戦史の探求

戦史の情報を整理し探求するサイトです。 古今東西の全てを対象とし、特に戦況図や作戦図に着目しながら戦略・作戦・戦術について思索します。

タグ:迂回

2020年9月末から開始されたアゼルバイジャンとアルメニアのナゴルノ・カラバフ戦争は年内に停戦合意に到り、その期間の短さから44日間戦争と一部で呼称されている。内戦やテロ掃討戦では無く国家同士の戦争であることからシリアやイラクの内戦とは違った着目の仕方をされた。両国のリソースが中小規模であったことは、そこで見られた軍事的事象を先進諸国に適用できるかに関し慎重になる必要性を生んでいる。それでもこの戦争で両国の軍隊は諸外国が注視する意味のある様々な教訓を示してくれた。その1つは作戦‐戦術レベルにおける伝統的なマニューバの有効性である。

 ※本稿は政治的な活動とプロパガンダ、情報戦、諸外国の支援は範囲外とし、アセットを有した状態から発起された軍事作戦のみを対象とする。
azerbaijan offensive 2020

 結論から述べると、アゼルバイジャン陸軍の行った作戦は古典的な迂回マニューバである。また、その手法も伝統的な戦線突破及びその後の拡張メソッドそのままだ。航空戦力は著しい脅威を継続的にもたらし、砲兵は偵察の情報を基に戦果を挙げ、機甲は作戦的に重大な役割を果たし、そして歩兵はその足で戦闘終結のための決定的なタスクをこなした。各兵科の投入タイミングと位置は見事な水準で調整されていた。
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 リビア内戦において、2020年5月まではLNA(トブルク政府側)の戦略的攻勢期でした。そしてついに2020年6月初頭にそれは崩れ、GNA(トリポリ政府側)の攻勢期に移りました。より詳細部に触れるとGNAの逆襲作戦『憤怒の火山』などがあり両軍の膠着状態がトリポリ近郊で長らく続き、交通の要衝や空港を激しく奪い合う膠着期間がありました。

 その中で見られた作戦および戦術は興味深いものであり、戦史上幾度も議論された事象に関係していました。今回はリビア内戦の中でも最上級に大規模で大胆な、2019年4月よりLNAが発起した西部戦役の攻勢主軸を巡る紹介と考察をしてみたいと思います。
20190404_西部戦役
 軍事的/非軍事的を問わず多くの要因が戦局に影響を与えましたが、本稿で焦点とするのはただ1点、LNAのトリポリ突進は作戦レベルで適切な軍事的判断であったかどうか、それのみです。軍事的概念に置き換えるなら、周辺の敵拠点を占領せずに大規模補給拠点から遠く離れた敵中核都市の奪取に主力を突進させる方針の是非、となります。
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米陸軍大学出版から何十年にも渡って出されている季刊誌Military Reviewには色々と面白い記事があります。今回はその1940年6月号へ当時大尉だったReuben E. Jenkins(最終階級は中将)が寄稿した『Offensive Doctrines』の中に4種の包囲マニューバについて書かれているものがあったので一部試訳紹介してみます。 
 包囲マニューバは実戦例詳細部を分析し1つ1つにラベルを貼っていけば、その形態の数は実に多くなるでしょう。1つの戦例に複数の性質が存在することもあるためです。ですので本記事中の4つの包囲形態とはある視方をした場合に浮かび上がる特徴を基に4つ抽出したものとなります。
 その4つとは次の包囲形態になります。

密接包囲(Close Envelopment)
広範包囲(Wide Envelopment)
両翼包囲(Double Envelopment)
迂回攻撃(Turning Movement)

 章タイトルだけを見た時、単純に近接と広域に距離で分類したのだと連想してしまうかもしれません。しかし3つ目の両翼包囲に説明が移る段階でなぜ片翼包囲が無いのかといった違和感があるはずです。ここで自分は原著者は一体どのような基準でこの4形態のみを説明することとしたのだろうと興味を持ちました。
 幸い論述内容は簡潔ですぐに疑問は解けました。ジェンキンス将軍が包囲の説明で重視していたのは、各タイプごとに包囲マニューバを実行する「編制及びその指揮統制」手法が違うということでした。彼は指揮の実践に必要な内実に基づいて上記4タイプを認識すべき旨を強調した書き方をしており、幾何学的性質や距離は関係しますが本文の主眼にはされていません。

 以下訳に移りますが4形態の内容個々は特段珍しいことを述べているものではありません。ですがこの将軍の着眼点はたとえ当時と現代あるいは昔が違う様相の戦争だとしても、指揮手法の変化の重要性を再度考えさせてくれる価値のあるものだと思います。続きを読む

※ 本記事はアンカラの戦いの会戦戦術そのものについては記述せず、その場所に到るまでにティムールが行った戦略と諸作戦、特にその行軍について記します。

 中央アジアで覇を唱えた大アミル・ティムールが小アジア及びバルカン半島で拡大を続けるオスマン朝のバヤジット1世と対決したアンカラの戦いは広く知られています。
 両国共に隆盛期であり数多の戦歴を重ねそして勝ち続け巨大な勢力となっていました。2大国の衝突は大会戦へと到り戦争そのものに決定的な勝敗を生み出します。ここで展開された作戦について記述してみたいと思います。
Timur_Campagin at Asia Minor
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