戦史の探求

戦史の情報を整理し探求するサイトです。 古今東西の全てを対象とし、特に戦況図や作戦図に着目しながら戦略・作戦・戦術について思索します。

タグ:騎兵


  騎馬戦士よ!ラワ戦法などに首を突っ込まず、
  自らの命を惜しむがいい。

プーシキン詩作『騎馬戦士』(1829年)
(鈴木淳一, "В.В.コージノフ『19世紀ロシア抒情詩論(スタイルとジャンルの発展)』翻訳の試み(3)", p.67より抜粋)
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 ラワという軍事単語は現在はあまり使われません。ただ戦史を調べていく中で特定の人々、例えば旧日本軍の戦術書籍を読む方々はこの言葉に出会い、なぜ固有名詞化されているか気になったかと思います。
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 本件はよくある話ですが、調べれば調べるほどわからなくなるテーマでした。ラワとは戦術的概念であるという説明の他に、フォーメーション寄りの解釈をしているものが少なからずあったからです。資料元のロシア国内ですらこの解釈に混乱があるという話を見た時、どれか1つの書籍にあるものをそのまま主張するのではなく、複数の資料を列挙して示しておくことにしました。ですのでラワとは何かの普遍的定義を導くのではなく、複数解釈ある背景を説明する方に比重を置きました。
 かなり厄介なテーマでしたがようやく調べが進んだので簡易ながら覚書を残します。同じく興味を持つ人がいつか現れ、調べた時に少しだけ助けになれたら幸いです。続きを読む

近世と日本では呼ばれる17世紀欧州の騎兵及び歩兵の発展史は最も戦史で興味深いジャンルの内の1つです。その戦闘の様相が具体的かつ詳細に説明できるのは(そして議論が巻き起こるのは)、素晴らしい史料が複数残されている故です。エンブレム・ブックと呼称される大量かつ精緻な挿絵を使った書籍が流行し印刷され知識を広め、そして保存されました。
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 恐らく17世紀前半の兵士の様相が記されたエンブレム・ブックで最も知名度があるのはジョン・クルーソーの騎兵本などでしょう。他にもヨハン・ヤコブ・フォン・ヴァルハウゼンのコマ割りのような銃兵の挿絵はこの時代に興味を持つ人なら一度は目にすると思います。

 今回紹介するのは上述の者達と比べると知名度で劣りますが、やはり貴重な記録を残してくれたハーマン・ヒューゴの遺作となった書籍です。亡くなられた直後の1630年に出版されました。彼の書籍の絵はどちらかと言えば1626年出版のブレダの戦いについて焦点を絞ったものの方が目にしやすいかもしれません。そちらの方はスピノラ将軍の戦いを緻密に記録した本で全体図も多くの歴史家が参考にしたと思います。


 1630年発行書籍は主に騎兵の隊形について書かれていますが、全体陣形も複数あり非常に興味深いものとなっています。

】De militia equestri antiqua et noua ad regem Philippum IV libri quinque
著者】Herman Hugo(1588-1629)、Cornelis Galle(1576-1650)、Jacques Callot(1592-1635)
出版年度】1630年
使用言語】ラテン語

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 wikimediaにおいて絵のページのまとめを造ってくれている方がいらっしゃいるものの、途中で止まっています…。また記事には殆ど使われていません。
https://commons.wikimedia.org/wiki/Category:De_militia_equestri_antiqua_et_noua_ad_regem_Philippum_IV
 本記事では紹介のため挿絵のみを抜粋しておくこととします。かなり簡易な紹介記事となりますがご容赦ください。wikimediaの方のカテゴリーまとめに画像の端的な解説付きでまとめてくれる人が復活したら、そちらのリンクだけにしてここの画像集は消そうかと思っています。或いはどなたか本文のラテン語翻訳をして頂けたら…。どうかお願い致します。

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 循環移動射撃(カルーセル、トラゥザーズ)戦法について紹介した前回の記事に続き、それを組み込んだ戦術的行動について調査しましたので記載しようと思います。
 機甲の循環移動射撃が組み込まれ得る戦術は様々あり、現在シリアでの実戦やロシア軍の演習で試されています。いずれも極めて強力なものであり、相手がもしそれを把握しておらず巧みな対処ができなければ破滅的な影響をもたらし得ます。それらは真新しいものではなくむしろ歴史的に幾つもの巨大な実績をあげた戦術の現代への適合と統合という意味での進化に近いものでした。循環移動射撃戦法がもたらす効果はその戦術を構成する一要素として、例え循環移動射撃が単一では敵に重い損害を与えていなくとも、全体の戦果に対し大きな貢献をしています。
 以下の事項について特に着目して記述しました。

・偵察‐打撃コンプレックスの活用
・機甲のノマド式運用
・長時間制圧射撃と別チームの移動支援
・誘引からの分断、包囲、逆襲(マニューバラブル防御の一部)
カルーセル_偵察からの打撃

関連
前回の循環移動射撃(タンク・カルーセル、ファイヤ・カルーセル、タンク・トラゥザーズ)、シリア式塁壁に関する調査記事。
リンク→タンク・カルーセル戦法_機甲による循環移動射撃
http://warhistory-quest.blog.jp/20-Apr-15

攻撃時に後退を含む頻繁な移動を許容し、継続的な射撃を行うタイプの戦闘技法とそれを用いた包囲戦術の事例
リンク→弾性の包囲概説と戦例
http://warhistory-quest.blog.jp/18-Apr-12
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 半分はフランス電子図書館の紹介でもあります。
 ナポレオン戦争末期の騎兵マニュアルについて記された書籍が電子公開されているので紹介してみます。初版は1818年に著され発刊は1819年、つまりナポレオン失脚直後になされています。著者はドイツ人ですがナポレオン麾下で出世した軍人です。

書籍名と各国での発刊

 ドイツ語『Vorlesungen über die Taktik der Reuterei. Elemente der Bewegungskunst eines Reuter-Regiments』原本 1819年初版発刊 翌年第2版 最終第3版1826年発刊
 フランス語『Tactique de la cavalerie. Suivie d'élémens de manoeuvres pour un régiment de cavalerie.』※第2版を翻訳 1821年発刊
 英語『On The Uses And Application Of Cavalry In War: From The Text Of Bismark, With Practical Examples From Ancient And Modern History』※第2版を翻訳 1855年発刊

 騎兵部隊の展開を記した図が付録されておりドイツ語版とフランス語版の図が同一なことは確認できますが、なぜか公開されている英訳版に見当たりません。(私が見落としただけかもしれませんが)
 日本語訳は無いと思うのですがもしありましたらどうか教えてください。 
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 調査中。この記事はまだ覚書です。何かご存じの事あればどうかご助言ください。

名称と年代:ジャンディ・カマル_駝城

 中央アジアを中心に遊牧民の間で使われた4足獣を用いた即席障害物構築戦法が存在する。
 この戦法の確固たる共通名称は無いが、カザフ語またはキルギス語では「ジャンディ・カマル(Жанды камал)」と発音されたことが伝わっている。意味は「生物塁砦」である。ロシア語圏では直訳し「動物による塁砦(Живая крепостьまたはкрепость из животных)」を使用している。中国・清王朝はこれを「駝城」と記録しているが、駱駝に限らず4足獣全般がこの戦法に使用されている。ラクダの場合は「トゥイェ・カマリ(Туйе камалы)」と呼ばれ、ロシア語訳はВерблюжья крепость(ラクダ塁砦)が対応する。ドン・コサックの地域では「батованием」と呼ばれていたとされる。

 主に記録さている活躍は16世紀~19世紀であるが、20世紀ソ連でも存在しており知見が継承されている。また、弓にも効果的であるため使用開始の年代はさらに古いと考えられている。使用最盛期は18世紀であるとされる。
 年代から明らかなように、ジャンディ・カマルは銃が普及した時代に騎馬の民がそれを活かすために好んだ手法である。何もない平野や雪原だろうと突如として塁壁を作り上げ猛威を奮った。
清と闘うジュンガルのジャンディ・カマル1941_雪原で展開するソ連軍タタール騎兵


<右図:1941年のソ連軍タタール騎兵部隊が雪原で散開しながらジャンディ・カマル(?)を展開している>
https://www.iwm.org.uk/collections/item/object/205087014


<左図:清王朝と闘う際にジャンディ・カマルで苦しめた18世紀のオイラート>続きを読む

 ウィリアマイト戦争の最終盤においてジャコバイト・ウィリアマイト両軍は最も激しい戦闘を交え、文字通りの決戦となりました。その会戦はイギリス・アイルランド史において極めて重大な出来事として知られています。そして本会戦の戦術は野戦での包囲戦術に対し重要な思索を与えてくれています。 
 本拙稿はアイルランドで人々が戦い抜いた終末、オーグリムの戦いについて記述したいと思います。
1691_Battle of Aughrim_片翼包囲と死闘
→【ボイン川の戦い_1690_迂回】の歴史上での続きとなります。続きを読む

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