戦史の探求

戦史の情報を整理し探求するサイトです。 古今東西の全てを対象とし、特に戦況図や作戦図に着目しながら戦略・作戦・戦術について思索します。

タグ:正面攻撃

 1917年末に開始されたロシア内戦は拡大し、ボリシェヴィキと呼ばれたレーニンらの政府勢力は各地で戦線を開くことになります。諸反対勢力の蜂起だけでなく諸外国の干渉は事態を複雑化しました。
 1918年初頭に労農赤軍の創立が正式に宣言されボリシェヴィキは一部で反撃を開始するも白軍や外国軍によって幾度か危機を迎えます。3月にドイツら中央同盟国軍に大規模な領土割譲を認める代わり戦争を収束させるブレスト=リトフスク条約を締結。ただ諸白軍との戦争は続き、しかも今度はWW1の戦勝国が介入を本格化します。ボリシェヴィキはモスクワを中心としながらペトログラード(後のレニングラード)やスモレンスクを保持する領域で耐えロシア各地で支持者が入り乱れます。

 1919年は特に厳しい時期であり、レーニンは帝国時代の首都だったペトログラードの放棄を悩むほどになります。この時ペトログラードへ迫ったのはそれまであまり日の目を見ていなかったバルト三国周辺、特に陥落していなかったエストニアから進む北西軍でした。率いていたのはWW1オスマンとの戦線で活躍したユデーニチ将軍です。彼は連合軍の支援を受け、関係勢力を驚かせる進撃を見せました。
1919_ユデーニチの攻勢と赤軍の反撃

 以下にはユデーニチ北西軍と対したペトログラード周辺の赤軍及びトロツキーについて中心に、その戦闘の一部を鉄道路線に着目しながら記載します。
別記事→【資料紹介_ロシア内戦_戦況図集】に全体図はあります。

続きを読む

 帝政ローマは地中海を中心とする大国として君臨し途轍もない業績を達成しました。

 その広大な版図をもたらした一要素、ローマ軍団の存在は戦史の中に膨大な戦例を遺してくれています。
 今回は彼らが突き進んだ北西の果、ブリタニアの戦役で女王ブーディカ率いる反抗勢力と行われたワトリング街道の戦いに関して記述しようと思います。
Street-6
続きを読む

 戦況図紹介です。

 ロシア、というかソ連時代に作成された日露戦争の主要戦の戦況図一覧です。
 日本軍のマニューバについて色々と思う所はありますが、ロシアから見た戦況推移という感覚を知るためには有用かと思います。
 ※元画像大きいのでご注意ください。
1904_日露戦争まとめ

 古代ギリシャにおいて黎明期を迎えたギリシャ・ファランクス(槍密集方陣)は確固たる部隊編成を持ち指揮系統・マニューバが明瞭であるため、戦史において重要な役割を占めています。ファランクスは数々の会戦でその威力を発揮し戦術発展の礎となりました。

 様々な工夫がなされ応用が生み出されていきました。各戦術を詳述する際に理解をしやすいように、その基盤となった典型的なギリシャ・ファランクスの戦例を1つ紹介したいと思います。

 会戦の名は(第1次)マンティネイアの戦い。エーゲ海一帯にその名を轟かせ、今なお尚武の代名詞として扱われるスパルタがその力を見せつけた戦いです。
mantineia_ロシア語資料
※戦争の経過記述が長いため戦術のみに着目する場合は会戦の章まで飛ばしてください。

<関連戦役>
スファクテリアの戦い[軽装歩兵によるスパルタ重装歩兵に対する勝利]
デリウムの戦い[縦深陣による戦力集中]

続きを読む

↑このページのトップヘ