戦史の探求

戦史の情報を整理し探求するサイトです。 古今東西の全てを対象とし、特に戦況図や作戦図に着目しながら戦略・作戦・戦術について思索します。

タグ:陣地戦

 現代強度市街戦における小規模部隊での機甲+工兵+歩兵の一体化に関する資料紹介記事の補足として2点記しておきます。
【強度市街戦での工兵再拡大及び機甲と歩兵との一体化】
http://warhistory-quest.blog.jp/21-Oct-11

①市街戦に於いて機甲車両は非常に有用であり、それはWW2~最新の戦例によって明確に証明され、市街戦専門家たちの支持を得ていること。

②市街戦時代の到来によって戦場は陣地戦と消耗戦の性質を色濃く示すため、Maneuver Warfare理論は大きな変化を求められている。その解釈として、King教授を筆頭にそもそもManeuver Warfareはもう終わったと唱える者たちが居る。それに反対する意見もあり両者には前提認識のくい違いがあるが、いずれにせよ現代軍が直面する現実として、『positional warfareの拡大』または『maneuver warfareの都市環境適応化』が求められている。

 日本のみならず米軍内でも戦車は市街戦では使えないという認識の人が意外なほどに多いようです。彼らに市街戦研究者たちは少々いらだっているようですが、その有用性が証明されていることを粘り強く何度も説明してくれています。
 Maneuver warfare終了説はだいぶ前からありますが、King教授はかなり強く主張しているので色々と議論を呼んでいます。

< 以下詳細 >
Battle of Mosul_20161107
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 日露戦争について最初に製作されたロシア帝国軍の公式戦史を紹介しようと思います。

日露戦争1904-1905年(Русско-японская война 1904-1905 гг)
製作】ロシア帝国軍参謀総局 軍事史委員会(военно-исторической комисиии)
出版年度1910年
【日露戦争史編纂委員会委員長】ヴァシリー・グルコ少将(当時)_Гурко, Василий Иосифович

 戦争直後の1906年、ロシア帝国軍参謀総局は公式日露戦争史編纂のために軍事史委員会を設置しました。この戦争に参戦したグルコ少将の指導の下で委員会は詳細な記録を集め、地上戦に関し極めて緻密な図や統計を含んだ全9巻の書籍を4年の歳月をかけ完成させます。

 21世紀に入り、Runiversというロシアの図書電子化プロジェクト団体がこの書籍を公開してくれています。
 勿論記されている軍公式の解説文も戦争直後の認識を知るための貴重な資料なのですが、特にありがたいのは巨大な図を高解像度で見られることだと思います。ページ数だけで330以上、組織やシステム図まで足すと360枚以上の図があり細かく地形や部隊配置が記されています。戦況全体だけでなく各衝突部ごとにピックアップされているので1つの戦域だけで数十枚になっています。旅順の要塞は戦闘が激しかった防塁の設計図と日本軍の接近ルートが載っています。しかも戦況図などは部隊がカラー化してあります。ぜひ図集だけでも目を通してみてください。

【第1巻】戦争直前の各国の動向と出来事、戦争準備
【第2巻】得利寺の戦い
【第3巻】遼陽会戦 (大石橋の戦いから奉天への退却を含む)
【第4巻】沙河会戦
【第5巻】奉天会戦
【第6巻】Сыпигайский戦闘期(満州の開原市周辺域)
【第7巻】軍の組織、システムなど戦線以外の記録、各種統計データ
【第8巻】遼東半島防衛と旅順攻囲戦
【第9巻】副次的戦線
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 AirLand Battleと機略戦の理論を押し進めていた冷戦末期の米軍がこのコンセプトを自国なりのやり方で導入するために、委任戦術Auftragstaktikが根付いた将兵がどういった行動を取れたのか、研究した論文についての試訳です。
 前半はAuftragstaktikとはどういうコンセプトだったのか、その歴史の概略と共に記されています。
リンク↓【試訳_委任戦術とその歴史概略】
http://warhistory-quest.blog.jp/19-Dec-15

 この後半は論題通りの主箇所、チル川の戦いにおけるドイツ第11装甲師団の戦例について書かれています。
恐らくドイツ側の説明はほぼ不要なほど有名ではあると思いますが
・ソ連の天王星作戦によりスターリングラードで包囲された第6軍
・マンシュタイン元帥のドン軍集団が解囲を試みた冬の雷雨作戦
・ソ連が南部に展開するドイツ軍全体の崩壊を試みた(小)土星作戦
に関係しています。

 スターリングラード解囲のためのドイツ軍攻勢とは別に、その直前からソ連第5戦車軍はチル川突出部を潰そうと継続的な攻勢を仕掛けました。そこで第48装甲軍団は敵を撃退するために苦闘することとなります。
 互いに思い通りに行かなかった点は多々あるものの、その戦闘内容は教訓に富んだものであると米軍は解釈しており、本論文はそれを具体的にAuftragstaktikが根付いた指揮と統制に着目し記述しています。
図3_1942年18日~19日_第11装甲師団のチル川沿いでの逆襲
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 以下、試訳

Order Out of Chaos : チル川の戦いにおけるドイツ第11装甲師団の活動

【著者】Robert G. Walters 米陸軍大尉 (当時)
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 委任戦術や訓令戦術と訳されることが多いアウフトラークスタクティーク=Auftragstaktik(Führen mit Auftrag)に関し、米陸軍で指揮と統制のスタイル研究のために作成された公開論文の試訳をしてみようと思います。本文書は抽象的概念を論じるものではなく、具体的導入のためにWW2ドイツ軍の戦例を研究しているものです。

 長いので本記事は前半部のAuftragstaktikとは何か、そしてその歴史の概略が書かれた部分について翻訳します。本編ともいえる後半部はヘルマン・バルク将軍率いるドイツ第11装甲師団の1942年チル川の戦いなどの実戦記録となっており、次の記事で載せようと思います。
 また、少々読み難いかもしれませんが本文はそのままAuftragstaktikと記すこととします。原文もそうしており英語のMission-type Tacticsとしていないためです(理由も本文内にあります)。

 本論文の背景には、中・遠距離の核攻撃とワルシャワ条約機構軍の突進によって引き起こされる流動的かつ高速化した現代戦の中で、米軍が欧州に配備されている各部隊を指揮する可能性を考えなければならなかったために研究が必要だったという背景があります。参照されている米陸軍野戦教範は1986年度版であり、AirLand BattleドクトリンとManeuver Warfare理論が密接に関係しています。
51voUT51fQL
(内容的には完全にバルク将軍が主なのですが表紙はマンシュタイン元帥。確かに元帥も関わっていますが…少しバルク将軍が不憫です。)
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 以下、訳文

Order Out of Chaos

】オーダー・アウト・オブ・カオス:1942年12月7日~19日でのチル川の諸戦における第11装甲師団による委任戦術の適用に関する研究
Order Out of Chaos : A Study of the Application of Auftragstaktik by the 11th Panzer Division During the Chir River Battles 7 - 19 December 1942

著者】Robert G. Walters 米陸軍大尉 (当時)
論文提出年度】1989年3月
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  1965年印パ戦争において9月第2週は最大規模の衝突が同時的に複数起きた期間となりました。両国は機甲部隊を投入し積極的な侵入を行い、そして守る側でも機甲部隊に重大な役割を任せることになります。

 その舞台となったシャカルガル突出部北域での戦い(Battle of PhilloraとBattle of Chawinda)そして南の戦い(Battle of Asal Uttar)はインドでは度々「WW2以降で最大の戦車戦」というフレーズを持って紹介されます。実際に最大なのかの戦例比較検証はともかく、確かに彼らがそう言いたくなるほど機甲部隊は激しい戦闘を繰り広げました。戦車に対抗するために戦車をぶつけなければならないというルールは戦争には無く、実際に対戦車砲や航空機が戦果を挙げていますし現代なら対戦車誘導ミサイルなど数多くの効率的手段があるのですが、1965年印パ戦争では両軍総司令部の問題もあり戦車対戦車の局面が大規模に発生し非常に興味深いものになっています。

 今回はその中でも極めて見事な戦術が実行されたアサル・ウッターの戦い(別名ケム・カランの戦い)について記そうと思います。
battle of Asal Uttar_9月10日_午後戦闘ピーク-min

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