内の1つは、凄まじい速度で発展を続ける民間技術および生産性能にある。政治方面から厳格な制約を受ける”軍専用技術”の開発と量産と並行して、急拡大した戦線で(少なくとも開戦3年間は)軍専用技術の配備が間に合わない領域での補充として『民生品の軍事転用方』を平時から研究しておくべきである。以下にはロ‐ウ戦争に基づいた民生UAVをどう改造するか及びどう用いるかの具体的事例を示す。
6機FPVドローン特攻攻撃を準備する露軍兵士窓際室内から飛び立つFPVドローン
 本稿は露軍のFPVドローン教導隊の情報を発信しているアカウントに基づき幾つか記している。他の宣伝用アカウントと異なり「訓練生及び卒業生に向けて」のものであり、殆ど広まっていない。また、挙げられる動画は少ないが卒業生が前線で実施し渡した動画は、各ロシア宣伝アカウントでは共有されない希少なものが大半を占める。

 ※このアカウントは幾つかの情報へのリンクを載せており、パスワードを突破する必要がある。対象は通常のYandex.diskオンライン共有ファイルである。この教導隊情報のアカウントを特定していることそして突破成功後のデータの流出にしばらくは気づかれたくないため、直接掲載はしない。参照元付きの本稿原文は一部の人物にのみ限定共有する。(パス突破または分析のため原文を求める方は旧Twitter DMまたはコメント欄メール記載にてコンタクト下さい。)
 
ウクライナ軍の情報は立場上秘匿するが、類似する指針を歩んでいる。




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 2022年8月22日にANNA Newsがアップロードした動画において、ロシア/DPR軍の塹壕強襲の戦術が、その接近と突入の手法がはっきり分かる形で映っていた。前後の戦況報道からして8/21が戦闘の日付けである。
 戦車歩兵戦闘車歩兵UAV砲兵により構築される敵陣地突入戦法はシステマチックであり、DPR/ロシア軍が現在展開しているロシア・ウクライナ戦争の第2期以降の陣地戦でスタンダード化されているものに近いと推測される。本戦闘方法が今後も現代通常戦で一般化されるかは不明だが、非常に有用なサンプルの1つとなるだろう。

 公式発表はないが、動画内の施設から座標は自分でわりだした。ドネツク前線中央Pisky町の西にある大型道路沿いに作られた周到陣地である。




DPR Assault tactics against trench

分析詳細は記事後半に各場面画像付きで添付する。

◆ 確認できる主な事象は下記。

車両前進時移動速度:ほぼ一定。10km/h前後の低速
0:03 開けた草地を前進するT-72及びBMP-2。車間距離約35m。
0:12 全景確認可能。道路逆側(右側)に友軍戦車の姿は無い。この左側からのアプローチのみ。
  既に最初の戦車による行進間射撃が行われている。 発射時の推定距離280~360m
 ※さらに支援砲撃も実施中。3発以上。
0:19 戦車行進間射撃 2射目
0:25 UAVがトンネルを確認。隠れている敵が出てくる可能性が高い場所。
1:02 戦車行進間射撃 3射目 (※動画編集で途中が切り取られている可能性有。)
1:25 支援砲撃。 画面上端中央部に着弾の噴煙発生確認。 戦車から約140~160m位置
1:38 4発目の戦車行進間射撃。 距離約120~140m
1:47 BMPの行進間射撃。
2:20 UAVが歩兵の接近ルートの防風林を確認。
2:25 戦車は停止直前に主砲使用。側方射撃。40~50mほどの近距離に着弾。
2:31 戦車及びBMPが突入口そばで停止。車間距離は行進中とほぼ変わらず。
2:37 行進中より速く、12秒後に停止状態で戦車が連射。
2:45 UAVが再び歩兵の接近路を確認。
2:51 戦車主砲発砲。
3:02 戦車主砲発砲。85m先の林。11秒での連射。
3:11 BMPが奥へ発砲。直前まで機関砲は正面方向を向いていたが、戦車と同じ側方へ変え射撃。
3:19 画面中央の防風林内に歩兵の動き確認。
3:22 BMPの連射確認。奥を狙っている。
3:25 戦車主砲を数秒前に撃ったらしき発煙。 80m距離に着弾煙確認できず、奥の250m位置と思われる。
   次弾まで11秒間隔で逆算し3:20で発射と推定。
3:31 戦車主砲発砲。80m位置着弾。直前の映像で塹壕も無く人もいない。誤射?威嚇?
3:39 奥の塹壕内にウクライナ兵の動く姿確認。戦車から240~250m位置。
   既に傍で燃え始めており、3:20秒頃に撃った弾と推定される。または支援砲撃。
3:50 戦車主砲発砲。
3:54 UAVが戦車の後ろ側の塹壕に敵が居ないか念のため警戒。
4:19 戦車主砲発砲。
4:22 歩兵が横の防風林から出て野原を小走りで突っ切り、味方のBMP停車位置へ向かう。1つ目の分隊9名。
4:28 戦車が後退開始。
4:42 戦車は射撃時に使っていた射線が開けた箇所からずらしてから反転、後退再開。
4:45 野原を横断中の2つ目の歩兵分隊確認。その間、先頭の分隊はBMPの影に隠れ止まる。
4:50 先頭の分隊が突入口へ向け再度小走りで前進。
5:09 戦車が向きを変え撤退しながら後部の対空機銃を周辺へばらまいている。
   狙いはつけず60度範囲を20数秒間で制圧射撃している。
5:17 戦車がスモークを展開。 後部機銃の制圧射撃は継続。2つ目の分隊はスモークの隣を突入高へ向け前進。
5:18 先頭の分隊の兵士が塹壕突入口へ到達。後続は縦隊のまま迅速に入口の塹壕内に集結。
5:45 2つ目の分隊が入口の塹壕で集合完了。
6:23 歩兵が塹壕内を前進している姿が確認。
6:25 歩兵の進む100m先に煙が上がっている。1分前の映像では無かったので新たな着弾=支援砲撃。
6:28 BMPが離脱を十秒前に開始している。
   スモーク跡から既に戦車が後退済みなのが確認できる。後退ルートは来た道と全く同じ。地雷対策。
6:30 全景再確認。 逆側は全く車両のアプローチ跡が無い。 
   支援砲撃が縦深数百mに渡り数発実施されているのが見える。
   手前のトンネルと奥のトンネル位置にも煙。継続的に燃えている可能性有。

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 地理が軍事作戦に絶大な影響を与えることは遍く認識されており、特に通行困難地帯をどう評価し部隊配置とどういう位置関係にするかは主要テーマの1つです。
 戦力を集中した片翼包囲の実施を望む場合、検討を要するのが「通行困難地帯側へ向けて進撃する」包囲とするか「通行困難地帯側から進発する」かです。(最も戦例が多く且つ明確性のある水場を今回は念頭におくこととしますが、険しい山岳部、沼地、川や海等々ではどんな差異があるのかも考えてみてください。)この2つについて短いながら説明をした上で、水場側からの翼包囲が実施された戦例を幾つか紹介します。

 本稿は基礎的理論の振り返りではありますが、ある程度戦術/作戦の好まれやすい方策を既に知っている人に向けて書いています。というのも、「内陸側から水場側へ向けて包囲を行う」ことのアドバンテージを理解しているあまり、それが『普遍的正答』だと思ってしまうのを避けるためです。実戦例を探ると別方向へ発起されているケースが多々あり、複合的に敵味方の要素を組み合わせて駆け引きをすると必ずしもそれが最適とはならない場合があります。これも当たり前のことではありますが、意外と頭から抜けて特定戦術/作戦を指向してしまうので自戒の意味も込めて記しました。ですのでややくどい表現となっており、そもそも水場側への包囲というテーマに初めて着目する方にはなぜここまで言っているのかわかりづらいかもしれません。
gif_水場への片翼包囲

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  包囲に対抗するための方策として鈎型陣形と呼ばれるものがあります。
 陣形とは書いていますが、その意図は敵が多角的攻撃をしてきた際に自軍部隊が『側面を曝したまま攻撃を受けないようにする』戦術コンセプトであり、幾何学性よりもその効果の方に本質的な意味があります。包囲形にされることをある程度想定に入れるという特徴があり、包囲攻撃を受ける際にそのインパクトが緩和されます。その点で対包囲戦術の1つとして、多くの戦で使用されました。ただし鉤型で対抗するということは受動的で複数のリスクもありました。
1642_Battle of Honnecourt_鉤型陣形の敗北

 今回はそれらの包囲をされた際に側面を曝さないようにした戦術的行動を鈎型陣形と呼称し、その基礎概念について記そうと思います。如何にして鈎型陣形をとった軍が勝利したかは、古代ローマ・ガリア戦役の2戦例(ビブラクテ、サビス川の戦い)を取り上げ詳解しようと思います。

 本稿は鈎型陣形が耐久により包囲攻撃に対し勝利した事例に説明の重点が置かれています。けれども鈎型陣形はそれ単体での耐久勝利よりもむしろ他の逆襲戦術と組み合わされることで大きな威力を発揮したものです。それらの戦術を理解するための基礎としても必要であるため、まず単体について記そうと思います。
→別拙稿 鉤型陣形を組み合わせた逆襲 後日作成します。続きを読む

現在ロシア軍が訓練とシリアでの実戦データ収集を続けている機甲による戦法『タンク・カルーセル』について記述します。関連する『タンク・トラゥザーズ』戦法と『シリア式塁壁』についても触れることにします。

 内実は循環移動射撃戦法と呼ぶべきものであり、基本コンセプトは古くから続くショット&アウェイです。科学技術進歩に伴い複合的に進化した機甲車両と砲兵隊によって、このコンセプトを現代戦の中で実践する手法として再び現れました。ロシア軍、シリア軍、ウクライナ軍による実戦運用と訓練が進められており、米軍も少しずつ研究を続けています。
 長所と短所の両方があるこの戦法の特性について調査して判明した範囲で説明し、次に戦術の中でこの戦法がどう活用されるのかをロシア軍の演習を例に記そうと思います。

 まだ不明点が多く実戦記録も十分でないため、別の資料や戦車運用の知見をご存じの方の意見をどうか伺いたく思っています。発展性と制限性の両方がある極めて興味深い戦法だと感じています。なにとぞご助力お願い致します。
Fire Carousel

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 野戦において溝や穴を地面に掘り戦術に利用する手法を塹壕戦術(Entrenchment Tactics)と言います。野戦のものはその性質や準備時間の違いなどから、要塞の防御用や攻城側が接近するためまたは建設物を崩すための掘削戦法とは別で捉えられます。野戦築城の一種として塹壕は絶大な効果を発揮し、戦史にかなりの影響をもたらしました。

 イタリア~西欧で塹壕を中心とした野戦築城は恐らくイタリア戦争でその効果が完全に広まりましたが、各軍人に共通認識として確立したかはともかく、それより遥か前から塹壕戦術は存在し一部に知られていました。オスマン軍の大規模な野戦築城で東欧諸国は触れてアレンジしていますし、それ以前ならティムールが頻繁に使い、更に昔から各国で使用例はあります。
 ですが要塞用の壕が太古からあるのと比べると野戦では意外と事例が少なく、メインに塹壕を据えたのが「広まった」のはだいぶ後の時代とされています。イスラム世界では預言者ムハンマドが寡兵で敵を撃退するために溝を掘ったことが最初の野戦での使用例と言われることが多いようです。ただこれより昔から使用された戦は存在します。そして興味深いことに、そのうちのいくつかは知見が使った相手に継承され次々と隣国へと広がり渡って行った形跡が見られるのです。
 今回は野戦で大地を掘削し溝を作ることで戦術的に活用した戦例の記録を追い、その軍事的知恵の継承について記述してみたいと思います。
塹壕戦術_2
 一応はべリサリウス率いる東ローマ軍とササン朝との戦争の補足でもあります。
【カリニクムの戦い_531年_片翼包囲_鈎型陣形による対包囲】
http://warhistory-quest.blog.jp/20-Mar-14続きを読む

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